第三幕 新たな契約

 ディアナ達3人はとりあえず、廃村の入り口で見張りについている賊2人を素早く排除した。ファウストが例の弦楽器と一体化した弓で、それぞれ一矢で喉元を射抜いて殺した。声を上げる間もない、恐るべき射撃技術だ。


 そのあとは手筈通りファウストと別れて、ディアナとイニアスの2人で恐らくエリナが捕まっていると思しき倉庫のような建物に忍び寄る。中から話し声が聞こえる。村の入口に見張りが2人いただけで、後は全員この中にいるようだ。まあまさかこんな所までこんな迅速に追跡してくる存在がいるなど想定すらしていないだろうから、警備が緩いのも当然といえば当然か。


 ディアナはイニアスと頷き合うと、一気に建物の中に踏み込んだ。勿論ディアナは既に剣を抜いて臨戦態勢だ。


「あら? 手紙など配達する必要はありませんよ? なにせ本人・・がこうして直接出向いたのですから。これが一番手っ取り早いでしょう?」


 会話内容に合わせた皮肉で注意を引く。中には彼女が予想していた通りの人物たちがいた。1人は凄腕の傭兵リカルドだ。その腰には二振りの刀が提げられている。彼がエリナ誘拐の実行犯だ。村人たちからその容姿や正確の特徴を聞いた段階で、ディアナにはピンときていた。そして彼がいるという事は、その背後には当然雇い主である……


「お、おぉ……ば、バカな、お前は……何故!?」


 悪徳高利貸のナゼールが驚愕と動揺に目を瞠って身体を震わせていた。建物の奥には恐らくエリナと思われる縛られた少女がいた。猿轡を嵌められているので声が出ないようだが、兄であるイニアスの姿を見てしきりに何か唸っていた。


 しかしディアナもそしてイニアスも作戦・・のために極力そちらに注意を向けずに、ナゼール達の方にだけ視線を向ける。幸いというかディアナ本人がここに登場したインパクトは相当なもので、ナゼールは勿論リカルドの注意すら完全にこちらに惹きつける事が出来ていた。



「誘拐犯の特徴を聞いた時に、すぐにあなた達の仕業だと解りました。ここは私のリベリア領内です。もう言い逃れも逃げ隠れも出来ませんよ? 大人しく縛につきなさい」


「……!」


 そしてディアナは彼等の注意を更に引きつける為に、敢えて挑発的な口調で剣を掲げる。切っ先を向けられたナゼールが色をなくす。一方でリカルドは諦念の笑みを浮かべてかぶりを振った。


「ああ……まあ最初から上手くいくとは思ってなかったが……こう来るとはねぇ。全く、やっぱりアンタは持ってる・・・・お人だよ」


 だがナゼールの方は諦めるどころか、憤怒と憎悪に顔を歪ませる。


「おのれ……この、小娘がぁ!! 兵も連れずにこんな所までノコノコやって来ようとは! 却って呼び出す手間が省けたわ! リカルド! この小娘を殺せ!」


「まあ、そう来るわな……」


 明らかに気乗りしない様子のリカルドだが、彼にとって雇い主の命令は絶対だ。


「お嬢ちゃん……いや、今はリベリア女王様と言うべきかね? 旦那じゃないが、他に兵も連れずに踏み込んできたのははっきり言って悪手だぜ。今回は今までのように見逃す訳には行かないんでね」


 リカルドは僅かに悲しげでさえある口調で二振りの刀を抜いた。研ぎ澄まされた感覚を持つリカルドは、ディアナの登場にこそ驚いたもののすぐに動揺を収めて平常に戻った。その彼の鋭敏な感覚が、この周囲に伏兵などが潜んでいないと告げていた。


 つまりディアナとイニアスは信じられないが本当に彼等だけでここに踏み込んできた事になる。あまりにも無謀であった。 



「イニアス様、下がっていて下さい。……悪手かどうか、試してみますか?」


 ディアナは文官のイニアスを後ろに下がらせると、自らは一歩も引かない気迫で剣を構える。リカルドは溜息を吐きつつ闘気を噴出させる。


「はぁ……こんな事はやりたくなかったんだが、ね!」


「……!!」


 一気に踏み込んできて二刀を振るうリカルド。流石に凄まじい速さで、ディアナは反応するのが精一杯だ。最初の一撃は受ける事が出来たが、二刀にまでは対処できない。もう一方の刀が振るわれると、デイアナは後ろに飛び退るしかない。


 そこにリカルドが容赦なく踏み込んで追撃してくる。ディアナは忽ち防戦一方になり、やがてリカルドの剣閃に押されて遂に尻餅を着いてしまう。



「くっ……」


「さて、勝負あったな、お嬢ちゃん。悪いがこの状況じゃ見逃してはやれねぇ」


 尻餅をついたディアナに刀の切っ先を突き付けたリカルドがどこか悲し気な表情と口調で告げる。


「小娘ぇ……この時を長らく待ったぞ。思いがけぬ状況ではあったが、儂は運が良かったようだ。儂を怒らせた事を後悔しながら煉獄へ旅立つがいい。……殺せっ!!」


 ナゼールが嗜虐的に笑って命令する。ディアナにも勿論イニアスにもリカルドを止める力はない。これで万事休す。ディアナの死は避けられない。この場にいる誰もがそう思った。だが……



「――そこまでです。ディアナ様を弑しようというなら、ここから先はこの私がお相手致しましょう」



「……っ!? な、何だ、貴様は!?」


 ナゼールが再び驚愕を露わにして、突然背後・・から聞こえてきた声に振り向く。そこには至近距離で彼に対して剣の切っ先を突き付ける線の細い優男がいた。それだけでも驚愕物だが、更に男はいつの間にか解放した人質……エリナを自分の背後に保護していた。


 彼女を監視していたはずの他の私兵達が残らず斬り倒されて地に転がっていた。



「な、な、な…………」


「ディアナ様は実にうまくあなた方の注意を引きつけて下さいました。お陰で容易くエリナ嬢を救出する事が出来ました」


「っ!!」


 嵌められた事を知ったナゼールが限界まで目を見開く。彼はディアナへの恨みを晴らさんとするあまり、周囲への警戒を極端に疎かにしてしまった。他の私兵達も見目麗しい女武者のディアナがリカルド相手に必死に戦っている様に注意を引きつけられて、肝心の人質から目を離してしまっていた。そこに潜伏して隙を窺っていたファウストが誰にも気づかれないように侵入して、一気にエリナを救出し、他の私兵を斃してしまったのだ。


「さあ、ご自分の命が惜しければすぐにあの傭兵を退かせなさい。大人しく従えば命まで奪うつもりはありません」


「……! ぬ、ぬぅぅぅぅぅっ!!」


 自身の目の前に突き付けられた切っ先に、ナゼールは顔を真っ赤にして唸る。


「ははぁ……またまた見事にしてやられたね、これは。あんたはあの天子争奪戦でもちょいと見掛けた憶えがあるね。まともに戦ったら俺でも相討ちを覚悟しなけりゃならん。旦那……もう詰んでますぜ、これは」


「……っ!」


 今度こそ諦めたように乾いた笑いを上げるリカルドの言葉に、ナゼールは完全に進退窮まる。


「……下がれ。その小娘から離れるのだ」


 そして遂にリカルドに戦闘放棄を命じた。ここに彼の計画は失敗に終わった。リカルドがディアナから離れて刀を捨てると、プレッシャーから解放された彼女は大きく息を吐いてから立ち上がった。



「エリナ、無事だったかい!?」


「お兄ちゃんっ!!」


 安全が確保されたと見てイニアスが妹の元へ駆け寄る。エリナもまた涙を浮かべて兄の元へ駆け寄った。兄妹が互いに抱擁する。ディアナがその光景を見て少し貰い泣きする。


「本当に良かったです、イニアス様」


「ああ、ディアナ様!! このご恩は一生忘れません! 今後はより一層貴女の為に国の発展に尽力するとお約束致します!」


 妹を抱きしめながらイニアスが力強い声で請け負う。ディアナはそれに笑顔で応えてからファウストにも視線を向ける。


「あなたもご苦労様でした、ファウスト様。あなたがいてくれなければどうなっていた事か……」


「いえいえ、貴女のお役に立てたのであれば、私にとってはそれが何よりの喜びです。どうかお気になさいませんように」


 ファウストも柔らかく微笑んで気障に一礼する。ディアナは次に彼女の事を視線だけで殺せそうな目で睨んでいるナゼールに向き直る。


「ナゼール、あなたのした事、しようとしたことに情状酌量の余地はありません。約束通り命までは奪いませんが、この場で拘束して官憲に引き渡し、しかるべき罰を――」



「――馬鹿め、死ねぃ!!」



「っ!!」


 ディアナが沙汰を言い渡す為に近付いたその時、ナゼールが予想外の行動に出た。いつの間にか懐に握っていたらしい懐剣を抜き放ち、一気にディアナ目掛けて突きかかった!


 まさかナゼール自身がこのような行動を取ってくる事が予想外であったディアナは、剣を手放していた事もあって能動的な防御が取れずに驚愕に目を見開く。そのまま彼女の身体に凶器が突き立てられようとして――


「ふっ!!」


 ナゼールより遥かに速い動きでファウストがその懐剣を跳ね上げ、返す刀で容赦なくナゼールを斬り捨てた。


「グハァッ!! こ、こむ、す、め……」


 血反吐を吐き散らして尚ディアナに怨嗟の視線を向けつつ、ナゼールは地に倒れ伏してそのまま息絶えた。



「ふぅ……お怪我はありませんか、ディアナ様」


「え、ええ……私なら大丈夫です。ありがとうございます、ファウスト様」


 ディアナは若干青い顔をしながらも、再び大きく息を吐いてからナゼールの死体を見下ろした。その目には悲しみの色が宿っていた。


「……あなたにとって私への憎しみはそこまで大きな物だったのですね」


 あのトレヴォリでの事件が切っ掛けだろうが、その後もラドクリフ軍を滅ぼした事で恐らく彼は殆どの財産を失ったのだろう。そして余った財産の全てを使ってリカルドを始めとした私兵達を雇ってこのような陰湿な復讐を企てたのだ。



「……雇い主が死んじまったか。全く……それでも一からやり直せるぐらいの金はあったってのに。ホント馬鹿やったよ、旦那」


 ナゼールの死によって自動的に契約が切れた傭兵のリカルドが嘆息した。ディアナは彼に向き直った。最早彼から敵意は完全に消えていた。これは間違いなく演技ではないだろう。


「リカルド……雇い主のナゼールは死にました。あなたはこれからどうするのですか?」


「さて、ね。命令されたとはいえ、あんた達の領民を傷つけてその女の子を攫ったのは事実だ。降伏して大人しくその罪に服するよ」


「そうですね。でもあなたは村人もエリナさんも誰も殺してはいない。私に刃を向けたのも命令されたからに過ぎません。それほど罪は重くないでしょう。短期間で釈放されるはずです。その後は再び傭兵家業に戻るのですか?」


 ディアナが何を聞きたいのか解らず、リカルドは戸惑ったように眉を寄せる。


「他に生きる術を知らないんでね。……それが何か関係あるのかい? ああ、心配しなくても、もうどっかの勢力に仕えるような真似はしないよ。あくまで民間の仕事しか受けないようにする。だからもうアンタ達の敵になる事はないさ」


 ディアナが再び彼が敵として立ちはだかる事を懸念しているのかと考えたリカルドは、安心させるように肩を竦めて請け負った。だがディアナはかぶりを振った。



「勢力に仕える気はない……。それは……我が軍・・・であってもですか?」



「……っ!?」「ディアナ様!?」


 リカルド自身と、そしてイニアスが驚愕に目を瞠る。だがファウストだけは既にディアナが何を言いたいのか察していたらしく苦笑しただけだった。


「あ、あんた正気かい? 俺は仮にもラドクリフ軍の一員としてアンタ達の敵だったんだぜ?」


「それはただ雇い主のナゼールがラドクリフ軍に所属していたからでしょう? あなたは契約と雇い主に忠実なプロの傭兵です。ならば私が新たな雇い主となります。それなら問題ないはずです」


「そ、そりゃそうだが……何故そこまで?」


 彼からすれば全く理解不能な事態であったのだろう。混乱した様子でリカルドが問い掛けてくる。今やリベリア王にまでなった人物が一傭兵を直接スカウトするなど通常はあり得ない話だ。


「あなたの腕前は他ならない私が一番よく身に染みています。これから天下へ打って出るに当たってあなたのような優秀な戦力をただ市井で遊ばせておくのは愚かな事です。あなたも以前に我が軍に対して好意的な発言をしていました。あなたにとっても悪い話ではないはずです」



「…………」


 リカルドは完全に呆気に取られてしまっていた。ディアナの言動は彼の常識からすれば考えられない事であった。だが……


「ふふ……リカルドさん。ディアナ様は君主の身でありながらこのような仕事にまで自ら付いてくる程です。下手な常識は通用しませんよ。尤もその分いつも退屈せずに済みますが」


「……! ああ、ホントその通りだろうぜ」


 ファウストの言葉に実感の籠った様子で頷くリカルド。どうやらいくつか心当たりがあるらしい。


「……私は少々思う所がない訳ではありませんが、ディアナ様のご意思に従いますよ。それにフィオナ叔母さんを始め村の人も殺そうと思えば殺せたはずですが、そうしなかったのは事実ですから」


 イニアスも不承不承といった感じで認める。妹を攫った下手人なので複雑な思いがあるのは当然だが、客観的に見てリカルドが悪くない事は明らかだった。それに彼は大人しくその罪には服すると言っているので尚更だ。


「如何ですか? 私なら他の誰よりもあなたという傭兵を有効に使う事が出来ると保証いたします。勿論雇うからには相応の報酬を支払います」


「…………はぁ、アンタも本当に物好きだねぇ。解ったよ。とりあえず今は罪に服するが、それが赦された暁にはアンタに雇ってもらう事にするよ」


 遂に折れたリカルドが頭を掻きながら約束した。ディアナは笑顔になって彼と握手をする。


「ありがとうございます、リカルド。その節は宜しくお願いします。約束ですよ?」





 こうして私怨に狂った悪徳高利貸の復讐劇は思わぬ形で幕を閉じる事となった。家族を救ってもらったイニアスは勿論、ファウストもディアナへの忠誠心をより確かなものとし、それぞれの分野で増々活躍していく事になる。


 そして刑に服した傭兵のリカルドも後に罪を赦されて釈放され、約束通りディアナによってその実力に見合った待遇でディアナ軍に迎えられるのであった……

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