第四十五幕 天下を見据える者

「……兄上、ありがとうございました。お陰で目が覚めました。原因は私自身にあった事が自覚できました」


 ディアナは静かな、しかし力強さを秘めた口調になって呟いた。その姿は先程までのあたふたした町娘ではなく、州統一を目前に控えた中原最大勢力の女君主に相応しい威厳が醸し出されていた。


「ヘクトール様、バジル様、それにアーネスト様。皆様のお気持ち、大変ありがたく思います。皆様のような英傑からそのような好意を寄せられて、私などには過分な栄誉であります。でも……やはり今は天下統一に向けて邁進したい気持ちが強く、皆様のお気持ちには応える事ができません」


 ディアナはそこで一旦言葉を切った。続きがある事を解っている面々は黙って彼女を注視している。


「しかし天下統一を……少なくとも帝都への上洛を為し得たその時は、必ず答え・・を出す事をお約束いたします。今はそれしか言えません。その時までお待ち頂く事は出来ますか? 私はここで立ち止まるつもりはありませんので、そう遠くない未来である事は保証します」


「…………」


 ディアナの話を黙って聞いている3人。その姿からは先程までの自分の感情だけを押し付ける身勝手な高揚は消えて落ち着きを取り戻していた。まず口火を切ったのはアーネストだ。


「……私は自分の感情を自覚した事で、その感情を持て余して焦っていたようです。お許し下さい、ディアナ殿。勿論私は貴女の気持ちを優先して、いつまでも待ちますとも」


「アーネスト様……ありがとうございます!」


 気障に頭を下げて謝罪するアーネストに、ディアナもホッとして笑い掛ける。


「あー……俺もどうかしてたぜ。またお前を困らせちまったな。俺も勿論その時まで待つぜ。だから天下統一まで俺様の武、遠慮なく使ってくれよ」


「ヘクトール様……! はい、宜しくお願いします!」


 その大きな身体を丸めて頭を掻きながら謝罪するヘクトールの姿にディアナも安心する。


「ふん……この流れでは俺も引き下がるしかあるまい。だが、俺は諦めていないからな。その時・・・には必ず俺を選ばせてやる。だから天下統一までも勿論その後も、俺の優秀さと必要性を存分に思い知らせてやるからそのつもりでいろ」


「バ、バジル様……。ふふ、じゃあ期待させて頂きますね?」


 照れ隠しに相変わらずな態度を取るバジルに、ディアナは微笑ましい気持ちになった。場が収まったのを見てシュテファンが溜息をついた。


「ふぅ……全く、いつまでも心配をかける。これではまだ当分目が離せんな」


「ええ、私はまだまだ未熟で、御覧の通り兄上の助けがこれからも必要です。だから兄上にはこれからもずっと私の側にいて頂きますからね?」


 シュテファンはこれまでにも何度かディアナの下から離れる事を暗示するような台詞を口にしていた。シュテファンとしては義妹との距離感が解らなくなり、芽生え始めた禁断の感情・・・・・を危惧しての無意識の台詞であったが、そうとは知らないディアナは漠然とした不安に苛まれていた。


 だがシュテファン自身に「目が離せない」という言葉を言わせた事で、当面その不安は解消されたと安心して笑うディアナ。それを見たシュテファンは別の意味で再度嘆息した。


「お前という奴は。まさか全て計算づくではあるまいな?」


「な……そ、そんな訳ありません! 兄上は私を何だと思ってるんですか!?」


「……ただの冗談だ。本気に取るな」


「む……そ、そうですか? ならいいんですけど……。兄上の冗談は解りにくいです」


 口を尖らせて文句を言うディアナ。そこで場の空気を変える為か、ヘクトールが意図的に大きな音を立てながら手を叩いた。



「ようし! じゃあ州都を手に入れた記念に祝賀会でもやろうぜ! 折角主だった奴等も全員この街にいる事だしよ。全員呼んで派手に飲み明かそうぜ!」


「ほぅ……お前にしては良い案だな。どこかの店を借り切って派手に金を使ってやれば、商人どもの懐も温かくなって覚えも良くなるからな」


 珍しくバジルがヘクトールに同意するように頷いていた。何でも経済に結び付ける彼らしい理論だ。バジルは意外な事にこういった宴席を基本的に断らない。無論好きな訳でもないようだが、本人曰く「こういう場は人脈を広げるのに最適だからな」との事で、仕事の一環と割り切っているらしい。


「どうせならヤコブとイニアスにも声をかけるか。奴等もこういう場を利用する事を覚えねばな」


「お! それなら俺もゾッドとファウストに声かけてくるぜ。 あいつらも今回の戦では大活躍だったからな!」


 ヘクトール達の会話にシュテファンも参加する。


「ふむ、そういう事ならディナルド殿とドゥーガル殿にも私から話してみよう。ディナルド殿は勿論、ドゥーガル殿も目立たないながら大戦の功労者であるからな」


 防衛戦に長けた『金剛不壊』のドゥーガル将軍は、天子争奪戦には参加しなかったものの、僅かな兵力でディアナ軍の留守を預かってくれた。彼が国を守っていてくれたからこそ、ディアナ軍は十全の力で戦う事が出来たのである。そういう意味ではドゥーガルも立派な戦功者であった。


「では私もクリストフと……それから父上にも声をかけてみましょう。特に父上には皆、畏敬が先に立ってしまっているようですから、皆との距離を縮める良い機会かもしれません」


 アーネストも空気を読んで参加する。それにはディアナも頷いた。彼女も既にこうした酒食を伴う宴会に参加できる年齢になって久しい。


「そうですね。皆さんとても優秀な人達ばかりなので、きっとすぐにカイゼル様とも打ち解けられますよ」



「……女はディアナだけか? まあ当然なんだがこうやって考えるとむさ苦しい面子だよなぁ」


 ヘクトールが少し眉根を寄せて嘆息した。バジルが肩を竦める。


「まあそれは仕方あるまい。だがどうしても女っ気がもっと欲しいと言うならヤコブの娘でも呼ぶか? 親に似ず相当な美女だとの噂だぞ?」


「お、そうなのか!? そりゃ初耳だぜ! そういう事なら是非ともお近づきになりたい――」


 乗り気になって食い気味に『ヤコブの娘』の詳細をバジルに問おうとするヘクトールだが……



「――……ヘクトール様?」



「……っ!!!」


 急に周囲の空気が冷え込んだような錯覚に、海千山千の有能な男達が僅かに寒気を感じたように身体を震わせる。


「お、おお……と、思ったが、勿論ディアナ一筋の俺は他の女になんざ興味はねぇぜ? うん」


 剛勇無双で鳴る猛将ヘクトールが、これまでどんな強敵に相対してもした事がないような表情に顔を引き攣らせて冷や汗を流す。


「あー……うむ。やはり女はディアナ1人で良いな」


 バジルも滅多な事では動揺しない面貌を僅かに引き攣らせて訂正する。するとようやく謎の圧力・・・・が収まった。


「良い判断ですね、バジル様! 今宵の祝賀会、とても楽しみですね、うふふ!」


「た、確かに楽しみですね……ははは」


 アーネストも直接圧力に晒されていた訳でないにも関わらず、少し口元を引き攣らせて追従していた。



「よ、よし! じゃあ早速場所の手配と、それとゾッド達も呼んでこないとな! じゃあまた夜にな!」


「俺も今の内から手配しておこう。イニアスとヤコブ……だけ・・に声をかけておかねばならんからな」


 ヘクトールとバジルが祝賀会の準備にかこつけて、逃げるようにバルコニーから立ち去っていく。


「あー……おほん! それでは私も失礼致します。ではまた夜に……」


 アーネストも同じようにとばっちり?を怖れて、そそくさと退散していった。バルコニーにはディアナとシュテファンの兄妹だけが残された。


「……レア。あやつらが自分に求婚するくらい惚れていると確信が持てたからと、少し遊び・・過ぎだぞ。そういう所が目が離せんというのだ」


「あ……やっぱり兄上にはバレてましたね。申し訳ありません。普段は頼りになる皆が、私の一言であたふたするのが面白くてつい……」


 ディアナは軽く舌を出しながら謝罪した。とはいえヘクトール達の関心が自分以外の女性に移るのが面白くないという、女の感情が少しあったのも事実ではあるが……


「ふぅ……まあ良い。そんなお前をこれからも支えていくと決めたのだからな。では私も一旦失礼する。また夜にな」


「はい、楽しみにしています、兄上」


 ディアナに見送られて義兄も準備のためにこの場を後にしていった。それを見送ってから、1人になったディアナは再びバルコニーから広がる街並みを眺めた。



 州都エトルリア。ディアナが少女時代を過ごしたアルヘイムは勿論、最近まで拠点としていたゴルガも比較にならない、帝国でも指折りの大都市。自分がこの街の主となった事が信じられなかった。どこか夢でも見ているような感覚だった。


 だがこれは夢ではない。現実なのだ。そしてこの現実はこれからも続いていく。彼女はそこから逃げずに立ち向かっていかなくてはならないのだ。必ず帝都への上洛を果たし、そしてルードと共に天下を統一する。自分の戦いはこれからが本番なのだ。


(……エヴァンジェリン。私はある意味であなたに感謝しているわ。あなたがいたからこそ私は強くなれた。あなたはきっと死した今でも私を憎み、恨んでいるでしょう。でもそれならそれで構わない。私はあなたの憎しみさえも糧として、もっと強くなってみせる。そして必ず天下を統一してみせるわ。それが……私達が滅ぼしたあなたへのせめてもの手向けよ)


 かつてこの街の主だった女への冥福を祈ると共に、改めて決意を新たにしたディアナは……踵を返し、後はもう振り返る事無くバルコニーから立ち去っていった……





 リベリア州10都市のうち9都市までも支配して、実質的にリベリア州の統一を果たしたディアナ軍。残る1都市となってしまったクレモナのリオネッロは最早ディアナ軍相手に勝ち目無しと判断して、自分から降伏の使者をディアナ宛に出してきた。 


 勿論それを快諾したディアナは、これにて名実ともにリベリア州を統べる【王】となった。朝廷からはルナン皇帝の名のもとに即座にディアナを【リベリア王】に封ずる正式な触れが広められた。


 辺境の田舎から単身旅だった少女が数々の苦難を乗り越えて遂に【王】にまで成り上がった『戦乙女の伝説』は、中原に広く後世まで語り継がれていく事となる……

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