第二十三幕 競争遊戯(Ⅲ) ~戦の落とし所

 彼女がそう決めれば後の話は早い。会談は両陣営の丁度中間地点で、互いに代表者3名を募ってとの事であった。戦場との事で帯刀はしたままで構わないらしい。


 使者から条件を聞いたディアナは了承し、彼女とクリストフ、そしてシュテファンの3名で会談に赴く事となった。ヘクトール達は部隊の指揮に戻って、もし何か不測の事態があればいつでも突撃できるように準備を整えておいてもらう。


 両軍が見守る中、それぞれの代表が馬に乗って進み出ていく。ラドクリフ軍からも3人の人物が進み出てきていた。どれもディアナにとって見覚えのある人物だ。



「ふ、ふ……あのパドヴァ湖での君主対談以来か。久しぶりだな、ディアナよ。次は戦場で会う事になると言ったが……また俺の『予言』が当たったな。お前が俺の物になるという予言が現実となる日も近そうだな?」


「……っ! ユリアン……!」


 中央で不敵な笑みと共に彼女を睥睨するのは、ラドクリフ軍の軍事面での実質的な総大将、ユリアン・アーサー・ラドクリフであった。君主エヴァンジェリンの実弟でもある。整った美丈夫の容貌だが、その傲慢で酷薄な表情が全てを台無しにしている。



「クリストフ……カイゼル師父の信念に賛同し戦乱の世を否定したお前が、よりによって軍師となっているとはな。自らの知略で戦を操る喜びに目覚めたのか?」


 向かって右側に控える敵軍の軍師……オズワルド・ヒュー・ゴドウィンが、自身の正面にいるクリストフに揶揄するような視線を投げかける。そう言えばアーネストと同門という事は、クリストフとも同門という事だ。クリストフはかぶりを振った。


「お前には解るまい、オズワルドよ。私が力を貸すのは、あくまでディアナ様に戦乱の世を終わらせる可能性を見出したが故。師父もまた同様だ。そして……お前もディアナ様にその可能性・・・・・を感じたという意味では同じなのではあるまいか?」


「……っ!」


 オズワルドが押し黙った。そして忌々しそうな表情で舌打ちして視線を逸らした。



「ふはは、このような興味深い場に同席できるとは思いませんでしたぞ。護衛冥利に尽きますなぁ、シュテファン殿?」


 向かって左側にいるのは、何となく軽薄な雰囲気の槍将軍レオポルド・ジャン・サルバトーレであった。フィアストラでディアナの暗殺を目論んで襲ってきた二人組の1人だ。あの時はファウストが加勢してくれなければ危なかった。


 気楽な調子で声を掛けられたシュテファンは対照的に眉を顰める。


「初対面の相手に気軽に名前を呼ばれる筋合いは無いが……その特徴からしてレオポルドとやらか。フィアストラでは義妹が世話になったそうだな……?」


「いやいや、礼には及びませぬぞ! 楽しんで頂けたようで何よりですな!」


 シュテファンの威圧にもなんら動じた様子無く皮肉で返すレオポルド。その相手を苛立たせる独特の調子に、シュテファンの額に青筋が立つ。珍しい義兄の反応に、ディアナは慌てて場を収める。



「あ、兄上、私なら大丈夫ですから落ち着いて下さい。……おほん! ユリアン、あなた達と無駄話をする気は一切ありません。用件があるなら早く言って頂けますか?」


「ふ……相変わらず遊び心が無いな。まあ良い。こちらの用件はお前達も察しが付いているのではないか?」


 ユリアンが勿体ぶって口の端を吊り上げる。まともに相手をして向こうのペースに嵌まる事は避けたいので、ディアナは黙ってクリストフに視線を向ける。彼は頷いた。



「……ここで一旦手打ち・・・にして、両軍とも同時・・にクレモナから撤退する。それがお前達の提案だろう?」



「……!!」


 ディアナは目を見開いた。だがユリアンは流石に苦い表情になりつつも否定しなかった。オズワルドが代わりに発言する。


「そうだ。我等はトレヴォリ、お前達はイグレッド。それぞれ一つの県を手に入れ、全くの骨折り損という訳ではない故な。クレモナに到着したタイミングが両軍ともほぼ同じであった時点で、この戦は引き分け・・・・だ。だからここは互いを監視しながら一旦引き上げるべきだ。そうであろう?」


「…………」


 引き分け。確かにその通りだ。この戦は実質的にはラドクリフ軍との競争・・のようなものだった。ゴールに到着したタイミングがほぼ同じで膠着状態になってしまった時点で詰み・・とも言える。


 ただしそれはディアナ軍だけではない。ラドクリフ軍にとっても同じ条件だったという点が重要だ。 


「確かにそうだな。ディアナ様、ここは受けるべきかと存じます。今なら互いに大きな損失を出す事無く撤収が可能です。奴の言う通りにはなりますが、我等もイグレッドを領有できたのは事実。落としどころとしてはとりあえず問題ないかと」


「そう、ですね……」


 クリストフの助言を受けてディアナは再び黙考する。


 彼女個人の感情としては折角ここまで強行軍したのだから、何としてもクレモナを手に入れたいというのが本音だ。だがその為には目の前のラドクリフ軍が極めて大きな障害となる。


 勿論不倶戴天の敵であるラドクリフ軍と決着をつける事は、本来であれば望む所だが、そうなると今度はクレモナに籠るリオネッロ軍が問題となってくる。リオネッロに対しても隙を見せる訳には行かないのだ。


 ここで手を打って互いに退けば、自分達もクレモナを手に入れられないが、ラドクリフ軍がクレモナを落としてしまう事態も防げる。確かにイグレッドは手に入ったのだから、落としどころとしては充分ではあるが……



「……解りました。撤収に同意しましょう」


 ディアナが顔を上げてそう告げると、正面のユリアンの笑みが深くなった。


「ふ……懸命な判断だな。安心しろ。我等もここは素直に撤収してやる。ただし退くのはこの一時だけ――」



「――ただしいくつか条件があります」



 ユリアンの台詞を遮るようにディアナが重ねて発言した。


「何……条件だと?」


 ユリアンの眉がピクッと上がる。彼だけでなくオズワルドやレオポルドも意外そうな目付きで彼女を見やる。いや、敵軍だけでなくクリストフとシュテファンもまた驚いたようにディアナを見つめていた。


 たった今思いついた条件であり、彼等にも相談していないのだから当然の反応だ。


「そう難しい事ではありません。今からクレモナに使者を出して、リオネッロ公もこの場に呼ぶのです。それか私達だけでクレモナに赴くでも構いませんが」


「……! 何だと……? リオネッロを?」


 ユリアンが訝し気に眉を顰める。ディアナは構わず続ける。



「ええ、そして……我が軍、ラドクリフ軍双方とリオネッロ軍の間で同盟・・を締結します」



「……!!」


 この場にいるのは敵味方ともに洞察力に優れた面々であった為、この時点で男達もディアナが何を狙っているかに全員気付いた。



「いやはや……クレモナを中立地帯・・・・にしようという訳ですか! 随分思い切りましたなぁ!」


 レオポルドが呆れたようにかぶりを振る。


「……そして中立地帯というだけでなく緩衝地帯・・・・にもする。そういう事だな、レア?」


 義兄の問いにディアナは頷いた。


「はい。ここでこのまま両軍が退いても、それでは結局また同じ事の繰り返しとなってしまいます。ならばいっその事、お互いにクレモナに手出しが出来ないようにしてしまえば良いのです。少なくとも……私達の間で決着・・がつくくらいの間は」


 それが中立地帯という意味。そして緩衝地帯という意味については……


「だがリオネッロがそんな条件を呑むかな? 確かに俺達に攻め込まれなくなるのは大きなメリットだろうが、反面奴も失地回復は不可能になる。そもそも俺達がクレモナを取らねば、隣接している他の州の勢力にいずれは横取りされるぞ。お前とてそういう事態は望んでいまい?」


 ユリアンの指摘は尤もだ。クレモナはリベリア州の北西端にあり、ハイランド州やガルマニア州、そしてフランカ州とも境を接している交通の要衝だ。放っておけばいずれはそれらの州からやってきた勢力に制圧されてしまうだろう。


 他州の勢力にリベリア州への侵攻の足がかりを作られるのは国家戦略として悪手だ。


「……いや、それでも条件次第では締結可能だ。例えば……クレモナが他州の勢力に侵攻された場合は、我が軍とディアナ軍双方から援軍を出す・・・・・・・・・という条件を添えるなどすればな」


「……!」


 オズワルドが陰気な口調で説明する。奴に自分の意を汲まれるのは甚だ不本意ではあるが、彼女が言わんとしている事と一致していた。


 この州を侵略しようとする共通の外敵・・・・・に対しては、ラドクリフ軍とも共闘は可能だろう。そしてクレモナを他州に対する防波堤代わりに利用しつつ、州内ではラドクリフ軍と改めて雌雄を決するという訳だ。


「しかし自分が防波堤代わりに利用されると知って、リオネッロ公が同盟を受け入れますかな? 結局失地回復が出来ぬことに変わりはありませんぞ」


 レオポルドが疑問を呈するが、それに答えたのはクリストフだ。


「確かにそうだが……それでもこの条件なら奴が受け入れる可能性は高い。自分もこちらに攻め込めないのはデメリットだが、どのみちトレヴォリとイグレッドを失ったリオネッロに即座の失地回復を図れるような戦力は残っていない。クレモナを防衛するので手一杯であろう。そうなると我等両軍から攻め込まれないだけでなく、逆に他州の勢力からも守ってもらえるとなればリオネッロにとってメリットの方がはるかに大きい」


「そうだな。そしてそのような状況であれば、失地回復を図るよりもむしろハイランドやガルマニアに進出していく方が容易だ。その辺りはリオネッロの才覚次第であろう」


 シュテファンも同意して口添えしてくれる。



「ふむ……」


 今度はディアナの提案に対してユリアンが思案する番となった。だが彼女は悲観していなかった。ユリアンも性格はともかく決して姉のように愚かではない。ならばこの場で取るべき選択肢は理解しているはずだ。


 やがてユリアンが顔を上げた。その表情はディアナにとっては不本意ながら、より彼女への興味に満ちていた。


「ふ、ふ……お前は本当に興味深い女だ。増々俺の物にしたくなったぞ」


 そんな余計な前置きをしてからようやく頷いた。


「よかろう。お前の思惑に乗ってやる。確かにそれがこちらにとっても最善の選択肢であるようだからな」


 彼がそう言いながら軍師であるオズワルドの方にチラッと視線を向けて確認を取ると、オズワルドもうっそりと頷いた。奴も同意するなら間違いはないという事だ。



 両軍の総大将が合意すればもう話は決まったようなものだ。両軍から同時にクレモナに使者を出して、リオネッロに同盟・・の件を伝える。勿論諸条件も文書で添えてだ。


 予想通りリオネッロは、同盟の期間・・を自分が決定するという条件で同盟を承諾した。そして代表としてディアナとユリアンが直接クレモナに赴き、リオネッロとの間で正式に同盟の調印を行った。


 この世にも珍しい形態の同盟は報告の使者を送る帝都だけでなく、中原全土に噂としてすぐに広がるだろう。


 これでディアナ軍は勿論だがラドクリフ軍も迂闊な動きは取れなくなった。簒奪や以前のエヴァンジェリンによる会談の約定違反でただでさえ評判が落ちているというのに、この上同盟破棄の悪名まで被るのは避けたいのが本音であるはずだ。


 両軍はこの場は大人しくそれぞれの領内に撤収し、クレモナへの監視の為に県境に砦を建造して互いの動向を見張る事となった。





 今回の戦はクレモナを入手する事が出来ずやや不本意な結果となったものの、これによってラドクリフ軍との決戦の準備や舞台が整ったとも言える。ディアナは目前に迫る一大決戦の予感に緊張と高揚を覚えた。


 しかし……丁度時を同じくして遥か遠くの帝都で大きく情勢が動き、ディアナもエヴァンジェリンも否応なくその混乱に巻き込まれていく事になるのだが、当然今の彼女はまだそれを知る由も無かった……

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る