第十五幕 過信の代償
だがその後もディアナ軍やリベリア州の経済が復調する事は無かった。今まで取引していた商会が首を縦に振ることはなく、それどころかそれ以外の小さな商会や行商人なども噂が広がり始めたのか、ディアナ軍との取引を敬遠するようになってきた。
それらの影響は如実に街の活気にも表れてきており、まだまだ素人であるディアナの目にもはっきりと停滞ぶりが見て取れるようになってきた。政治軍事の話だけでなく、今まで街で当たり前に買えていた物も価格が高騰し始めていて、しかもそれらを扱う商店自体が閉鎖したりエトルリアから撤収したりといった事例も目立つようになってきていた。
街が寂れ、徐々に死んでいく。その光景をディアナも目の当たりにし始めていた。このままではマズいと彼女自身も危機感を覚え始めていた矢先に、それまで以上にこの事態を解決しようと文字通り寝る間を惜しんで奔走していたバジルが倒れた。
「バジル様……!」
報を聞いたディアナが血相を変えて彼の屋敷に駆け付けると、寝台の上で上体を起こした姿のバジルが出迎えた。
「……ディアナか。すまんな、大口を叩いておいてこのザマだ。俺は官吏長失格かもしれんな」
「そんな……バジル様は充分よくやってくれています。どうか今は御無理をせずに静養して、お体を治す事を優先して下さい。バジル様に何かあれば、この国は立ち行かなくなってしまいます」
自嘲気味にかぶりを振るバジルを慰労するディアナ。それは別に世辞や慰めという訳ではなく事実であった。
「ふ……それも今のこの問題を解決できねば無意味だ。だが俺とて今まで遊んでいた訳ではない。何故商人どもが急にそっぽを向き始めたのか。クリストフにも協力してもらって、今までその理由と原因を探っていたのだ」
「……! それで……解ったのですか?」
調査能力にも長けたクリストフに協力してもらっていたなら望みは知れない。果たしてバジルは頷いた。
「ああ……どうも裏で妙な奴が暗躍していたらしい。常に顔を隠していて『黒使大兄』とかいう御大層な呼び名を名乗っているらしいが」
「『黒使大兄』?」
確かに大層な呼び名だ。暗躍しているとはどういう事だろうか。
「そいつは手下を使って、俺達が取引していた商会に所属する商人達や商会長に狙いを定めて、その
「な……い、一体なぜそんな事を……!?」
「残念だが素性や理由はまだ解らん。だが……次に奴が現れるだろう
流石にバジルも強がれないほど辛い状態のようだ。当然これ以上無理をさせる訳には行かない。
「バジル様、その取引の場所と日時をお教え下さい。私の方で誰か見繕って、その『黒使大兄』の確保に向かわせます」
「む……そうか、そうだな。俺よりは誰か武官を向かわせた方が確実か。なら後は頼めるか……?」
「勿論です! あとは
自信満々に請け負うディアナの姿にバジルも安心して、取引の場所と日時を教えて後事を託した。
だが彼は過労で倒れたばかりという事もあり本調子とは言い難く、
(……本当は無理を言えばヘクトール様や兄上に付いてきてもらう事も出来るけど、そんな裏でこそこそしている怪しい犯罪者達を捕まえるだけなら私1人で充分だわ。あのレオポルドにだって勝てたんだから、私だって立派な
先だって大金星を挙げた彼女の心には、いつしか自信ではなく
*****
リベリア州イグレッドの街。かの『競争遊戯』の際に通過した街でもあるが、この街の郊外で『黒使大兄』が大きな取引を行うという情報を入手していた。家族を誘拐して脅しつけた商人相手に何らかの恫喝的な取引を行うようである。
ディアナは衛兵隊を率いて近郊に潜伏し『黒使大兄』が現れるのを待っていた。既に先方の商人は現場に到着している状態だ。そして待つ事1時間ほど……時刻は夜になろうかという頃、
(……!! 来た……!)
町外れの寂れた墓地。そこに夜の闇が形を得たかのような漆黒の衣装に身を包んだ、見るからに怪しげな風体の人物が現れたのだ。そこが墓地という事もあって、まるで死者の怨念が人の形を取って現れたかと錯覚してしまう。
だが『黒使大兄』は護衛と思われる何人かの傭兵を引き連れていた。皮肉な事だが護衛がいる事によって却って不気味な威圧感は薄れて、『黒使大兄』があくまで常人であると教えてくれていた。
『黒使大兄』が墓地の中央に歩み寄って、待っていた商人と何かを話している。もう充分だろう。ディアナは衛兵隊に合図した。
「よし、突入です! 我が国に害を為す不埒者を捕らえ、人質を無事に救出するのです!」
号令と共に自ら率先して墓地へと突入する。あまり大勢では相手に気付かれてしまうので、衛兵の数は精々50人ほどだ。しかし『黒使大兄』が引き連れている傭兵はもっと少ないので問題はない。
当然突入してくる衛兵隊に気付いた『黒使大兄』が、すぐに踵を返して逃げ去ろうとするがもう遅い。ディアナ達は少数だった事もあって迅速に動く事ができ、『黒使大兄』に逃げる暇を与えず包囲する事に成功した。
「……!」
「私はリベリア王のディアナ! さあ、もう逃げ場はありませんよ? まずはその怪しいフードを取って素顔を見せなさい! その後に人質の元へ案内してもらいます」
『黒使大兄』に剣を突き付けて命令するディアナ。奴を守る傭兵は僅かであり、この包囲を突破できるとは思えない。作戦完了だ。だが……
「ふ……くくく……。まさか
「……っ!? あなたは……」
ディアナは『黒使大兄』の声に聞き覚えがある事に気付いた。奴がそのフードを取り去る。そこには彼女の予想通りの顔があった。
「『黒使大兄』とはあなただったのですね……
「ええ、その通りですよ。またお会いできて大変うれしく思います、ディアナ殿」
そう言って『黒使大兄』……元ラドクリフ軍の残党フレドリック・ヨルゲン・カルムは、人を食ったような動作で一礼した。
「……あなただったのは意外でしたが、納得でもあります。そして『黒使大兄』の正体があなただったからといって私のやる事は変わりません。大人しく投降しなさい。そして捕らえている人質の元まで案内してもらいます」
ディアナが改めて剣を突き付けるが、衛兵に包囲され窮地のはずのフレドリックに焦りはなく、それどころか彼特有のあの厭らしい笑みを浮かべる。
「くふふ……相変わらず直情的ですなぁ。まあそういう所も貴女の魅力なのでしょうが……私が何の備えもせずにこういう場所に姿を現すと思いますか?」
「……!! 何の――」
フレドリックの態度に警戒心を覚えたディアナが一早く彼を確保しようとするが、それは護衛の傭兵達に阻まれる。その連中を排除する前に……
――ブウゥゥゥゥンッ!!!
凄まじい風切り音と共に、何かが振り抜かれる音。それと同時に兵士達の悲鳴と大量の血煙が舞い散る。
「……っ!? な……」
「ぎははははっ!! も、もっとだぁ! もっと俺の斧に、血を吸わせろぉっ!!」
ディアナが驚いて振り向くと、そこには血に塗れた戦斧を担いだ醜い巨人が屹立していた。その周りには今の薙ぎ払いだけで身体を上下に分断されて地面に転がる数人の衛兵たちの死体が転がっていた。
「っ!」
ディアナは歯噛みした。そうだ。フレドリックがいるという事は、その私兵である
「ははは! ウルゴルよ! 邪魔者を蹴散らし、その女を生け捕りにしなさい!」
フレドリックが哄笑しながらその巨人――ウルゴルに指示する。
「く……全員で一斉に掛かりなさい! 殺して構いません!」
ディアナも苦し紛れに指示を出す。こちらにはまだ30人以上の衛兵がいる。この数で掛かればいかにこの怪物とはいえ……
「ぎははははっ! ち、血だぁっ! も、もっと血を味わわせろぉぉっ!!」
だがウルゴルは些かも恐れる様子さえなく、いや、むしろこの上なく嬉しそうに自分から衛兵たちに襲いかかった。
そこから先は最早戦いとは言えなかった。それは……
時間にして僅か数分。それだけで30人以上はいたはずの衛兵隊が全滅の憂き目に遭っていた。
「くっ……」
彼女がなにかする暇もなかった。やはり恐ろしい怪物だ。だが……今の自分はもう昔とは違うのだ。更に言うならこのウルゴルとも、かつてカイゼルを勧誘する際に一度再戦して恐怖を克服している。
(やってやる! 今の私ならこいつにだって勝てるわ!)
彼女は剣を構えた。彼女が取るべき選択肢は、非情ながら衛兵が時間を稼いでいる間に一目散に逃げる事であった。だがレオポルドに勝利して自分の実力を
「ふっ!!」
呼気と共に水平の薙ぎ払いを仕掛ける。それはディアナの中でもこれまでにない速さの一撃だった。だが……
「ぎひっ!」
激しい金属音と共に斬撃が弾かれる。ウルゴルがあの巨大な戦斧をディアナの剣以上の速さで動かして、あっさりと斬撃を受け止めてしまったのだ。
「え……!?」
「ぎひひ! どうした、もう終わりかぁっ!?」
「く、この……!」
ディアナは歯噛みして連続斬りを仕掛ける。奴は巨体で的が大きいし、武器も長柄の戦斧なので、必ず隙が出来るはずだ。一撃でも斬撃が通れば――
「は! はっ! ぎひゃぁぁぁっ!!」
だがウルゴルは無情にもディアナの想定を遥かに上回る身のこなしと武器の振りで、彼女の連撃を全て防いでしまう。
「そ、そんな……!」
「こ、今度は、俺の番だなぁ!」
愕然とするディアナに容赦なくウルゴルが反撃してくる。ディアナは慌てて迎撃態勢を取る。こいつの攻撃は以前に見切った事がある。またあの時のように神経を集中させれば……
「シハッ!!」
「え…………ぎゃふっ!」
ディアナは何が起きたのか分からない内に凄まじい衝撃を剣越しに感じて、そのまま大きく吹き飛ばされてしまう。何とか倒れる事は凌いだが、手が痺れてとても剣を握っていられない。
「ぎひひ!!」
だがそこにウルゴルのさらなる追撃が彼女を襲う。斧ではなく手甲を嵌めた巨大な拳で腹を殴りつけられた。
「ゲフッ!!」
衝撃と激痛の余り立っていられず、その場に崩れ落ちるディアナ。まるで歯が立たない。旗揚げしたての頃にこいつに襲われた時と全く同じだ。自分は強くなったのではなかったのか。
「ふふふ……オズワルドさんから以前にウルゴルと再戦した際の経緯は聞いていますよ。まさか貴女はあの時ウルゴルが本気で戦っていたと思っているのですか?」
「……っ!」
戦いに決着がついたと見て取ったフレドリックが近づいてくる。奴の言葉に愕然とするディアナ。
「ふふふ、素直に逃げていればこのような目に遭わずにすんだものを。ウルゴル、この女を隠れ家に連れ帰りますよ。また
(ああ……私が、馬鹿だった……。バジル様、申し訳ありません……)
彼を騙すような形となり、しかもこのような結末となってしまい、ディアナは心の中でひたすら自分自身の愚かさをバジルに侘び続けながら意識を失った。
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