第三十三幕 天子争奪戦(Ⅹ) ~混迷する戦場

 正面からぶつかり合って、一進一退の攻防を繰り広げるディアナ軍とサディアス軍。だが双方ともこのまま互いに潰し合う事は得策でない事も解っていた。何故なら敵は他にもいるからだ。


 両軍とも正面衝突しながらも本隊とでも言うべき戦力は温存したままであった。第三勢力は必ず現れる。問題はそれがいつ、どのようなタイミングで、そしてどの勢力が現れるかという事であったが……


「西側方面より新たな敵軍が出現しました! イゴール軍のようです!」


 本陣に駆け込んできた伝令の報告に、軍師のクリストフが眉を上げる。


「来たか。だが……イゴール軍だと? トリスタン軍はどうした? 立地的にも君主の性質からしても先に戦場に到達するのは確実にトリスタン軍だと思っていたが」


 トランキア州に本拠を構えるイゴール軍はこの戦場からは最も遠い立地であった。普通に進軍していれば先に到達するのはトリスタン軍のはずだ。ましてやトリスタン軍は君主のトリスタン自身を始めとして気の荒い賊軍崩れの猛将揃いだ。何をさておいても一目散に戦場に突撃してくるものとクリストフは睨んでいたのだ。


「わ、分かりません。現在の所、トリスタン軍の姿は確認できていません。ここにやってきた敵はイゴール軍だけです!」


「ふむ……トリスタン軍とイゴール軍で潰しあった形跡もなし。何が起きている……?」


「ク、クリストフ様、どうすべきでしょうか……?」


 ディアナもやや不安げに判断を伺う。クリストフはかぶりを振った。


「まあ、今この場で考えても仕方がありません。その時間もない。とりあえず敵が来ている以上その迎撃を優先しましょう。元々そのつもりだったのですから。ただ想定していた相手がトリスタン軍からイゴール軍に替わっただけです。しかし念の為カイゼル師父の部隊は温存しておきましょう」


「わ、分かりました。では兄上にイゴール軍の迎撃をお願いします。すぐに兄上の部隊に伝達を!」



 ディアナの指示に従って伝令が回る。それを受けたシュテファンが頷いて麾下の部隊を振り返る。


「やはり来たか。こうなった以上は全力で己の役割を全うするのみだ。私に続け! 敵軍を一兵たりとも本陣に近づけるな!」


 用兵巧者のシュテファンに率いられた部隊は素早く整然と隊列を整えて、迫りくるイゴール軍の迎撃に向かう。イゴール軍はこちらだけでなくサディアス軍に対しても攻撃を仕掛けているようで、侵攻部隊をほぼ二分していた。サディアス軍からもイゴール軍を迎撃するための部隊が出撃していた。


 戦況は完全に三つ巴の様相を呈しつつあった。



*****



 イゴール軍の本陣。総大将であるジェイラスは軍師のアドリアンと共に戦況を俯瞰しながら軍の指揮を執っていた。


「ふむ、地理的にトリスタン軍の後背を突けると思っていたが、結局奴等と遭遇する前にクレモナに着いてしまったな。まあ良い。我等のやる事は変わらん」


「しかしトリスタン軍の動向が気にかかるな。計画では奴等が三つ巴で潰し合っている所に我等が漁夫の利を得るはずが……」


 アドリアンは渋い顔だ。だがジェイラスはかぶりを振った。


「ふん、あの賊上がりの猪武者どもに我等を出し抜くような知恵があるはずもなし。大方兵糧の配分を間違えてすごすごと引き下がったか、途上の村で賊らしく略奪にでも勤しんでいるのだろう。多少予定は変わったが、このまま目の前のサディアス軍とディアナ軍を撃滅する。奴等に天子を確保させる訳には行かんからな」


 彼らは主君のイゴールより、今回の戦ではとにかく天子の『保護』を最優先に動くように厳命されていた。トリスタン軍がいなかろうが、サディアス軍とディアナ軍の決着がついていなかろうが、ただ時間を無為にするという選択肢はなかった。こうしている間にも連中の別働隊が皇帝を捜索して発見しているかも知れないのだ。



「奴等もこちらに気づいたようだ。迎撃部隊が出てきているぞ」


 アドリアンの言う通りサディアス軍、ディアナ軍双方から本隊より離脱した部隊がこちらに向かってくるのが見えた。ジェイラスは頷いた。


「よし、予定通り我等も二手に分かれて奴等を叩くぞ。奴等の主力同士は互いの相手で忙しい。迎撃部隊を殲滅したらそのままの勢いで奴等の本陣を強襲しろ!」


 ジェイラス自身はディアナ軍側の部隊を率い、サディアス軍側の部隊をアドリアンに任せる。そして三つ巴の戦が始まった。



*****



 シュテファン率いる迎撃部隊がイゴール軍とぶつかり合う。双方ともに斉射で敵軍を牽制しつつ、前衛部隊同士が正面から衝突する。忽ち辺りは戦場の混乱に包まれ剣戟音と怒号や悲鳴、そして血の匂いで充満する。


 両軍の勢いはほぼ互角。凡百の武将であれば戦場の混乱から戦況を見誤って統制を失う所を、シュテファンは冷静に戦況を見極め兵を統率する。戦場全体を俯瞰して穴が空きそうな所があれば素早く後詰めの部隊を送り込み穴を塞ぐ。また敵の陣形にも目を配り、決して包囲させたり後方に回り込んだりを許さない。


 彼の卓越した用兵で、多少の兵力差など物ともせずに押し返す事が可能であった。通常・・であれば。


「むぅ……敵軍の将も相当の戦巧者のようだな。この私が隙を突く事ができんとは」


 麾下の部隊を手足のように操りながらシュテファンが唸る。イゴール軍の部隊も同じように巧みな用兵でこちらに決して包囲や迂回、一点突破などを許さない。それどころか少しでもこちらの用兵に乱れがあればそこを的確に突いてくる。


 間違いなくこれまで彼が戦ってきたどの軍の指揮官よりも優れた将軍が敵部隊を率いているようだ。



 シュテファンとジェイラス。共に優れた用兵家に率いられた部隊は、まるで一つの巨大な生物のように自在に蠢き、敵生物の喉笛に食らいつこうと幾度もぶつかり合う。


 サディアス軍の迎撃部隊もイゴール軍と一進一退の攻防を繰り広げているようだ。当然サディアス軍とディアナ軍の前衛同士がぶつかり合っている戦場も、互いに最精鋭の猛将同士が戦っている事もあって、中々決着がつかない互角の戦いとなっていた。


 結果としてディアナ軍、サディアス軍、イゴール軍の三軍が、三つ巴でありながら絶妙な均衡の上で一時的な膠着状態となった。三軍が三軍とも、少しでも隙を見せたり、ましてや一箇所でも敗れて戦線が崩壊すれば、残りの二軍によって一気に蹂躙される。


 膠着状態でありながら一瞬たりとも気を抜けずに、常に相手の戦線を崩そうと隙を突き合う忍耐力の勝負となりつつあった。




 状況に異変・・が起きたのはそんな折だった。本陣にいるディアナの元に伝令が息せき切って駆け込んでくる。


「も、申し上げます! 南より敵の大軍が出現! ラドクリフ軍・・・・・・と思われます!」


「な……ラドクリフ軍!?」


 ディアナは目を剥いた。そして同じく本陣に控えるクリストフとカイゼルの方を振り向く。彼らもまた眉をしかめて厳しい表情になる。


「むぅ……次こそはトリスタン軍が現れると思っていたが、ラドクリフ軍とは……」


 カイゼルが顎髭を弄りながら唸ると、弟子のクリストフも同意するように頷く。


「ええ。それに斥候の情報でラドクリフ軍はリクール軍と激突した事が解っています。双方多大な被害を出してこの戦から脱落すると踏んでいたのですが……」


「当てが外れたな。奴等はそこまで戦力を減じていないように見えるな。信じがたい事だがあのリクール軍相手に大勝したという事になるか」


 それは確かに俄には信じられない事であった。リクール軍といえば天下統一に最も近いとまで言われた最大勢力。当然麾下の将兵も精鋭が揃っているはずだ。ラドクリフ軍はそれと戦って、大した被害も出さずに撃退したという事になるのだ。


「残念ながら。それにラドクリフ軍もさる事ながら未だに現れぬトリスタン軍も気になります。賊軍に等しい奴等の性質からして、むしろ真っ先に戦場に現れていても良さそうな物でしたが……」



「考えても解らぬ事柄よりも今は目の前の脅威に対処する方が先決であろう? 当初の予定とは違うが、現れたのがラドクリフ軍であれば奴等の相手をするまでだ。ディアナ殿、儂はラドクリフ軍の迎撃に向かいますが宜しいかな?」


 カイゼルが総大将であるディアナに問うてきた。と言ってもこの状況で選択の余地がない事は彼女にも解っていた。ディアナは頷いた。


「そうですね。宜しくお願いします、カイゼル様。でも奴等がリクール軍を撃退できた理由も解らない以上、くれぐれもお気をつけ下さい」


「はは、解っております。しかしご忠告、ありがたく受けておきますぞ」


 カイゼルがそう笑って本陣を出ると、自らの部隊を率いてラドクリフ軍の迎撃へと向かっていく。勿論いかにカイゼルと言えども、一部隊だけでラドクリフ軍を倒せるはずもない。彼の役目は今現在戦っているサディアス軍やイゴール軍との戦いに決着が付くまでの間、ラドクリフ軍の足を止めて引き付けておく事だ。


 勿論奴等がカイゼルの抑えの為に部隊を割いて本隊はこちらに向かってくる可能性もあるが、そうなったらなったでカイゼルの相手に部隊を割いた事でラドクリフ軍の本隊の戦力が減るので、その可能性も考慮さしての迎撃であった。

 

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