第二十六幕 中原狂騒曲

 ハイランド州にある『帝国の中心』たる帝都ロージアン。七曜宮の中でも最も壮麗と謳われる『シャリーア宮』は天子たる皇帝が住まう居城としても名高い。しかし……現在この宮殿には本来いるべき『主』が不在であった。


「……ゴルガ、だと? リベリア州の? 間違いないのだな、チェスター?」


 シャリーア宮内部にある高官用の執務室。最近になってこの部屋の主となったサディアス・デューク・アシュクロフトは、報告を持ってきた軍師チェスターに向かって鋭い眼光を投げかける。主の問いを受けたチェスターは益々平伏する。


「は……多角的に情報を分析した結果、ルナン帝は間違いなくリベリア州のゴルガを拠点とするディアナ軍の元に向かっていると思われます」



「ディアナ軍……【戦乙女】ディアナ、か」


 椅子の背もたれに身を預けてサディアスは溜息をついた。その名は彼も聞き及んでいた。そしてそれがすぐに、以前に帝都でまみえた事のある少女武者である事に気づいた。年若い少女でありながらサディアスに真っ向から立ち向かったあの瞳を思い出す。


 今は一つの郡を支配して【公】にまで成り上がった前代未聞の少女君主。無論その躍進の陰にはかつてサディアス自身が勧誘しようとしたあの側近たちの働きがあるのだろう。だがその優秀な武将達の力を十全に引き出しているのは紛れもなくあの少女の資質だ。



「あの時帝都で討ち漏らした奴等か。辺境のリベリア州とは言え、まさか一つの郡を支配するまでに成り上がるとはな。お前の予感はある意味で正しかった訳だな」


 サディアスと同じ事を考えていたらしい腹心の将グレングスが唸る。サディアスが自身の野望を叶える為に動き出した当初から彼に仕えている歴戦の将であり、サディアス軍でも屈指の猛将であった。


「そういえばあの時はルナン帝の横槍がなければそのディアナという少女を討ち果たせていたはずなんですよね。今こうしてルナン帝がそのディアナの元に向かってるのは偶然なんでしょうかね?」


 グレングスに比べると大分線が細いが、その外見からは想像がつかない程の猛将であるマルスタンがそんな疑問を呈する。マルスタンも以前に帝都でディアナ達を追い詰めた際に彼女らとまみえている。



「さて、どうであろうな。だが偶然であろうとなかろうとどうでも良い。我等のやる事は変わらん。ルナン帝の居所と目的地が解った以上、ただちに救出部隊・・・・を編成して皇帝を保護・・し、この帝都へお戻り頂かねばならん。帝都に天子が不在であってはならんのだ。少なくとも今はまだ・・・・、な」


 サディアスは立ち上がって居並ぶ配下の将達を睥睨する。軍師のチェスターが顔を上げた。


「恐れながら閣下。部隊の規模はどの程度と致しますか? 余りに手勢を割き過ぎると、最近イスパーダ州で頭角を現しつつある【西海の風雲児】に後背を突かれる事にもなりかねません」


「西海の風雲児……トリスタンか。確かに無視できぬ勢力になりつつあるな……」


 ハイランドから見て西のイスパーダ州は今まで混沌としており、目立った躍進勢力は現れていなかったのだが、ここ一年ほどの間にセリオラン海に面した港町カーグアスの太守であったトリスタンがイスパーダ州都のバレンシアを制圧し、それを境に急速に勢力を伸ばしていた。サディアス軍とてこの帝都を含め既に5つの都市を領有する大勢力となっていたが、そんな彼等をしても決して油断できない相手になりつつあるのがトリスタン軍であった。


「だが私の予想ではトリスタンもまたこの報を聞いて動くはずだ。皇帝の権威を我が物とするためにな。いや、ヤツだけではない。その他の有力な諸侯たちも同様だ。これは……それほどの甘美な『餌』だ。だから今この時に限っては他勢力への警戒は必要最小限とする。そしてそれ以外で動員できる全ての兵力をこの作戦に充てるのだ。最早皇帝の不在を隠す理由もない故な」


 これだけ噂が大体的に広まってしまえば、既に殆どの有力諸侯たちの耳に今回の報は届いているはずだ。ならば緘口令など解除して、もてるリソースの全てを割いて皇帝の『救出』に当たらせた方が得策だ。


 そう判断したサディアスは素早く命令を下す。グレングスら麾下の武将達はその意を汲んで即座に南下の準備を整えていく。


(見ているが良い、皇帝よ。そしてディアナよ。私はこんな事で止まりはせん。いや、こうなればこの状況すら利用してみせよう。ディアナ軍も、他の邪魔する諸侯共の軍も、皇帝を連れ戻すのと同時にこの機会に大打撃を与えてやる)


 サディアスは野望に燃える瞳で、皇帝が向かっているであろう南のリベリア州のある方角を見据えるのであった。




*****




 西部イスパーダ州の州都バレンシア。政庁を兼ねる七曜宮の一つ『ムルシア宮』。ごく最近名実ともにこの宮殿の主となった【西海の風雲児】トリスタン・カミロ・アギラルは現在、宮殿の催事ホールで大規模なの真っ最中であった。


「はははは! お前ら、存分に食って飲んで英気を養っておけよ! これから始まる楽しい楽しい……天子争奪戦・・・・・って名前の祭り・・に備えてなぁ!」


 君主の呼びかけに、宴に参加している配下の将兵達が歓声で応える。彼等はテーブルに並べられた豪勢な料理や酒に舌鼓を打ちながら友人や同僚と思い思いに歓談したり、気に入った給仕の女官を抱き寄せたりして、ホールは混沌とした賑わいを見せていた。



 そんな頽廃の光景を笑って見渡しながら君主のトリスタン自身も上座にふんぞり返って、両脇に自身が選りすぐった寵姫達を侍らせて、彼女らの酌で酒を飲みながら無作法に肉の塊を頬張る。


 彼等はいずれもまるで海賊か山賊のような風体の男達ばかりで、とても正規の武将とは見えないような輩ばかりであった。自身も上半身裸で所狭しと入れ墨が掘られた筋骨逞しい肉体を露出するバレンシア公のトリスタンは、さながら海賊王といった所か。


 事実トリスタンは元々が半分海賊のような武装商船団の主であり、武力と財力に物を言わせて港町カーグアスの実権を乗っ取り、そのままたちの悪い賊や傭兵団などをどんどん吸収して勢力を拡大。遂には州都バレンシアをも制圧してしまったという背景があるので、途轍もなく規模の大きい賊軍とさえ言えたかも知れない。


「くくく……そんな俺がまさか天下の皇帝陛下の後見人・・・になれるかも知れねぇとは……世の中何が起きるか解らねぇな」


 トリスタンは楽しくて仕方がないという風に獰猛に笑う。そんな彼の元に何人かの男達が歩み寄ってくる。全員海賊のような出で立ちの荒くれ者で完全に泥酔しきっている。



「大将! 早く出撃したくて堪らねぇぜ! 皇帝を保護するなんざかったるい事するまでもねぇ。あのサディアスの野郎も他の勢力の軍も、邪魔する奴等は俺達がまとめてなぎ倒してやるからよ!」


 真ん中にいる一際巨躯の男が威勢よく吠える。荒くれ揃いのトリスタン軍にあって随一の猛将であるバルタザールだ。同意するように頷く周囲の男達も、いずれ劣らぬ一騎当千の猛者ばかりだ。トリスタン軍がこの短期間でここまで勢力を拡大できた要因の一つに彼等の凄まじい武勇があった。


 トリスタンは解っているとばかりに頷きながらも、それを宥めるように手を振った。


「ふは! 頼もしいな、バルタ! 勿論お前らには存分に暴れてもらうが、それとは別に必ず皇帝の奴も確保しなきゃならん。いずれは俺様が皇帝に成り代わる・・・・・のに必要だからな」


 彼の最終的な目的も他の多くの諸侯と同じくそれ・・であった。尤も彼はサディアス始めとした他の連中のようにまどろっこしい事をするつもりはない。自分達が皇帝を確保したら、かなり早い段階で皇帝に禅譲を迫るつもりであった。素直に言うことを聞かなければどんな手段でも取るつもりだ。


 トリスタンは席から立ち上がって両腕を広げた。


「さあ、お前ら、遠慮はいらねぇ! 今日は思う存分食って飲んで女を抱け! 俺達の栄光の未来はもうすぐそこまで来ている! 明日からは俺達の伝説が始まるぞ! 邪魔する奴等は皆殺しだぁっ!!」



 ――オオオオォォォォォォォォ!!



 大きなホールを揺るがすような大歓声と怒号が轟く。そして狂気と暴虐の軍隊が東進を開始した。




*****




 広大な穀倉地帯で有名な南部フランカ州。現在この州では元から州都ヴィエンヌを擁し、順調に勢力を拡大しているリクール軍が最有力躍進勢力であった。


 そのリクール軍の本拠たる州都ヴィエンヌ。その政庁を司る宮殿『ル・アーヴル宮』。七曜宮でも帝都ロージアンのシャリーア宮に次ぐ贅を尽くした絢爛さで知られる大宮殿。その謁見の間にある玉座に腰掛けて、眼下に居並ぶ将兵を見下ろすのはリクール軍の君主たるリクール・イヴォン・エルヴェシウス。


 ヴィエンヌ公の名に相応しい豪華な衣装に身を包み、フランカ人らしいくすんだ金色の巻毛を垂らしたリクールは、まだ20代後半と思しき典雅な雰囲気の若者であった。


 父祖の代からこの州都ヴィエンヌを治めてきた由緒正しい家系であり、現在の帝室とも僅かだが血縁関係にあるという高貴な血統。名実ともに大勢力を率いるに相応しい生まれながらの貴族であった。



「閣下、出撃の準備が整いました。いつでも皇帝陛下の救出・・に向かう事が出来ます。なんなりとご命令を」


 将兵達の先頭でリクールに対して膝を着いて報告するのは天才的かつ大胆な用兵で幾多の勝利を重ね、リクール軍を躍進に導いてきた立役者、主力軍を率いるテオドルフ将軍である。


「うむ、流石はテオドルフ。よくこの短期間で軍備を整えてくれた。これであの逆賊サディアスに先んじて皇帝陛下を『保護』できるというもの。成り上がりの逆賊などではなく、高貴な血筋を引くこのリクールこそが天子の後見人に相応しいのだと世に知らしめるのだ」


 主君の言葉にテオドルフを含む将兵たちは一斉に膝を着いて平伏する。しかしそこで唯一、主席軍師であるセドリックが顔を上げる。


「閣下、この度の戦……敵はサディアス軍だけではございません。間違いなく他の有力諸侯たちも動きます。特に立地上イスパーダ州のトリスタン軍、トランキア州のイゴール軍、そしてリベリア州のラドクリフ軍の動きにはくれぐれも注意を払う必要があります」


 セドリックが挙げた軍はいずれもリクール軍と領土を接している有力諸侯だ。その中の一つの名前にリクールは不快げに顔をしかめる。



「ラドクリフ軍……『毒婦』エヴァンジェリンか。全く、サディアスのような成り上がりの逆賊だけでなく、あのような娼婦上がりの賤民までが生意気にも私に刃向かおうとは。丁度良いではないか。この機会にラドクリフ軍と名乗る賊共を討ち果たして、あの目障りな賤女を捕らえて私の前に引っ立てるのだ。くくく……ありとあらゆる拷問で責め苦を与えて縊り殺してくれる。それを邪魔する者共は全て蹴散らせ」



 酷薄に笑いながら命ずるリクール。生まれた時から公爵の家系で、戦乱の世が色濃くなってからも負け知らずで順調に勢力を伸ばしてきた彼らしい傲慢な命令でもあった。


「はっ……」


 テオドルフもセドリックも、その他の将兵も思う所は色々あっても、気まぐれで酷薄な主君にそれ以上の諫言をする勇気のある者はおらず、ただ深々と平服するのみであった。




*****




 中原にあって辺境と呼ばれる南西部のトランキア州。さらに南に下ると広大な樹海『アマゾナス』が広がっているだけの熱帯地方であり、ハイランド州とも直接接していない立地から辺境扱いとなっている。


 そんな辺境州の州都であるモルドバ。他州の州都に比べるとやや規模が小さく人口も少ないが、それでも南部屈指の大都市であるこの街の政庁もまた七曜宮の一角を占めている。


 『コンスタンツァ宮』という名のこの異国情緒あふれる宮殿においても、現在の主が天子争奪戦に意欲を見せていた。



「まさか皇帝陛下が御自ら帝都を脱出なさるとは。これで上洛の手間が省けた。そうは思わんか、アドリアンよ?」 


 モルドバの街を一望できる宮殿内のバルコニーから街を見下ろしていたモルドバ公のイゴール・エミル・グリンフェルドは、腹心の軍師であるアドリアンを振り返った。


「御意。ここで皇帝を保護する事が出来れば、我等は一躍中原の中心勢力に躍り出る事となります。閣下のお望みに確実に近づかれるかと」


 アドリアンは一礼してイゴールの望んでいた返答をする。しかし軍師として釘を刺す事も忘れていない。


「しかし我が軍は立地的に尤も天子の居場所からは遠い。天子の元に到達するには確実に間に立ちふさがるリクール軍やトリスタン軍などの勢力を相手取る必要があります。……相当の激戦混戦が予想されるかと」


「ふ……解っておる。だが逆に言えば我等は立地上、それらの勢力の後背を突けるという事でもある。うまく漁夫の利を狙う事が出来れば、最小限の損害で一人勝ちも可能というもの。そうだな、ジェイラス?」


 軍師の諫言に苦笑したイゴールは、もう1人このバルコニーに同伴している腹心の将軍ジェイラスに視線を向ける。武勇と用兵ともに優れたイゴール軍最強の武官だ。


「私にお任せ頂ければ必ずやご期待の戦果を挙げてみせます、閣下」


 ジェイラスは躊躇いなく請け負って一礼する。イゴールは満足げに頷いてから、しかし直後に若干の憂慮を滲ませる。 



「……マリウス軍とガレス軍。お前はどちらが勝つと見る、アドリアン?」



 同じトランキア州の別の郡をそれぞれ制圧している2勢力。上洛を目指すイゴールにとって目下の悩みの種であった。【伊達男】マリウスと【魔人】ガレス。どちらも完全に背を向けるには少々厄介な勢力に成長している。だが幸いな事にこの2勢力は互いを不倶戴天の敵と見做しており、どちらかが滅亡するまでは外に目を向ける事はないと思われていた。


 だが近々この2勢力間で決戦が行われる予兆があり、それを制したどちらかの勢力の次の標的は間違いなくこのモルドバとなるであろう。よってその決戦の結果如何でイゴール軍が取るべき戦略も大きく変わってくる。


「……正直分かりませぬ。単純な戦力だけで言えばガレス軍の圧勝でしょうが、奴等は所詮犯罪者や落伍者の集まり。軍としての結束の弱さを突かれれば敗北も充分あり得ます」


「そうだな……」


 イゴールが嘆息した。勝敗が読めない事がまた厄介でもあった。なのでイゴールとしては連中が相争っている間になるべく自勢力を拡大させて万全の態勢で迎え撃ちたいというのが正直な所であった。そこに降って湧いたのが今回の天子騒動だ。


 ここでうまく勝利を収めて天子まで確保できれば、イゴールの現在の悩みはほぼ全て解消できる。



「一種の博打だな。だがそれだけに勝ちを得た時の報酬は大きい。もう後戻りは出来んし、するつもりもない」


 イゴールは腹を決めるとジェイラスとアドリアン達に出撃を命ずる。彼の望みの全てを叶える事のできる『宝』を求めイゴール軍は一路、東を目指して出立していった。


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