第十八幕 激突のマリウス軍

 現在各州を統べる【王】達の連合から一斉に侵攻を受けているリベリア州のディアナ軍。敵の各軍は流石に勢力の全軍ではないものの、それなりの数の部隊を派遣してきている。その全ての侵攻軍に対処しているディアナ軍は将も兵も既にフル出動の状態であった。


 現在州都のエトルリアに残っているのは、僅か1000にも満たない最低限の守備部隊のみ。それが今のディアナ軍の余剰兵力の全てであった。


 そして……ディアナの元に、こちら側の防衛戦力をすり抜けてこの州都に迫ってくる敵軍の存在がアーネストから報告される。


「十中八九、トランキア州のマリウス軍でしょう。他の州の軍は全て父上やヘクトール殿ら各将が食い止めてくれていますから」


 ガルマニア州の侵攻軍はドゥーガルが、ハイランド州の侵攻軍はカイゼルが、そしてフランカ州の侵攻軍はヘクトール、ゾッド、ファウストの3勇将と次席軍師のクリストフがそれぞれ対処に当たっていた。


 国境を跨いで攻めてきた2つの軍のうちイスパーダ州の侵攻軍は、ディナルドとリカルドが抑えに回ってくれている。となると残るはトランキア州の侵攻軍だけだ。



「【伊達男】マリウスですか……。その麾下は女性の武将ばかりだと聞いていますが」


 ディアナ自身も女性だが、未だかつて戦場で自分以外の女将と相まみえた事は無かった。自分という実例がありながら、本当に女性が軍を率いているのかと疑う気持ちがあった。更に有り体に言うと、自分以外にも戦場で戦っている女性達がいるという事実が少し面白くなかった・・・・・・・


 そこには特別・・なのは自分だけでいいという『女の感情』があった。しかし当然そんなディアナの微妙な感情には気付かずアーネストは神妙に頷く。


「それは事実ですが、しかし実際にガレス軍という凶悪な敵軍相手に勝利し、トランキア州を制した事も事実です。決して侮っていい相手ではないでしょう」


「……っ。勿論そんな事は解っています! 早く作戦に取り掛かりましょう!」


 腹心のアーネストがマリウス軍を認めるような発言が面白くないディアナは、少し口を尖らせて作戦開始を催促する。



「ディアナ様? ……おほん! まあ良いでしょう。では早速迫ってくるマリウス軍への防衛をシュテファン殿にお願いしたく存じます」


 アーネストは既に騎乗して準備万全の態勢で待つシュテファンを見上げる。シュテファンはいつも通りの厳格な表情を保ったまま頷いた。


「うむ、任せておけ。マリウス軍の連中には一兵たりともこのエトルリアの敷居は跨がせん」


 迫ってくるマリウス軍は少なめに見積もっても2000以上はいると見られ、シュテファンの率いる守備部隊の3倍近くはいる事になる。だがそれが解っていても、シュテファンに微塵も怖れる様子はなかった。ディアナはそんな義兄の姿に頼もしさを感じると共に、やはり不安も同時に憶えた。


「あ、兄上……本当に大丈夫ですよね……? 兄上なら勝てますよね?」


 それは敗北してエトルリアが蹂躙されるという事よりも、戦で負ける事によって義兄が討ち死にするかもしれないという不安の方が強かった。そんな義妹の心情を知ってか知らずか、滅多に笑う事が無いシュテファンがその表情を緩め、ディアナを安心させるように頷く。


「勿論だ。私を信用しろ。そしてお前はお前の役割を果たすのだ。他人の心配ばかりしてそれに気を取られていては思わぬ所で足元を掬われる事になるぞ?」


「……! そう……ですね。解りました、兄上。……どうかご武運を!」


 確かにディアナ自身が担う役割も相当な難行だ。他人ばかり気にしていては失敗する。ディアナは意識を改めて自分の役目に集中する。それを見て安心したシュテファンは義妹に見送られて出陣していった。




(……レアは本当に立派な君主として成長した。まだまだ至らない所はあるが、それは周囲の者がサポートすれば良いだけの話。最初にあやつの旗揚げに参加した時から可能性は感じていたが、私の直感は正しかったようだ)


 マリウス軍を迎え撃つ為に出立したシュテファンは、今となっては遠い過去のような旗揚げ時を思い返していた。あれから実に様々な事象を経験し、義妹は将としても君主としても充分に成長した。彼もその為に殊更厳しく接し、導いてきたつもりだ。


 だが最早彼女は自分の助けなど必要ない程の人物となった。人材も揃っている。後は自分がいなくともディアナは天下を目指していけるだろう。彼女の夢の礎となる覚悟は出来ていた。


「……無論生きてそれ・・を見られれば尚良しではあるがな」


 シュテファンは呟いてかぶりを振った。そして陣立てを整える彼等の前に、自分達の3倍はいようかという大軍が姿を現した。トランキアのマリウス軍だ。州境を接しておらず当面はまみえる事のない相手であるはずだったが、何者か・・・の差配によって図らずも戦矛を交える事となってしまった。 


 マリウス軍から敵将と思しき人物が進み出てきた。それは紅い髪に真紅の鎧を身に纏った女将軍であった。その騎乗の佇まいも、兵士達の統率ぶりも明らかに付け焼刃ではない。


(マリウス軍の噂はかねてより聞いていたが、本当にレア以外にも戦場に立つ女将がいたのだな)


 シュテファンはふとそんな感慨を抱いた。



「我が名はアーデルハイド・ニーナ・ヴァイマール! 諸侯の軍勢から一斉に攻められている貴公らに勝ち目はない! この上は大人しく投降されよ! さすれば貴殿らやディアナ公の身の安全は保障しよう!」



 凛々しい口調の女将軍――アーデルハイドが真顔でそんな事をのたまう。恐らく本人は本気で言っているのだろう。だがシュテファンは失笑した。


「どこの馬の骨とも知れぬ輩の甘言に乗って、このような邪道極まる侵略行為に加担しておきながら笑止千万。貴様らにまともな戦後交渉など期待してはおらん。我が軍の全ての将や一兵に至るまで、卑劣な侵略軍に膝を折る事は決してないと知れ」


「……! そのような寡兵でよくぞ吠えた。一度吐いた言葉は取り消せぬぞ」


「もとより承知の上だ。戦場に言葉はいらん。さっさとかかって来るがいい。それともその『寡兵』相手に怖気づいたか? どうやら同じ女将とはいえ、我等が主のような本物・・には遠く及ばぬようだな」


 敢えて挑発的な口調で煽ると、アーデルハイドの目が吊り上がった。


「……ッ! 貴様ぁ……上等だ! 男共に囲われて舞い上がっているだけの勘違い女などとは格が違うと思い知らせてやろう! 皆の者、遠慮はいらん! 奴等を徹底的に殲滅して、エトルリアの街を思う存分略奪してやれ!」


 マリウス軍の兵士達から気勢が上がる。どうやら最初からそれを報酬代わりに遠征していたようだ。リベリア州と直接境を接していないマリウス軍やトリスタン軍などは、領土を得られない代わりにそういった富の略奪において優先権・・・を約束されてでもいるのだろう。


 いずれにせよシュテファンのやる事は変わらない。奴等に一兵たりともエトルリアの門を潜らせはしない。そしてそれだけではなく……


「迎撃用意! 掛かってこい、侵略者どもめ!」


 シュテファンは己に与えられた役目・・を全うする為に、襲い来るマリウス軍を全力で迎え撃った。



*****



 激突する両軍を尻目に、密かにエトルリアを抜け出して北上していく武装した一団があった。総勢200名に満たないその集団は、ディアナとアーネスト、そしてディアナの親衛隊のみで構成された少数集団であった。


 北上していく彼等の後方からは激しい戦の音が鳴り響いてくる。しかしディアナは驚異的な克己心で後ろを振り返る事無く、ひたすら前進してエトルリアから遠ざかっていく。


 彼等が目指しているのはリベリア州の最北端にあるクレモナ県。かの『天子争奪戦』が行われた因縁深き地であるが、そこに敵の首魁・・が潜んでいるという確かな情報を得ていた。


 ひたすら北上した一行はチリアーノを抜けてトレヴォリに入っていた。ここを更に北に抜ければそこはもうクレモナだ。



「……!!」


 そしてディアナ達がトレヴォリに入ってしばらく経った頃、その行く手を遮るようにやはり200人ほどの集団が姿を現した。どこかの勢力の兵士達のようだ。その掲げている旗は……


「……ふむ、マリウス軍ですか。別動隊がいたとは。我々の目的を察知して待ち構えていたとするなら、中々の知略の持ち主のようですね」


 アーネストが呟く。現れた敵部隊はマリウス軍の別動隊のようであった。単に兵士達の掲げる旗だけではない。その指揮官と思しき2人の女性・・・・・が進み出てくる。そう、それこそ・・・・が、この部隊がマリウス軍所属である何よりの証拠であった。



「……こいつぁ、驚いたねぇ。ありゃ【戦乙女】ディアナ公本人じゃないかい? まさか本当に現れるとは。あんたの言った通りだったねぇ、ヴィオレッタ」


 そのうちの1人、浅黒い肌のイスパーダ人美女がディアナの姿を認めて目を丸くしている。もう1人の煽情的な格好をした妖艶な雰囲気の女性が肩を竦める。


「まあ予測していたのは私だけじゃなくてあの男・・・も同じだったけど。でも私がかつてトレヴォリに所属していた事がこんな形で役立つなんてね。お陰で彼等が北上してくるだろうルートに当たりを付けて待ち構えていられたわ」



「ヴィオレッタ……。マリウス公の主席軍師ヴィオレッタ・アンチェロッティですか。確かトレヴォリ出身でしたね。なるほど……オズワルド・・・・・め、やってくれるな」


 アーネストがこの状況の糸を引いたであろう男の存在に舌打ちする。そして傍らのディアナを振り返る。


「敵もあの人数では大した罠も拵えられないでしょう。つまり策なしの正面衝突になります。ディアナ殿、この上は奴等を蹴散らして強引に突破する以外に道はありません。お覚悟は宜しいですか?」


「勿論です、アーネスト様。私ならいつでも大丈夫です。この目で見るまでは信じられませんでしたが敵も同じ女性のようですし、ならば私が負ける道理がありません」


 それは兵を不安にさせない為の態度も含まれているが、あながち過信という訳でもない。冷静に判断した上での自信であった。あの浅黒い女がレオポルドよりも強いという事はあり得ないだろう。


「良い覚悟です。では行きますよ?」


「ええ、いつでも!」


 吶喊の姿勢を見せるディアナ達にマリウス軍も態勢を整える。


「はっ、あいつらやる気みたいだねぇ! 面白いじゃないか! 噂の【戦乙女】とやらが本当に噂通りなのかアタシが品定めしてやるよ!」


「程々にしなさいよ、ソニア? でももしここでディアナ公を討てれば、この『戦』の戦後褒賞・・・・は思いのままね。私達も行くわよ!」


 浅黒い女――ソニアもまた、ディアナに狙いを定めたようだ。ヴィオレッタは兵の指揮に注力するようで、アーネストとの部隊戦になる。



 互いに吶喊する両部隊が正面からぶつかり合う! 辺りは忽ちのうちに剣戟音と怒号、悲鳴など戦の喧騒に包まれた。



 向かってくる敵兵を流麗な剣捌きで斬り倒すディアナ。すると同じようにこちらの兵士を斬り倒したソニアが迫ってきた。その手には血に塗れた柳葉刀を携えている。刀は基本的に正規の剣士ではないならず者が使う武器だ。どうやらこの女は見た目のイメージ通りの存在のようだ。


「アタシの名はソニア・バルデラス! 自分を討ち取る奴の名を煉獄への土産にしな!」


「これから死にゆく者の名など興味はありません。私はあなた方に構っている暇などないのです」


 動と静。炎と氷。対照的な感情をぶつけ合う2人の女武者が、実際にも刃をぶつけ合い火花を散らす。


「……!」


 刃を打ち合ってディアナは、自身の剣に加わる衝撃の強さに驚いた。野性的な見た目に違わず女にしてはかなりの膂力のようだ。


「あはは! オラオラオラァッ!!!」


 ソニアは好戦的に哄笑しながら矢継ぎ早に刀を振るってくる。その斬撃の速さも相当なものだ。それでいて一撃一撃にしっかり威力が乗っているので、このまま打ち合っているとディアナの方が先に体力を削られそうだ。


(本当に女性の武人なのね。でも……)


 勝てない相手ではない。そう判断した。ソニアがディアナの首を狙って刀を薙ぎ払う。まるで肉食獣が獲物を狙うように正確に急所を狙ってくる。その動きの速さも斬撃の威力もソニアの方が上だろう。だが、これは獣同士の闘争ではない。



「ふっ!!」


 ディアナはその攻撃を最小限の動きで捌くと、滑るような動きで反撃の刃を煌めかせる。それは彼女の身体に染み付いた正規の剣術の体捌きであった。


「うぉっと!?」


 ソニアは驚きに目を見開くと、ディアナの攻撃を危うい所で躱した。普通なら今ので確実に決まっていたはずだが、ソニアは正規の剣術ではない我流な分、戦いに関する天性の勘のような物が発達しているらしい。


「こいつ……!!」


 ソニアは目を吊り上げて再び襲い掛かってくる。あらゆる方向から迫る刀の斬撃。だがどれだけ速い斬撃も予め軌道が解っていれば対処は難しくない。ソニアの獣のような本能任せの戦い方は最初こそ翻弄されるものの、慣れてしまえば正規の剣術を学んできたディアナにとって見切る事は容易であった。


(山賊や盗賊の上位互換・・・・って所ね!)


「はっ!!」


 ディアナは相手の隙を突いて反撃に転じる。ソニアの動きの癖を見切り、彼女が受けにくい位置やタイミングを狙って斬り込んでいく。ソニアは自分の苦手な動きで隙を突いてくるディアナの攻撃に徐々に対処しきれなくなってくる。


「ち……こんな馬鹿な! このアタシが……!」


「――はぁっ!」


 それでも優れた身体能力と反射神経で強引にディアナの攻撃を凌いでいたソニアだが、焦りから大きな隙を生じさせる。それを逃すディアナではない。


 斜め下から斬り上げるように一閃。胴体を斬断する勢いで放たれた斬撃だが、ソニアは紙一重でそれを躱した。


「いぎぃっ!!?」


「……! く……浅かった!」


 だが完全には躱しきれずに、その露出の多い胴体に斜めの切り傷が走った。鮮血が派手に飛び散る。



「ソニア!? っ……これは予想外ね……! 撤退よっ!!」


 部隊を指揮して周囲でアーネストと一進一退の攻防を繰り広げていた敵軍師のヴィオレッタが、ソニアが劣勢になって負傷した姿に目を瞠って、即座に退却を指示する。


「……っ! ま、待ちな、ヴィオレッタ! アタシはまだ……」


 負傷しながらも刀を手に吠えるソニアだが、ヴィオレッタはかぶりを振った。


「あなたの負けよ、ソニア。まさかディアナ公自身があなたも退ける程の強さだったとは、完全に私の誤算だったわ。彼女を討つにはオルタンスが必要ね。とにかく後はアーデルハイドに任せて私達はディムロスに退くわよ。異論は認めないわ」


「ぐっ……!」


 ソニアが歯噛みする。作戦の決定権はヴィオレッタにあるらしい。ソニアは視線だけで人を殺せそうな目でディアナを睨む。


「くそ……! この傷の借りは必ず返してやるよ。憶えときなっ!!」


 そしてソニアもヴィオレッタの部隊を追いかけるように撤退していく。ディアナは追撃しようか迷ったが、アーネストがそれを止めた。



「深追いする必要はありません。今の私達の敵は奴等では無いのですから、これ以上の無駄な戦力の損耗は避けるべきでしょう。……しかし退き際を見誤らずに躊躇いのない撤収ぶり。あのヴィオレッタという女軍師は油断できぬ相手のようですね」


 アーネストは相手の軍師を認めつつ、ディアナにも賞賛を送った。


「あなたもお見事でした、ディアナ殿。同性では最早あなたに敵う者はこの中原に存在しないかも知れませんね。武人としてもそれほどの成長をあなたは遂げられました」


「アーネスト様……ありがとうございます。でも私はもうそれに慢心も過信もするつもりはありません。私の敵は彼女達だけではなく、私より遥かに強い者達ばかりなのですから。それをこれからも肝に銘じていきます」


 直近でウルゴルに手痛い敗北を喫した経験が大きいが、よく考えるまでもなく他勢力にはまだまだ大勢の猛者がいるのだ。ディアナが多少成長した所で、恐らく一生彼等のいる位置には手が届かないだろう。


 既に彼女はそれを自覚して受け入れていた。


「……武人としてだけでなく、人間としても素晴らしい成長をなさっていますよ貴女は。そしてその芽を摘ませない為にも、今はクレモナへ急がねばなりません。戦いが終わったばかりですが行軍を再開致しましょう。宜しいですか?」


「勿論です。我が国を襲っている危機はまだ些かも減じていません。今この時もヘクトール様を始め大勢の将達が敵の大軍を食い止めてくれています。私達は一刻も早くこの悪夢を終わらせなければなりませんから」


 そして一行はマリウス軍撃退の疲れを癒やす間もなく、クレモナに向かって行軍を再開するのであった。

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