第四十四幕 秘めたる想い
『エトルリア戦役』が終結し、リベリア州のほぼ全ての県を手中に収めたディアナ軍。ディアナはゴルガから州都エトルリアに拠点を移す事となり、正式に『遷都』を宣言した。
ゴルガから官吏長であるバジルを筆頭に主だった幹部達も呼び寄せて、政治の中心を移したこの州都からリベリア州全土に広がる領土を統括していく事となった。
バジルらも到着し久しぶりに主だった面子が揃ったディアナ軍首脳は、改めて自分達が領有した州都エトルリアを一望できる『ミラネーゼ宮』のバルコニーに集っていた。
因みに兵士達の略奪を受けて荒廃した『ミラネーゼ宮』はまだ最低限の体裁を整えたのみで、バジルも到着した事でこれから彼の主導によって本格的に修繕・改築が進められる予定であった。
「ようやく……ようやくここまで来たのですね。正直まだあまり実感が湧いていませんが。この広い州都エトルリアを領有できた事も、そして……あのラドクリフ軍が滅んだという事も」
バルコニーから州都の街並みを一望できる絶景を見下ろしながらディアナは感慨深げに呟いた。しかしその表情は言葉通り、どこかまだ戸惑いを残したままであった。ヘクトールが腕を組んで大きく頷いた。
「まあ何と言っても旗揚げ当初から悩まされてきた連中だしなぁ。正直その気持ちは分かるぜ」
ゴルガで旗揚げして間もない頃にフレドリックの罠にかかってディアナが殺されかけた事件があった。その時からの因縁である。旗揚げしてから今まで、常にラドクリフ軍と表でも裏でも戦い続けてきたという経緯がある。
ヘクトールの言うように、奴等がもういないというのがディアナにはまだ実感が湧かなかった。
「……エヴァンジェリンの死は正式に確認されています。もうあなただけを理不尽に敵視する存在はいないのです。目の上の瘤がようやく取れ、まさにこれから我々の……あなたの天下取りが始まるのですよ」
アーネストの激励に、しかしディアナは少し悲し気に表情を曇らせる。
「……父親と一緒に亡くなっていたとの事でしたよね? 私、そもそもあの人がどんな人で、何故旗揚げしたのか、何を目指していたのかも知らないんですね……」
これだけ長く戦い続けてきた、ある意味では好敵手とも言って良い相手でありながら、ディアナがエヴァンジェリンについて知っている事は驚くほど少なかった。その事が何故か無性に物悲しくなったのだ。
「その機会を自分から放棄したのは奴だ。お前が気に病むような事ではない」
シュテファンがかぶりを振った。戦においては一切の私情を捨てて臨む彼らしい慰めだ。アーネストも同意するように頷いた。
「少しでも罪悪感があるのなら尚の事この先も勝ち続け、必ずや天下統一を果たさなくてはなりません。それが自分達が滅ぼしてきた相手へのせめてもの手向けです」
「……! そう、かもしれませんね」
勝った以上はその先も勝ち続ける責任がある。もし途中でディアナ軍が敗北して滅びるような事があったら、それまでの過程でディアナ軍に滅ぼされてきた相手は完全に
下してきた者達の為にもディアナはこの先も戦い続け、必ずや中原の統一を果たさねばならない。ディアナはその決意を新たなものとした。
「……しかしあれだけ強大であったラドクリフ軍を本当に滅ぼして、こうして州都を手に入れリベリア州自体もほぼ制覇してしまうとはな。正直お前たち戦争屋……いや、武官たちの力を侮っていた。見事だった。これはお前達の手柄だ」
「バ、バジル様……」
ディアナは目を丸くした。相変わらず陰気な調子ではあったが、あの武官嫌いの官吏長バジルが手放しでヘクトール達の事を称賛したのだ。ディアナは勿論、何よりも犬猿の仲であったヘクトール当人が一番驚いたようだ。
「ほぅ……まさかお前さんからそんな言葉を聞く事になるとはなぁ」
「俺は何よりも実績を重視する性質だからな。そしてお前はそれだけの実績を上げた。実績を上げた者が相応しい評価を受けるのは当然の事だ」
淡々と事実を述べるバジルにヘクトールも頭を掻いた。
「あー……今だから言うが、俺もお前ら文官を軽く見てた事を謝るぜ。普段の事もそうだが、特にあの1年前の飢饉の時に俺は何も出来なかったからな。あのままじゃマジで国自体がヤバかった。それを素早く立て直したのは間違いなくお前らだ。あれで実はお前ら文官の事を見直してたんだよ」
「ふ……そんな事もあったな」
バジルがやはり意外そうに目を瞬かせた後、彼にしては少し柔らかい表情で笑った。今から1年ほど前にリベリア州とフランカ州を中心に記録的な飢饉に見舞われた事があり、ディアナ軍もその煽りを受けて大変な食糧難、財政難に陥った時期があった。
そのままでは軍を維持できずに大規模な軍縮をするか大幅増税で凌ぐかの2択を迫られていたディアナ軍だったが、バジルの徹底的に無駄を省いた財政の最適化と種々の金策が功を奏し、国難を乗り切る事が出来たのだった。
あの時はディアナは勿論ヘクトールや、そしてシュテファンでさえもバジルの言われた通りに動くだけの木偶人形と化していた。アーネストはこと金策に関しては全く当てにならないので、完全に窓際に追いやられていた。
冗談抜きにバジルがいなければ、最悪国が割れたり自滅していた可能性さえあったのだ。普段文官を軽んじているヘクトールもその事は認めていたようだ。
ディアナは嬉しくなった。ヘクトールとバジルの反目はディアナ軍内でも有名で、ディアナとしても頭の痛い問題であったのだ。それぞれの分野では極めて有能な2人なので、いがみ合いをやめて協力し合ってくれればそれは大いに国益に適う事であった。
「ヘクトール様……バジル様。ようやくお互いを認め合ってくださったのですね!? これからも――」
「――ただし、それとディアナの事に関しては話は別だ。お前イニアスの時の件で、帰路の途中の村でディアナと同じ部屋に泊まりやがったらしいな? イニアスから聞いたぜ。お前みたいな貧弱な根暗男がディアナに相応しいはずないだろうが。身の程って奴を弁えろ」
ヘクトールが急に態度を変えてバジルを威圧する。どうやら以前から言おうと思っていたが機を逸していた所を、丁度今この時に思い出したのかも知れない。
だがそのような居丈高な威圧に怯むバジルではない。
「ち……イニアスの奴め。まあいい。ディアナ軍はこれでリベリア州をほぼ手中に収めた。他の州もおいおい統一勢力が立つだろう。時代は徐々に混乱から安定に向かいつつある。つまりお前のような脳筋が活躍できる時代ももうすぐ終わりという訳だ。乱世が終わり、世が平和な治世となったら……果たしてディアナに相応しいのはどちらかな?」
「――な、仲良く……」
一瞬にして元の険悪状態に戻った2人の間に、ディアナの尻切れトンボの言葉が虚しく響く。ヘクトールの額に青筋が立つ。
「てめぇ……上等だ、コラ。表に出ろや。その脳筋の力を思い知らせてやるよ」
「ふん……学も語彙もない脳筋は暴力に訴えるしか能がないから
「あ、あの……お2人共、落ち着いて――」
売り言葉に買い言葉で罵り合う2人を何とか仲裁しようとするディアナだが、すると突然2人の
「ディアナ! まだまだ天下統一への道は長い! こいつより俺の方が必要だよな!?」
「馬鹿が。戦は過程に過ぎん。ディアナが見据えているのはむしろ天下統一後の治世だ。当然俺の方が必要に決まっている。そうだな、ディアナ?」
「え、ええ!? あ、あの、その、私……」
ディアナは慌てふためく。何故かどちらかを選ばなければならない論調になっている。2人共必要ですと言っても納得しなさそうな空気だ。妙に熱の籠った目で詰め寄ってくる。
ディアナはタジタジとなって冷や汗をかく。何とかこの場を切り抜ける良い方法が無いか必死に思考を巡らせていると……
「……ディアナ殿」
「……! アーネスト様!」
いつの間にか側に寄ってきたアーネストの声に、ディアナは救いを求めて振り向く。浪人時代に似たような状況になった時、彼は仲裁に回ってくれた。それを期待するディアナだったが……
「ディアナ殿、このような愚か者共は放っておいて、是非私を
「ア、アーネスト様!?」
ディアナは愕然とする。彼が未だかつてここまで直接的な言い方をしてきた事はなかった。しかし驚いたのは彼女だけではない。
「アーネスト、貴様……何のつもりだ?」
「思わぬ伏兵だな!? お前、今までそんな素振りなかっただろうが!?」
2人から詰られてもアーネストはどこ吹く風だ。
「かつてディアナ殿に救われてから、もう自分を偽るのはやめたのですよ。ディアナ殿、良い機会です。今ここで……リベリア州の統一がほぼ叶ったこの場で、私は貴女に……
「――――っ!!」
その場にいた全員が絶句してしまう。余りにもストレートな告白。焦ったのはヘクトール達だ。
「おい、ディアナ! 俺だってこいつよりずっと前からお前の事を……!」
「それを言うなら俺とて同じだ! ディアナ、俺はお前を信じているぞ?」
ヘクトールとバジルもアーネストに釣られたように、勢い込んで告白してくる。最初はお互いのいがみ合いに過ぎなかったが、アーネストが求婚した事で危機感を覚えたのかいつの間にか自分達も求婚するのが当然という雰囲気になっていた。
「ディアナ殿、貴女なら正しい選択をして頂けると確信しています。さあ……」
「う……あ、あぁ……」
ディアナは完全にパニック状態に陥りかけていた。アーネストからのまさかの求婚と、それに続いてヘクトール達からも。3人から迫られ、そして再び彼等の中から1人を選ばなければならない空気になっていて、彼女はどうすれば良いのか全く分からず頭が真っ白になってしまう。
思わずその場に屈みこんでしまいそうになった時……
――ドンッ!!!
「いい加減にせんかぁっ!!」
「「「――――っ!!?」」」
全員がギョッとして視線を向けると、近くにあった卓を拳で叩きつけた姿のシュテファンの姿が。
「あ、兄上ぇ……」
ディアナが泣きそうな顔で頼れる義兄を仰ぎ見る。今度こそ彼女の待ち望んだ助け船だ。シュテファンは男達を睥睨する。
「ヘクトール! バジル! レアの気持ちを考えろといつも言っているだろう! 彼女を困らせるのがお前達の本意か!? 浪人時代とやっている事が同じだぞ! 少しは成長しろ!」
「ぐぬ……!」「む……」
指摘された2人が苦虫を嚙み潰したような顔で唸る。第三者に制止された事で、彼等も自分達のやっている事を客観的に見る余裕が生まれたようだ。
「アーネスト、お前もだ! 今この場で求婚の返事を求めるなど性急に過ぎよう! 普段冷静なお前らしくもないぞ?」
「……っ!」
アーネストもやはり自分の言動を顧みる余力を取り戻したようで、少し愕然としていた。とりあえず何とかこの場を切り抜けられそうな雰囲気にディアナは心の底から安堵して、義兄に笑い掛ける。
「あ、兄上、ありが――」
「――レア、お前もお前だ!!」
「ひっ!? あ、兄上!?」
義兄が再び卓を叩いて彼女にも矛先を向けてきたので、予想していなかったディアナは反射的に身を震わせて目を瞠る。
「お前のその優柔不断な態度がこやつらを惑わせるのだ! エヴァンジェリンの手下どもと幾度も渡り合ってきた果断なお前はどこに行った!?」
「ッ!!」
ディアナは鈍器で頭を殴られたような衝撃を感じた。これまでのラドクリフ軍との……いや、それ以前からの暗闘の数々が脳裏に甦る。その時の自分を思い出した。
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