闇に蠢くもの
第四幕 寡夫の恋
リベリア州を統べる【王】となったディアナは、新たに本拠地となった州都エトルリアという街をよく知ろうと、お忍びで街の様々な場所を散策する事が最近のお気に入りとなっていた。
リベリア王となったディアナが簡素な町民服を着て街中を歩いている事など誰も思いもよらないので、髪型を変えていた事もあって面白いくらい誰にも気づかれなかった。これはまだディアナがこの街の領主になって日が浅い事も関係していたかも知れない。
アルヘイムともゴルガとも比較にならない規模の街である州都は、市場もディアナが見てきた中では帝都に次いで広く、そこを行き交う人々の数も、その人々を相手に威勢のいい呼び込みを掛ける商店の数も、そして呼び込みも必要ない金持ち御用達の店など、どれを取っても小さな町とは比較にならず、ディアナも初めて見るような高級品や珍品も目白押しで見ていて飽きなかった。
また当然市場だけでなく多くの工房が軒を連ねる工業地区もディアナにとっては初めて見るものばかりで目を惹いた。他にも住宅地区や農業地区、時には兵舎や城壁まで隅々を見て回った。
宮殿や城壁は現在急ピッチで改築が進められており、そういった建設風景を見るのも自分の街が一から出来上がっていくのを見ているようで好きだった。
そしてその日もそうしたお忍びの『視察』で市場を散策している時だった。
(あら? あれは……ディナルド様?)
賑わう市場の通りの1つに、比較的質の高い茶屋が軒を出していた。通りに面したその茶屋の席に見覚えのある人物が腰掛けて茶を味わっていた。それはディアナ軍の武将の1人、彼女の義兄であるシュテファンの軍略の師であり、派手な活躍はないものの目立たない所で重要な働きをしてくれる縁の下の力持ち、ディナルド・ムエレ・カール―カであった。
(今日は非番の日だったかしら。あら、でも……御1人ではないようね)
茶席の向かい側に誰か座っている。女性だ。若い……とは正直言えない年代のようで、40歳前後くらいだろうか。だが老けた感じは全く無く、年相応の成熟した美しさを兼ね備えた女性であった。
(奥様……は確かずっと以前に亡くなられていて、それ以後は誰とも再婚せずに独り身でいらっしゃると聞いてたけど……)
ディアナは先方に気付かれていない事もあって、女性特有の好奇心を剥き出しにして少し離れた所からディナルドと熟年女性の様子を観察する。
ディナルドは宮城でも滅多に見る事はないような上機嫌な様子で、向かいの女性に対して何事か語っていた。酒が入っている訳でもないのにあれ程ディナルドが饒舌になっている姿をディアナは今まで見た事がなかった。
(これはもう確定的ね……)
ディナルドが年代も近いその熟年女性に懸想しているのは間違いない。どういう経緯で出会ったのは解らないが、堅物という印象のあったディナルドには珍しい光景であった。
対して女性の方はどうだろうか。一見すると厳格そうな印象を受ける女性だ。ディナルドの話に相槌は打ったりしていたが、殆ど笑う事もなく厳しい表情を保っている……ように見える。
しかしその女性の普段の姿を知らないディアナとしては、元からそういう顔なのかディナルドの話がつまらなくて早くその場を立ち去りたくて顰め面をしているのかの判別が付かなかった。
だがディナルドは全く気にしていないようだし、前者の可能性が高いのではないかとディアナは思った。
(ふーん……あのディナルド様がね。でも歳も近そうだし傍目には結構お似合いに見えるわね)
何となく2人の関係性が推察できたディアナは好奇心が満足した事もあって、これ以上出歯亀をするのも気が引けてそっとその場を後にするのだった。
*****
それから一月ほど過ぎたある日の事、ディアナは練兵場の視察に訪れていた。これはお忍びではなく君主としての視察業務であった。
(今月の調練担当はディナルド様だったわね。そういえばあの女性とは上手く行ってるのかしら?)
ふとそんな事を思い出しながら練兵場に赴くと、常とは異なる空気と光景が彼女を出迎えた。
「な……これは、何事!?」
ディアナは目を瞠った。練兵場のそこら中で兵士達がへばって倒れていた。中には強い打ち身に呻いている者もいる。
確かに訓練なのである程度の厳しさは必要であるが、兵士達が疲労困憊して動けなくなったり、怪我などさせてしまっては有事の際に差し支えがある。それに有事だけでなく普段の治安巡察活動だって兵士達の仕事なのだ。あまり訓練で潰してしまってはこうした日常の仕事にも差し障りがあり、少なくともディアナ軍では過度に過酷な訓練は推奨されていなかった。
倒れている兵士に事情を聞いてみると、調練担当であるディナルドが人が変わったように厳しい訓練を課しているらしい。それもおかしな話だ。ディナルドはむしろ温厚な事で知られ、厳しい訓練を課しがちなヘクトールやゾッドなどを逆に諫める役回りが多いくらいであった。
何か異常事態が起きているものと判断して、ディアナは急いでディナルドの元に向かう。
「ええい、どうした! 立て、この根性無しどもめ! そんな体たらくでこのリベリア王国を守れると思っておるのか!」
ディアナが到着すると、そこではあのディナルドが普段とは別人のような荒んだ雰囲気で兵士達に当たり散らしていた。そう……彼は見るからに不機嫌であり、何らかの鬱憤の八つ当たりをしているのは明らかであった。
既に周りの兵士達は皆息も絶え絶えで伸びており、にも関わらずディナルドは鬼の形相で兵士達に発破をかける。兵士達から悲鳴が上がる。明らかにやり過ぎだ。
「ディナルド様、これは一体何事ですか!? あなたともあろうお人がこのような後先考えない虐待とも取れる訓練を課すなど、正気ですか!?」
「……!? ディアナ様……わ、私は……」
ディアナに一喝されたディナルドは、そこで初めて自分がやっている事を客観的に見られるようになったらしく、やや愕然とした表情になっていた。ディアナは今しかないと君主の権限で強制的に調練を中止させて、兵達を解散させる。
涙ながらにディアナに礼を言って、そそくさと逃げ散っていく兵士達。誰も居なくなって閑散とした練兵場で彼女はディナルドと向き合う。
「ディナルド様、一体どうなされたのですか? 普段冷静なあなたらしくもない振る舞いでしたよ?」
「…………そう、ですな。お恥ずかしい限りです」
ディナルドは大きく溜息をつきながら自分で認めた。とりあえず彼が平常に戻ったと判断して事情を聞く。自軍の将である彼が
ディナルドも当然それは解っているらしく、観念してぽつぽつと語り始めた。結論から言うと、ディナルドが荒れていた理由はあの熟年女性にあった。
といっても彼女に直接何か手酷い振られ方をしたとかそういう訳ではない。ある日を境にぱったりとあの茶屋に来なくなってしまったらしい。
「彼女……アデリーナとは街を巡察中に出会ったのです。彼女は未亡人でして、亡き夫が多額の借金を抱えて死んだらしく、それで高利貸とトラブルになっていたのを助けたのが切っ掛けでした」
その後も気になって近況などを聞いたりしている内にディナルドが彼女に惚れこんでしまったという事のようだ。
「未亡人だというのにあの毅然とした態度がとても好ましく感じられて……自然とあの茶屋で会うようになったのです。彼女の方も少なくとも嫌がってはいないと思っておったのですが……」
ディナルドは悲し気に、しかしどこか自嘲気味にかぶりを振った。
「しかし所詮は私の都合の良い思い込みだったようです。彼女の自宅は知っていますが、押し掛けるような恥知らずな真似はできません。まあ男やもめの中年のひと時の夢だったのです。諦めて綺麗さっぱり忘れる事とします」
ディナルドはそう言って無理に笑顔を作った。兵士達に当たっていたのも、その鬱屈した感情からだったようだ。
ディアナの目から見てあの女性……アデリーナはそこまで嫌がっていたようにも見えないが、男女の機微という物は外からは解らない物だ。他にも何か事情があったのかも知れない。だが何かのトラブルであればディナルドを頼ったはずなので、それが無いという事はやはり彼女の方から自発的に別れたという事になる。
ディナルドには可哀想だがこればかりはどうしようもない。彼の心の傷は時間が癒やしてくれるだろう。
ディアナも下手に慰めの言葉は掛けられず、とりあえず今日は家に戻ってゆっくり休むように彼に促そうとした所、息せき切って1人の人物がこちらに駆け付けてくるのが見えた。
「あれは……ヤコブ様?」
それは官吏長であるバジルの下でディアナ軍の内政を担当する、優秀な官吏であるヤコブ・ダニエル・リンドホルムであった。
「ディナルド殿、頼む! 助けてくれっ!! ……っ!? こ、これは、ディアナ様」
駆け付けてきたヤコブはディアナの姿を見て目を瞠った。どうやらディナルドに用事があって来たらしい。かなり気が急いている様子だ。
「ヤコブ様、こんにちわ。どうされました? 構わないのでお話ください」
ディアナに恐縮して中々話し出そうとしないヤコブを促すが、ディナルドは鼻を鳴らした。
「ふん……そんなに慌ててどうした? どうせまた賭博に手を出して借金をこさえたとかだろう? もうこれ以上は面倒見切れんぞ」
どうやらヤコブの性質はディアナ軍全体に知れ渡っているらしい。だが彼は激しくかぶりを振った。
「そんなんじゃない! 娘が……ユーフェミアがいなくなったんだ! きっと誰かに攫われたに違いない! 頼む、助けてくれ!」
「な、何ですって!? 娘さんが……?」
横で聞いていたディアナが目を瞠った。先日もピストイアで誘拐騒ぎに居合わせたばかりであったので二重に驚いたのだ。しかし実行犯のナゼールは死んだので、またディアナへの復讐目的の誘拐という線はあり得ないとは思うが。
それと『ヤコブの娘』と言えば、過日の祝賀会の準備の時にその存在が挙がったので記憶に残っていた。バジルによると相当な美女だとの話であったが……
流石にディナルドも表情を改める。
「何だと? いなくなったのはいつからだ? 偶々帰りが遅いというくらいでは何かの用事という事も……」
「いなくなったのは昨日だ! 工業地区に習い事で出かけてそれっきり……。一晩帰らず連絡もないなんて事はあり得ない!」
「……!」
ヤコブの言っている事が本当であれば確かに心配だ。ただ衛兵に通報するだけでは間に合わないと判断して、現在街の巡察責任者であるディナルドの所に直接駆け込んできたという所だろう。
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