第十六幕 再戦と結末

「う、うう…………っ!?」


 ディアナは意識を取り戻した。そこは全く見慣れない牢獄のような陰鬱な部屋であった。最初は自分が何故こんな所にいるのか解らず戸惑ったが、すぐに意識を失う直前までの経緯・・を思い出して蒼白になった。


 慌てて現状を確認しようとして自分の身体が動かない事に気付いた。彼女は壁に取り付けられた手枷足枷によって磔にされている状態だった。金属製の頑丈な枷で、ディアナがどれだけもがいてもビクとも動かなかった。


 意識の無い彼女をここに連れてきて拘束したのは間違いなくフレドリック達だろう。彼女はあの恐ろしいフレドリックの虜囚になってしまったのだ。全て自分自身の過信と愚かさが原因であった。悔やんでも悔やみきれない。


(皆……申し訳ありません。私が余りにも愚かだったせいで……)


 この状況で自分が助かる道は最早ないだろう。折角ここまで成り上がって、これから天下に向けて打って出ようという段階になって、自分の愚かな失敗によって全て台無しとなってしまった。天下を統一して戦乱の世を終わらせるという壮大な目標は、この暗く陰鬱な牢獄でみじめに終焉を迎えるのだ。


 それが無性に悲しくて悔しくて、彼女は磔にされたまま悔悟の涙を流し続けていた。



 ――ギギィィィィィ



「……っ!」


 その時、扉が開かれる音と共に1人の男が部屋に入ってきた。無論それは、口ひげを蓄えて常に柔和な笑みを浮かべる稀代の策士フレドリックであった。


「おや、お目覚めになられましたか。気分は如何ですか、ディアナ様? ふふふ……!」


 厭らしい笑いを浮かべながら近づいてきたフレドリックは、ディアナの顎を無遠慮に掴んで自分の方に向かせる。手足を拘束されているディアナはそれに抗う事も出来ない。


「ふふふ、いいですねぇ! あなた方の勢力に打撃を与えるのが目的だったのですが、まさか貴女自身が釣れた上にこうして捕らえる事まで出来るとは。私は非常に運がいい。余りにも出来過ぎていて怖いくらいですよ」


「……!」


 まんまと釣り出されてしまったディアナは改めて自分の愚かさに身を震わせる。フレドリックの柔和な笑顔が崩れてその目に憎しみの色が宿る。


「貴女だけは許せません。エヴァンジェリン様の……ラドクリフ軍の旗揚げに際しては、私も多額の出資をしていたのですよ。貴女さえいなければ問題なくリベリア州を制する事が出来ていたはずなのに……。貴女の存在のお陰で私の目論見は全て崩れ去りました。この上は貴女に直接賠償・・して頂くしかありませんねぇ!」


「……っ!」


 それはナゼールやメルヴィンと同じく完全な逆恨みでしかなかったが、フレドリックの中では正当な復讐であるようだった。



「ウルゴル! 出番ですよ!」


 フレドリックが大きな声で叫ぶと程なくして新たな人影が扉を潜って入ってきた。といってもその人物は巨体のあまり扉を潜るのがやっとという感じではあったが。


「ぎへへ……お、お呼びですかい、旦那?」


 案の定それはディアナを直接捕えた恐ろしい巨漢ウルゴルであった。屋内で相対するとその巨躯はより一層巨大に見え、ましてや直近で完敗し囚われの身となっているディアナの目には、完全に人間ではない悪鬼羅刹そのものに見えていた。


「ひっ……」


「ふふふ、良い顔ですね、ディアナさん! さあ、ウルゴルよ。この女を存分に痛めつけてから、苦痛と恐怖にまみれた死をくれてやるのです! 私はそれを以って溜飲をさげる事と致しましょう!」


 フレドリックが容赦ない残酷な指示を下すと、怪物はその醜い面貌を喜悦に歪めて迫ってくる。


「ぐひひ……お、お楽しみの時間だぁ……」


「い、嫌……いや、来ないで……! た、助けてぇ! 誰かァァァッ!!」


 ディアナは恐怖の余り恥も外聞もなく泣き叫ぶ。それは以前にフレドリックに同じように捕まった時と同様のものであり、あれから時が経って様々な経験を経て成長したはずのディアナは、この時だけは旗揚げしたての小娘に逆戻りしていた。


「ぎひっ!」


「がっ……!!」


 ウルゴルがその巨大な拳を動けないディアナの腹に打ち付けてきた。勿論全く本気ではないだろうが、それでも凄まじく重い衝撃に体内を揺さぶられた彼女は、耐え切れずにその場で嘔吐してしまう。


「うげぇ……ぐっ……」


「ふふふ! 良い眺めですねぇ! もっとです! もっと苦痛に満ちた表情を私に見せるのです!」


 しかしここにいるのは、女性が苦痛に呻吟している姿を見て興奮する異常者だけだ。それに私怨も加わって見境がなくなったフレドリックは、ウルゴルに更なる拷問を指示する。当然フレドリックと同じかそれ以上に高い嗜虐性を持つ怪物は、喜び勇んでその指示に従う。


 恐怖で心の弱っているディアナの精神は早くも折れかかっていた。 

 

(あ、あぁ……も、もう駄目……。こんなの嫌……だ、誰か……誰か助けてぇ……)


 彼女に出来る事はただ心の中で弱々しく助けを求める事だけだった。だが当然ながらそんな願いを聞き届けてくれる者はこの場には居ない。……そのはずだった。



 ――ドォォン!!



 凄まじい勢いで部屋の扉が蹴破られた。それなりの重さと厚みがあったはずの扉が、まるで薄い木の板のように舞う。


「……っ!? 何事ですか!?」


 フレドリックが驚愕して振り向く。勿論ウルゴルと、そしてディアナも同様だ。彼等の視線が集中する中、のっそりと部屋に踏み込んできたのは……


「ふぅ……どうやら間に合ったみてぇだな。奇しくもあの時・・・と同じ状況とは……運命って奴が本当にあるのかと疑っちまうぜ」


「あ……あ……へ、ヘクトール・・・・・、様……?」


 それはディアナ軍の『四忠臣しちゅうしん』の1人にして、軍内でも最高の武勇を誇ると名高い猛将ヘクトール・ケルツ・ハイドリッヒその人であった!



 何故彼がここにいるのか解らず、夢か幻覚かと思ったディアナは呆然と名前を呟く。確かにそれは以前フレドリックに捕まって、ヘクトールが救出に踏み込んできた時と全く同じ状況であった。あまりにも出来過ぎている。


「ディアナ、詳しい説明は後でしてやる。……こいつらをぶちのめした後でな」


 ヘクトールが怒りの闘気を発散させる。それは味方のはずのディアナでさえ肌が粟立つほどの研ぎ澄まされた殺気であった。


 よく見ると彼は愛用の戟ではなく片手剣を携えており、その刀身は既に血で濡れ光っていた。恐らく彼はこの隠れ家を固めていた他の傭兵たちを蹴散らしてここまで踏み込んできたのだ。


「き、き……貴様は!? ウ、ウルゴル! 奴を始末しなさい! そうしたら小娘を殺してすぐにここを撤収します!」


 やはり以前の事件の際にヘクトールの顔を知っているフレドリックが、実質ディアナ軍にこの隠れ家が露見したという事実に、慌ててウルゴルに後始末を命じる。

 


「て、てめぇ……あの時も今も、お、俺の愉しみの邪魔ばっかしやがって……! こ、今度こそ殺してやる……!」


「けっ……相変わらずのようだな。前にも言っただろ? 醜い化け物風情が人間様の言葉を喋るんじゃねぇってな」


 怒りを露わに向き直るウルゴルに、しかしヘクトールは恐れげもなく口の端を吊り上げて挑発する。その効果は覿面で、ウルゴルはその醜面を朱に染めて、背中に背負っていた巨大な戦斧に手を掛ける。


「てめぇぇぇぇ!! こ、殺す! ぶっ殺してやるぅぅっ!!」


 ウルゴルは愛用の戦斧を構えて突進する。その巨体からは考えられないような速度で、迫力は凄まじいものがある。ヘクトールの強さは勿論誰よりも良く知っているが、同様にウルゴルの化け物じみた強さも肌で実感している。


 奴の武力は決してヘクトールに劣るものではない。あの時ゾッドがヘクトールと2人掛かりであっても尚、無傷では倒せないと判断したほどの怪物だ。


 そしてウルゴルは愛用の得物を構えているのに対して、ヘクトールはいつもの戟ではなく予備武器の片手剣しか持っていない。この状況では流石のヘクトールも勝ち目は薄いように思えた。


「へ……馬鹿が」


 だがそれを理解していないはずはないヘクトールが小さく口の端を吊り上げて笑った。



「殺すゥゥゥゥゥッ!!!」


 その間にも凄まじい速度で肉薄したウルゴルは戦斧を振りかぶって一気に叩き付けようとして……


 ――ガシィィンッ!!


「……っ!!?」


「な……」


 フレドリックもディアナも……そしてウルゴル自身も唖然として、深々と天井に食い込んだ・・・・・・・・斧の刃を見つめた。 


 よく考えたら当たり前の事だ。この部屋は目覚めたディアナが重苦しいと感じる程には狭く天井も低い空間であった。こんな狭い部屋であのような巨大な武器を振るおうとしたら、壁や天井に当たってしまうのは必然であった。以前に同じような状況で対峙した時は、もっと広くて天井も高い部屋であった。


 武芸は素人のフレドリックも、まだショックが強くて動揺が抜けていないディアナも、そしてヘクトールの挑発によって逆上していたウルゴルも……誰もこの当たり前の結果を予測できなかった。……ヘクトール自身を除いて。


 彼が戟ではなく片手剣を持っていたのはこれを予測しての事だったのだ。


 勿論怪力を誇るウルゴルなら、力を籠め直せば強引に天井を斬り砕いて振り抜く事は出来たかも知れない。もしくは斧を手放して仕切り直す事も可能だったかも知れない。……相手がヘクトールでさえなければ。


 卓越した武人であるヘクトールがこの一瞬の致命的な停滞を、しかもそれを狙っていた状況で無駄にするはずがない。


「ふんっ!!」


 相手の一瞬の動揺を突いて反撃や対処の暇を与えずに電光石火の勢いで突き出された剣先は……正確にウルゴルの心臓を貫き通した!


「お……おおぉ……お……?」


 ウルゴルは自分の胸に生えた剣を不思議な物でも見るように眺めていたが、ヘクトールが剣を抜くと大量の血潮と共にグルッと白目を剥いて倒れ伏した。物凄い音が鳴り響いたが、怪物が再び起き上がってくる事はなかった。


 圧倒的な武勇を誇った怪物にしてはあっけない最後であったが、反面知恵の足りない人獣には相応しい倒され方だったとも言えるのか。



「ば、ば……馬鹿な……。そんな馬鹿な……! わ、私の計画が……こんなはずが……!!」


 一方用心棒を倒されて抵抗の手段を失ったフレドリックがワナワナと身体を震わせる。この状況でヘクトールが彼を逃がすはずがないし、その理由もない。となると彼に残された選択肢は……


「さあ、観念しな。てめぇにはディアナの命を狙った罪を贖ってもらうのと、ユリアンの居所を吐いてもらうって役目が――」


「――馬鹿め! 貴様らの虜囚になるくらいなら……!」


 フレドリックは素早く懐に手を入れると、そこから掌サイズの小瓶を取り出した。そしてその小瓶の中身を呷る。ヘクトールが止める暇もなかった。


「ちぃっ……!」


「き、貴様らに……決して天下など…………がはっ!!!」


 ヘクトールが舌打ちして駆け付けた時には、フレドリックは既に血を吐いて事切れていた。ヘクトールはかぶりを振って立ち上がった。


「……敵としては厄介な奴だったが、遂に俺達と相容れる事は無かったな」


 彼は静かな口調で呟くと、まだ壁に磔のままのディアナの方に歩いてきた。彼の手にはフレドリックの死体から手に入れた鍵束が握られていた。



「待たせたな、ディアナ。今解いてやるぞ」


「あ、ありがとうございます、ヘクトール様。でもどうして……どうやってここに?」


 ヘクトールによって壁の拘束から解き放たれたディアナは、安堵の息を吐いて自分の身体を改めつつ、やはり疑問になっていた事を聞く。


「バジルの奴だよ。体調がある程度回復したアイツがお前の性格を思い出して、後事を託した事に不安を感じたらしい。で、俺の所にやってきて、すぐにお前を追跡して欲しいと頼まれてな。慌ててお前の足跡を追ったが、既にイグレッドの『取引現場』にはお前の姿はなかった。だが奴等もまさか俺が追ってるとは思わなかっただろうから自分達の痕跡を消す事にはそれほど熱心じゃなかったんで、辛うじて後を追ってここまで辿り着けたって訳さ。あ、因みにここはフィアストラの郊外だ」


「そ、そうだったんですか。バジル様が……」


 彼の機転・・のお陰で自分は助かったようなものだ。ヘクトールにしても自分が全く敵わなかったウルゴルを、どんな形であれ打倒してしまったので、やはり自分など及びも付かない優れた武人である。


 今回バジルを始め大勢の人間に迷惑と心配をかけてしまったという事実と、ウルゴルに手もなく敗北してあわや殺されかけたという経験が、彼女の中から過信や慢心を完全に消し去っていた。


 やはり彼女が1人で出来る事などたかが知れているのだ。自分の今は大勢の優秀な人々の働きの上に成り立っているのだと改めて自覚できた。


 ディアナはヘクトールにも素直に頭を下げた。


「ヘクトール様、この度は御迷惑をお掛けして真に申し訳ありませんでした。帰ったらバジル様にも謝罪します。もう二度とこのような無茶は致しません」


「ああ、まあ……いいって事よ。ここには他に商人達の家族も囚われてるみたいだ。これで経済封鎖の件も無事に解決できた訳だし、結果オーライって奴さ。バジルもこれは自分のミスだったって自責が強いみたいだから、多分そんなに怒ったりはしないと思うぜ」


 ヘクトールが頭を掻きながらそう言ってくれたので、ディアナも少し心が軽くなってホッとした。ただ……続く彼の言葉にディアナの表情は凍り付く。



「ただ、まあ、俺やバジルは良いんだが……同じ話を聞いたシュテファン・・・・・・アーネスト・・・・・がちょっとエラい事になってるぜ」



「――――っ!!」


 言い辛そうな、気の毒そうな様子のヘクトールが挙げた名前にディアナは硬直する。常日頃からディアナに対しても厳しく、彼女に君主としての責務と心得を説く厳格な義兄。そしてディアナに対して過保護なきらいがあり、一度はそれが行き過ぎて軟禁事件にまで発展した主席軍師。


 彼らが今回のディアナの独断専行・・・・及び、慢心から不覚を取ってあわや殺されかけたという事を知ったら……


「アーネストの奴はまたお前の『部屋』を準備しなければとか真顔で言って兵士や役人たちに何か指示してたし、シュテファンの奴は……笑ってやがったぞ? しかも目だけは全く笑ってない顔でよ。俺は生まれてこの方あんな恐ろしい笑顔を見た事がないぜ」


「あ……あ……」


 ディアナの顔からどんどん血の気が引いていく。ある意味で先程フレドリック達に殺されかけた以上の恐怖・・が彼女を支配していた。


「まあある意味お前のお陰でこの件は早期解決できた訳だし、俺達も一応弁護はしてやるがよ。……正直色々覚悟しといた方がいいぜ?」


 そんなディアナを気の毒そうに見つめながらも、ヘクトールは容赦なく現実・・を突きつけるのであった……





 こうしてディアナ達を何度も苦しめてきた策士フレドリックは死に、彼の引き起こした経済封鎖も無事解決する事が出来た。人質が救出された商人達はディアナ軍との取引を再会し平身低頭であったが、バジルも今回は自分の脇の甘さも原因だったとして一度のみ商人達を不問に付す事とした。


 だがこのフレドリックの仕掛けた経済封鎖の裏で、より遠大な企みが進行していた事をディアナ達は間もなく知る事となる。ディアナにとって因縁深き者達との最終対決の時が着々と迫りつつあった……


 尚、城に戻ったディアナが色々な意味・・・・・で、二度と慢心せず君主としての心得を絶対に忘れないと心の底から誓う羽目になった事は言うまでもない。

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