第一幕 其ノ一

 幾万の魔物を従える、幾万もの悪魔の軍勢。

 幾万の天使を従える、幾万もの神々の軍団。

 億を優に超す二つの超大勢力が、陸空を埋め尽くし、争い合っている。

 まばたきの間に、幾百、幾千もの命が消えて行く。

 余りにも超大過ぎる軍に作戦や指揮などはなく、ただ真正面から互いを滅ぼし尽くさんと、互いの命を喰らい合っている。

 そんな様子を遠くから眺めていると、後ろから男に声を掛けられる。

「ついにこんな所まで…………ここは危ない。また何処どこか遠くに逃げよう」

 声のした方へ振り返る。

 声のぬしは儂のぬし様である須臾しゅゆ様である。

「主様がそうおっしゃるなら。ですが、折角主様に建てて頂いた家が勿体もったいのう御座います。出来ますればうるさい蠅共の処分をご許可頂きたく存じます」

「そんな危険な事、大事なトワにさせる訳には行かないよ」

 フルフルと首を横に振る主様。

「あの様な有象無象共など、たわむれにも為りませぬ。儂の事を思うて下さるなら、どうかお許しを頂とう御座います」

 主様に向かって膝を付き、額が地に着くほど深々と頭を下げてこいねがう。

「でも…………」

 それでも首を縦に振ろうとしない主様のお優しさに、儂の心がきしむ。

 主様のご意思に意見するとは何様かと。

「二人で建てたあの家を……失いたくないので御座います。どうか……どうか……っ!」

「…………っ。…………分かったよ。でもね、トワ。僕はあの家よりも何よりも、君の事が一番大切なんだ。それだけは忘れないでおくれ」

「有難うございます。主様」

 主様は儂を抱き起して下さり、そのまま抱擁を交わし、口付けを一つ。

「くれぐれも怪我などしないでおくれ」

勿論もちろんで御座います。儂の心と体、髪の毛の一本まで全て主様の物。誰にも傷付けさせる事など御座いませぬ」

 名残惜しさを断腸の思いで振り切り、主様から一歩距離を取り腰を折り曲げ深々と頭を下げる。

「では行って参ります。儂の活躍振りをゆるりと御観覧下さりませ」

 そう告げて軽やかに地面を一蹴りすれば、次の瞬間には儂の姿は悪魔と神々の争いの真っ只中にある。

「邪魔なゴミ共めが。消え失せるがいい!」

 手近てぢかに居た悪魔の槍を奪い取り、神々に向かって投げ付ける。

 地平線の彼方かなたまで飛んで行った槍は、その直線上に居た者全てを消し飛ばしていく。

 その様子を確認する事なく、反対の手で神から剣を奪い、一薙ひとなぎ。

 描いた半円は放射状に広がり、周囲の悪魔をことごとく斬り裂いて行く。

 儂らの愛の営みを邪魔しおったむくい、受けるがいい!


 それから──

 陽の影が伸びる間もなく、億を超す悪魔と神々の軍は滅ぼし尽くされていた。

 立っているのは只一人、トワのみであった。


 ◇


「ちょっと! ちょっとお客さん! そろそろ起きて下せぇ!」

「ん…………何じゃ……? 今良い所じゃったと言うに…………」

 ゆさゆさと店主に揺り起こされた銀髪の少女刀士が、寝惚ねぼまなこで店主に文句を言いつつ、ふあ~あと大きな欠伸あくびをする。

 それで少し意識がハッキリして来たのだろう、左右をキョロキョロと見回している。

「おお…………済まぬな。寝惚けておった様じゃ。ちと昔の夢を見ておってな、中々良い所じゃったので、つい……の。許せ」

 見た目の割に何故か年寄臭い喋り口の少女に違和感を覚えつつも、店主は愛想良く応える。

「起きて下されば結構でございやす」

 トワは空を見上げ、太陽の位置を確認する。

「おお……もう昼か。一刻ほども寝ておったのだな。ほんに済まんかったのう」

 店主に向かって深々と頭を下げ詫びを入れる。

「いえいえ。眠気覚ましにお茶でもお持ちしましょうや」

かたじけない。頂戴するといたそう」

「へい。少々お待ち下せぇ」

 そう言って店主は奥に引っ込み茶の準備をする。

 然程さほど待つ事無く、店主が熱いお茶と茶請けを持って奥から出て来る。

「お待たせいたしやした」

 それらを受け取り、茶請けを一口。茶をズズズと一口啜り一息付く。

「ふう……。美味いのう」

「有難うごぜぇやす」

「そうじゃ店主。ここに来る前に小耳に挟んだのじゃが、最近ここらに盗賊共がよう出ると。本当かの?」

「へぇ。その通りでさ。お陰でめっきりこの道を通る旅人が減っちまってねぇ。店を畳もうかどうか考えてんでさ。二、三日前にもそりゃーもう別嬪べっぴんの女剣士さまが、盗賊退治に向かわれやしたが……」

「まだ戻ってきておらぬと」

「そうなんでさぁ。恐らくは…………」

「で、あろうの。ふむ。これはい事を聞いた」

「へ? いやいや。お止めなせぇ。お嬢ちゃんじゃあタダで捕まりに行くようなもんだ」

「儂の心配をしてくれるとは、嬉しいのう。なあに儂の事は心配いらぬ。また帰りにでも寄らせて貰うでな。釣りは要らぬよ」

 トワはよっこいしょと呟きながら立ち上がり、店主に一塊銀いっかいぎんを渡す。

「多すぎまさぁ! ウチのお代は一品一片銀いっぺんぎん。寝る前に食べられた分と併せて五片銀。ちゃんと九五片銀お返し致しやす」

「貰うておけば良いものを。律儀な奴じゃのう。だが釣りは要らぬと言った手前、それを受け取る積りはない。ここは儂の顔を立てて、寝こけておった迷惑料じゃと思って貰っておいておくれ」

「そこまで仰るなら、ここはあっしが折れやしょう」

 渋々一塊銀を受け取る店主。

「無理にお引止めは致しやせんが、くれぐれもご注意下せぇ」

「うむ。ではな」

 トワはそう言うと振り返る事無く、山道を奥へ向かって歩いて行った。

 それを見送る店主の顔には、いやらしい笑みが浮かんでいた。


「どうしてこうもチョロいもんかねぇ」

 トワの背が見えなくなると、店主は愛想の仮面を脱ぎ捨て本性からの下卑げびた笑みを浮かべる。

「こないだの女は依頼のブツだったから手が出せなかったが、今日のは掘り出しもんだ。後でたーっぷり楽しませて貰うぜぇ。へっへっへっ。あの綺麗なかおがグズグズに崩れて、泣いて許しを請いながらなぶられる様を想像するだけで堪らねぇぜ」

 店主は股間の一物を恥ずかし気もなくおっ起て、この後のお楽しみで頭が一杯である。

「おっとこうしちゃいられねぇ! さっさと合図を出さなきゃな。そしたらアジトに先回りだ。拾いもんの女は早いモン勝ちだからなぁ」

 店主は店の裏手から合図の狼煙のろしを上げると、急ぎアジトに帰って行った。

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