第七幕 不穏の予兆

 そのまま部屋から逃げ去るかと思われたゾランだが、何故か足を止めて振り返るとその醜い面貌を嗤いに歪めた。



「ナゼールの奴が私怨にトチ狂って勝手に死んだお陰で、僕が資金集め・・・・なんてやる羽目になって、その挙句これじゃ貧乏くじもいい所だ。でも……よく考えたら丸腰で護衛もいない君を殺せるチャンスなんてそうないしなぁ。考えようによっては僕は運がいいのかも知れないねぇ?」



「……!!」


 ゾランがニタァ……と嗤って、腰の剣を抜き放った。何をするつもりかは明白だ。ゾランは見た目からして武芸が得意そうには見えないが、生憎今はディアナも平服でしかも丸腰だ。だからこそゾランも欲を出したのだろう。


「皆、下がってて!」


「ひぃ……!? た、助けてぇ……!!」


 アデリーナ達をなるべく後ろに下がらせようとするが、ゾランの剣を見たユーフェミアが腰を抜かしてしまって動けないようだ。ディアナは舌打ちした。そして可能な限り彼女達と距離を取る為に、自分から前に出てゾランに素手で向かっていく。


「ひゃあっ!」


 ゾランが奇声と共に斬り掛かってきた。思った通りそこまで大した斬撃ではない。だが剣も鎧もない状態では受けが出来ない。躱すしかないが、それとて一撃でも当たれば致命傷だ。


「く……!」


 流石にディアナも若干及び腰になって、反撃できずに防戦一方になる。そもそも反撃したくとも何も武器が無い状態だ。室内で振り回される刃物に、ユーフェミアや他の少女達が悲鳴を上げて蹲る。


「んふふ! いいねえ! 僕の生活を無茶苦茶にしてくれた君に直接復讐できるなんて嬉しいよ!」


(くそ、こんな奴……! 武器があれば簡単に勝てるのに!)


 壁際に追い詰められるディアナを見て勝ち誇るゾラン。ディアナは歯噛みしつつ、必死に武器になりそうな物を目で捜す。


「しゃあっ!!」


「……!」


 ゾランが再び斬り掛かってくる。ディアナは飛び込むようにしてそれを危うい所で躱しつつ、乱闘の間に床に転がっていた棒状の物を手に取る。それは羊皮紙を巻物状にする時に使う、木で出来た空芯であった。


「んふふ、そんな物で何しようというのかなぁ!」


 ゾランが嗤いながら斬り掛かってくるが、元から大した速さではない上に散々躱した事で既に見切っていた。


「ふっ!」


 ディアナは呼気と共に踏み込むと、ゾランの攻撃をいなしつつその剣を持つ手を棒で打ち据えた。


「痛ぁっ……!!?」


 ゾランは剣こそ手放さなかったものの容易く怯んだ。やはり武器さえあれば敵ではない。


「お前ごとき、この棒だけで充分です! 覚悟しなさい!」


 ディアナは勢い込んで追撃しようとするが……



「ひっ!? く、くそ、こうなったら……!」


「……っ!? きゃあああっ!?」


 逃げ腰になったゾランは、血走った目で腰が抜けてへたり込んでいるユーフェミアの姿を認めると、一目散に彼女の元へと駆け出した。彼女を人質に取る気だ!


「くっ……!」


 ディアナは慌ててそれを阻止しようとするが位置関係的に間に合わない。ゾランの腕がユーフェミアの細い身体を掴み取ろうとした時……


「危ないっ!」


「あ……!?」


 咄嗟にユーフェミアを突き飛ばしたのは……アデリーナだ。それによってユーフェミアは助かったが、代わりにアデリーナがゾランに捕らわれてしまう。


「ぐっ……」


「暴れるなっ! ターゲットは変わっちゃったけどまあいいさ。誰だろうと人質には違いない」


 ゾランは苦痛に呻くアデリーナの喉元に剣の刃を押し当てる。ディアナの動きが止まる。確かに彼女からすれば人質がユーフェミアだろうがアデリーナだろうが、見捨てる訳にはいかないという点では同じだ。



「ふん、ちょっと強いからっていい気になるなよ! 元々直接斬り合うなんて僕の柄じゃなかったのさ。こうなったらこれ以上欲を掻いても仕方ない。ぼちぼち衛兵隊が踏み込んでくるかもだし、その前に逃げさせてもらうよ。おっと、勿論僕が逃げるのを邪魔したら解ってるよね?」


「く……!!」


 これ見よがしにアデリーナに剣を突き付けて牽制してくるゾランに、ディアナは手を出せずに唸る。ここまで来てむざむざ取り逃がすしかないのか。


「ははは! まあ安心しなよ。僕は年増には興味がないんで、安全な所まで逃げたら解放してやるさ。でも君達が僕の邪魔をしたら容赦なく殺すからね?」


 哄笑しながら徐々に後退していくゾラン。勿論その腕にはアデリーナを抱えたままだ。ディアナは歯軋りしつつそれを見送るしか出来ない。そう思われたが……



 ――突如、ゾランの背後に大きな人影が現れた。武芸に習熟した者だけが使える足音と気配を殺した脚運びで、ゾラン達は気付いていない。



「ふんっ!」


「がっ……!?」


 その人影はゾランの首の後ろに剣の柄を叩き込んだ。突然の奇襲にゾランはあっさりと気絶してその場に倒れ込んだ。その拍子に捕まっていたアデリーナも一緒に倒れそうになるが、


「おっと!」


「……!」


 その人影が素早くアデリーナを抱えるようにして支えた。アデリーナとその人影はそこで初めて目を合わせて、互いの姿を見た。


「お、おお……!? ア、アデリーナ殿!?」


「あなたは……ディナルド・・・・・様!?」


 2人は一瞬お互いが何故ここにいるのか解らず混乱したように見つめ合ってしまう。



「ディナルド様! どうしてこれほど速く……!?」


 そこにディアナが訝しんだように声をかけてくる。衛兵隊を率いているはずの彼がこんなに早くこの場所に踏み込んでこられるはずがない。


 ディナルドとアデリーナは互いに現実・・に戻ってきて、少し慌てたように身体を離した。


「オホン! あー……衛兵隊は副官に任せてありますので、おっつけ駆け付けてきます。何となく胸騒ぎがしましてな。儂だけ先行して突入したのですが、どうやら正解だったようですな」


 気絶しているゾランを見下ろしてディナルドが頭を掻く。明らかに意外な場所で再会したアデリーナを意識しているようだった。



「ディアナ……【戦乙女】ディアナ様。なるほど、そういえばご尊顔を拝見した事はありませんでした。知らなかったとはいえ数々の不敬な物言い、どうかお許し下さい」


 そのアデリーナが合点がいったように頷き、ディアナに対して完璧な作法で立礼する。ディアナは慌てて手を振った。


「い、いえいえ! 私こそ騙すような事をして済みませんでした! それに私なんて【王】なんて言われてもまだまだ若輩者ですから、全然不敬とか思ってませんから! アデリーナさんもとても冷静で頼りになりましたし、それに凄くいい人だと知れて色々な意味・・・・・で安心しました」


 ディアナは小さく笑って、それからディナルドの脇腹を肘で小突いた。


「うふふ、良かったですね、ディナルド様? どうも色々と誤解・・があったようですから、しっかりアデリーナさんとお話なさって下さいね?」


「……! む……そ、そうですな。お恥ずかしい所をお見せしました」


 ややバツが悪そうに苦笑しながら頭を掻くディナルド。アデリーナの事は彼に任せて、ディアナはユーフェミア達の所に向かう。



「ディ、ディアナ……ディアナ様って、あのディアナ・レア・アールベック様!? ひ、ひぃぃぃ……ど、どうか、おゆ、お許しを……!」


 今更ながらにディアナの正体に気付いたユーフェミアが、それまでの自分の言動を思い返して、顔を白くさせて額づいていた。


「アデリーナさんにも言ったけど、私も正体を隠してたし別にそれについてあれこれ言う気はないわ。ただ……私とディナルド様に直接あなたを助けるように頼んできたのは、他ならないあなたのお父様だったのよ?」


「……っ!」


 ユーフェミアが身体を震わせる。


「ヤコブ様がどれだけあなたの事を心配していたか分かる? 他人の親子関係にあまり口を挟みたくはないけどこれからは折に触れてヤコブ様に、あなたと日々どんな話をしてるか聞いてみようかしら?」


「う、うぅぅ……!」


 ユーフェミアの体の震えが増々大きくなり、額づいたまま涙声で嗚咽を漏らしはじめる。その美貌には似つかわしくない相当に無様で哀れな姿だが、恐らくある程度外部からの介入がないとこの親娘の関係は変えられないだろうという確信があった。


 ……後はまあ多少、出る杭・・・をやり込めてやろうという『女の気持ち』も全く無かったかと言われれば嘘になるが。 





 この後、この拠点を包囲するように踏み込んできた衛兵隊によって、この誘拐組織の構成員は一部は取り逃がしたものの、ゾランを含めて殆どを逮捕拘束する事が出来た。


 そしてアデリーナやユーフェミアを含めて囚われていた女性たちを全員救出する事にも成功した。


 しかしナゼールらとの繋がりを示唆するような気になる台詞を言っていたゾランだが、本格的な尋問をする前に獄中に忍び込んだ何者かによって毒殺されているのが発見されるのであった。


 ディアナの前に再び不穏の影が忍び寄ろうとしていた……


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