第十九幕 戦乙女と守護神

 クレモナ県内にある丘陵地帯。この場所を目指して進んできたディアナとアーネスト達であったが、目的地に到達する直前になって、丘陵に潜んでいたと思われる1000人近い規模の部隊が出現して行軍を阻まれていた。


 いや……ある意味ではこの部隊こそが彼等の目的地・・・であると言えた。何故なら……


「ふ、ふふ……長かったぞ、ディアナよ。ようやくこの時がやってきた。本当の意味でお前を手に入れる事の出来るこの時がな」


ユリアン・・・・……! やはりあなたでしたか……!!」


 自分達に数倍する数の敵部隊に包囲されたディアナは、進み出てきた敵の指揮官たるユリアン・アーサー・ラドクリフを気丈に睨み付ける。


 自分達の予想は当たっていた。やはりこのユリアンこそが、未だにディアナの命を狙って数々の事件を引き起こし、今また多国籍連合軍の盟主・・としてディアナ軍を危機に陥れている張本人だったのだ。


 ディアナへの復讐と妄執に取りつかれたユリアンの動機・・は分かる。だがそれだけでは説明のつかない事がある。



「何故だ……? どうやって貴様が諸侯達を動かす事が出来た?」


 アーネストが冷静に問い掛けるが、既に彼の中では答えは解っていた。ただそれを確認しているだけだ。このような大規模な計略を仕掛けられる者は、彼の知る限り1人しかいない。


  

「……そう聞きつつもう解っているのではないか、アーネストよ? これが私の計略である事を」



「……! ああ、そうだな。最初からお前の存在を疑っていたぞ、オズワルド・・・・・


 冷笑しつつユリアンと並ぶようにもう1人の男が進み出てきた。それはディアナにとってある意味最も因縁深き存在であるオズワルド・ヒュー・ゴドウィンであった。


「諸侯達にディアナ軍の危険性・・・を説き、利害関係のないユリアンを仮の盟主として一時的に連合させる。ラドクリフ軍滅亡直後から取り組んできたが、この私をして中々に骨の折れる作業だったぞ。メルヴィン達は実に良い目眩まし・・・・として役立ってくれたよ」


「……!!」


 今回の戦だけでなく今までの残党達による一連の事件も、裏で糸を引いていたのはこの男だったのだ。フレドリックの経済封鎖など比較にならないような遠大かつ大規模な計略だ。ディアナは言葉に出来ない猛烈な激情を覚えた。


「何故!? 何故なのですか!? 何故あなたはそこまで私達を敵視するのですか!? 私があなたに何をしたと言うのです!」


 彼がこんな遠大な復讐を目論むほどラドクリフ軍に忠誠を誓っていたはずがない。むしろ家族を殺されたり自身も殺されかけたりと、何かされ続けてきたのはディアナの方であった。自分が彼を憎む理由はあっても、彼がここまで彼女を憎む理由はないはずだ。あまりにも理不尽であった。  ディアナの糾弾にオズワルドの表情が初めて歪んだ。


「お前だ! お前は危険すぎるのだ! お前は……お前は本当に天下を統一しかねん器だ。我が望みは永遠なる乱世。お前はそれを脅かす存在なのだ。お前だけは何としても排除せねばならんのだ!」 


「……っ!!」


 予想外の動機・・であった。それは憎しみや嫌悪など個人の感情を超越した、一種の信念・・とでも言うべきものであった。


 ある意味でオズワルドは彼女の事を認めている・・・・・という事だ。天下を統一する覇者たる資質があると。それを警戒してここまで遠大な計略を仕掛けてきているのだ。そこには一切の阿諛追従も忖度も無かった。


 彼女は生まれて初めて、味方ではない他者・・から評価されたのだ。それを理解した時ディアナは名状しがたい感情に満たされた。



「ふふふ、最早待ちきれん! お前の首を塩漬けにして部屋に飾ってやろう……!」


「……!」


 だが現実は容赦なく進行する。ユリアンがその顔に喜悦を浮かべて兵の包囲を狭めてくる。こちらはマリウス軍との遭遇戦もあり100程度の兵しかいないのに対して、ユリアンの部隊は1000近くはいる。流石に10倍近い兵力差があってはいかなる罠や策略も意味をなさない。


「アーネストよ、万策尽きたな? ディアナ軍の総兵力は衛兵の数に至るまで把握済だ。最早お前達に余剰兵力は一兵もないと解っているぞ。援軍も伏兵も不可能だ。私がお前達が直接我々を狙ってくると見越してこの兵力を温存していた時点でお前達は詰んでいたのだ」


 打つ手なしのディアナ達を前にオズワルドが嘲笑する。しかしディアナは全く諦めてはいなかった。何故なら……信じている・・・・・からだ。


「ユリアンよ。私の首が望みなら兵など用いず、あなたの手で直接取ってみてはどうですか? あなたの腕であれば容易い事でしょう?」


 ディアナが剣を突き付けてユリアンを挑発する。奴の眉がピクッと上がる。


「……あれから多少は強くなったようだが、まさか一騎打ちで俺に勝てるとでも思い上がったか?」


「さて、どうでしょう? 勝負はやってみなくては解りません。それとも女相手に怖気づいて兵力を頼みに襲い掛かりますか?」


「……! ふ、くく……いいだろう。挑発に乗ってやる。どのみち俺達の勝利は動かん。最後にお前と遊ぶのも一興だ」


 凶悪な笑みを浮かべたユリアンが兵士達の進軍を停止させると、剣を抜いて単身で進み出てくる。ここまでは上手く行った。後は……生き延びるだけだ。ディアナもまた剣を構えてユリアンと正対する。



「…………」


「どうした? 挑発しておいて自分からは来ないのか? ならば遠慮なく行くぞ」


 ひたすら待ちの姿勢で臨むディアナに焦れたのか、ユリアンの方から斬り掛かってきた。腐ってもアロンダイト流を極めた剣士だ。その踏み込みも剣速も、途上で戦ったソニアとは比較にならない。


「くっ……!」


 ディアナはその剣の軌道を見切るのに精一杯だ。とても反撃の余裕などない。しかも一撃を受けてもその剣撃の重さに腕が痺れる。


「どうした、ディアナ? 何か勝算があっての一騎打ちではなかったのか?」


 ユリアンは容赦なく連撃を仕掛けてくる。だがディアナはそれに答える余裕もなく防戦一方だ。そしてそれすら限界を迎えて……


「ふんっ!」


「あ……!!」


 遂にディアナの手から剣が弾き飛ばされた。放物線を描いて回転しながら飛んだディアナの剣は、彼女のずっと後方の地面に突き刺さる。勝負ありだ。


「ふ……最後の悪あがきか。結局お前のやった事は無駄であったな」



「無駄……? いいえ、無駄などではありません。ちゃんと意味はありました。お陰で……間に合って・・・・・くれたようですから」



「何だと…………むっ!?」


 ユリアンの視線が鋭くなり別の方角に向けられる。彼の圧力から解放されたディアナはその隙に素早く跳び退って距離を取る。だがユリアンも、そしてオズワルドも兵士達も、全員同じ方向を見て驚愕していた。


 南の方角から大量の土煙を上げながらこの場に猛進してくる武装した軍団が目に入ってきたのだ。やはり大体1000程の規模の部隊だ。しかもその軍団の掲げる旗は……ディアナ軍。


「何だと……馬鹿な! ディアナ軍の兵力はすべて把握している! この場に援軍に駆け付けられるような余剰兵力は無いはずだ!」


 オズワルドがそれまでの余裕をかなぐり捨てたように怒鳴る。だが逆にずっと冷静さを保ったままであったアーネストは会心の笑みを浮かべる。


「確かにお前の言う通り、余剰兵力は皆無だ。だが全ての事象を数値でしか見られぬお前には想定できぬ事がある。それは……その将兵らの士気と覚悟・・・・・だ」


「……!! な、何だと……それではあの部隊は……」



「――兄上・・!! 信じていました!」



 オズワルドの疑問を遮り、そして答えるかのようなディアナの喜びに満ちた叫び。猛烈な勢いで駆け付けてくるディアナ軍の部隊。その先頭で牽引しているのは、紛れもなくディアナの義兄でもあるシュテファン・ヨセフ・リンドグレンであった!


「馬鹿な……シュテファンだと!? 奴はエトルリアでマリウス軍の相手をしているはずではなかったのか!? エトルリアの街よりも我等の討伐を優先したとでもいうのか!」


「首都であるエトルリアを捨てるはずがなかろう。シュテファン殿はマリウス軍相手にエトルリアを守り切った・・・・・のだ。そして奴等を返り討ちにして、その足でここまで駆け付けた……。どうだ? 流石に貴様にも予測できなかったであろう?」


「……っ!」


 これがアーネストがシュテファンがこの作戦の要だとした理由であった。シュテファンの忠義心、義妹に対する想いや期待、彼女に何としても天下を統一させるという強い信念、それに賭けた・・・のだ。


 そのような目に見えぬものを当てにするなど軍師にあるまじき事ではあったが、だからこそ同じ智謀を有するオズワルドの裏を掻く事が出来たのだ。


 そして同じマリウス軍を撃退するにしても、ただシュテファンと共に戦ってマリウス軍を倒した後クレモナを目指して進軍したとしても、オズワルドに警戒されて決して表に引きずり出す事は出来なかっただろう。


 多国籍連合軍を相手にしつつ、尚且つオズワルドの裏を掻くにはこれしかなかったのだ。シュテファンの能力と兵士達の士気、そして覚悟と信念……。それら無形の力は君主であるディアナが得た財産であった。君主が彼女であり、尚且つ彼女をこんな所では終わらせないという将兵の強い信念が奇跡を起こしたのだ。



「ぬ、ぬぬ……おのれ、ディアナァ……! やはり貴様は危険だ! こうなれば正面から奴等を撃ち破るまでだ! それで我等の勝利だ! 掛かれぇっ!!」


 オズワルドが憤怒の表情で歯軋りするが、そこは優れた軍師らしく即座に頭を切り替えて、突撃してくるシュテファンの部隊を迎撃する。


 両軍が激しくぶつかり合い、辺りは血の臭いと戦の喧騒に包まれた。



「レアッ!! 無事か……!?」


「兄上! 私はここです! 兄上こそよくぞご無事で……!」


 剣戟音や怒号が飛び交う戦場の只中で、長年を共に戦い抜いてきた兄妹が無事の再会を果たした。シュテファンの代わりにアーネストが部隊戦の指揮に回っていた。


 再会した義兄はここに至るまでの激戦を物語るように、身体も鎧も傷だらけであった。ディアナは安心も手伝って思わず涙ぐんだ。


「あ、兄上……あのような大軍相手に……私の為に……」


「全てはお前の夢を実現する為だ。その為ならこの程度の傷、どうという事は無い」


「……っ」


 普段は厳格な義兄の慈しみに満ちた声と表情に、ディアナは増々感極まる。だが……



「ふ、ふ……貴様か、ディアナの兄よ。こうして会うのはあのパドヴァ湖での『対談』以来だな」


「……!」


 不気味な笑いと共に近付いてくるユリアンの姿に、シュテファンは義妹を背後に庇って剣を抜いた。


「あの時言っただろう? ディアナは必ず俺の物にすると。その為にはどうやら貴様が邪魔なようだ」


「ユリアンか……。ここまでの事をしでかした以上、最早何も言う事は無い。レアの進む道を阻む障害にしかならん貴様はここで討ち果たす」


 互いに研ぎ澄まされた闘気と殺気をぶつけ合う2人の剣士。ディアナは固唾を飲んでそれを見守る事しかできない。

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