第三十幕 リクール軍vsラドクリフ軍
リクール軍の総大将を務めるテオドルフ将軍の元にラドクリフ軍発見の報が届く。彼等は州都ヴィエンヌを出立後、ひたすらリベリア州のクレモナに向かって北東方向に進みながら、同時に州境を接するラドクリフ軍の動向を探るべく東側方面に多くの斥候を出していた。
軍師セドリックの読みとしてはリクール軍との接触を避けたいラドクリフ軍としては、必ずキメリエス街道を北上し、クレモナに差し掛かる所でディアナ軍と衝突するはずであった。
ディアナ軍とラドクリフ軍は不俱戴天の敵同士というのは周辺諸侯としては周知の事実であったので、この2軍は互いに潰し合う可能性が高かった。仮に何らかの奇策で正面衝突を免れたとしても、双方迎撃部隊や遊撃部隊に相応の兵力を割く事になり、戦力低下は否めないはずであった。
その為テオドルフとしては主君の意向を汲んでラドクリフ軍の動向を探りつつも、実質の敵はそれ以外のサディアス軍やトリスタン軍などがメインになると踏んでいた。
「何……レーヌ川沿いに奴等の
それだけに斥候がもたらした報告はテオドルフの意表を突いたものだった。フランカ州とリベリア州を隔てる州境にはレーヌ川という大きな河が走っており、広さや深さも人や騎馬が歩いて渡れるような規模ではなく、太古より自然と東西を隔てる境界線の役割を果たしてきた。
だが広い河の周辺には森や岩場などの遮蔽物が何もなく見晴らしの良い平原が広がっている。その為小細工が出来ず、規模の大きい軍隊が行軍していればすぐに捕捉されてしまうという難点があった。
軍隊が通れる規模の橋はそれほど多く架かっていない為、接敵できる進入路は限られているが、現在その橋の1つはリクール軍が押さえてあった。先行してそこで待ち構えていれば確実に接敵できる。
こちらを警戒しているはずのラドクリフ軍がキメリエス街道を通らずに、捕捉される事を承知で州境の川沿いを北上している理由が解らず、テオドルフは軍師のセドリックに相談する。
「どう思う、セドリック? これは奴等の罠であろうか? 我等はラドクリフ軍への攻撃を優先すべきか、それとも天子の確保を優先すべきか……」
「ふむ……敢えて見つかりやすい場所を全軍で進軍する。これが奴等の作戦かも知れませんね。我等がリクール公よりラドクリフ軍を優先攻撃対象とするよう命じられている事は、当然向こうの軍師も把握しているでしょう。全軍で行動すれば、それを攻撃するには我等も全軍で当たるしかない。しかしそうなると肝心の天子の確保を行う戦力が足りなくなるし、ここで暢気に戦をしていればそもそも天子を他の諸侯に奪われてしまいます。そのジレンマを突く作戦でしょう」
セドリックの推察にテオドルフも難しい顔になる。
「確かに悩ましい選択だな。しかしその条件は奴等にとっても同じではないのか? ここで全軍で我等と一戦交えていては奴等も無駄に戦力を消耗するだけで、肝心の天子の確保は覚束くまい。そのようなリスクを冒すものかな?」
「そこは奴等もある程度リスクを承知で賭けに出ているのでしょう。今回の戦は誰も予測できず突発的に発生したもので戦場となる場所も固定されていない故、どの陣営も事前に罠や計略を仕掛けたりする余裕はありません。なれば互いの読み合いに全てが懸かってきます」
そして軍師であるセドリックが出した結論は……
「この機会に奴等を叩きましょう。全軍を以てアンドラ橋を渡った袂でラドクリフ軍を迎撃すべきです」
アンドラ橋とはレーヌ川に架かる橋の中で最も大きなものであり、軍隊が行軍するのにも適している。現在はリクール軍が所有権を押さえて通行税などの収入源ともなっていた。しかも10年ほど前の公共事業で補強されたばかりだ。
「良いのか? それでは天子の確保は難しくなるぞ?」
テオドルフの指摘にセドリックはかぶりを振る。
「……私の見た所、リクール公の目的は天子の後見人になる事より、ラドクリフ軍を叩いてあの『毒婦』に目にものを見せる、という方に比重が傾いていると思われました」
「……!」
「公の知名度と影響力は既に万民が認める所であり、皇帝などいなくともその権力は盤石です。しかもご自身も僅かとはいえ皇室の血を引いているのですから。今回の戦も他の勢力に渡すくらいなら、という程度の思惑でしょう」
「……なるほど、それならばいっそラドクリフ軍の本隊を叩く方がリクール公の御心に沿うという事か」
「そういう事です。それに肝心の天子争奪にしてもディアナ軍やサディアス軍、イゴール軍、それにならず者のトリスタン軍までいるのですから、何事もなく終わるはずがありません。上手く行けばラドクリフ軍と一戦交えた後でも我等が漁夫の利を得る事ができるやもしれません」
「ふむ、そうだな……」
テオドルフは軍師の意見を聞いた上でしばし黙考する。しかし決断は一瞬であった。
「よし、我等はアンドラ橋を渡って全軍でラドクリフ軍を迎撃する! 急ぎ伝令を回せ!」
兵力は元々こちらの方が多い上に、ラドクリフ軍はディアナ軍との小競り合いで先遣隊に兵力を割いている。将兵の質でも負けているつもりはない。それどころか奴等は将兵の士気に大いに問題を抱えている事が解っている。
自分が指揮を取って迎撃すれば正面対決でも問題なく勝てると踏んだのだ。
将軍の命を受けたリクール軍が進路を変えて、レーヌ川を渡るべくアンドラ橋を目指して進んでいく。立地的な問題でラドクリフ軍よりも早く当該地点に辿り着いて橋を渡り終えたリクール軍は、北上してくるラドクリフ軍を迎え撃つべく陣を整えていく。大掛かりな罠を仕掛けている余裕までは無い。
そしてここには迂回路などは無く敵軍はそのまま北上してくるしかない。絶えず出している斥候からもラドクリフ軍が北上してくる旨は伝えられていた。
「奴等、我々が待ち構えていると知りながら退却する気配が無いな。まさか本当にこのまま正面衝突するつもりか」
ラドクリフ軍が迂回したり退却したりという報は入ってこない。それどころか遂にこちらが目視できる範囲に行軍の土煙が見えてきた。
「どうやら奴等の軍師は彼我の戦力を冷静に分析する事もできない愚か者だったようですね。いえ、案外あの『毒婦』に
セドリックが失笑するとテオドルフも同意するように頷いた。
「ふん、それは大いに有り得るな。何と言っても女を主君に戴くような、男の風上にも置けぬ変人共だ。毎晩『毒婦』に精を搾り取られて
将軍の言葉にセドリックだけでなく周囲の将官達もラドクリフ軍への嘲笑を上げる。これは中原では共通の価値観であり、「男より劣った生き物」である女を主君に戴いているラドクリフ軍やディアナ軍は基本的にその他の諸侯からは常に侮蔑や嘲りの対象となっていた。
例えば麾下の武将を女性で固めているというマリウス軍などは、奇異や好奇の目で見られはしても、主君が男性であるが故に実際にはそこまで侮蔑の対象ではなかった。
それほどまでに中原に根差した男尊女卑の思想は根強いものであった。
だからこそ彼等の中にはラドクリフ軍に対する侮りがあったのは事実だ。しかしテオドルフやセドリックも勿論有能な将軍や軍師として、冷静に敵の戦力を分析してもいた。ラドクリフ軍の士気や兵力などから考えて勝算は充分にあると判断しているのである。
「さあ、それでは戦の開始だ。まずはありったけの矢の雨を浴びせてやれ! 身の程知らずにも我がリクール軍に盾突く愚かさを骨の髄まで叩き込んでやるのだ!」
テオドルフの号令によりまずは弓兵が迫ってくる敵軍に対して斉射を仕掛ける。ラドクリフ軍は歩兵が大楯を掲げて斉射を防ぎつつ着実に前進してくる。
「ふん、骨抜き軍とはいえ流石にこれで逃げ散る程ではないか。では仕方ない。白兵戦にて完膚なきまでに叩き潰してやるのみだ」
テオドルフは素早く陣形を整えて、歩兵と騎兵を前面に出してラドクリフ軍を迎え撃つ。彼の巧みな用兵と、財力に飽かせて揃えた質の良い武具に身を包んだ兵士達。勿論常日頃から訓練は欠かしていない。実戦経験も充分すぎるほどある。
ラドクリフ軍もそれなりに猛者ぞろいだという情報は勿論彼も知っていたが、それを踏まえてもなお正面衝突で負ける要素が一切なかった。だが……
「何……!?」
テオドルフは目を瞠った。自軍の精兵達が一方的に食い破られているのだ。他の戦線も最初こそ一進一退であったが、中央が食い破られると連鎖的に崩壊し始める。
「ぬぅぅ……一体何事だ! すぐに立て直せ! 女に従う弱兵ども相手に何をてこずっておる!?」
思わぬ戦況に苛立ったテオドルフが、それでも巧みな用兵と戦術で素早く崩れた戦線に増援を送り込んで立て直そうとする。
特に中央で暴れ回っている優に2メートルを超える醜い風貌の巨漢が、冗談のようなサイズの戦斧を振り回しながら凄まじい勢いで自軍の兵士達を薙ぎ倒していて手が付けられない。
「ぎははははは!! お、俺が……俺が、一番手柄だぁっ!! そしたら
「ええい、何だあの化け物は!? モンタギュー! オクレール! あれを何とかしろ! このままでは戦線が立て直せん!」
訳の分からない事を喚きながら異常なハイテンションで暴れ回る怪物に顔を引きつらせたテオドルフは、麾下の中でも特に武勇に優れた2人の武将に怪物討伐を命じる。
「ははっ!」「我等にお任せあれ!」
2人の武将は自身の得物を構えて吶喊する。モンタギューは長柄の戟、オクレールは両手持ちの大剣というスタイルだ。
「調子に乗るのはそこまでだ、化け物!」
「我等が成敗してくれる!」
左右から凄まじい勢いで挟撃を仕掛ける。その攻勢にさしもの怪物――ウルゴルも虐殺を止めて対処を余儀なくされる。巨体に似合わぬ素早さで後ろに跳び退って挟撃を躱す。
「ああ? 何だ、てめぇらはぁっ!? ご、ご褒美もらう、邪魔すんじゃ、ねぇっ!!」
風圧を伴う勢いで戦斧を回旋させて2人に襲い掛かる。迎え撃つモンタギュー達。近付いただけで巻き込まれそうな凄まじい剣撃の応酬。一進一退の攻防となる。
怪物の進撃は止められたが、2人の猛将をその為だけに使わざるを得ないのは誤算であった。しかもあの怪物はモンタギュー達2人を相手にしながら互角の戦いを演じている。見た目だけではなくその武勇も化け物じみていた。
しかし……暴れ回って戦線に穴を開けているのはその怪物だけではなかった。
「…………」
こちらの右翼つまりラドクリフ軍の左翼に、あの巨漢とは違って終始無言のまま、しかしそれとは裏腹に恐ろしい勢いと凄絶な剣捌きで周囲に血の雨を降らせる武人がいた。まるで感情がないかの如く淡々と作業をするように敵を斬り倒していく姿に、リクール軍の兵士達は恐怖した。
「ぬぅぅ……他にもいたか! フィリドール! 奴の相手は任せるぞ!」
「はっ……!」
テオドルフから指令を受けた武将フィリドールが寡黙な剣士の元に突撃する。彼は中原では珍しく剣と盾を扱う攻守に優れた戦士でもあった。
「名のある剣士と見た! その首もらうぞ!」
「……!」
寡黙な剣士――アートスは向かってくるフィリドールを油断できない相手と見做したのか、兵士達を虐殺する手を止めてその対処を優先する。たちまちの内に2人の剣士の激しいぶつかり合いが始まる。
中央と右翼で猛将同士の激しい戦闘が火花を散らす。テオドルフはその隙に態勢を立て直して左翼から攻め込もうとするが……
左翼つまりラドクリフ軍の右翼でも血煙が舞っていた。
「やれやれ……皆さんハッスルしちゃってまあ……。まあ
やはり中原では珍しい二刀流を自在に振るって周囲の敵兵を次々と血祭りに上げていくその男は、そんな殺戮を繰り広げながらそれとは裏腹に暢気に苦笑していた。
「ええい、左翼でもか! 誰か奴を止められる者はおらんのか!?」
戦況に苛立ったテオドルフが怒鳴ると、それに応えるように1人の男が進み出てきた。
「あれは……『双剣』のリカルドじゃないですかい。旦那、ここは俺にやらせて下さい。あいつとは一度戦ってみたかったんですよ」
名乗り出た男を見てテオドルフが鼻を鳴らす。
「ふん、ベルゲンか。いいだろう、傭兵同士で好きなだけ斬り合うがいい。もし奴を討てたらリクール公に仕官の口利きをしてやる」
「へへ、そのお言葉忘れないで下さいよ」
ベルゲンは獰猛に笑うと、二刀を振るって兵士達を殺戮するリカルドの元に突撃した。
「よう、リカルド! 双剣で鳴らしたお前が今や女の尻に敷かれてるとは落ちたもんだなぁ!」
「……! んん? お前さんは……ルドルフか! 何だ、今はリクール軍に雇われてるのかい。相変わらず節操がない奴だねぇ」
「はっ! 報酬が高い方に付く。勝ち馬に乗れそうな方に付く。傭兵としちゃ当たり前の話だろ! むしろお前の方が傭兵としては変人だろうがよ!」
「はは、違いないねぇ」
丁々発止のやり取りをしながら互いに隙を窺う2人の傭兵。傭兵同士が戦場で出会う事は珍しくない。昨日酒を交わした仲でも、戦場で出会えば即敵同士。傭兵としては当たり前の価値観であった。
ベルゲンの得物は太くて重い長槍。それをまるで細い木の棒ででもあるかのように軽々と振り回して神速の突きを放ってくる。リカルドもその突きをいなしつつ二刀を巧みに滑らせてカウンターで斬り付ける。凄腕の傭兵同士の一騎打ちが始まった。
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