第二十二幕 競争遊戯(Ⅱ) ~三竦み

そのままクレモナを目指して西進を続けるディアナ軍。ただしクレモナでも恐らく君主のリオネッロ公自身が親衛隊と共に立て籠もって抵抗してくるはずなので、いざクレモナに到着しても気力体力が尽きて戦えないでは意味が無い。なので最小限の休息や夜営はどうしても必要であった。


 逸る心を抑えながら休息を取って、翌朝には素早く行軍を再開する。リオネッロ軍には余剰兵力は皆無のはずなので、道中の妨害や遭遇戦は心配せずに行軍速度を重視する。


 それを何日か繰り返し、ようやくクレモナの街が視界に入る距離まで進軍してきたディアナ達。



「ディアナ様、クレモナの街に到着しましたぞ!」


 クリストフの報告に、女性の身でありながら強行軍に耐え、懸命に兵士達を鼓舞し続けてきたディアナが目を輝かせる。


「ようやく着きましたね! ラドクリフ軍は!?」


「今シュテファン殿がキメリエス街道方面に斥候を出しているはずです。もう間もなく戻ってくると思われます」


 キメリエス街道とはクレモナから南に伸びてトレヴォリに続いている街道の名前だ。つまり……ラドクリフ軍が北上してくると思われる街道だ。



 そう待つ事も無くシュテファンが本陣に帰投してきた。ただしその表情はいつにも増して厳しいものになっていた。ディアナは長い付き合いから義兄のその表情だけで全てを察した。


「兄上……奴等も来ているのですね?」


「うむ、残念ながらな。兵力は恐らく1万弱と推察される」


「……!」


 ディアナは唇を噛み締めた。間に合わなかった。やはり奴等もトレヴォリを陥落させた後、そのまま北上してきていたのだ。これで奴等は5県を領有する巨大勢力になってしまった。


 いや、奴等がクレモナに攻め入って落としてしまう前にこちらも辿り着けたので、そういう意味ではまだ最悪の事態だけは避けられたと言えるが。


 ラドクリフ軍の方が兵力が多いが、これは双方の領有している県数の差がそのまま表れている形だ。しかも向こうは人口ではリベリア州随一の州都エトルリアを抱えているのだ。この差はどうしても埋められる物ではない。


 兵力の差は将兵の質で補えるものだが、リオネッロ軍と違ってラドクリフ軍にはこれまでディアナ自身も辛酸を嘗めさせられてきた猛者たちが多数揃っている。軍略面でもあのオズワルドがいるので、こちらのアーネストやクリストフに劣るものではないだろう。


 これまで戦ってきた敵勢力とは違う。間違いなく強敵と呼べる相手だ。ディアナは緊張に喉を鳴らした。


「……レア、大丈夫だ。我等を信じろ」


「……! 兄上……はい、そうですね。強敵との戦を前に総大将たる私が怖気づいていては駄目ですね」


 信頼する義兄に励まされてディアナは気を引き締めた。ここまで来た以上後には引けない。何としても奴等との戦いに勝利するまでだ。



 だが軍師であるクリストフは何やら思案顔になって首をひねっていた。


「……ふむ。ここにいるのが我等両軍だけであれば、間違いなく雌雄を決する大戦となりましょうが……クレモナには未だにバルディア公のリオネッロが立て籠もっております。これがどう影響を与えるか……。オズワルドも恐らく今頃は同じジレンマを抱えている事でしょう。となると……」


「ク、クリストフ様……?」


 ディアナが訝しんで声を掛けると彼は思考を中断して向き直った。


「ああ、失礼しました。とりあえず奴等の動きに警戒しつつ、このままクレモナまで進軍しましょう。そしてクレモナとラドクリフ軍、双方を監視できる位置に陣を張るのです」


「わ、解りました」


 クリストフの勧めもあり、どのみちこのまま引き返す事はできないので進軍を続けたディアナ軍は、クレモナの街の間近まで迫るとそこでいったん進軍を停止して陣を張った。クレモナの城壁上にはリオネッロ軍の残党が徹底抗戦の構えで待ち受けているのが見えた。



「やはり降伏する意思はないようですな。いえ、本来・・であれば降伏してもおかしくない戦力差なのですが……どうやらリオネッロもこの状況・・・・が上手く利用できると考えたのかも知れません」


「……!」


 クリストフの言葉と彼が指し示す方向に視線を向けたディアナは再び僅かに緊張した。キメリエス街道方面から大量の土煙と共に行軍音。それと同時に今のディアナ軍をも上回る陣容の大軍が出現した。その軍が掲げている旗には君主・・であるエヴァンジェリンを象った女性のシルエットが描かれている。


 ラドクリフ軍だ。接近してきた奴等も同じように陣を張ってこちらの出方を窺う構えとなる。


 同盟を組んでいる訳でもない敵対勢力同士が、ほぼ同じタイミングで同じ城を攻撃対象とする。こういったケースは中原に於いて皆無とまでは言わないが、極めて珍しい状況である事は確かだ。


 敵と味方だけの単純な構図のはずの戦が、こうなってくると複雑な様相を呈してくる。



*****



「考えられる選択肢としてはいくつかのケースがあります」


 奇妙な三角関係で睨み合う3つの軍。ディアナ軍はとりあえず本陣にディアナ自身を含めて主だった武将たちを集めて軍議を開いていた。クリストフが集まった面々の前で状況を説明している。


「まず第一にラドクリフ軍に対して共闘・・を持ち掛けて、とにかくまずはクレモナを落としてしまうというパターンですね」


「奴等と共闘だぁ? 話にならねぇな! 奴等、絶対に城を攻めている最中に俺らの背中を刺しにくるに決まってるぜ」


 クリストフが挙げた選択肢に真っ先にヘクトールが鼻を鳴らす。ファウストもそれに同意した。


「そうですね。それに実際に刺しに来るのも勿論ですが、そういう危険があるというだけで互いに連携など不可能でしょう。双方が互いに相手を陥れようとして、またそれを警戒する事で、まともな作戦行動そのものが出来なくなってしまいます」


 彼等の言い分にクリストフ自身も解っているとばかりに頷いた。


「私も皆さんと同意見です。なのでこれは最初から除外されて然るべき選択肢でしょう。次に第二の選択肢ですが……逆にクレモナを無視して、とにかくこの場でラドクリフ軍と雌雄を決するというパターンがあります」


「……!」


 ディアナが再び緊張する。現実的に考えたらそれが一番妥当な選択肢だ。だがここでシュテファンが難しい顔になる。


「無論奴等に後れを取るつもりは無いが……この状況で正面衝突となれば、ラドクリフ軍の戦力や兵力を鑑みた場合こちらも相当の犠牲や損失を覚悟せねばならん。クレモナに籠るリオネッロ軍もまだ2000程度の兵力は残しているだろう。リオネッロは間違いなく漁夫の利を狙っているはず。となれば奴の思惑通りの状況となるのも危険やもしれん」


 慎重さを尊ぶシュテファンらしい意見と言えた。


「そうだなぁ。それにこっちには嬢ちゃんもいるしな。総力戦になったらちっとリスクが大きいかも知れねぇな」


 ゾッドも厳つい顎鬚を撫でながら頷く。ラドクリフ軍には恐らくエヴァンジェリンはいないだろう。あれは自ら軍を率いるようなタイプではない。


 君主が総大将となれば軍の士気や統制が上がるメリットがあるが、反面戦によって君主が討ち死にしてしまう可能性があるというデメリットとも抱き合わせとなる。


 この場でラドクリフ軍と総力戦というのも色々状況を考えると難しそうだ。



「……第三の選択肢として、第二の選択肢の延長上になりますが、クレモナに密使を送ってリオネッロと同盟を結んでおくというパターンがあります。その上でラドクリフ軍と戦うという訳ですね」


 この中原に於いて同盟というものは、一旦契約を結んでしまえばその期間内に裏切るという行為は、信義にもとる悪行として中原の間で悪名が広がってしまう。なので余程の事が無ければ同盟を結ぶ事さえ成功すれば、少なくとも期間中は裏切られる心配はしなくていい。


「だがそれだと俺達が奴等に勝った後、俺達もクレモナに攻め込めなくなっちまうぜ」


 ヘクトールが腕を組む。彼の言う事も尤もで、ディアナ軍は多大な犠牲を払ってラドクリフ軍との戦いに勝利して、得られたのはイグレッドのみという割に合わない戦果となってしまう。 


 しかもリオネッロ側にもメリットが無くては同盟は結べない。恐らくかなり長い期間を吹っ掛けてくるはずだ。そうなるとクレモナに蓋をされてしまう形となり、今後の戦略にも影響が出てくる恐れがある。


「……それにラドクリフ軍も同じ事を考えぬとも限らんからな」


「……!」


 義兄の発言にディアナもその可能性に思い至る。向こうにもオズワルドがいるので、こちらが提示しているような選択肢は当然ラドクリフ軍の方でも検討されていると思っておくべきだ。



「おいおい、そうなるとどうすりゃいいんだ? ここでずっとあいつらと睨めっこしてても埒が明かねぇぞ」


 ゾッドが呆れたように手を広げると、クリストフは顎に手を当てて考え込む姿勢となる。


「ふむ……そうですね。止むを得ませんが、ここは第四・・の選択肢しか無いかも知れません」


「え……他にもあるのですか?」


 ディアナが思わずクリストフを仰ぎ見る。ただ彼の表情を見る限り不本意な選択肢ではあるらしい。


「ええ……相手側でも今頃は同じような軍議が開かれているはずですが、オズワルドがいるなら恐らく私と同じ結論に達するでしょう」


 彼がそう断言した時、天幕の外に伝令の声が響いた。



『も、申し上げます! ラドクリフ軍からの使者・・が来ています! 両陣の中央で、それぞれの代表団による会談・・を申し出てきております!』



「な……か、会談!?」


 伝令の内容に驚き目を瞠ったのはディアナと猛将陣だけであった。クリストフとシュテファンはこの展開を予想していたらしくそれ程驚いてはいなかった。


「やはり来ましたか……。ディアナ様、ここは受けた方が宜しいかと進言致します」


「クリストフ様? これがあなたの言っていた第四の選択肢という事なのですか?」


「恐らくそうでしょう。他に奴等が会談を申し入れてくる理由がありません」


 受けるか受けないかの決定権は、君主であり総大将でもあるディアナにあった。彼女はしばし黙考した上で決断した。


「解りました。とりあえずやってきた使者に会いましょう。その上で向こうが提示する条件に納得できれば会談を受ける方向で行きます」

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