バッド・トリップ(後編)

 口の中が急速に乾いていくのを感じながら、最新の写真データを検分する。

 そこに映っていたのは、カメラに向かって満面の笑みを浮かべる私自身の姿だった。もちろん記憶には一切残ってはいないが、弛緩しきった笑顔が酒か薬に溺れていることをこれ以上ないほどに証明している。

 顎鬚や口許から覗く歯にこびりついている赤黒い液体も不可解だが、人生を心から楽しんでいるかのような表情は現実の私とはまるで結び付かない。それが不気味だった。


 頭の中では警告が鳴り響いている。

 このままカメラを海に投げ棄ててしまうのが最適解なのではないか? 何も知らずに人工島を去るのがもっとも幸福な手段なのではないか?

 だが、私の指は警告を無視してボタンへと向かっていた。あるいは、ジャーナリストとしての好奇心がそうさせているのかもしれない。だとすればそれは、度し難い病気のようなものに違いなかった。


 画面を次々に切り替え、空白の過去に遡っていく。

 二枚目の写真の中で、私は安酒場にありがちな汚らしいトイレの洗面台で熱心に手を洗っていた。私は相変わらず狂ったような笑みを浮かべており、見開かれた瞳には僅かに達成感のようなものが見えた。


 三枚目。私はフライド・チキンでも食べるような要領で、女の細い手のようなものに噛り付いていた。それが手であると断言できないのは、私が持っているものが真っ赤に染まっており、しかも所々が食い千切られているためだった。先ほどトイレに吐き出した、純銀製の指輪や紙幣、マニュキュアを塗られた人間の指を思い出す。


 四枚目を見たところで、私は嗚咽をこらえきれなくなった。きっとこれはまやかしだ。そうでなければ合成写真か何かだ。私が鋸を使って人間を生きたまま解体していたなんて、どうやったら信じられる? 写真の中にいる哀れな女の絶叫が、次元の壁を越えて私の鼓膜を突き破ってくるのを感じた。

 私は、私が知らないところで、人を殺して食べるような悪鬼に成り下がっていたのだ。この写真が何よりの証拠だ。言い逃れはできない。


 自らの許容量を超える絶望に苛まれたとき、人はかえって冷静になれるのだと気付いた。私の思考を占めているのはただ一点の疑問のみ。誰が私を嵌めたんだ?


 その答えは、次の写真に写っていた。そこに映っていたのは手錠で拘束された私の怯え切った表情と、私の肩に手をまわして陽気そうに笑う黒人の男。そしてそいつがカメラに掲げている、見慣れない錠剤と一枚のメモ用紙だった。

 そこにはこう記されていた。


「あんたが地獄に堕ちる理由は一つ。その下らないジャーナリスト精神とやらだ。闇には闇の領分があることも忘れてロベルタ・ファミリーを嗅ぎまわっていたから、あんたは凶悪殺人犯になり、残りの一生を死刑囚として過ごす羽目になったんだ。だが俺たちも別に悪魔ってわけじゃない。クローゼットの中にプレゼントを忍ばせてあるから、そいつを使って地獄から上手に逃げてみるといい」


 恐らく私は、写真にある見慣れない錠剤を使って洗脳させられ、記憶を飛ばされた上で殺人を強要されたのだろう。殺された女もまた、ロベルタ・ファミリーにとって害のある人間だったということだ。


 自分の人生が明確に終わったのだと自覚してからは、私の思考はいくらかクリアになっていた。大人しく、指示にあったクローゼットへと向かう。

 中に入っていたのは、一丁の拳銃と、「逃走手段」と記された付箋が一枚。

 私は全てを理解し、少しだけ笑った後、自らのこめかみに銃口を向けた。

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