老当益壮
第八幕 大君主の悩み
リベリア州の州都エトルリア。最近になって主が変わったこの街からこの日、1000人程の部隊が
その部隊はエトルリアを出立すると街道をひたすら北に向かって上っていく。この部隊が目指すのはリベリア州内では最も北西に位置する県であるクレモナ領であった。
クレモナはかの『天子争奪戦』の舞台ともなった曰くつきの県であり、元々クレモナ伯であったリオネッロがディアナ軍に恭順を示したのも一番最後であり、言ってみればディアナ軍領になって最も日が浅い県という事でもあった。
それらの事情を反映してかリベリア州内で現在最も治安の悪い県でもあり、大小様々な盗賊山賊による被害が後を絶たなかった。ここ最近もかなり規模の大きい山賊団が現れたらしく、それなりの護衛を揃えた隊商までもが被害に遭うようになり、ディアナ軍としても看過できない状態になりつつあった。
事態を重く見た君主でありリベリア王でもあるディアナは【金剛不壊】の異名を持つドゥーガル・ハンク・ブライトマン将軍を、山賊討伐と治安維持のために500の兵を与えてクレモナに向かわせた。
ドゥーガル将軍は老齢ながら中原でも並ぶもののない防衛戦の名手であり、巡察能力にも長けていた。伝え聞く山賊団の規模などから、ドゥーガルに500の兵力を与えれば充分と判断したのだ。アーネストやクリストフら軍師も納得してくれたので、ディアナの判断は間違っていないはずだった。
だが……既定の期間を過ぎても、ドゥーガルから任務達成の報告が届かなかった。少し期間を延長して待ってもやはり届かない。それどころかクレモナからの連絡や報告が一切途絶えたのだ。
嫌な予感を覚えたディアナはすぐさまクレモナの調査兼ドゥーガルの救出部隊を編成して、クレモナへと送り込む事とした。それが今回出立した約1000の部隊である。
周辺諸国への備えなどもありそれが調査任務に動員できる限界兵力ではあったが、その代わり部隊の指揮には『救国の英雄』たるカイゼル・ハール・マクシムスを据えていた。
カイゼルが率いる1000の部隊は、その倍以上の規模の部隊とほぼ同等の戦力と言えるだろう。今回のような兵力が限られている任務での指揮には彼以上に適任の武将はいないという判断の元であった。
そうした経緯でドゥーガルの捜索と救出を兼ねたカイゼル率いる部隊は、クレモナ目指して北上しているのであったが……
「……場合によってはどんな危険が予想されるか解らない任務。なぜその危険な任務に……
行軍の音を響かせながら北上する部隊の中央で、カイゼルは自分の隣に随伴する存在にジト目を向ける。
既に同じような問答を何度か繰り返しているが、それでも言わずにはいられなかったのだ。その視線を向けられた人物……ディアナが、少しバツが悪そうな顔で頭を掻く。
「そ、それはその……やはり我が領内で不穏な事態が起きているとなれば、私自身の目で確かめておいた方がいいのではと。それにドゥーガル様の事も心配ですし……」
「ふむ、ふむ、確かにごもっともな話ですな。……で、本音は?」
クレモナの調査もドゥーガルの捜索も、カイゼルをその任に充てた時点でディアナの役割は終わっている。彼女が直接部隊に加わったからといって、それで戦力が増強したり任務の効率が上がったりする訳ではない。
むしろ君主である彼女がいる事で余計な手間や気遣いが増えて、任務の妨げになる可能性さえあるのだ。それを自覚しているディアナは更にバツが悪そうに身を縮める。
「そ、その……アーネスト様やバジル様達が皆さん優秀で、私は何もやる事がなくて……。あのまま城に居たらどうにかなってしまいそうだったんです」
それが本音であった。リベリア州全土を統べる大国の王となったので今まで以上に忙しくなると気負っていたのだが、現実にはその逆であった。
臣下は皆優秀な上に、既に国を運営していくためのノウハウが蓄積されている事もあって、基本的な国家運営に関しては殆ど彼等だけで回るようになっていた。ましてや小国だった頃ならいざ知らず、今や大勢力となったディアナ軍には続々と人材が増えており、実務面ではディアナの出る幕など皆無と言って等しかった。
大国の君主たる彼女の役割は、ただ勢力の象徴として「君臨している」事と、勢力全体の意思決定を行いその命令を下す事のみという状態であった。
信じられない事だが、彼女は「暇」であったのだ。勢力評定や何か大きな事業や外交、計略などの決済を承認したりする以外には基本的にやる事がなかった。これが【王】の仕事なのかと、彼女は理想と現実のギャップに悩まされるようになっていた。
この立場になって初めてディアナは皇帝たるルードに対して、本当の意味で共感できたような気がしていた。
以前のエリナやユーフェミアの誘拐騒ぎのような事件もそうそう起こるはずがなく退屈を持て余していたディアナは、今回のカイゼルの任務に無理を言っているという自覚がありながらも強引に付いてきてしまったのであった。
ディアナの心情を慮ったカイゼルは大きく嘆息した。
「ふむ……君主としてある意味で避けられない大きな壁に当たっているようですな。君主たるあなたが暇である事はそれだけ国として人材面でも余裕がある状態という事で、本来は良い事ではあるのですが……頭では解っていても感情が納得できるかは別ですな」
「カ、カイゼル様……」
まさか理解を示してもらえるとは思っていなかったディアナは少し目を瞠った。カイゼルが苦笑した。
「これでも伊達に長年帝国に仕えてきてはいませんからな。歴代皇帝も含めて色々な人物を見てきました。中には今のあなたと同じような悩みを抱えていた為政者も大勢おりました。しかし彼等もやがては時間と共に自らの立場に慣れてその役割を演じるようになっていきました。それが良い事だったのか悪い事だったのかは未だに解りませんが」
「…………」
「ただ一つ言える事は、そうして慣れや諦念と共に演者となった者達は例外なく腐敗し、堕落していったという事です。それが積もりに積もって帝国全体の腐敗と凋落に繋がっていったのです。個人的に願わくば……あなたやルナン陛下にはそうした者達と同じ道を歩んで頂きたくはないと思っております」
「……!」
それはかつて幾度も帝国を救った大将軍だからこその視点なのだろう。彼は帝国の腐敗ぶりに失望して一度は野に下り、ディアナに可能性を見出して再び仕官したという経緯がある。だからこそある意味でディアナに期待する部分は他の将に比べても強いのかもしれない。
「まあその意味では良い
「カイゼル様……ありがとうございます! はい、勿論です! 実は今回はカイゼル様やドゥーガル様のような歴戦の宿将の戦ぶりを間近で見たかったというのもあって……。是非勉強させて頂きます!」
カイゼルの許可を貰えたディアナは顔を輝かせる。そして実際にそれも今回無理に同行を希望した理由の一つであった。何といってもオウマ帝国全体でも高名な将軍である2人の事、間近でその采配を体験できるだけでも相当に貴重な経験と言えた。カイゼルが再び苦笑する。
「これはまた随分期待されたものですな。そういう事であればこの老骨、後進育成のためにも奮起せねばなりますまいな。思えばドゥーガル殿とも長年同じ帝国に仕えながら、今まで一度も同じ戦場で共闘する機会がありませんでしたからな。その意味では私も少々楽しみな部分があります。まずは彼の安否確認と必要によっては救援を最優先とする事と致しましょう」
「……! そうですね。ご無事だと良いのですが……」
「ええ、なのでここからは少し行軍のペースを上げていきますぞ。もしかすると一分一秒を争う事態という事もあり得ますからな」
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