第六幕 囚われの女達

「……っ!」


 いつの間にか気を失っていたらしく、目覚めたディアナはガバッと身を起こした。そこは見知らぬ質素な部屋の中だった。格子付きの頑丈な扉で仕切られている。そして……彼女は1人ではなかった。


「……! 良かった、気が付いたのですね。怪我はありませんか?」


「え……? ! あ、あなたは……」


 部屋にはディアナ以外に4人の女性がいた。そのうち3人は若い女性だが、1人だけ年配の女性がいた。声を掛けてきたのはその女性であった。


 ディアナは目を丸くした。その年配女性の顔に見覚えがあったからだ。


(あれ、この人確か……ディナルド様の?)


 以前にお忍び散策の際にディナルドと茶屋で話していた女性だ。確かアデリーナという名前だったか。ディナルドが懸想していた未亡人。ある日を境にぱったりとあの茶屋に来なくなり、ディナルドは振られたと思って荒んでいたのだが……



「私はアデリーナと申します。あなたよりも少し前に、恐らく同じ連中に捕まってここに連れて来られたのです」



「……! あ、わ、私はレーア・・・と言います。アデリーナさんはいつ頃捕まったのですか?」


 お忍び用にミドルネームをもじった偽名を名乗ってから、気になっている事を聞く。アデリーナが答えた日時は、丁度ディナルドが彼女が茶屋に来なくなったと言っていた時期とほぼ一致した。


(つまりディナルド様は振られた訳ではなかったのね……!)


 それは朗報と言えたが、とにもかくにもまずはこの状況を脱する必要があるだろう。



「ね、ねえ、あなた! 今街では騒ぎになってるのよね!? 私のパパ・・はこの国の偉い高官なのよ。今頃は私を探すために衛兵隊が大規模捜索してるのよね!? そうでしょ!?」



「え!? ええと、その……」


 その時残りの若い女性の1人が耐えかねたようにディアナに詰め寄ってくる。ディアナよりも少し下くらいの年代だろうか。キツめの顔立ちと言動だが、かなりの美少女だ。人攫いに誘拐されたのも頷ける。

 いきなり詰め寄られたディアナが、その剣幕にタジタジになっていると……


ユーフェミア・・・・・・! その人も攫われてきたばかりなのですよ! 気を遣ってあげなさい!」


 アデリーナの一喝。気位の高そうな年配の未亡人だけあって堂に入っている。しかしディアナは彼女が呼ばわった名前の方に反応した。


(ユーフェミア? これが……ヤコブ様の娘さん?)


 まさか彼女とも同室・・とは思わなかった。深窓の令嬢的なイメージを勝手に描いていたが、どうもそういう感じではなさそうだ。


「はぁ!? いつもうるさいのよ、オバさん! どうしようと私の勝手でしょ! もうこんな所に一秒だって居たくないのよ!」


「そんな事は皆同じです! あなただけが辛いのではありません! 泣き喚いて事態が解決するならそれでもいいでしょうが、今は逆に状況を悪化させるだけです!」


 2人の剣幕に残りの少女たちはオロオロと怯えているだけだ。どうやらこういうやり取りは初めてではないらしい。


「く……う、うるさいのよ、寡婦・・の分際で! あ、あんたなんかここから出られたら、パパに言いつけて縛り首にしてやるんだから!」


 ユーフェミアは興奮していて自分が吐いている暴言に気付いていない様子だ。


「パパもパパだわ! 早く助けにきなさいよ! 私の言う事は何でも聞く下僕・・のくせに、肝心な所でホントに使えない奴――――っ!!」


 ――――パシィィィンッ!!


 鋭い平手打ちの音が聞き苦しい喚き声を強制的に中断させる。アデリーナも他の2人も唖然として……平手を放ったディアナを見やっていた。



「な、な……あ、あなた、この私に向かって――」


 叩かれた頬を押さえながらユーフェミアは更に信じられない物を見るような目でディアナを見つめる。


「あなたが誰だか知らないけど、言っていい事と悪い事の区別も出来ないの? お父さんがどれだけあなたの事を心配して手を尽くしているか解らないの? アデリーナさんだってあなたの事を心配して忠告してくれてるのよ」


「……っ」


「ましてや寡婦だの下僕だの……。親の庇護下で自立も出来てない子供が、偉そうに大人を見下すんじゃない!」


「ひっ……!?」


 ディアナの……自ら旗揚げして遂には【王】にまで成り上がった女君主の威厳は、例え正体を隠していても自然と醸し出される迫力となって、我儘なだけの甘ったれた少女の心を打ち据えて萎縮させる。



「う、うぅ……な、何よ……何よ。わ、私はただ……こ、怖くて……」


 ユーフェミアの目に大粒の涙が盛り上がり、声も身体も急速に震えが大きくなっていく。そんな彼女をそっと優しく抱きしめる者が。アデリーナだ。


「……皆、解っていますよ。怖くて家に帰りたいのは皆同じです。でもここで取り乱しても状況は良くなりません。あなたも帝国の女なら、じっと耐え抜く強さを持っているはずです。今は皆で頑張りましょう。必ず無事に家に帰れますから」


「う、うぅぅぅ……くぅぅ……!!」


 厳格そうな外見からは想像もつかないような優しく包み込むような声音で諭され、心が弱っていたユーフェミアはそのまま直前までいがみ合っていたアデリーナの胸に取り縋って、声を押し殺して慟哭した。


 アデリーナはユーフェミアの頭を撫でながら顔を上げて、目線だけでディアナに礼を述べた。言葉にするとまたユーフェミアを刺激してしまうかも知れないという配慮だろう。




「……アデリーナさん、ここはどういう所なのですか?」


 ユーフェミアが少し落ち着いたのを見計らってアデリーナに問い掛ける。恐らく彼女に聞くのが一番スムーズであろう。


「私も詳しくは解りませんが、漏れ聞く看守どもの話からしても人身売買を生業とする犯罪組織の類いでしょう。特にこの連中はいかがわしい娼妓宿相手に誘拐した女性を売りつける仕事が主のようです」


「……!」


 予想していた事ではあるが裏付けが取れた。冷静なディアナとは対照的に、ユーフェミアと他2人の少女は可哀想なくらい顔を引き攣らせている。


「足が付かないように、取引先の娼妓宿はこのリベリア州の外に限定されているようです。この部屋以外にもいくつか同じような部屋が並んでいて、そこにも攫われてきた女性達が囚われているようです」


 犯罪組織が一時的に商品・・保管・・しておく為の拠点のようなものか。そして顧客・・に需要や要望に合わせて売り捌くのだろう。女性を商品扱いする連中に怒りを覚えるディアナ。


(……ディナルド様、早く)


 ディアナは心の中で願う。当然この囮作戦に当たって実際に誘拐されたディアナの行く先を尾行して、誘拐組織のアジトを突き止めるべく監視が付いている手筈であった。


 しかし余り近づきすぎて連中に気付かれたら全て台無しになるので、かなりの距離を取っての監視となっていたはずだ。最悪の場合見失うという可能性もあったが、そこはディナルドの手際に賭けるしかなかった。


 だが被害者を全て救出して犯罪組織を一網打尽にするには、相当に慎重に動かねばならない。如何にディナルドとはいえ、そう簡単に突入して来れるとも思えなかった。


 その間何事も起きなければ良いが……。



 そんな事を考えたのが却っていけなかったのかも知れない。部屋に近付いてくる複数の足音が響いてきた。


「……っ!」


 ユーフェミア達は勿論、ディアナとアデリーナも身を固くする。そのまま通り過ぎてくれと切に祈るが、無情にも足音はこの部屋の前で止まった。


「……恐らくあの首領の男・・・・が、新しく入ったばかりのレーアさんの検分・・に来たのでしょう。皆で並んで下を向いて、なるべく従順にしていなさい。我慢していれば不快な時間はすぐに終わりますから。とにかく下手に反抗しようとしてはいけません。良いですね?」


「は、はい……」


 アデリーナに忠告されてディアナも緊張に唾を呑み込んで頷く。後はとにかくディナルド率いる衛兵隊が踏み込んでくるまで時間を稼ぐだけだ。ここに来て変なトラブルは御免だった。


 アデリーナの指示に従って、青い顔をしているユーフェミア達と並んでその場に跪いて顔を伏せる。屈辱的な姿勢だが今は我慢するしかない。


 扉の閂が外される音が響き、軋んだ音を立てながら扉が開いた。中に踏み込んでくる足音。



「んふふふ! 結構上玉が入ったそうだけど、どの娘かなぁ? 僕が直々に検分に来てあげたよぉ?」



「――っ!?」


 顔を伏せているので相手の姿は見えないが、粘ついて脂ぎった妙に甲高い耳障りな声。そして独特の厭らしい口調。その声を聞いただけでユーフェミアと2人の少女が震えあがって泣きそうになっている。


 ディアナもまたその声を聞いて顔を引き攣らせていた。ただしそれは男の声や口調が気持ち悪かったからではない。いや、それもあるが、それだけではなく男の声と口調に聞き覚えがあった・・・・・・・・からだ。


 これは一度聴いたらそうそう忘れない声だ。


(え……ま、まさか……嘘でしょ?)


 ディアナの顔に冷や汗が伝う。この展開は想定していなかった。首領の男が彼女の予想通りの人物であれば、彼女の顔を見られたら一発で正体がバレてしまう。今やリベリア王となったディアナが変装してこんな所にいるとなれば、何らかの囮である事もすぐに看過されてしまうだろう。



「……旦那様、彼女は今日ここに来たばかりで混乱して疲れ切っています。今夜は休ませてご検分は明日以降に彼女が落ち着いてからにして頂いた方が宜しいかと……」


 アデリーナが平伏したままながらディアナを庇うように発言する。だが当然それで翻意するような男ではない。


「んふふ、ただ顔を見るだけだから大した手間は掛からないよぉ。お、その娘かな?」


「……っ」


 首領の男が平伏しているディアナに目を付けて歩み寄ってきた。もう駄目だ。隠し通す事はできない。ディアナは観念した。


「ほら、君のご主人様だよぉ? その綺麗なお顔を僕に見せてごらん?」


「…………」


 ディアナはなるべくゆっくりと顔を上げてその男と正対した。そこには彼女の予想通りの顔が。顔も体も醜く膨れ上がった肥満体の男……チリアーノの前太守ゾラン・パコ・ナダルであった!


 その顔の体積に比して細い糸目がディアナの顔を見た瞬間、ギョッとして見開かれる。



「んん!? お、お前は……ディアナ!? な、何故……くそ、そういう事か! マズいぞ!!」



 この男が存外優秀な武将であった事はチリアーノ攻略戦の際に解っている。ディアナの姿を認めると一瞬にして事態を把握したらしい。


「え……レーアさん? ディアナ……?」


 一方アデリーナもその名前を聞いて目を丸くしていた。ユーフェミアの方は何が何だか分からないらしく呆けている。だが今は彼女らに説明している時間もない。


「くそ、撤収! 撤収するぞっ! 女どもは放っておけ! ありったけの金をかき集めて撤収だぁっ!!」


「く……!」


 ゾランが声を枯らして叫ぶ。拠点内はたちまち蜂の巣を突いたような大騒ぎとなる。ディアナは歯噛みした。作戦は失敗だ。こうなったら異変を察知したディナルド達が極力迅速に来てくれる事を願うしかない。

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