第三十四幕 活眼の智将

「既に相当の混戦模様を呈しているようだな。くく……ディアナ軍の軍師は我等とリクール軍が共倒れになると踏んでいたのだろうが、結果として奴等の裏を掻くことが出来たな。既に奴等に新たな敵軍に対する余裕はない。このまままとめて殲滅してくれるわ」


 3つの軍がぶつかり合う戦場に到着したラドクリフ軍。ユリアンは混迷をきたしている戦場を見て口の端を釣り上げる。だが横にいる軍師のオズワルドはその冷酷な細目を更に眇める。


「確かに混迷はきたしているようだが……3軍・・だと? トリスタン軍はどこだ? イゴール軍までが戦場に到着しているというのに、トリスタン軍の姿が見えんのは奇妙だな」


 斥候からの報告で今戦っている3軍はディアナ軍、サディアス軍、そしてイゴール軍という事が解っている。オズワルドの予想では既に4軍が戦っているはずであった。しかし最も猪突猛進と思えたトリスタン軍の姿がない事は、優れた軍師である彼をして予想外の状況であった。


「だがそれを言うなら最大勢力のはずのリクール軍が脱落した事も、他の軍からすれば予想外の事態であろう? トリスタン軍も何か思わぬ事態でもあったのではないか?」


 ユリアンは楽観的な意見を口にするがオズワルドの表情は変わらない。


「いや、他の軍とぶつかって退いたのであれば必ず斥候から報告があったはずだ。だがその様子はない。気になるな……」


 軍師は慎重である事を求められる。時として大胆さも必要だが、基本的には暴走しやすい軍にストップを掛けて石橋を叩いて渡らせるのが役目だ。その軍師としての判断と直感で、彼はここは乱入を避けて天子の捜索を優先した方が良いと助言しようとするが……



「あなた達、何を止まっているの!? さっさとあの邪魔者どもを蹴散らしておしまい!」



「……!」


 甲高い女声に振り返ると、案の定そこには非常に露出度の高い黒い『鎧』に身を包んだエヴァンジェリンの姿が。意外にもちゃんと軍馬に跨って乗りこなしている。その魔性の色香に周囲にいる将兵たちが生唾を飲み込んで凝視する。


「……恐れながらトリスタン軍の動向が解らないうちに闇雲に軍を突入させるのは得策とは言えません。ここは最低限の監視の部隊だけ残して、本隊は天子の捜索を優先すべきかと」


 オズワルドが慎重に提言するが、エヴァンジェリンは傲慢に鼻を鳴らした。


「はん! トリスタン軍といえば馬鹿の集まりだそうじゃない! 道に迷って見当違いの場所に行ったに違いないわ。そんな馬鹿どもより眼の前にあの忌々しい小娘の軍がいて、しかも私達に背中を晒して他の軍とぶつかっているという状況のほうが何倍も大事だわ! この絶好の機会にあの小娘の軍を完膚なきまでに叩き潰すのよ!」


 聞く耳を持たない様子のエヴァンジェリンにオズワルドが嘆息する。こうなったらもう誰の言う事も聞かないだろう。


「……まあいい。警告はしたからな」


 ボソッと呟く。元々忠誠心とは無縁の存在であった。軍師としての責任は果たしたので、後は何かあっても自分のせいではない。


「ふ、そう腐るなオズワルドよ。それに確かにディアナ軍を叩く絶好の機会には違いない。奴等をここで叩いておけばその後のリベリア州の制圧は遥かに容易になるからな」


 ユリアンがそう不敵に笑うと、麾下の部隊に主にディアナ軍への攻撃を命じる。エヴァンジェリンによって煽動されて極めて高い士気を維持するラドクリフ軍が、因縁のディアナ軍をこの機に撃滅しようと突撃を開始した。



*****



「ぬぬ……流石に一部隊だけで奴等全軍を相手取るのは厳しいか。それにこの異様な勢い……。リクール軍を撃破した事実と何か関係があるのか」


 ディアナ軍の迎撃部隊を率いるカイゼルが唸る。ラドクリフ軍は彼の部隊の数倍の規模であり、尚且つ異様に高い士気を誇っている。むしろこの条件で曲がりなりにも足止め出来ているカイゼルの采配は流石という他なかったが、その英雄たる彼をもってしても徐々に敵の勢いを止められなくなりつつあった。


 数だけならともかく、その士気の高さはカイゼルの予想を超えていた。ラドクリフ軍が士気に問題を抱えていて、その脅威度は実際の兵数や国力よりも低いと分析していたのだ。それは彼の弟子たるアーネストやクリストフにしても同様であった。


 どのような手段でかその弱点を克服したラドクリフ軍相手では、如何に救国の英雄と言えど圧倒的な兵力差を埋められるものではない。



「ふふ……オズワルドめ。中々やりおる。師としては喜ぶべき所なのであろうな」


 不利な戦況ながら弟子の手腕を感じ取ったカイゼルは口の端を釣り上げる。だがディアナ軍の迎撃部隊を任されている身としては喜んでもいられない。


「ふぅ……こうなれば、ここをこの老骨を埋める場所として覚悟を決める他あるまいな」


 カイゼルは自らの命と引き換えにしてでも目の前のラドクリフ軍に一矢報いる覚悟を定めた。





「く……ラドクリフ軍の勢いが止まらない!? やはりカイゼル様といえどもあの数の差は如何ともし難かったのです。私が救援に向かいます!」


 ディアナ軍の本陣ではラドクリフ軍の猛攻に押されるカイゼルの部隊を見てディアナが顔を青くして歯噛みする。そして親衛隊を率いてカイゼルの救援に向かおうとする。だが……


「お待ち下さい、ディアナ様! 北からはサディアス軍、西からはイゴール軍が攻めて来ている状態なのです。今ここであなたが本陣を離れたら、奴等と戦っているその他の味方の士気が崩壊してしまいます! 何卒ご辛抱を!」


 クリストフが彼女を押し止める。ディアナは信じられない物を見るような目で彼を見やる。


「このままではカイゼル様が危ういのですよ!? クリストフ様にとってもご師父に当たるお方でしょう!? むざむざ見捨てると仰るのですか!」


「師父も私も覚悟してこの戦場に赴いています。しかしあなただけは絶対に死なせる訳には行かないのです。いくら数が違うとは言え師父が率いる軍を物ともしないラドクリフ軍の士気の高さは異常です。リクール軍を破った事とも関係しているかも知れません。あなたが救援に向かうにはリスクが大きすぎるのです」


「……!」


 感情を押し殺したようなクリストフの言葉にディアナはハッと息を呑んだ。彼に思う所がないはずがない。だが大局的に戦況を判断して、それが最も合理的だと判断したのだ。総大将であるディアナの命はカイゼルよりも重いのだ。


(でも……だからって、このままカイゼル様を見殺しにするのが本当に正しい事なの!?)


 答えの出ないジレンマにディアナが割れんばかりに歯軋りして、爆発しそうになる激情を何とか抑え込んでいると……三度みたび戦況が大きく動いた。



「も、申し上げます! 南東・・の方角より軍勢が現れました! ラドクリフ軍を背後から攻撃しております!」



「え……!?」


 ディアナは目を剥いた。隣ではクリストフも意外そうな表情となっている。


「な、南東……という事はソンドリア郡から? という事は……味方、ですか?」


 この戦場から南東にあるのはディアナ達が本拠地としているソンドリア郡だけだ。他の勢力がソンドリア郡内を経由する事はできない。


「……今ソンドリア領内に残っているのは……。ふ、ふふ……なるほど、そういう事か」


「ク、クリストフ様? あの部隊が何なのかご存知なのですか?」


 含み笑いを漏らすクリストフに、ディアナは戸惑ったように尋ねる。すると彼は苦笑しながらかぶりを振った。



「遠征に際しては領内に最低でも1人は守将を残さねばならない。これはドゥーガル将軍が担ってくれています。しかし……今回の戦ではもう1人・・・・領内に残っている将がいる事をお忘れですか?」



「もう1人…………あ!! ま、まさか……?」


 そこまで言われて彼女も気づいた。というより思い出した。そう……本来は今クリストフがいるポジションにはこそがいたはずなのだ。今回の戦でも自ら謹慎・・を申し出て領内に残留した主席軍師……


 クリストフは彼にしては嬉しそうに口の端を吊り上げて頷いた。


「そのまさかです。ようやく吹っ切れたか、アーネスト・・・・・よ!」

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