第四十三幕 散華

 ディアナとエヴァンジェリン。世にも珍しい2人の女性君主同士の確執と闘争に今、終止符が打たれようとしていた。


 麾下に優秀な将兵を揃えた事は双方同じ。一つの郡を支配し【公爵】にまで成り上がった事も同じ。しかし自らの欲望と感情を優先し折角の優秀な配下も使いこなす器量が無かったエヴァンジェリンと、揺るぎない信念とカリスマ性で将兵達を惹きつけ十全の力を発揮させる事を可能としたディアナ。


 両者の違いはそこだけであったが、その違いこそが2人の女の明暗を分ける最たる要因となった。



 リベリア州の州都エトルリア。ラドクリフ軍の本拠地でもあったこの都は今、押し寄せるディアナ軍の猛攻の前に耐え切れず、遂にその堅牢な城門が破られた所であった。


 ラドクリフ軍の防衛部隊はディアナ軍の本隊相手に思いのほか頑強に抵抗したが、そこにピストイア方面から予告通り2都市を制圧して、そのままの勢いを維持したヘクトールの軍が援軍として駆け付けた事で、戦局は完全に決した。


 城門を破り、雪崩を打って城下に突入するディアナ軍の兵士達。街や民への略奪行為は固く禁じてあったが、それではここまで遠征した兵士達の苦労が報われない。多少のは必要であるというアーネストの助言によって、エトルリアの政庁も兼ねる『ミラネーゼ宮』での略奪は許された。


 宮殿自体さえ無事なら中の内装や調度品などは、また改めてディアナ軍に相応しい物を揃えれば良い。それらを新調する事でこの街の商人や職人に金を落とす事にもなり、むしろ占領後の住民との関係を良好にできるメリットもあった。


 この辺りの事情は以前にバジルから経済について勉強していたディアナにも納得できる物であった。そのような経緯からディアナ軍の兵士達は、蜜に群がる蜂のように『ミラネーゼ宮』へと殺到していった。




「……! おい、いたぞ! あいつがエヴァンジェリンだな!?」


「ひっ……!?」


 『ミラネーゼ宮』の謁見の間となっているホール。先んじてそこに踏み込んできた数人のディアナ軍兵士達に見つかったエヴァンジェリンは、恐怖に顔を引き攣らせる。彼女自身はディアナと違って武芸の心得がある訳でもないので、敵兵に直接襲われたら一溜まりもない。


「こいつを捕えりゃ大手柄だ! 楽な仕事だぜ」


 兵士達は嗤ってエヴァンジェリンを逃がさないように取り囲む。絶体絶命。ディアナ軍に囚われたら処断されるのは確実だ。ディアナ自身がどう思うかは別として、そうしなければ麾下の将兵達が納得しないだろう。


「よ、寄るな、無礼者共が! だ、誰か! 誰かおらぬか!?」


「ははは! この状況でお前を助けるやつなんている訳ねぇだろ! 観念しな!」


「……っ!」


 嘲笑う兵士達。エヴァンジェリンは思わず観念して目を瞑る。彼等は容赦なく包囲を狭めてくる。だがそこに……


「エヴァンジェリン様っ!!」


 剛毅な声が響き、次いで剣振音。斬り倒された兵士が血を噴き出しながら倒れる。エヴァンジェリンが目を開けると、そこには血濡れの剣を手に傷だらけの鎧兜の武将の姿が。


「お、おお……オーガスタスか! よくぞ参った!」


「な……こ、こいつ……!」


 兵士達は慌てて剣や槍をその武将……オーガスタスに向ける。だが彼は武芸の心得の無い無力な女とは違う。凄まじい踏み込みと剣技で、瞬く間にその場にいた全ての兵士達を斬り倒してしまう。



「エヴァンジェリン様、ご無事ですか!?」


「おお、よくやったぞ、オーガスタス! だが他の者共はどうした!? フレドリックはどこにおる!? 何故誰も私を助けに来ぬ!?」


 エヴァンジェリンは露骨に安堵の表情を浮かべて、その後にいつもの居丈高な口調になって詰問する。だがオーガスタスは無情にもかぶりを振った。


「……他の者達は全員既に逐電した模様です」


「な……!?」


 エヴァンジェリンは目を剥いた。ディアナ軍に攻め込まれた際、このエトルリアの防衛部隊を指揮していたのはオーガスタスとメルヴィンの2人であった。だがメルヴィンは迫ってくるディアナ軍の陣容と、エトルリア以外の殆どの都市が奪われた現状に戦意を喪失。勝手に戦線を放棄して逃げ出してしまった。


 残ったオーガスタスはそれでも頑強に抵抗したが、ピストイア方面から敵の援軍が駆け付けた事で遂に撃ち破られたのであった。その後何とか引き返してここまで駆け付けたのだ。


 内政方のフレドリックやナゼールらもエトルリアの陥落が避けられないとみるや、ウルゴルやリカルドらそれぞれの用心棒を護衛として、混乱する州都から一早く脱出してしまった。勿論持てるだけの財宝を持ち出してだ。



「お、お……おのれぇぇぇ、あやつらめ!! これまで取り立ててやった恩を忘れおってぇぇ!!」


 エヴァンジェリンは怒りの余り地団駄を踏む。オーガスタスはそれを内心冷めた気持ちで見ていた。


(……彼等が逐電したのは、あなた自身の態度とこれまでの行い、その積み重ねが原因でしょう)


 そう思ったが、今更それを口にするのも栓の無い事であった。


「……エヴァンジェリン様、今ならまだ間に合います。私が護衛いたします故、ここから脱出しましょう」


「アーサーは? アーサーはどこにいるの!? アーサーも一緒じゃなければどこにも行かないわよ!?」


 オーガスタスが脱出を促すが、彼女は駄々をこねる子供のように話を聞かない。オーガスタスの顔が苛立ちに歪むが、彼はそれを極力表に出さずに頭を下げた。


「何分混乱が激しく、安否は確認できませんでした。しかし彼は優れた武人であり、自力で脱出できましょう。どうか――」


「――ええい、この役立たずが! アーサー! アーサー、どこにいるの!?」


 エヴァンジェリンは理不尽な叱責をオーガスタスに浴びせると、そのまま踵を返して最愛の弟を探す為にこの場から走り去っていってしまった。



 オーガスタスはそれを黙って見送った。最早彼女に脱出を促す気も、それを護衛する気も失せていた。


「ふ、ふふ……どうやらお前が正しかったようだな、タッドよ。私は仕えるべき主を誤った」


 彼はディアナ軍・・・・・に所属している自分の息子イニアスの顔を思い浮かべて、自嘲気味に乾いた笑いを上げた。本当は心の中では息子の言い分が正しい事は認めていた。だが彼の武人としての矜持がそれを許さなかっただけであった。そしてそれは今この時も同じだ。


「だが中原に生きる武人としてニ君に仕える気はない。それだけは出来ぬ。……タッドよ、エリナの事を頼むぞ」


 心の中で家族に別れを告げる。その時謁見の間に更に大勢の兵士が踏み込んできた。死に場所・・・・を得たオーガスタスはむしろ嬉しそうに口の端を吊り上げる。


「さあ来い、雑兵共よ! 我が名はオーガスタス・クライヴ・ウィールクス! この『ミラネーゼ宮』、そう簡単に落とせると思うなよ!」


 オーガスタスは名乗りを上げると剣を掲げ、敵兵の群れに自分から斬り込んでいった……



*****



「アーサー! 待ってて! 今、お姉ちゃん・・・・・が助けに行くからね……!」


 宮殿の中庭を駆けながらエヴァンジェリンが叫ぶ。既に好き勝手に踏み込んで荒らし回っているディアナ軍の兵士達によって『ミラネーゼ宮』は悲惨な有様となっていた。あちこちから怒号や悲鳴、何かが斬り倒される音、略奪者達の哄笑が響き、火の手が上がっている所もあった。


 だがそんな雑音・・は今のエヴァンジェリンの耳には一切入っていなかった。彼女の頭を占めるのは最愛の弟の事だけだ。


(昔から威勢は良くても実際には怖がりな子だった。今も自分の部屋で震えてるに違いないわ。大丈夫よ、アーサー。何があってもお姉ちゃんが必ず守ってあげるから……!)


 エヴァンジェリンは宮殿内にあるユリアンの私室へと急ぐ。きっと弟はそこにいる。その確信があった。



 迷いなくユリアンの部屋に到着したエヴァンジェリンは、勢いよく部屋の扉を押し開けた。


「アーサー!」


 果たしてそこには彼女の予想通りユリアンの姿があった。どこも怪我はなく無事のようだ。最愛の弟の姿を見つけたエヴァンジェリンはその目を喜色に輝かせる。だが……すぐに彼女の目は信じられない物を見たような驚愕に見開かれた。


 部屋にいたのはユリアン1人・・ではなかった。彼の足元に1人の男性が倒れ伏していた。ユリアンはよく見ると血に濡れた剣を携えていた。そしてその足元に横たわる人物の下には血だまりが広がっている。


「え……ア、アーサー……? その、人は……な、なんで……」


 エヴァンジェリンが驚いたのは別にユリアンが誰かを斬り殺したからではない。問題はその斬り殺された人物だ。それは……帝国主計官のギデオン・バート・ブリストルであった。


 これまでラドクルフ軍に資金面や物資面で様々な優遇を図ってくれていた帝国の役人、そしてエヴァンジェリンが朝廷から官位を貰えるようにも働きかけてくれた人物。だが……彼女にとってそんな事はどうでも良かった。



 ユリアンが初めて姉の存在に気付いたようにゆらりと身体ごと振り向いた。彼はその顔に凄絶な笑みを浮かべていた。


「……今更父親面・・・して、俺にこれ以上の抵抗はやめてディアナ軍に降伏するように促してきたのでな。自分が命に換えても俺達の助命嘆願をするとか抜かしてな。目障りだから斬り捨ててやった。ただそれだけの事だ」


「……っ!! な、なんて……何て事を、アーサー! わ、私達の……私達のお父さん・・・・なのよっ!?」


 エヴァンジェリンは取り乱してギデオンの死体に縋りつく。血の気の無いその身体は既に冷たくなりかけていた。かつて自分達を捨てたにも等しい憎い人物だった。だが内心ではそれがギデオンの本意でなかった事は知っていた。


 それでも彼を憎む気持ちはあったし、理不尽な怒りをぶつけてぞんざいに扱ってやる事で悲しむ彼の姿を見る事に歪んだ悦びを見出し、歪なやり方で溜飲を下げていた。


 彼女自身は意識していなかったが、そこには一種の甘え・・があった。一度は自分達を捨てた彼は、もう例えどんな理不尽な扱いを受けても決して自分達を再び見放す事はないだろうという。


 ギデオンの事を憎んではいたが、それは死んでほしいという事ではなかった。彼はラドクリフ姉弟の実の父親……肉親であったのだから。



 父親の遺体に取り縋って激しく動揺するエヴァンジェリン。その様子を見下ろしてユリアンがスッと目を細める。


「親子の情は断ち切ったのではなかったか? まあこの男の地位を利用した後も殺さずに使ってた事から明らかではあったが。…………惰弱な。これまでだな」


「……え? ア、アーサー……? な、何を……」


 弟の様子が変わった事にエヴァンジェリンが訝しむ間もあればこそ……



 ――ドシュッ!!!



「ア、アーサー…………ぐふっ!」


 ユリアンの剣先がエヴァンジェリンの胴体を貫いていた。彼は自分を愛していた実の姉を剣で刺したのだ。エヴァンジェリンの目が限界まで見開かれて、その口から大量の血液が零れ落ちる。


 ユリアンが無感動に剣を引き抜くと、エヴァンジェリンは傷口から血と、そして臓物をはみ出させながら崩れ落ちた。明らかに致命傷だ。


「な……な、ぜ……」


「……ディアナよ、今日の所はお前の勝ちだ。だが俺はこんな所で終わったりはせん。いつか再びお前の前に姿を現すだろう。そしてそれは、そう遠い日の事ではない」


 自らが刺し貫いた姉を一瞥さえする事無く妄執の炎にその目を燃え立たせたユリアンは、最早その存在さえ忘れ去ったように彼女を放置して部屋を後にしていった。



「……ああ、ご、ごめんなさい、お父さん。アーサーが、修羅の道に堕ちている事に、気付いてやれなかった……」


 残されて死を待つだけの身となったエヴァンジェリンは、その目から涙を零して再び父親の遺体に取り縋った。彼女は父親の手を握る。


「わ、私は……本当に、悪い、むす、め…………」


 彼女はその言葉を言い終える事無く力尽きた。もう動く事のないその手は、最後まで父の手を固く握りしめたままであった……




 こうしてリベリア州の州都エトルリアは陥落し、ディアナ軍が接収・領有する結果となった。天子争奪戦から端を発した電撃的な侵攻で一気にリベリア州をほぼ制覇したディアナ軍は、一躍リクール軍すらも凌ぐ中原の最有力勢力に躍り出る。


 エヴァンジェリンはリベリア州を徒に混乱させた世紀の愚者、稀代の毒婦として、後世までその悪名が伝えられる事となった。


 だがディアナ軍のこの急激な勢力拡大は、リベリア州を取り巻く周辺諸侯達の危機意識と警戒心を最大限にまで高めてしまう事になるのだが、それはまだディアナ達の与り知らぬ事であった。

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