第二幕 其ノ三

 時は少しさかのぼり、トワ達が宿で目を覚ました頃の事。

 何時いつもの通り店の誰よりも早く目を覚まし、店の周りの掃除を始めるフテリ。街一番の大店おおだなの店主が率先して雑用をこなす姿に、通り掛る人達は気持ち良く挨拶をして行く。

 それらににこやかに挨拶を返すのがフテリの日課である。

 掃除が終わる頃になると護衛の男たちが装備を整えてフテリと合流する。朝餉あさげにもまだ早く人の行きかいもこの時間は少ない。そんな静かな街の中をお供を伴い半刻程掛けて散策するのもフテリの朝の日課であった。

 そんなおり、家の前で打ち水をしている母親を手伝おうとした娘が、力一杯水を撒いてしまった。勢い良く放られた水は、のんびりと街を散歩していたフテリの服をしとどに濡らす。

「フ……フテリ様! うちの娘がトンだ粗相そそうを! 申し訳ございません。どうか、どうかご容赦ください」

 ひざまずいてフテリに謝罪する母を見て、娘は今にも泣き出しそうな顔になっている。

「ごめ……ごめ……ごめん……なさい…………」

 ヒックヒックとしゃくり上げながら大粒の雨を降らせそうな瞳を、フテリはそっと濡れていない方のそでで優しくぬぐってやる。

「はは。構いませんよ。少々濡れた程度です。どうという事もありません。そんな事よりもこちらのお嬢さんを泣かせてしまいましたね」

 よしよしと、その娘と目線を合わせてフテリは頭をでてやる。

「ここらで気の利いた物でもあれば良かったのですが、生憎あいにく今はお嬢さんを喜ばせられる様な物がありません。代わりと言っては何ですが……」

 そっと懐から何かを取り出して母親に手渡す。

「それで娘さんが喜ぶ物を買ってあげてくださいな。それでは私はこれで」

 フテリは母娘に軽く会釈えしゃくをしてその場を立ち去って行く。母親の手には一塊銀──100片銀=1塊銀──が握られていた。


 フテリが朝の日課を終え店に戻ると、グオーデのもとへ使いに出していた男が息を切らせて駆け込んで来る。

「フテリ様ぁ! 大変でさぁ!」

「どうしました? こんな所で大声を出しては周囲のご迷惑になります。ずは落ち着きなさい。詳しい話は上で聞きましょう」

「……はぁはぁはぁ……へい!」

 フテリは使いの男を伴って店の二階、その一番奥まった部屋へと場所を移す。

 店の人間は皆フテリの裏の顔も承知の者達ばかりであるため聞かれてまずい事はないが、万一にも部外者に聞かれない為の用心である。

「それで、どうしましたか? 良くない話の様ですが」

「へい。グオーデの野郎のアジトが壊滅していやして、女共も助け出された後の様で人っ子一人居やしませんでした」

「例の女も?」

「へい」

「…………そうですか……。それは確かに困りましたねぇ。ええ。大変困った事態ですねぇ。他の奴隷達はともかく、ナキアヅカ様への献上品に逃げられてしまうとは。とても楽しみにして御待ち下さっていますから、今更取り逃したなどと口が裂けても言えません。ナキアヅカ様は寛大かんだいなお方です。お怒りを頂戴できれば良いですが、きっとお許しになられる事でしょう。その時の落ち込まれた様子を拝見するのは、身を削られるよりも辛いのですよ」

 フテリは肘置きに体重を預け、肘置きを指で叩きながら思考を巡らせる。

「献上品の女に呪印じゅいんほどこされていましたね?」

「へい。先日しかとこの目で確認しておりやす」

「あの呪印は解呪の方法がありません。何とか探し出す事が出来ればあるいは……。問題は呪印の支配権がどうなっているか……。誰の命令でも聞く等という事にはなっていないはずですが……。もしもの際は先生にお力添え頂く必要がありますね」

「あの女、そこまでですかぃ?」

「用心するに越した事はないですからね。何せ魔族の将軍を一人で倒したと聞いていますからね」

「げぇ!? あの噂マジなんですかぃ」

「ええ。勇者などと呼ばれているのは伊達ではないという事です。だからこそナキアヅカ様も大層心待ちにしておられるのです」

「なるほど。それでですかぃ」

「街道沿いの町に居る手下達に勇者捜索の知らせを。手近の者達にはこの街の中をくまなく探させなさい」

「へい!」

「あの女勇者の性格が情報通りであるなら、この街に戻って来ている可能性は高いはずです。見つけた際は必ず一人で当たらぬ様厳命しておきなさい。そして必ず一人、発見の知らせを私の所に持って来る様に」

「へい!」

「では、頼みましたよ」

 こうして敷かれた捜索網がユノを捉えるのに、それ程の時間は必要なかった。


 ◇


 フェムトに付き従うトワとユノ、三人を前後に挟む形で歩くフテリの手下達の一行は、運河沿いにある倉庫街に来ていた。

 倉庫から店へ荷を運んで行く者、店から、運河から荷を倉庫へ運び入れる者、双方で昼過ぎの倉庫街はにぎわっている。

 そんな倉庫街の中でも一際大きな倉庫の勝手口を開け、フェムト達三人を招き入れる。

 倉庫の中は所狭しと物が置かれている。一見する限りは普通の倉庫だ。

「付いて来い」

 フテリの手下達はそのまま倉庫の奥へと進む。

 フェムトとユノは周囲に気を配りながら付いて行く。トワは「ほうほうこれはこれは」と倉庫の中を見回しながら何か感心している。罠を警戒する等と言う神経は持ち合わせていないらしい。

 倉庫の一番奥の壁まで来るとフテリの手下の一人が、懐から変わった形の鍵を取り出し壁に押し当てる。すると、目の間にあった壁が幻の様に消えてしまった。

 本当の壁は消えた壁より更に一間いっけんほど奥に存在していた。こうして出来た間隙かんげきには地下へと向かう階段が顔をのぞかせていた。

幻の壁ミラージュウォール魔具まぐの鍵たぁ随分羽振りがようございやすねぇ。こりゃあこいつらの買い手は相当な大店おおだなの旦那と見やしたね」

 フェムトが如何いかにも銭に汚そうな演技をしながら探りを入れてみる。

「そろそろこいつらを買い取って下さる御仁ごじんの名前くらい教えて下さってもよろしいのでは?」

「余計な詮索は命を縮めると知れ。大人しく付いて来れば相応以上の値段で我等のあるじが買い取って下さる」

 先頭を歩くフテリの手下がフェムトに釘を刺す。

「ヘヘヘ。それを聞いて安心いたしやした。あっしも裏の稼業の者、心得ておりやすとも」

 今にもゴマをりだしそうなフェムトの様子に、侮蔑ぶべつの視線を投げかけるが自分の役目を思い出し、前に向き直って歩き出す。

 階段を下りた先には大人が三人並べば一杯になる程度の狭い通路が真っすぐ伸びており、あかりは点々と壁に取り付けられたぼんやりと光る魔具のみで奥は見通せない。その通路を誰一人無駄口を叩く事なく進んで行く。

 一行の足音だけが響く中しばらく歩いていると通路は行き止まりになっていた。

 すわ、やはり罠かと警戒の色をにじませるフェムトとユノを余所よそに、先頭の男は再び鍵を取り出して壁に押し当てる。

 すると壁がゴゴゴゴゴと大きな音を立てながら真ん中から左右に分かれて開く。

「逃走防止用の壁だ。専用の鍵がなければ開かん仕組みになっている」

 何か聞かれる前に、先頭の男がそう答える。

 開いた壁の奥には、また同じ様な通路が続いている。

 フテリの手下達に続いてフェムトが扉があった場所を通過した瞬間、背後に居たトワが刀を抜き放ちフェムトの足元の床を斬り裂く。

「どわっ!? なっ、なんだっ!?」

「チッ」

 驚き飛び上がるフェムトとは対照的に、苛立たしそうな表情を浮かべるフテリの手下。

「転送の魔法陣じゃ。さしずめ女にだけ反応するたぐいの物と見た。儂とユノだけを何処どこかに飛ばすつもりじゃったのじゃろう」

「おうおうおう! 話が違うんじゃあねぇか? 事と次第によっちゃあこの女共に一暴れして貰う事になるぞ!」

「逃走防止用の罠だ。牢に繋がっている魔法陣なんだが、うっかり解除し忘れていた様だ。次からは気を付けよう」

 などと先頭の男がいけしゃあしゃあとそんな事を言い放つ。

 先頭の男はそれ以上話す事はないとばかりに、さっさと奥に向かって進み始める。

 油断ならねぇ連中だなと、改めてフェムトは気を引き締め周囲に気を配りながら付いて行く。

 トワとユノも特に暴れる様な事もなく、大人しく付いて行く。

 その後数か所同じ様な壁と魔法陣を解除しつつ最奥さいおうまで進むと、一枚の扉があった。

 その扉に鍵を差し込み開けると、今までとは違い大きく開けた空間に出た。

 天井や壁、柱等のいたる所に煌々こうこうと光る魔具が設置されており、周囲の様子が良く見通せる。そこには無数の牢がこしらえられており、半分程の牢には裸の女奴隷が一人ずつ繋がれていた。

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