第三十二幕 天子争奪戦(Ⅸ) ~過去の因縁

 一方のディアナ軍はラドクリフ軍とのファーストコンタクトをやり過ごした後は、ひたすらクレモナ領内を北西に向かって進軍していた。このまま進軍していればいずれはどこかで皇帝一行を発見できるはずであったが、当然ながらそうすんなりと行くはずがない。


「前方から敵軍! 旗や装備からサディアス軍の先遣隊と思われます!」


「……!」


 伝令の報告にディアナは気を引き締めた。隣に控えるクリストフが頷いた。


「どうやら奴等もまだ天子一行は発見できていないようですな。その先遣隊は偵察部隊も兼ねていると思われます。恐らく同じような偵察隊をクレモナ各地に放って皇帝を捜索しているのでしょうな」


「……! ではその者達を見つけ次第殲滅しなければ!」


 奴等に先にルードを発見されるのは避けたい。だがクリストフはかぶりを振った。


「……いえ、どうせならこのまま奴等に皇帝を探してもらいましょう。そして奴等が見つけたらサディアスが正式に『保護』する前に我等が奪い取ってしまえばよいのです。そうすれば我等はこれ以上の戦力分散の愚を犯さずに済みます」


「……!」


 要はこの戦を制したものが皇帝を保護する勢力という事になるのだ。探すのはサディアス軍にやってもらおうという訳だ。ただでさえラドクリフ軍への迎撃部隊に戦力を割いている状態なので、これ以上戦力を分散しては戦そのものに敗れてしまう。それでは皇帝を保護する事が出来ない。ディアナとしては一刻も早くルードを保護したかったが、それも戦略という物か。


「……分かりました。まずは戦力を集中させて他の諸侯たちを撃退する事を優先します」


「賢明なご判断です。それではまずサディアス軍の本隊を探し出して叩いてしまいましょう」


 今頃はトリスタン軍やイゴール軍もこの場に向かっているはずであり、その前に戦力を分散しているサディアスを叩いておく。その戦略のもと、途上で遭遇したサディアス軍の偵察部隊を鎧袖一触で蹴散らしつつ、そのまま北西方面へと進むディアナ軍。


 するとやがて今までの偵察部隊とは比較にならない規模の敵軍を捕捉した。こちらと殆ど変わらないくらいの規模だ。



「前方に敵の大軍! サディアス軍の本隊・・と思われます!」



「……! サディアス……!」


 伝令の報告にディアナは唇を噛み締めた。あの帝都での遭遇劇は今でも忘れていない。あの時はこちらはまだ放浪軍として発足したばかりであり、兵力は比較にならなかった。しかし今やディアナも1郡を支配する刺史に成り上がり、勢力の規模としてはほぼ互角にまで縮まった。もうあの時のようにはいかない。


 位置的にサディアス軍もかなりの行軍速度でここまで来ているはずなので、罠や伏兵の可能性も低い。つまり小細工なしの正面からのぶつかり合いになる。



「では手筈通りに行きます。ヘクトール様を切り込み隊長に、ゾッド様とファウスト様がその補佐に当たって下さい。兄上とカイゼル様はそれ以外の敵・・・・・への警戒をお願い致します!」



「畏まりました! すぐに全軍へ伝達致します!」


 ディアナの命令を受けたクリストフが素早く伝令を各部隊へ散らせていく。麾下で最も武力に優れる3人を前面に立てて、まずは敵陣を切り崩す。だが今回の戦の敵はサディアス軍だけではないはずなので、周囲への警戒も必要になる。それを用兵に優れたシュテファンやカイゼルに任せる。最初から敵と遭遇した時にはこの陣立てで望む事に決めてあった。



「へっ! ようやく出番だな! ちまちまと雑魚を蹴散らすだけの仕事は終わりだ! こっからは思う存分暴れられるぜぇ!」


 クリストフからの伝令を受けたヘクトールは口の端を釣り上げて麾下の部隊に号令を掛ける。そして切り込み隊長として自ら最前線で得物である戟を構えて敵陣へと突撃を敢行する。サディアス軍は迎撃……というより彼等もまたこちらを捕捉するなり前衛部隊を先頭に突撃してきた。


 両軍ともに後衛から斉射の雨を敵軍に降らせるが、互いに先鋒は殆ど突撃の勢いを減じる事無く接近していく。ヘクトールは自分と同じように敵軍の最前列で矢の雨を切り払いながら突撃してくる武将を認めた。それは彼にも見覚えがある武将であった。


「へっ、アイツは確か帝都で会ったやつだな。面白ぇ。あの時は兵力の差で負けを覚悟したが今回はそうは行かねぇ。借りを返してやるぜ!」


 ほぼ同時に相手側の将……グレングスも、迫ってくるヘクトールの雄姿に気づいた。


「あやつは……覚えておるぞ! 帝都で会った猛将か! あの時は仕損じたが今度はそうは行かん! サディアスの脅威となる貴様らは確実にここで討ち果たしてくれようぞ!」


 グレングスは得物である巨大な戟を振り回して率先してヘクトールの元に突撃する。互いにほぼ同じサイズの巨戟が衝突する。


 暴風のような衝突が発生し、力ない者は近づいただけで巻き込まれかねない災害・・となる。互いに一歩も引かずに渡り合う両雄。しかしこの戦場にいるのは彼等だけではない。



「グレングスがあの猪武者を引き付けてる間に、僕は大将首を狙うとしようかな。あの可愛い少女を殺すなんて気が引けるけど♪」


 言葉とは裏腹に全く気が引けている様子のないもう1人の猛将マルスタンが、表情を喜色に歪めながらディアナ軍の本陣に狙いを定めて突撃しようとする。しかし……


 ――ヒュンッ!!


「……!」


 自身に向かって正確に飛んできた鋭い矢を槍で弾くマルスタン。その表情からは一瞬で油断が消えていた。彼の見据える先から向かってくるのは、弦楽器が一体になったような弓を構える吟遊詩人……ファウストである。彼は素早く武器を細剣に持ち替える。


「ディアナ軍にいる将はヘクトールさんだけではありませんよ? あなたのお相手は不肖このファウストが務めましょう」


「ふぅん、何だかスカした奴だねぇ。僕は自分と似てる奴が大嫌いなんだよ!」


 マルスタンは得物である長槍をファウストに向けて突き出す。凡百の将であれば反応すら出来ずに貫かれるだろう鋭い突きだが、ファウストは驚異的な身のこなしてその突きを避けると、反撃に細剣を煌めかせる。


「……!」


 その速度と鋭さに目を剥いたマルスタンが、槍を引き戻して柄でその攻撃を受ける。忽ちこちらでも一進一退の攻防が始まった。



 だがディアナ軍にはまだ猛将が控えている。巨漢の山賊ゾッドだ。その馬鹿げたサイズの蛮刀を振るって並み居る敵を斬り倒していく。


「おらおらおらぁ!! サディアスの奴はどこだぁ! その素っ首、このゾッド様が頂いたぁっ!」


 ヘクトールとファウストがそれぞれ強敵を受け持っている間に、彼は敵陣深くへと切り込んでいく。その猛攻を止める者はいないかと思われたが……


「下賤な山賊風情が! この私が成敗してくれる!」


「お?」


 威勢のよい掛け声と共に彼に突撃してくる敵影があった。ゾッドはやや嬉しそうな顔でそちらに向き直る。そこには質の良さそうな鎧兜で身を固めた武将の姿があった。手には長めの直剣を構えている。


「我が名はボールドウィン! 貴様の命もここまでだ、下郎!」


「おーおー、威勢が良いこって。ちったあ楽しませてくれよ!?」


 斬りかかってくるボールドウィンに対して歯を見せて笑うゾッド。直剣と蛮刀が何合も打ち合い、剣戟音を響かせる。だが一合ごとにゾッドの膂力に押されてボールドウィンの勢いが減じていく。


「ぬぅ……何という馬鹿力だ。化け物め……!」


「はっ、威勢よく出てきた割にはこんなモンか!? 俺様の相手をするにゃ10年早かったな!」


 弱くはないが、ゾッドの一騎打ちの相手としては少々不足であった。勝ち目がないと見て、これは堪らんとばかりにボールドウィンが慌てて逃げ戻っていく。


「馬鹿が! 逃がすか!」


 当然それをむざむざ逃がすようなゾッドではない。部下の兵士たちを率いて逃げるボールドウィンを追撃していく。そしてもう少しで追いつくという所で……


「馬鹿はそちらよ! 掛かったな!」


「ぬ……!?」


 ボールドウィンが合図を出すと、近くの岩場や森の木立に身を隠していたと思しき伏兵が大量に出現して、ゾッド達に斬りかかってきた。忽ち戦場は混沌とした様相を呈する。


「ぬぅ、てめぇ……謀りやがったな!」


「ふん、一騎打ちの強さだけが戦う力ではないぞ、猪武者よ! このまま包囲殲滅してくれるわ!」


 伏兵を巧みに指揮してゾッド達を攻撃していくボールドウィン。どうやらシュテファンやディナルドのような用兵タイプの武将であったらしい。一杯食わされたゾッドは歯ぎしりしながら蛮刀を振り回して血路を開いていく。



 ディアナ軍とサディアス軍。両者の最初のぶつかり合いは、現在の所ほぼ互角の戦況となっていた。

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