第5話 別れ
深い所に落ちていた意識が徐々に鮮明になってくるのを感じる。
「……!」「……!?」「……!」
声が聞こえる。
嘲るような笑い声と、悲鳴のような叫び声。
この声は、僕の大切な人の声だったような――
「はっ!?」
目が覚めた時、目に飛び込んで来たのは目を覆いたくなるような信じ難い光景だった。
目の前では、メイド服を捲り上げられ、胸と下半身をはだけさせられたヴァレリヤが、ゲルトにうつ伏せに組み伏せられていた。そのゲルトはヴァレリヤの上で自らもズボンを脱ぎ下半身裸になり腰を振っていた。
それはつまり――
「おう、嬢ちゃん。ボウズが目を覚ましたみたいだぜ」
「……え? あ、アレス様……い、いや、いやあぁぁぁっ!」
僕に気が付いたヴァレリヤが、ゲルトを振り払おうと体をよじり手足をがむしゃらに動かすが――
「うるせぇよ」
「ぐっ!」
ゲルトがヴァレリヤの頭を鷲掴みにし、彼女の美しい顔を床に叩きつけた。そのゲルトの掌には光る女神様の聖印。そしてその間もゲルトの腰は前後に動き続けていた。
「ヴァレリヤ、ヴァレリヤーーーーッ!」
すぐにでも駆け寄り彼女を助けたかったが、手足を縛られているようで、身動きが取れなかった。じたばたと芋虫のように跳ね回るだけで、近寄ることさえ出来ない。
どうして、どうしてヴァレリヤがこんな目にっ……!
「アレス様、私の事はかまいません。アレス様だけでもお逃げください!」
「バカ言わないでよ! ヴァレリヤを置いて行けるもんか!」
涙と血でその綺麗な顔をぐしゃぐしゃにしたヴァレリヤが逃げるように叫ぶが、そんな事出来るわけない。ヴァレリヤを助け出して2人で一緒に逃げるんだ。
そう思い叫ぶと、周りからゲラゲラと下卑た笑いが聞こえてきた。
「ギャハハハ! なに言ってんだこのガキ、逃げられるつもりでいんの?」
「やっぱ貴族のおぼっちゃんだな。現実見えてないんじゃねぇの、ハハハ」
思わず辺りを見回す。
今まで目の前のヴァレリヤとゲルトにばかり目が行っていて、確かに周囲が見えていなかったかもしれない。
そこは、薄暗い廃屋の様な場所で、ただでさえ手狭なその空間はゴミやガラクタの様な物がそこらじゅうに転がっていて酷く雑多で無秩序な場所だった。
その中央にはゲルトと酷い目に合わされているヴァレリヤ、そして少し離れた場所に最初に会ったときにゲルトと一緒にいた2人が、下半身裸で見たことない僕と同い年くらいの全裸の女の子を前後から挟み込んで腰を振っていた。
肩くらいまでの銀髪のその女の子の顔は綺麗というより童顔の可愛らしい雰囲気で、少女特有のふくらみを持ち始めた美しい体つきをしていた。しかし、その瞳には意思の光が無く、薄汚い男2人に弄ばれているというのに、抵抗らしい抵抗もなくなすがままになっていた。
さっき僕を煽ってきたのもこの2人だ。そして、そこからさらに少し離れた場所に10人以上の手下らしき男たちが思い思いに座り込みニヤニヤとこちらを眺めていた。
すうっと背筋が寒くなり、絶望感が襲ってくる。僕は手足を縛られ周囲には10人以上のゴロツキたち、というこの状況は逃げるのは難しいのでは……
「ははは、そう言ってやるなお前ら。仕方ねぇよ、おぼっちゃんだからな実際」
ゲルトはそう言うと、ぱちゅんぱちゅんと音を立てながら腰の動きをさらにスピードアップさせる。
「いやあああぁぁぁ! アレス様! アレス様!」
「ヴァレリヤーー!」
涙を流し、いやいやと首を振るヴァレリヤ。
そんな彼女の名前を叫ぶ事しか出来ない僕。
「はははは、昂ってきたぜ! そら、受け止めろ!」
ゲルトは更に腰の動きを激しくし、そしてぶるりと体を震わせた。
ヴァレリヤはぽろぽろと涙をこぼしながら崩れ落ちる。
「なかなか良かったぜ」
にやにやとあられもない格好のヴァレリヤを見下ろすゲルトに、胸の奥から激しい感情が湧き上がってくるのを止められなかった。これまで僕を支えてくれた太陽の様なヴァレリヤにこんな酷い事をするなんて、許せる訳がない。
怒り、憎しみ、そういった負の感情だ。それがどんどんと湧き上がってくる。
「貴様! 殺してやる!」
自然とそんな言葉が口から出てきていた。今までそんな事を人に行ったことは無いけど、今はその言葉を発するのに何の抵抗もなかった。僕はこんな状態だし、僕もただでは済まないかもしれないけど、こいつだけは……!
「ははは、そんな恰好で言われてもな」
ゲルトはまるで気にした風も無く言いながら、ズボンを履くと後ろから1本の剣を取り出した。
どくん、と心臓が跳ねる。
「ゲルトさん、本当に殺っちまうんですかい?」
「そうですよ、そんなにイイ女なのにもったいねぇ」
「ばーか、前も言っただろう。仕事は仕事。そこんとこキッチリしねぇ奴は早死にするってよ」
なにか言ってくる2人の手下に軽口をたたきながら、ヴァレリヤの横に立つゲルトは剣を頭上に振り上げた。
ひゅっ、と思わず息が止まりそうになる。何をする気だ――そう声を上げようとした時、その剣は無造作に振り下ろされた。
ぱっと目の前に真紅の華が咲いた。
「きゃあああああぁぁぁぁぁぁ!」
振り下ろされた剣はヴァレリヤの腹部を貫き、剣先は地面に突き刺さっていた。
「ヴァレリヤ! ヴァレリヤーーーーッ!」
「いやあああああぁぁぁぁぁぁ!」
僕はヴァレリヤの名前を叫ぶが、ゲルトはそんな僕を気にした様子もなく、手にした剣をまるで彼女を弄ぶかのようにぐりぐりと押し込んでいく。
「ヴァレリヤ! ヴァレリヤーーーーッ!」
「うるせぇぞ、ガキッ!」
「……グッ」
銀髪の女の子の所で腰を振っていた手下の1人が歩いてきて僕を蹴り飛ばす。
でも僕はそんな事は気にならなかった。ヴァレリヤが、ヴァレリヤが……。
思わず目をやると、ヴァレリヤがこちらに手を伸ばしている所だった。
その腹部からはどくどくと止めどなく血が流れだし、ついさっきまで突き立てられた剣から逃れようともがいていた手足は力を失い投げ出されたようになっていた。
「…………アレス様……」
「ッ! ヴァレリヤ!」
力なくのろのろと伸ばされるその腕を掴もうとするが、僕の手足は縛られたまま。顔でもどこでもその腕に触れようとするが、僕の体はまるで芋虫の様にぐねぐねと進むことしか出来ない。
「……アレス様、私は……アレス様に出会えて幸せでした……」
ヴァレリヤは周囲のゴロツキなど目に入らないかのように、僕だけを見つめていた。涙と血で汚れていはいたが、太陽の様に暖かな、僕の大好きな美しいあの笑顔で。
「いやだ、ヴァレリヤ! そんな言葉聞きたくない! そんな別れの言葉みたいな……!」
じりじりとしか進めない僕の体。
嫌だ、嫌だ、ヴァレリヤが……。
こんな……、こんな事って……!
「捕まって……奴隷になって……この国に連れてこられて……嫌なことはいっぱいありましたけど……私は……アレス様に…………出会えて…………良かっ……」
ぱたりと落ちる手。
「ヴァレリヤ?」
おそるおそる声をかける。嫌だ、信じない、信じたくない。
でも僕の大好きだったその健康的で透き通る様なその手は、今や血の海に沈んでいた。僕が愛したお日様の様な眩しい笑顔は、光を失いぴくりとも動かなかった。
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。
どうしてどうしてどうしてどうして、どうしてこんな事になった。
「おうおう、泣かせるねぇ」
にやにやと、嫌らしい笑みと共に投げかけられる声。
「ッ……! ゲルトッ!」
声の主、ゲルトを睨みつける。
こいつが、こいつがヴァレリヤを!
許せない許せない許せない、こいつだけは絶対許せない!
僕はどうなってもいい、こいつだけは殺してやる!
「こっちだってこんなイイ女を殺さなきゃいけなかったんだ。仕事だよ、仕事。悪く思うなよぉ?」
嘲るようなその声の、ある言葉が引っ掛かった。冷静に考えてみると、さっきから何度か彼らの会話に出てくるその言葉。
「……仕事?」
思わず呟くと、ゲルトはニヤリと笑うとおうよ、と言った。
「ボウズと嬢ちゃんと会ったあの路地、あそこで会ったのが偶然だと思っているのか?」
「……違うの……か?」
「おうよ、俺達はボウズ達があそこを通るのは分かっていたんだ。それにボウズが伯爵家の息子だってのは情報に聡いやつなら知ってるこった。普通なら襲わねぇよ。普通ならな」
「……どういうことだ……?」
これ以上は聞いてはいけない、そんな気がする。なのに思わず問い返してしまった。
「仕事を受けたんだよ、お前とあのメイドの嬢ちゃんを殺すようにってな。あの日あの時間にあの通りを通ることは、依頼主から聞かされていた。後始末も依頼主がしてくれるって話だ。イイ思いも出来るし、そりゃ受けるだろって仕事だよ」
ゲルトはしゃがみ込むと、にやにやと僕の目を覗き込んできた。
仕事……僕とヴァレリヤを殺すよう頼まれていた……?
それにあの時間にあそこを通ることが分かっていた?
それは……
それは……もしかして
「おうよ、お前さんとこの家令のセドリックだよ。知ってるか? グレゴリウス法典ってのはな、法典に調印した国の市民が対象――つまり俺達みたいな市民権の無いスラムの住人には関係ねぇんだわ」
セドリックが……。
まさかそこまでという気持ちと、やはりそうかと納得する気持ちがぐるぐると頭を回っていた。セドリックが、僕とヴァレリヤを殺すよう仕事を依頼……。
セドリックが公都の父様の所に戻れる、と喜んでいたのは、仕事が認められて戻れるようになったという事ではなくて、邪魔な僕とヴァレリヤを殺したら元の仕事に戻れると、そういう事だったのか……?
そうか、ヴァレリヤが死んだのはセドリックのせいか……。
いまのこの状況はすべてセドリックのせいだったのか……。
「お偉いさんがグレゴリウス法典に影響される人間を殺すと面倒なことになるからな、俺達みたいな法典の対象外のスラムの人間に依頼して殺すのさ。知らんぷりする位なら問題ねぇしな。まぁ、よくある話さ。奴隷ってやつがまかり通っているのだって、似たような理屈だしな」
ゲルトがなにか言っていたが、僕の耳には届いていなかった。
ゲルトも憎いが、こんな指示を出した元凶となるセドリックに対する憎しみが次から次へと胸の奥から湧き出していた。これまでセドリックに酷い目に合わされた事や、虐められて泣いていたヴァレリヤの顔が次から次へを浮かんでは消えていく。
自分に女神の加護があるからといって僕を見下し見捨てた両親や兄様。顔を合わせるたびに罵声を浴びせ暴力を振るってきたセドリック。
そして
「まぁ、てな訳で悪く思うなよ、ボウズ」
剣を振り上げたゲルトの掌にも光輝く女神の聖印が。
女神女神女神女神、どいつもこいつも女神女神女神。
生まれてからずっと女神女神言われて、振り回されてきた。そして今、僕からヴァレリヤまで奪ってしまった。
憎い憎い憎い憎い。
女神が、セドリックが、ゲルトが、家族が、女神が、女神が――
どうして一部の人にだけ加護などというものを与えるのか。どうして加護を持つ人だけが優遇され、加護の無い人は加護持ちに支配され差別され、あまつさえ命さえ奪われないといけないのか。どうして、女神はそれを容認しているのか。
この理不尽な世界が、女神の望んだ世界だとでもいうのか?
「がっ……!」
振り下ろされたゲルトの剣が僕の体を貫いた。
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!
ゲルトが剣を引き抜くと、振り回し血を飛ばすと鞘に納める。
「さあ、お前ら、仕事も終わったし酒でも飲みに行くか!」
「ちょっとゲルトさん、ゲルトさんはあのメイド犯してスッキリしてるかもしれねぇけど、オレはまだ終わってねぇんですぜ!」
「知るかよ、遅ぇんじゃねぇの?」
「ギャハハハ、言われてやんの!」
ゲルトと手下たちが騒ぐ声も遠くなっていく。
血がどくどくと流れ出し、意識が遠くなっていくのを感じる。しかし、ながれだす血液とは反対に、暗い感情はどんどんと湧き出してくる。
ここで死ぬのか――
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。
僕やヴァレリヤの人生を弄ばれ、命さえも奪われて――
憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い……。
ヴァレリヤの敵も取れないまま――
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い……。
憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い……。
憎いあいつらや、不条理なこの世界に復讐してやりたいのに……。
もう手も足も動かせない、言葉も発することもできない。
最後にヴァレリヤの笑顔をもう一度見てから死にたかったな……。
そして僕は意識を失った。
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