夏の夜に溺れて

 眠りに落ちることを恐れるようになったのは、三年前の夏からだった。

 

 座っているだけで汗が滲むほどに暑い夜のことだった。

 自室の冷房の調子はいつにも増して悪く、俺は充満する暑気から逃げるように行きつけの酒場に向かった。


 顔馴染みのバーテンに挨拶を済ませ、いつものように蒸留酒の炭酸割りを注文してカウンターテーブルにつく。それから俺は、いつものように品定めを始めた。


 くっきりとした目鼻立ちをした黒髪の女がまず目に入った。

 あいつは駄目だ。厚化粧で懸命に若作りはしているようだが、きっと実年齢は40を超えているだろう。


 厳つい男に絡まれている最中の美女もいた。

 だが夏なのにマフラーを首に巻いている感性は理解できないし、よほど貞操観念が強いのか肌の露出も極端に少ない。俺が声をかけたとしても靡いてはくれないだろう。従ってこの女もパス。


 だから、その夜の相手はカウンターの隅でジン・トニックと恋に落ちている金髪の女に決めた。胸元が大きく開いた服は、間違いなく一晩の相手を探し求めているサインだろう。

 俺はグラスを持ってその女の元へと近付き、下心を懸命に隠して話しかける。


 バーテンは顔馴染みだった。俺が目で合図を送れば、女に差し出されるカクテルのアルコール度数は跳ね上がることになる。すべてが滞りなく流れていた。

 酔い潰れた女を蒸し暑い自室まで運び、半ば強引にお楽しみの時間に突入する。一通り満足して眠りにつくその瞬間まで、俺の人生は順調に進んでいたはずだ。


 すべてが崩壊したのは朝になってからだった。


 目を覚ました俺が真っ先に認識したのは、鮮烈な赤に染められたシーツだった。焦燥に駆られつつ周囲を見渡すと、隣で寝ていた女の喉元が半月状に切り裂かれている。気付くと、俺の手にはナイフまで握られていた。

 そこで俺はようやく、自分が眠りに落ちている間に女を殺すような、多重人格の殺人鬼であることを悟ったのだ。


 その後も同様の事件は繰り返された。

 殺めてしまった女たちのことを考えるたびに、首を吊ってしまいたい衝動に駆られる。なぜこんなことになってしまったのだろう。


 解っていることと言えば、行きつけの酒場で女を釣り上げるたびに殺人が発生するということくらいだった。

 顔馴染みのバーテンにも相談した。もちろん原因を掴むことはできなかったが、奴は死体処理の方法を事細かに指示してくれた。一連の作業が終わった後、奴はいつもこう言って慰めてくれる。


「いいか、心配せずにまた酒場に来い。今度こそ真実の愛を見つけられるさ。お前が無実なのは、俺が一番よく知ってるからな」


 思えば、このバーテンが俺にとって唯一のまともな友人だった。この部屋の住所を知っているのも、殺された女たちを除けば奴しかいない。

 たとえ自分が冷酷な殺人鬼だとしても、存在を肯定してくれる誰かがいるだけで救われた気分になるというのは妙な話だった。

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