第三十八幕 祭りの後 

 ラドクリフ軍とトリスタン軍が撤収し、戦場に残っているのはこれでディアナ軍とサディアス軍のみとなった。つまり……これでもう連合を組む必要はなくなったという訳だ。いや、それどころかこれで晴れて横槍も無い完全な正面衝突が可能となった。


 そして互いにここで退く理由は一切ない。両軍は改めて雌雄を決すべく、布陣を整えて再度ぶつかり合う。いや……ぶつかり合おうとした。



 両軍が対峙する戦場。ディアナ軍とサディアス軍の間に割り込むようにして、突如として少人数の集団が現れて入り込んできたのだ。出鼻を挫かれて突撃寸前だった両軍の動きが止まる。


 その集団は一台の馬車を中心に連れていた。集団の先頭にいた人物が両軍に聞こえるように大声を張り上げた。



「両軍とも矛を収めよっ!! 私はサディアス軍の主席軍師、チェスター・ロイ・スターリング! 皇帝陛下はシャリーア宮にお戻りになる事を確約された! 戦は終わりだっ!!」



「……!!」


 両軍、特にディアナ軍の側に大きな動揺と騒めきが巻き起こる。彼等が見守る前で集団の中央にある馬車から1人の人物がゆっくりと降り立った。


 それは豪奢絢爛ではないものの仕立ての良い服に身を包んだ、金髪碧眼の気品のある青年であった。報せを受けて前線に駆け付けていたディアナは、その青年の姿を一目見るなり瞠目した。一瞬で解った。彼が……本物・・のルナン皇帝である事が。


(ルード……!)


 まだ彼女が旗揚げするよりも以前の過去、帝都に立ち寄った際に邂逅した少年。彼女の視線の先にいるのはその少年が成長した姿なのは間違いなかった。


「……皆の者、余がオウマ帝国二十二代皇帝のルナンだ。チェスターの言う事に相違は無い。余は偶々・・遠出をしていただけだ。シャリーア宮に戻る。このような戦はもう終わりにするのだ」


 降り立ったルナン皇帝……ルードは、主にディアナ軍に対してそう静かに宣言するのであった。



*****



 勿論そう言われてすぐに、はいそうですかと引き返す訳には行かない。大軍を動員して戦にまで臨んでいるのだ。将兵達が納得できる理由が必要であった。


 ディアナ軍からは総大将にして君主であるディアナ自身が、護衛にシュテファンとヘクトールを伴って『停戦会談』に臨んだ。サディアス軍からもサディアス自身が、やはり護衛にグレングスとマルスタンを伴って進み出てきた。


「ふ……いつぞやの帝都郊外の時と同じ状況だな。あの時はまさか貴様がここまで躍進するとは予想していなかったが」


「サディアス……!」


 両軍の見守る中央に設けられたスペースでサディアスと対峙するディアナ。シュテファンとヘクトール、そしてグレングス達もおり、更にはルードの姿もある。確かにサディアスの言う通り、あの帝都での邂逅をそのまま再現したかのようだ。


 ディアナは数年ぶりに再会した少年……いや、青年の方へ視線を向ける。あの時はあどけなかった容貌は成長して大人の顔になっていた。その見目麗しさには些かの陰りも無く輝いているようだった。


 ディアナがルードの成長ぶりに見惚れている時、彼の方も彼女の姿を呆けたように見つめていた。中身も外見も……成長したのは当然ルードだけではない。今のディアナは昔のような少女ではなく、外見も完全に成熟した大人の女性へと変わっていた。


 互いに見つめ合っていた時間は実際にはほんの一瞬。その視線の交錯を再会の挨拶代わりとし、ディアナはルードに表向き・・・の態度で問い掛ける。



「ルナン陛下。このような場ではありますが、こうして再びご尊顔を拝謁賜り恐悦至極にございます。して、誠なのでしょうか? 今回の件がただの陛下の遠出・・であり、元々シャリーア宮にお戻りになるご予定だったというのは?」


「……うむ、そなたらには迷惑を掛けてしまったな。まさかこのような騒動に発展するとは思わず、余の不徳とする所であった」


 ルードは僅かに、ほんの僅かに顔を歪めてそう答えた。それは顔を向き合わせているディアナにしか読み取れない小さなサイン。


「……!」


 それで彼女には凡その事態が読めた。勿論詳細までは解らない。だがこの答えが彼の本心、本意でない事は理解できた。恐らくただサディアス軍に先に捕捉されたというだけではない、何らかの理由・・・・・・があるのだ。そしてその『理由』は、この場でディアナ軍に庇護を求めるだけでは解決しない類いのものなのだろう。


 それが解っただけで、ディアナにとっては充分であった。


「……畏まりました。帝国と陛下の忠実な臣として、陛下が軍を下げるようにお望みであれば我が軍はそれに従います」


「……済まぬな、ディアナよ」


 ディアナの意志と言葉に、ルードがまたその顔に僅かに苦汁を滲ませる。しかしそれを口に出す事はなくただ頷くに留めた。ただし服の下でその拳は痛いほどに強く握られていた。



「ほう、意外だな? 陛下の外出・・を察知するやいなや、軍を率いて陛下の御身を奪い去ろうとした謀反人たる貴様の事だ。屁理屈を強弁して強引に陛下の身柄を確保しようとはせんのか?」


「なんだと、コラ!? 謀反人はてめぇらだろがっ!」


 サディアスの冷笑混じりの揶揄に、ディアナが何か言うよりも先にヘクトールが激昂して詰め寄りかける。即座にグレングスとマルスタンが前に出てサディアスを庇う位置取りになる。


「よさんか、ヘクトール! 陛下の御前だぞ!」


 シュテファンがヘクトールを一喝して押し留める。ディアナも一瞬激しかけたが、ヘクトールが先に怒ってくれた事で冷静になれた。


「……我が忠誠は常に陛下と帝国の元にあります。あなたと私、どちらが真の謀反人であるかはこの後の歴史が証明するでしょう」


「……! ふん……小娘が、一端の口を効きおって」


 サディアスが不快気に眉根を寄せる。そしてルードの方に視線を向けた。


「さあ、陛下。このような危険な場所に御身をこれ以上置いておくわけには参りません。このまま我が軍の保護・・の元、帝都にご帰還下さい」


 あからさまな催促にルードは表情を僅かに歪める。ただやはり反論せずに大人しく頷く。



「……っ。うむ……そうだな。ディアナよ……また会おう・・・・・ぞ」



「っ! はい……いつか必ず」


 ルードの言葉に込められた言外の意志に、ディアナは平伏しつつ応えた。やはりルードとの約束を果たすにはこのような邪道・・ではなく、勢力を伸ばして正式に帝都に凱旋する必要がある。でなければ帝国の民も朝廷も、ディアナ軍を正式な皇帝の後見勢力として認めないだろう。


 ディアナはサディアス軍と共に去っていくルードの背中を見送りながら、改めてその決意を強くするのであった。




*****




「ち……、こっちはアンタを助けてやろうとあんな戦争までしたってのに、労いの言葉さえなくやっぱりやめましたって、そりゃあんまりってモンじゃねぇか? これじゃ骨折り損のくたびれ儲けだぜ」


 戦の後、撤収の準備を進める陣内でヘクトールが愚痴る。彼の言葉と態度は、口には出さないがディアナ軍の多くの将兵の気持ちを代弁したものでもあるだろう。


 ディアナ個人は恐らく何らかのやんごとない事情があったのだと確信しているが、それは彼女だからこそ気付けたものであり、ましてや何の証拠も無いのだ。ヘクトールのように考えるのが普通だろう。


 何の益も無い戦。それは事実ではあったが、改めて指摘されると堪えるものがあった。その『骨折り損のくたびれ儲け』を将兵に強いたのは他ならぬディアナ自身であるのだ。


「おい、ヘクトール……。益はないが意義・・はあった。大義とは時に利益と相反する物なのだ。益だけを追い求めていては大義は為せん」


 義妹の心情を慮ったシュテファンがヘクトールを窘めている。ヘクトールもシュテファンの態度と目線で気付いたのか、失言だったと慌てて取り繕う。


「あ、いや……違うんだ、ディアナ。存分に暴れられたし強い敵ともやり合えたし、俺も悪い事ばっかりじゃなかったぜ? ゾッド達だってそうさ。お前はあくまで皇帝を助けようとしただけだもんな。皆分かってるって」


「ありがとうございます、ヘクトール様。でも……この戦に出る事を決めたのは私です。全ては私の至らなさと不甲斐なさが原因です。申し訳ありませんでした」


「ディアナ……」


 打ち沈んだ様子で頭を下げるディアナの姿に、ヘクトールは何と声を掛けて良いか分からず困ったように頭を掻く。シュテファンも今の義妹に下手に慰めの言葉を掛けても意味は無いだろうと、敢えて静観に徹して自分の仕事に集中していた。


 ただでさえ戦の主目的を達成できずに撤収中の本陣が、更に昏い雰囲気に陥りかけるが……



「骨折り損のくたびれ儲け? それは違いますな、ヘクトール殿。益は無いが意義はあった? それも違いますぞ、シュテファン殿。この戦には我が軍にとって大きな『益』がありました。お陰様でリベリア州統一の目途が立ったという極めて大きな益がね」



「……!」


 この戦に出征して以来、久しく聞いていなかった人物の声が本陣に響き渡った。全員の視線が注目する。


アーネスト・・・・・様!!」


「お久しぶりでございます、ディアナ殿。遅ればせながらようやく馳せ参じる事が出来ました。遅参をお許しください」


 それは参軍の役割を次席軍師のクリストフに委ね、自らは謹慎・・を課していた主席軍師アーネストであった。ディアナは激しくかぶりを振った。


「そんな……! アーネスト様の援軍が無ければカイゼル様の部隊は壊滅し、我が軍そのものがラドクリフ軍によって挟撃されて敗走していた可能性があるのです。よくぞ駆け付けて下さいました! もう……宜しいのですか?」


「ええ、ディアナ殿にはご心配とご迷惑をお掛け致しました。ようやく吹っ切る事が出来ました。これよりは再び参軍としてディアナ殿をお支え致しましょうぞ」


「アーネスト様、ありがとうございます! 宜しくお願いいたします……!」


 ディアナは感激して、彼の手を握って喜びを表現する。するとアーネストの表情が微妙に変化した。シュテファンがそれに目敏く気付いて、聞こえよがしに咳払いする。


「うおっほん! ……それで、アーネストよ。この戦に『益』があったとはどういう事だ? リベリア州の統一だと?」


「……! おほん! ああ、そうですね。今そのご説明をしようと思っていた所です」


 アーネストは名残惜しそうにディアナから手を離すと、取り繕うように咳払いしてから『本題』に移る。



「時にディアナ殿。現在撤収の準備をしておられますが、この後はそのままゴルガにお戻りになられるご予定で?」


「え……? あ、はい。ここでの戦は終わりましたので……」


 これ以上ここに残っていても仕方がない。兵糧だって無限にある訳ではないのだ。とりあえずゴルガに戻って、改めてラドクリフ軍との決戦の準備をする。それが常道だろう。


 だがアーネストはかぶりを振った。


「そう、常道です。しかし時に常道だけでは戦に勝てぬのも事実。戦で重要なのは『機を見る』という事です。そしてその『機』を確実に逃さぬ事。これこそが重要なのです」


「あー……つまり何が言いてぇんだ?」


 ヘクトールがここにいる皆の疑問を代弁する。アーネストは人の悪そうな笑みを浮かべた。



「簡単です。これより我等の向かう先はゴルガではありません。州都エトルリア・・・・・・・です。ラドクリフ軍の本拠地である、ね」



「な…………」


 ディアナもヘクトールも、シュテファンでさえ呆気に取られる。


「私の見立てではラドクリフ軍の士気は現在極限まで落ち込んでいるはずです。一時は熱狂的に上がっただけに、敗戦による反動は凄まじいものがあります。将兵達の不満も顕在化しやすい状態です。そんな状態の兵士達が例え何万人いようと案山子以下です」


 アーネストは自信ありげな様子で指を立てる。


「しかしここで奴等に時間を与えれば、また態勢を立て直してしまうでしょう。今が千載一遇の好機なのです。その意味で今回の戦はこの好機を作り出してくれたという点において、まさに『利のある戦』だったと言えましょう」


「……!」


 ディアナは目を見開いた。ルードの保護には失敗したが、代わりにエヴァンジェリンを叩くチャンスが降って湧いた。それは見方を変えればルードのお陰とも言える。



「逆に我が軍はあれだけの激戦でありながらそこまで致命的な被害を出しておらず、まだ戦の高揚も残っており意気軒昂です。このまま撤収となればその高揚も消えてしまうでしょうが、進軍・・となれば話は別です。先程ヘクトール殿が漏らしていた不満も、要は消化不良・・・・なのが原因でしょう? それを存分に満たせるとなれば将兵達の不満など霧散しましょう。ましてや相手は因縁あるラドクリフ軍です」


「お、おぉ……! 確かに奴等を徹底的に潰せるんなら、ゾッド達も兵共もすぐにやる気を取り戻すぜ!」


 聞けば聞くほど好条件が揃っているように思えた。ヘクトールもすっかりその気になっているようだった。しかし義兄は慎重な姿勢を崩さない。


「しかし……向こうにはあのオズワルドがいるのだ。逆に我等が追撃してくると読んで罠を張っているという事もあり得るのではないか?」


 確かにその懸念は尤もだ。オズワルドの厄介さはディアナも良く身に染みていた。アーネストが挙げた問題点を奴が理解していないはずはない。こちらが追撃してくると読んでいる可能性は充分考えられた。しかしアーネストは解っているとばかりに頷いた。



「勿論普段・・であればその通りでしょう。しかし今は状況が違います。エヴァンジェリンは間違いなく今回の『敗戦』の責をオズワルドに負わせた事でしょう。溺愛している弟のユリアンを責めるはずがありませんからね。今のエヴァンジェリンはオズワルドが何を進言しても聞く耳もたないでしょうね。そしてオズワルドの方も元々エヴァンジェリンに対する忠誠は皆無で、ただ自分の目的のために利用していただけの間柄。そこに理不尽な責を負わされ冷遇されれば……まあ進言どころか見限る・・・算段を立て始めていても不思議はないでしょう」 


 

「…………」


 ディアナはしばし黙考した。アーネストやシュテファンの意見を吟味し、そこに自分の考えを付け加えて整理する。様々なメリットデメリット、リスクとベネフィット。それら全てを勘案した上で彼女は結論を出した。


「……そうですね。アーネスト様の仰る通り、今が好機。そしてその機を逃さない事が重要だと思います。我が軍はゴルガには帰還せず、このまま南下してエトルリア郡に侵攻します! 全軍に通達して下さい。それと別動隊を率いているディナルド様にも早馬で伝令を」


 決断を下したディアナに、側近たちは三者三様に頷いた。


「ご英断です、ディアナ殿」


「おお!! 燃えてきたぜぇっ! 兵共への通達は俺に任しとけ!」


「お前がそう決めたのであれば、私はそれを全力で支えるのみだ。早速進軍の準備に取り掛かろう」


 彼等はディアナの命に従って、準備のために三々五々と散っていく。



(ごめんなさい、ルード。私の力不足であなたを助ける事が出来なかった。でも……結果的にあなたが作ってくれたこの好機、絶対に無駄にはしないわ!)


 それを見送りながら彼女は、ルードが去っていった方角に視線を向けて改めて決意を燃やすのであった。



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