第二十五幕 天子争奪戦(Ⅱ) ~陽と陰

 リベリア州ゴルガの街。帝都より皇帝が脱出・・したという噂は当然、ディアナの元にも届いていた。


「こ、皇帝、陛下が……!? そ、それは本当なのでしょうか……!?」


 場合によっては帝国全体を揺るがしかねない噂の報告に、ディアナは主だった将達を評定の間に集めて緊急審議の最中であった。 一同を代表して軍師のアーネストが首肯する。


「無論私の方でもこの情報の真偽を確かめるべく各地に放っている密偵に精査させましたが……どうやら事実のようです。ルナン帝は現在帝都におられない事は間違いありません」


「……っ!」


 ディアナが息を呑む。優秀な軍師ほど情報収集の正確さと迅速さの重要性を熟知しているので、同一州内は勿論この中原全体の情勢を把握すべく帝国全土に密偵を放っているのが普通だ。勢力が大きくなればなる程、こうした諜報活動費に多額の予算を割けるようになるのだ。ラドクリフ軍のオズワルドも、そしてその他の巨大勢力の軍師も当然アーネストと同じ情報を既に得ている事だろう。



「いない、だけでは済まなかろう。お前の事だ。既に皇帝陛下が何故・・いないのか、そしてどこに・・・いるのか、大体の事は掴んでいるのだろう?」


 アーネストの父親であるカイゼルが重々しい声音ながら、それが当然のように確認する。アーネストは苦笑した。


「勿論ですよ、父上。皇帝の今回の行動はサディアスの保護・・によって引き起こされたものなのは間違いありません。私も一度帝都で相まみえましたが……あのサディアスという男は危険です。奴が皇帝を擁して天子の後ろ盾まで得てしまうのは殺人者に刃物を与えるようなものでしょう。そういう意味でルナン帝の気持ちは理解できます」


 アーネストがそう言うと官吏長のバジルが鼻を鳴らす。


「俺はそれよりも大変な事をしでかしてくれたという気持ちの方が強いな。この情報を聞いた諸侯達がどういう行動に出るかは火を見るより明らかだ。皇帝のやった事は結果としてこの中原にとんでもない混乱をもたらしただけだ」


「……っ」


 バジルの容赦ない評価にディアナはまるで自分が言われたかのように胸を締め付けられた。混乱をもたらした。そう言われると確かに反論のしようもない。だがルードの気持ちを慮ると、ディアナには到底それを糾弾する気にはなれなかった。


「へっ、俺はむしろ皇帝を見直したぜ? ただ大人の言いなりなだけのお坊っちゃんかと思ってたが、こんな大胆な脱出劇を仕掛けるたぁ中々どうして行動力があるじゃねぇか。それに俺達武官にとっちゃ中原が混乱すりゃそれだけ暴れられる機会も増えるってもんだしな。なぁ、シュテファン?」


 ヘクトールが不敵に口の端を吊り上げながら隣に座すシュテファンに同意を求めるが、当の義兄は苦虫を噛み潰したような表情でヘクトールを睨んだ。


「お前と一緒にするな。本来必要のない戦が発生するのは、決して歓迎すべき事ではない。この不確定要素によって、これまで入念に準備してきた対ラドクリフ軍の戦略が根底から崩れてしまう可能性も無きにしもあらずだ。私としては厄介な事をしでかしてくれたというのが正直な気持ちだな」


 それは慎重さを尊ぶ義兄らしい意見であった。幕僚たちの意見にアーネストが再び頷く。


「確かにバジルやシュテファン殿の言う事も尤もです。これは紛れもなく大変な混乱をもたらす不確定要素です。しかし……場合によってはこれは我が軍にとって天啓・・とでも言うべき事象かも知れないのです」


「天啓、ですか?」


 ディアナは首を傾げた。この中原でも祖霊から何らかの意思を告げられたり予言を受けたりする時に天啓を受けたと表現する事はある。


「ええ、そうです。ルナン帝もただ何の考えや展望もなく脱出したはずがありません。サディアスの保護を嫌ったという事は、それに代わる別の勢力・・・・の庇護を求めているはずです。そしてディアナ殿は現在この中原において唯一・・、オウマ帝国の復興を公に掲げています。そしてルナン帝はロージアンを脱出して以降、ひたすら南東・・を目指して進んでいるらしいという事が解っています。これらの事実をつなぎ合わせると、ルナン帝の目的が見えてきませんか?」


「レイ……お前はまさか、ルナン帝がこのディアナ軍の庇護を求めて南下していると申すか?」


 カイゼルが目を瞠るが、息子のアーネストは自信ありげに頷く。


「可能性は充分にあります。ルナン帝は明らかにこのリベリア州を目指しており、そして間違っても毒婦エヴァンジェリンや死に体のリオネッロを後見人に選ぶはずがありません。ディアナ殿は民からの評判も良く帝国の復興を公言しており、尚且つディナルド殿やドゥーガル殿そして何より父上といった、かつての帝国の著名な忠臣達が参加しております。皇帝が後見勢力として選ぶ条件は他勢力より遥かに整っているはずです」


「確かにそうだが……それだけでリスクを犯してまで帝都を脱出するものか?」


 シュテファンが疑問を呈するとアーネストもかぶりを振った。


「そこまでは私にも分かりません。何か他にもディアナ軍を信頼する理由があるのかも知れませんが……」


 アーネストもあくまで状況や情報から判断しているだけだ。ルナン帝の心の内など分かりようもない。それはここに居並ぶ諸将達も同様であった。だが……他ならぬディアナだけは違った。



(ルード……あなたの方から私の元に来てくれようとしているのね……?)



 他の誰にも分からないであろう真相・・をディアナだけが知っていた。リベリア州は帝都から余りのも遠く、彼女は凱旋に間に合わなかった。ならば今度は間に合わせてみせる。



 ディアナは席から立ち上がった。急な動作であった為にその場の全員の視線が集中する。


「レア……? 急にどうした?」


「もう審議は充分です。アーネスト様の仰る通り、ルナン陛下はこのゴルガを目指しているはずです。私には分かるんです。だからそれを前提として動きます」


 彼女は唖然として見上げる諸将達を逆に睥睨して腕を振った。


「時間は敵です。こうしている間にもルナン陛下の元に、サディアスや他の諸侯たちの魔の手が迫っています。彼等に陛下を保護・・させては絶対になりません。陛下のご意思に応え、何としても私達が陛下をお救いするのです。すぐに捜索兼救出部隊を編成して出撃します。これは決定事項です」


「……!!」


 有無を言わせぬディアナの決意に満ちた態度に、年上の男達が反射的に頭を垂れて受諾の意を示す。君主たる彼女がそう決めたのであれば、彼等に否はない。その意を汲むべく全霊を尽くすのみだ。


 それに確かに皇帝の臣下を自認するディアナが、当の皇帝の庇護勢力になれることの意義は大きい。本来は帝都まで勢力を拡大しなければ実現不可能であった上洛が、何と皇帝の方からやってきてくれるというのだ。


(ルード、待っていて。今度こそあなたを救い出してみせる。そして一緒にこの中原を帝国の名の下に取り戻そう)


 ディアナの目は慌ただしく動き始める臣下達を通り越して、一路この街を目指しているであろう少年の姿を想像するのであった。




*****




 ディアナ軍がゴルガで審議を行っているのとほぼ同時期。同じくリベリア州の州都・・エトルリア。その政庁を兼ねる壮麗な宮殿『ミラネーゼ宮』でも、やはり同じ情報に関する審議が開かれていた。


「……以上の情報から、ルナン皇帝がこのリベリア州を目指しているのはほぼ確定と思われる。それも……恐らくはゴルガ・・・が目的地と推察される」


「……っ!!」



 ミラネーゼ宮殿内にある大きな会議室にラドクリフ軍の主だった諸将が集っている。その部屋の最も上座の豪華な席に腰掛けて、軍師であるオズワルドの報告に目を吊り上げるのは、このラドクリフ軍の君主である『毒婦』エヴァンジェリン・ラドクリフその人。


「ゴルガ……? よりにもよってあの小娘の所に? 何故? 何故なの!?」


 ヒステリックな主の問いに答えたのはオズワルドではなく、ラドクリフ軍の内政を統括しているフレドリックであった。


「それはやはりディアナ殿が帝国の復権・・・・・を公に掲げているからでしょうな。それにかの『救国の英雄』も加わっているとなれば皇帝が当座の後見人として頼るには充分な材料かと」


「帝国の復権……。ふん、馬鹿馬鹿しい! そんな民衆の人気取りの御為ごかしに騙されるなんて、皇帝といっても所詮は世間知らずのお坊ちゃんだわ! あの綺麗事しか言わない良い子ちゃんの腹の中にあるのは、醜くてどす黒い自己顕示欲だけよ!」


 下品で華美で露出度の高い衣装に身を包んだエヴァンジェリンが忌々しそうに鼻を鳴らす。列席している将達は「あんたがそれを言うのか」とほぼ全員が内心で思ったが、勿論それを口に出すような正直者は誰もいなかった。



「だがこれは考えようによっては絶好の好機かも知れんな。このリベリア州は帝都からは遠い故にその機会はないと思っていたが……ディアナ軍に先んじて動けば、我等が皇帝を保護・・できるやも知れんぞ?」


 エヴァンジェリンの実弟であるユリアンが酷薄な笑みを浮かべて自分の顎を撫でる。皇帝を保護してその後見勢力となれば自分達こそが官軍・・という立場になれる。中原のあらゆる諸侯や民に対して正当性・・・が生まれるのだ。この意義は計り知れない程に大きい。


 帝国主計官のギデオンの権限で強引に官位を得たに過ぎず、半ば賊軍のような扱いであるエヴァンジェリンとラドクリフ軍からすれば、中原に認められる正当性は喉から手が出る程欲しいものでもあった。


「しかし皇帝が我等を後見勢力として認めると思うか? 保護したはいいが皇帝が我等をあくまで拒否すれば、却って逆賊扱いに拍車が掛かるぞ」


 ハイランドの名門出身であるメルヴィンがそんな懸念を呈する。同じ事はディアナ軍以外の他の諸侯にも言える事ではあるが、皇帝自身の自発的な声明が必要だ。無論サディアスがそうしているように、有無を言わさぬ状況を作ってしまえば皇帝も自分達を後見勢力として認めるしかないのだが、それだと今回のように常に反抗の芽を残す事にもなってしまう。


「それはそうですが、そこは上手く宥め賺すなどしてやるしかないでしょう。何と言っても皇帝の後見勢力となれば、丞相・・の地位さえ望めるのですから。大都督さえ上回るこのオウマ帝国最上級の官位ですぞ」


「……!」


 フレドリックの『丞相』という単語にエヴァンジェリンが反応した。


「丞相……。この私が、帝国の丞相……。ふ、ふふ……うふふ」


 虚ろな笑い声を上げると、呆気に取られている諸将を逆に見渡した。



「決めたわ。お前達、何としてでも皇帝を確保してここに連れてくるのよ」



 彼女は席から立ち上がった。そして男達に見せつけるように露出度の高い衣装からはみ出した肢体をくねらせる。


「うふふ……皇帝はまだ10代の初心な青年だと言うじゃないの。おあつらえ向きだわ。ここへ連れてくる事さえ出来れば……この私の『力』で骨抜きにして、私なしでは生きていけないようにしてあげるわ。そして何も考えずに私の言う事だけを聞くペット・・・になるのよ。うふふふ」


「……!」


 つまり皇帝を肉欲で籠絡すると言っているのだ。天をも恐れぬ所業だが、幸か不幸かここにいる男達はいずれも同じように彼女に籠絡・・された者達で、そのような一般的な倫理観など消え失せて久しい。


 そして自分達の主君の『力』を身を以て体験している彼等は、彼女の言う通りここに連れてくる事さえ出来れば確実に皇帝を取り込んで・・・・・しまえると確信した。



「さあ、行くのよ、お前達! そして皇帝を洗脳して、皇帝自らの勅令でディアナ軍の討伐を命じさせてあげるわ。その時あの小娘がどんな顔をするのか想像するだけで身体が昂ぶってくるわ! おほほほほ!」


 狂笑を上げながら配下達に出撃を命じるエヴァンジェリンの脳内では、無様に処刑台に引っ立てられ、自分と皇帝によって死刑を宣告されて絶望に虚脱するディアナの顔が、その光景が明瞭な映像となって浮かんでいるのだった……



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