第三十一幕 天子争奪戦(Ⅷ) ~天香国色

 前線で立て続けに武将同士の対決が始まり、敵の猛将によって突破口を開かれるのは防ぐ事ができた。テオドルフは今度こそ戦線を立て直そうと戦況を顧みるが……


「ぬ……ぬ……馬鹿な! 何だ、こいつらの異常な熱気は!? ラドクリフ軍は将兵の士気に問題を抱えているのではなかったのか!」


 敵の勢いが止まらない。将は勿論兵士に至るまで、まるで何かに取り憑かれたような異常に高い戦意を保ったまま攻め立ててくるのだ。敵の士気の低さを突くはずだったリクール軍としては、当てが外れてその勢いにどんどん戦線を崩壊させていく。


「わ、解りません! 敵の総大将か、軍師か……一体どのような手を使ってこの士気を保っているのだ!」


 軍師のセドリックも混乱している。一般に考えられるのは一番手柄などに高い報酬を約束する事だが、そんな物は多かれ少なかれどの勢力でもやっている事だ。どんな高額の褒章を約束した所でこれほどの熱狂は得られないだろう。


 しかし一つだけ確実に解る事がある。



「将軍、このまま踏み止まって戦えば我等は確実に敗北します! なまじ互いに策も無い正面からのぶつかり合いだけに、士気の高さが及ぼす影響は絶大なものであります故」


「ぬ、ぬぬぅぅぅぅ……! お、おのれ、おのれぇぇ……!」


 あり得ない事態と誤算にテオドルフは割れんばかりに歯軋りする。ここで凡百の将であれば怒りと屈辱に任せて抗戦を続け完全な敗戦の憂き目を見ていたであろうが、優秀な用兵家で百戦錬磨のテオドルフは戦の流れと退き際・・・を見誤る事はなかった。


「退却! 退却だぁっ!! アンドラ橋を渡ってブレストの街まで撤収するのだ! モンタギュー! オクレール! 戻ってこい! お前達に殿を命じる!」


 ブレストはアンドラ橋を渡って最寄りのリクール軍領内の街である。他にも敵と斬り結んでいる将達を呼び戻すと、テオドルフは素早く撤退に移った。そこは彼の巧みな用兵術と訓練された兵士達の動きで、被害を最小限に抑えながら退却する事に成功した。




*****




「……よし、いい塩梅だ。奴等が退却を始めたのなら余り深追いする必要はない。下手に追い詰めるとどのような反撃に転じてくるか知れんからな」


 戦の趨勢が決まった事を見て取ったオズワルドが助言すると、総大将だった・・・ユリアンが鼻を鳴らしつつ軍に指示を伝達していく。


「ふん……馬鹿馬鹿しいと思っていたが、まさか本当にこれほどの効果を及ぼすとはな。男とはつくづく単純な生き物だな」


 自分も男でありながらどこか不快そうな様子のユリアンの言葉に、オズワルドは微妙に口の端を吊り上げて苦笑する。 


「ふ……そう言うな。それは姉弟・・であるお前だからこそ言える事で、まともな感性を持った男であればアレ・・に抗える者はそうはいまい」



 彼等の見据える先で戦を終えた将兵達が撤収してくる。しかし彼等は激戦の疲れも見せずに、一様に熱に浮かれたような雰囲気でこの軍の総大将・・・の元に集まってくる。


 集まってきた彼等が食い入るように見守る中、据え付けられた壇上に1人の人物が上がってきて彼等を睥睨する。その人物を見て将兵達の騒めきと熱気は増々大きくなる。



「うふふふ……よくやったわ、お前達! あの傲慢で苦労知らずのお坊ちゃんに一泡吹かせる事が出来たわ! これでもう二度と私を見下す事など出来ないはずよ。お前達の働きのお陰よ!」



 ――ウオォォォォォォォォッ!!!


 まるで空気が振動するような歓声が轟く。彼等の異様に熱を帯びた視線の先にいるのは……このラドクリフ軍の君主・・である『毒婦』エヴァンジェリンその人であった!



 オズワルドの言っていた援軍・・とは、このエヴァンジェリンの事であったのだ。だがエヴァンジェリンが増援にきた所で何の戦力にもならないし、元の職業や簒奪などでイメージが悪く彼女のヒステリックぶりや浅薄ぶりなどを知っている軍の将兵達からすると、彼女が督戦になど来たら却って余計に士気が低下しそうなものであった。


 それが何故これほどの異様な熱狂を呈し、あのリクール軍を正面から撃退してしまう程の高い士気を与える事が出来ていたのか……。それはエヴァンジェリンの格好・・にあった。


 彼女は曲がりなりにも戦場に赴くという事で『鎧』を着ていた。しかしその『鎧』は……敵の攻撃や危険から身を守る防具・・としての機能を著しく排除した、極めて露出度の高い卑猥な『鎧』だったのである。


 胴体には僅かに要所を覆うだけの黒い色合いの胸当て、腰当て、そして肩当てを身に着け、四肢には腕当てと膝下までの長靴ちょうか。頭には兜変わりの細い頭輪を嵌め、髪には綺羅びやかな装飾品が光る。


 彼女が身につけている衣類はそれだけ・・であった。『鎧』の下に一切衣服の類いを着ておらず、その熟れた肉感的な肢体が惜しげもなく白日のもとに晒されていた。なまじ全裸よりも女体の露出感に拍車が掛かっていると言えた。 


 元々ラドクリフ軍のほぼ全ての将兵や官吏達から、『黙ってさえいれば……』と極めて残念そうな表情と口ぶりで語られる程には容色に優れた女性である。そして閨を共にした男性がどんな英雄や豪傑に至るまで必ず虜にされるとまで言わしめる、匂い立つ魔性の色香。


 それらがこの卑猥な『鎧』によって最大限効果的に強調されており、その姿を見ただけの男性さえも虜にするような何らかの空気を身に纏うまでになっていた。それはまさに一種の妖力・・と言って差し支えない効果であった。



 これがフレドリックがオズワルドに持ち掛けたという提案の内容であった。フレドリックはディアナという少女に対して並みならぬ関心を抱いており、彼女が麾下の将兵達を虜にして高い士気を保っていられる秘密の一端に、彼女の美貌と露出度の高い鎧姿も影響していると推察していたのだ。


 なので同じ女性君主であり、ディアナとはタイプこそ違うが非常な美貌の持ち主であるエヴァンジェリンにも同じ事が出来るのではと考えて、今回の戦の機会に提案してきたのであった。


 当然エヴァンジェリン自身は最初難色を示したものの、フレドリックの口車に乗せられて尚且つ実際にその『鎧』を着てみた時の官吏や廷臣達の反応に気を良くして、今回の督戦を了承したのである。



「さあ、今日の戦で戦果を挙げた者達は後で順番に私の天幕まで来なさい。約束通り戦果に応じて特別な報酬・・・・・を与えてあげるわ」


 ――ウオォォォォォォォォォォォォォォォッ!!!


 妖艶な主君の言葉に、兵士達だけでなくメルヴィンやレオポルドといった将達まで一緒になって大歓声を上げていた。 




 こうして『天子争奪戦』において最も有力と思われたリクール軍が早々に脱落するという番狂わせの結果となり、戦況は増々先の読めない混迷を呈していく事になる……


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