第三十七幕 賢君と暴君

 中原を揺るがす世紀の大戦が繰り広げられているクレモナ県。しかし大戦とは言っても所詮は人の営みの範疇。その戦場からある程度離れてしまえば、同じクレモナ県内でそんな戦争が行われているとは信じがたいような穏やかで長閑な情景が広がっていた。


 そのクレモナ県の東寄りにある小さな農村。稀に行商人が訪れたり農産物を買い取る為の作物商や税金を徴収する為の役人が訪れる以外には殆ど人の出入りもないような寂れた村。 


 しかし今日この日は、そんな閑村には不釣り合いなほど身なりの良い旅人の一団が逗留していた。勿論裕福な商人の一団という設定・・の、渦中の人物ルナン皇帝一行である。



「恐らく明日にはクレモナを抜けて隣県のイグレッドに入れるでしょう。イグレッドは過日の戦でディアナ軍によって併合・領有された県です。つまり明日にはディアナ軍の領内に入れるという事です」


 村に一軒しかない宿の一室。侍従長の言葉にルナン――ルード・・・は頷いた。


「ああ、ようやくここまで来たな。もうすぐ彼女・・に会える。ここまで長かったな。お前達にも苦労を掛けた」


 ルードがそう言ってここまで付いてきてくれた侍従達を労うと、彼等は恐縮したように頭を垂れた。


「い、いえ、そんな畏れ多い。我等も昨今の朝廷の腐敗ぶりとサディアスの専横ぶりには大いに懸念を抱いておりました故、それを憂いてこのような行動に出た陛下をお支えしたいと思い、勝手に付いてきただけの事。どうかお気になさらずに」


 侍従長はそう言ってから付け加える。


「それにまだ旅は終わっておりませんぞ。サディアス軍だけでなく、他の諸侯の軍も陛下の名声と権勢を狙って動き出しているという話も聞いております。共倒れにでもなってくれれば万々歳ですが、そうそう上手くも行かないでしょう。完全にディアナ軍の領内に入ってしまうまでは気を抜かれませんようお願い申し上げます」


「ああ、解っているとも。イグレッドに入るのは勿論、ディアナに直接会うまでは絶対に気は抜かん。さあ、そんな訳で明日も早く出る事になるから今日はもう寝るとしよう」


 慎重居士な侍従長の諫言にルードは苦笑しつつ就寝を促す。侍従長にはそう言ったが、実際にはルードはいよいよディアナと再会出来る時が近付いている事に内心では高揚を覚えていた。


(もうすぐだ。彼女とならこの帝国を正しい姿に導いていく事ができるはずだ。ああ……早く彼女に会いたい)


 そんな精神の高揚で中々寝付けないルードであった。




 しかしその翌朝。まだ朝靄が立ち込める早朝に村を出立したルード一行であったが、その彼等の行く手を遮るようにして武装した兵士の一団が現れたのだ。


 その部隊はルードにとっては嫌というほど見慣れた旗を掲げ、鎧にも同じ紋様を入れていた。


サディアス軍・・・・・・か……! 追いつかれたか……!!」


 侍従長の顔が歪む。ルードも辛うじて面に出す事は堪えたが内心は同じ気持ちであった。極力目立たぬように、そして可能な限り急いで進んできたつもりだったが、本職の兵士達の追跡を振り切る事は出来なかったのだ。


 そのサディアス軍の部隊から一騎の騎馬が進み出てきた。それはルードにも見覚えのある人物であった。


「ようやく……発見できましたぞ。あと一日遅ければディアナ軍の領内に入られていた事を考えればかなり際どいタイミングでした」


「……! お前は、チェスターか!」


 それはサディアス軍の主席軍師であるチェスターであった。彼は戦は次席軍師に任せて、自身は皇帝の捜索部隊を率いていたのだ。


 他の諸侯も当然捜索部隊は出していたが、何と言っても主席軍師が直々に率いている分、ルード達の進行ルートを正確に割り出す事ができ、こうして一番乗りで一行を捕捉する事に成功したのだ。


 主席軍師という大きなリソースを探索に割いた事で、他の軍よりもアドバンテージを得る事ができたのであった。



「さあ、陛下。ひと時の冒険は楽しめましたか? シャリーア宮にお戻りください。陛下があるべき場所におられない事で人心は不安にさいなまれ、中原は更なる混沌に陥るでしょう。すでにクレモナの平原ではディアナ軍を含めた4つもの有力諸侯の軍が激突し、多大な被害が出ております。陛下が帝都からお出にならねば起きなかった無用な戦です」


「……っ!」


 ルードの顔が青ざめる。結果としてディアナを大きな戦に巻き込んでしまったのだ。


「中原に新たな戦乱の種をばら撒く事が陛下のお望みですか? 今ならまだ間に合います。この混乱を収める唯一の方法は、陛下がシャリーア宮にお戻りになる事です。それで全てが元の鞘に収まるのです」


「……っ。それは……それでも余は……!」


 ここで大人しく戻るのであれば、それこそディアナ達の奮闘が無駄になってしまう。ルードが起こした行動で皆に迷惑を掛けたのであれば、尚更途中でやめる訳には行かなかった。やめるくらいなら最初から何もしない方がマシだ。 



「……陛下のご実家・・・には、実の家族のように共に暮らしてきた里親の一家が健在でしたな。その家の娘は陛下も実の妹のように仲が良かったとか。確か今年で13歳になったのでしたな」


「……っ!? まさか、マリエルに何かする気か!?」


 ルードは先帝が存命の頃に暮らしていた実家・・の家族の顔を思い浮かべる。妹のように可愛がっていた少女の事も。チェスターがこの局面で彼等に言及する意味は一つしかない。


「まさか、そんな質の悪い山賊のような真似は致しませんとも。しかし……かの一家が陛下と所縁のある家族だという事実が、どんな不届き者の耳の入るかまでは保証出来かねます。何と言ってもこの戦乱の時勢、金に困って大胆な犯罪に走る貧民も数多くいる事でしょうな」


「……っ! それがお主等のやり方か……見下げ果てた卑怯者共め……!」


 ルードは割れんばかりに歯軋りする。ここで彼等を強引に連れ戻すだけなら容易だ。だがそれではまたルードは隙を見て『脱走』する可能性がある。それを防止する為の措置という事だろう。


 もしまた同じ事を繰り返せば、ルードの『家族』に何があるか分からない。チェスターは……サディアスはそう脅迫しているのだ。


 ここに彼の進退は極まった。



(……済まん、ディアナ。あと一歩の所であったが……私はここまでのようだ)


 自分から彼女の元に赴く事は失敗に終わった。やはり彼には情勢を動かす力は無かった。この上は帝都でディアナ軍の『上洛』を待つ以外に出来る事はない。


 こうして皇帝の脱走劇という帝国の歴史上でも類を見ない騒動は、それが巻き起こした混乱の規模に比してあっけなく終わりを告げたのであった。

 


*****



 一方でクレモナの4軍がぶつかり合う主戦場。遅れてやってきたトリスタン軍の奇襲により大混乱に陥った戦況だが、現在その情勢に再び変化・・が訪れていた。


 トリスタン軍の強襲を受けたディアナは、それまで戦闘中であったサディアスに対して密使を派遣。無事にサディアス軍の本陣に辿り着いた密使の手紙と伝言を受け取ったサディアスは、現在の戦況を見極めた上でディアナからの提案・・を承諾した。


 その結果……一時的にディアナ・サディアス連合軍・・・が誕生した。直前まで殺し合っていた両軍だが、幸いにも両軍ともに戦に関してのプロフェッショナルが揃っており、現在の状況を鑑みて連合を組む事のメリットデメリットを勘案した上で、直前まで戦っていた相手と躊躇いなく手を組む事を受け入れた。


 またディアナ、サディアス共に麾下の将兵達から絶対的な信頼と忠誠を得ている事も、即席の連合がスムーズに受け入れられた大きな要因であった。


 互いに相手の圧力が無くなった両軍は残った敵に専念できるようになり、サディアス軍は主にトリスタン軍を、そしてディアナ軍は主にラドクリフ軍を相手に、それまでの鬱憤を晴らすかのように激烈な反抗を開始した。


 そうなると堪らないのはトリスタン軍とラドクリフ軍だ。有利な状況で戦えると思っていた所に、敵同士がまさかの連合を組んでこちらに反撃してくるのは想定外であった。



 ラドクリフ軍はオズワルドが、そしてトリスタン軍はアズィーザがそれぞれ、こちらも一時的にトリスタン軍(ラドクリフ軍)と連合を組むべきだと主君に提案するが、トリスタン、エヴァンジェリンの双方とも我が強く感情を優先して大局的な判断が出来ない性質であった事がこの場においては不幸であった。


 彼等は互いに相手を軽蔑し見下して、自分の方がだと主張。相手が自分のに付くなら連合を組んでやってもいい・・・・・・・・・という態度を崩さず、当然ながら交渉は決裂。互いの軍師が送った密使をその場で斬り殺すという結果に終わった。


 大局的な判断を下したディアナ、サディアスら賢君と、目先の自己中心的な感情のみを優先したトリスタン、エヴァンジェリンら暴君の差が如実に表れ始めるのにさして時間は掛からなかった。 




「う、ぅぅ……くそ! くそぅ!! 何よ、何なのよ、これは! 話が違うじゃないの! こんな危ない目にあうなんて聞いてないわ!」


 ラドクリフ軍の本陣ではエヴァンジェリンが周囲に毒づいて、苛立ちを露わに当たり散らしていた。彼女としてはただ本陣で督戦して、将兵達をその気・・・にさせてやるだけでいいと聞いていたので、今回の参戦を承諾したのだ。それがあわや本陣に奇襲を掛けられたリして自身が危うい目にあうとは想定外もいい所であった。


「お前のせいよ、この無能者! よくも私をこんな危険で泥臭い所に連れて来たわね!」


「…………」


 エヴァンジェリンに罵られた軍師のオズワルドは、何も言わずにただ黙って頭を垂れた。エヴァンジェリンは不快気に鼻を鳴らした。


「ふん、退却よ! もう小娘も天子もどうでもいいわ! エトルリアに引き揚げるわよ!」


 自分が圧倒的優位で戦えないなら、戦場になど一秒だっていたくないというのが本音なのだ。エヴァンジェリンは何の躊躇いもなく全軍に撤退命令を下す。


「……そろそろ潮時だな」


 士気の低下や不満を抱えたまま退却に移るラドクリフ軍。そんな軍勢を眺めながらオズワルドが漏らした呟きを聞き咎める者は誰も居なかった。




「ちぃ! やめだ、やめ! こんなクソつまらねぇ戦、やってられるか! 俺は戦うのが好きなんじゃねぇ。敵を蹂躙するのが好きなんだよ!」


 トリスタン軍の本陣。ラドクリフ軍が退却を始めた事で連合軍の矛先が自軍に集中する事を厭うたトリスタンは、盛大に舌打ちしつつ全軍に撤収を命じる。こうなった以上アズィーザも撤収には賛成であったので、特に異を唱える事も無くトリスタンの好きにさせる。


 天子の確保には失敗したが、その代わりイゴール軍には大打撃を与え、今後障害となるであろう有力諸侯の軍や戦力を間近で分析する事が出来たのは僥倖であった。


 トリスタンが勝てばよし、もし負けて滅んだとしてもその時は新たな支配者に取り入るまでだ。そうやって表の覇王に寄生しつつ裏で甘い汁を吸う。それが彼女の選んだ生き方であった。


 ただし流石にディアナやエヴァンジェリンなどの女性君主に取り入る事は出来そうにないので、彼女等だけは何としても滅んでもらわねばならないだろうが。


 アズィーザの野望を秘めつつ、トリスタン軍も来た時と同じくらいの勢いで撤収していった。

  

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