競争遊戯

第二十一幕 競争遊戯(Ⅰ) ~イグレッド攻略

 リベリア州北西部に広がるバルディア郡。クレモナ、トレヴォリ、イグレッド。3つの県を持つこの郡の最も東寄りにあるイグレッド県。その県都であるイグレッドに繋がる街道沿いでは現在、激しいの真っ最中であった。


 守備側はバルディア公・・・・・・リオネッロの率いるリオネッロ軍約5000。対して侵攻側は東のフィアストラを経由して進軍してきたディアナ軍約8000。



 北のガルマニアと南の『嘆きの荒野』への最低限の守りだけを残した全軍による侵攻であった。ディアナがソンドリア郡を地盤を固めている間にバルディア郡でも大きな動きがあり、クレモナの太守であったリオネッロが残るイグレッドとトレヴォリとの戦に勝利して、ディアナ軍とラドクリフ軍に遅ればせながら一つの郡を掌握して『バルディア公』にまで成り上がっていたのである。


 勢力としては3県領有でディアナ軍とほぼ互角。でありながら何故双方の兵力に差があるのか。それは……州都エトルリアを有しこのリベリア州で現在最大の勢力を誇るラドクリフ軍もまた北上を開始しており、やはりバルディア郡のトレヴォリに攻め入っていたからである。


 というよりこのラドクリフ軍の動きを察知して、ディアナ軍もまたそれに遅れまいと西進を開始したという経緯があった。現在ラドクリフ軍は州都エトルリアを含めて4県を領有しており、国力ではディアナ軍を上回っている。ここでバルディア郡まで奴等に制圧されたら彼我の戦力は最早覆しようもない程に開いてしまう事になる。


 それを避け、そしてディアナ軍自身も勢力の拡大を狙って最寄りのイグレッドへと侵攻したのだ。


 堪らないのはバルディア公のリオネッロだ。彼としてはラドクリフ軍かディアナ軍のどちらかと与して残った勢力を叩く戦略を計画していたが、その前に双方の軍が示し合わせたように侵攻してきてしまったのだ。


 やむなくトレヴォリとイグレッドの双方に兵力を分けねばならなくなった為に、現在イグレッドもディアナ軍有利に事が運んでいた。だが恐らく状況はトレヴォリを攻めているはずのラドクリフ軍も同じ事だろう。


 となれば何としても目の前の敵軍を速攻で蹴散らしてイグレッドを制圧し、その勢いを駆ってクレモナまで攻め入り、ラドクリフ軍よりも先にクレモナも制圧してしまわなければならない。


 その意味でこれは競争・・であり、ディアナ軍の本当の敵は目の前のリオネッロ軍ではなく、今直接は戦っていないラドクリフ軍だと言えた。ラドクリフ軍が先にトレヴォリを陥落させて、クレモナまで落としてしまう事だけは何としても避けねばならなかった。


 そのような事情の為、とにかく素早く敵軍を撃破する為にディアナ軍の編成は完全に攻撃能力、突破能力重視となっていた。兵力で上回っているのもあって、防御や持久戦能力を敢えて度外視していた。


 これはアーネストと、そして先日臣下に加わったカイゼルの親子の提案による作戦であった。そうなると結果としてディアナ軍の布陣は武力偏重となり……




「ヌゥゥゥゥゥゥゥッ!!」


 ディアナ軍の先陣で巨大な戟を振り回してリオネッロ軍を蹴散らすのは、ディアナ軍の切り込み隊長を自認する猛将ヘクトールだ。イグレッドと隣接しているフィアストラの太守を任されている事もあって今回の戦では要となる中央の軍を任されていた。


 その期待通り圧倒的な武力で敵陣を穿ち、斬り込んでいくヘクトールの部隊。だがそのまま考えなしに敵陣深くに潜り込めば完全に包囲されてしまい、如何にヘクトールが無双の豪傑とはいえ四方八方からの圧力ですぐに窮地に陥ってしまうだろう。だが……


「おらおらおらおらぁっ!!」


 ディアナ軍の右翼が中央のヘクトールの部隊に負けないくらいの勢いで敵陣を切り崩していく。その先頭に立って蛮勇を振るうのは、やはりヘクトールと同等かそれ以上の体格で馬鹿げたサイズの巨大蛮刀を振り回す、凡そ正規の軍人とは思えないような山賊の如き風貌の巨漢ゾッドであった。


 その蛮刀が振るわれる度に、鎧を着た兵士達が受け止めた武器ごと両断されていく。人間離れした膂力であった。


 中央のヘクトールだけでも手一杯の所に、こんな怪物に斬り込まれたリオネッロ軍の左翼は恐慌状態に陥る。それでも右翼が無事であればまだ立て直す事も出来たであろうが……


「ふぅ……むくつけき戦の場は本来好きではないのですが……本陣で督戦されているディアナ様の見ている前とあっては手は抜けませんね」


 リオネッロ軍の右翼、つまりディアナ軍からすれば左翼でも、ヘクトールやゾッドに負けない勢いで敵兵を次々と屠り去って恐慌に陥れていく魔物が猛威を振るっていた。


 流浪の吟遊詩人ファウストである。といっても彼は他の2人と比べれば体格は人並みで、その得物も細身の剣であった。しかし彼は膂力の代わりに恐ろしい程の速度と正確さで、的確に相手の急所を刺し貫きその命を奪っていく。


 その武勇と敵に与える恐怖はタイプこそ違えど、決してヘクトールやゾッドのようなパワーファイターに劣るものではなかった。


 3方から無双の武人に吶喊されては、堪らないのはリオネッロ軍の方だ。



「く、くそ! 信じられん! 何だ、あの化け物どもは!? これが小娘の率いる軍の強さか!?」


 東側方面の迎撃軍を率いていた武将はヘクトールらの余りの剛勇ぶりを目の当たりにして、しかもそれが3人もおり尚且つ敵軍の方が兵力が上だという事実を鑑みて、野戦では勝ち目がないと判断した。


「退けっ! イグレッドまで退くのだ!! 籠城戦だっ!」


 イグレッドの街に籠ってひたすら耐え抜けば、敵は兵力が多い分兵糧も尽き易いし、何よりも北のガルマニア州などががら空きになったディアナ軍の後背を突こうとするかも知れない。そうなればディアナ軍も戦を継続できなくなる。


 それまでひたすら耐え抜けば自分達の勝利だ。




「……などと思っているのでしょうね、敵軍の将は」


 ディアナ軍の本陣。督戦しているディアナの横で敵軍の動きを予想しているのは次席軍師・・・・のクリストフだ。


 主席軍師のアーネストは今回は本人の希望もあってゴルガに残っており、作戦はクリストフに一任していた。本人曰く『自省期間』との事で、しばらくの間は戦の指揮は取らずに勢力全体の戦略を考える役目に徹するとの事であった。


「……そしてアーネストだけでなく、その親であるカイゼル師父、そして防衛戦となれば右に出る者がいないドゥーガル将軍に残って頂いているのですから、ガルマニアのちょっかい程度で我が軍が動揺して撤収する事などあり得ないというのに愚かな事です」


 クリストフの揶揄するような言葉に、ディアナは戦の出立前にドゥーガルと交わした会話を思い出した。


『儂もカイゼル殿と同じ考えじゃよ。これからの時代に躍進していくのはお主等若者じゃ。老人が若者の機会を奪っていてはただの老害・・になってしまうでの。国の防衛や警備などの地味な仕事は儂らに任せて、お主等は存分に暴れ回って戦功を立ててくるんじゃ!』

 

 そう呵々として笑うドゥーガルの姿が印象的であった。彼等の期待に応える為にもこの戦では大勝を収めなくてはならない。これまで彼女が集めてきたディアナ軍の総力とも言える戦力が結集していて、この程度の敵に僅かでも苦戦するなどあってはならない事だ。


 それではこの先に待ち受けるラドクリフ軍との戦いや、更にその先の天下を目指す戦に勝ち抜いていく事は到底不可能だ。今回の戦はある意味で、これからのディアナ軍の行く末を占う試金石とも言えた。



「ディアナ様の仰る通りです。そして今回の戦はラドクリフ軍との競争・・である事も踏まえれば、我等には暢気に攻城戦などしている時間はありません」


「……遊撃部隊・・・・の手筈は?」


 クリストフとはディアナを挟んで反対側に控えるのは、彼女が精神的にも最も信頼する将である義兄シュテファンだ。この侵攻軍の総大将であるディアナの副官として本陣に詰めている。


 本来は前線で戦うヘクトール達を後方から斉射で援護する役目もあったのだが、ヘクトールら3武将の凄まじい進撃ぶりに「前線の位置移動が速すぎる。あれでは斉射などしても却ってヘクトール達の邪魔になってしまうだろうな」と冷静に判断して、後詰めの立ち位置に戻っていた。


 シュテファンの確認にクリストフは解っているとばかりに頷いた。


「そちらも抜かりはありません。ディナルド殿・・・・・・であれば必ずや作戦通りに遂行して頂けるでしょう」


「そうだな……」


 シュテファンも頷いた。彼の元上官であり用兵の師でもあるディナルドもこの侵攻軍に参加しており、現在は別の任務で動いていた。シュテファンも元弟子として、その能力には信頼を置いていた。




 本陣でそのような会話が進んでいる間にも戦況は動いていた。ヘクトール達の猛攻に押されたリオネッロ軍が遂に退却を開始したのである。イグレッドに向けて撤退していくリオネッロ軍。勿論ヘクトール、ゾッド、ファウストらは逃げる敵軍に容赦なく追撃を仕掛けていく。


 しかしディアナの意向によって完全に統制を失って遁走した兵士達に対しては、決して無闇に追撃を仕掛けずに見逃すように厳命されていた。これは勿論無用な戦を極力好まないディアナの性質によるものが大きいが、それだけでなくイグレッド占領後の統治も見越したアーネストらの意向も影響した措置であった。


 しかしまだ統制を失っていない敵軍に関しては話は別だ。『敵』に対して容赦していては戦乱の世を勝ち抜いてはいけない。ヘクトールらの猛追によってリオネッロ軍は大きな被害を出しながらも、何とかイグレッドに辿り着く事に成功した。しかし……



「な、なな……何だとぉっ!?」


 迎撃軍の将は、そしてその麾下の兵士達も一様に唖然として、自分達に対して門を閉ざすイグレッドの街の城壁を見上げた。そこには高々とディアナ軍の旗が掲げられていた。


「ふぁはは! 間抜けなリオネッロ軍がようやく戻ってきよったか。生憎だが、見ての通りこの街はとっくに我が軍が押さえさせてもらった。お主等に逃げ場はないぞ? どうしてもと言うならこの街を素通りしてクレモナまで逃げ帰るのだな。尤もそれまで兵糧が持てば良いがな」


「……っ!!」


 城壁の上に姿を現してリオネッロ軍を嘲笑するのはディナルドであった。彼は別動隊を率いて戦場を迂回して、がら空きになっていたイグレッドを小兵力で占拠する事に成功していたのである。


 リオネッロ軍は南からのラドクリフ軍の侵攻にも備えなければならない関係上、最低限の守備兵力も全て動員しているとクリストフは見越していたのだ。その読みは当たっており、ディナルドの部隊は500程度の兵力であったにも関わらず、あっさりとイグレッドを占拠する事が出来たのである。


 逆に進退窮まったのはリオネッロ軍である。東からはあの恐ろしいディアナ軍の猛将たちが迫って来ており、逃げ込むはずのイグレッドは固く城門を閉ざして自分達を締めだしている。このままだと逃げ場も無いままヘクトール達に蹂躙される事になる。


 その事実に動揺した兵士達がどんどん裏崩れして遁走を始める。こうなるともう軍として統制を取る事は不可能だ。



「さあ、どうする? このまま蹂躙されるか、投降して我が軍に帰順するかここが決め所だぞ?」


「……っ!。ぬぅぅぅ……止むを得ん。投降する! 我等は武器を捨てて降参する。だからこれ以上の追撃は止めてくれ!」


 ディナルドの勧告にリオネッロ軍の将は苦い顔になりながらも決断した。このまま一方的に殺されると解っていながら尚最後まで抵抗を選択するほど、リオネッロに忠誠を誓っている訳でもなかった。


 彼は兵士達に武器を捨てさせ投降を促す。勿論ディナルドもそれをすぐに真に受けて城門を開けるような愚かな真似はしない。とりあえず敵軍が投降した事を示す旗を分かるように掲げて、ディアナ軍の侵攻軍が追い付いてくるのを待つ。


 そしてヘクトール達を先頭に追撃してきた本軍が追い付き、敵軍が投降した事を確認すると彼等を順に拘束していく。それを確認してディナルドがようやくイグレッドの城門を開いて、ディアナ軍を出迎える。



「ディアナ殿、お待ちしておりましたぞ! いやはや、敵軍の見事な潰走ぶり。どうやら野戦で散々に打ちのめしてやったようですな! 流石はディアナ殿、お見逸れしましたぞ!」


「ディナルド様、ご苦労様でした! いえ、私は何もしておりません。全てヘクトール様達の武勇の賜物です。ディナルド様こそ、見事なお点前でした! お陰でイグレッドが無事に制圧できました!」


 出迎えたディナルドに彼女も笑顔で答える。これで無事に4つ目の都市を領有できた。だが今回はそれに喜んでばかりもいられない。


「ディナルド様、大役を果たして頂いたばかりで心苦しいのですが……」


「解っております。そのままクレモナに進軍せねばなりませんからな。このイグレッドは私が見ておきましょう。ただ街や投降した兵士達の管理をせねばなりませんから、そうですな……1000ほどの兵を残していって頂ければ充分でしょう」


 皆まで言わせずに頷くディナルド。占領したばかりの街なので誰かが残って管理しなくてはならない。投降兵の監視もある。ディアナは申し訳ない気持ちで頭を下げる。


「お願いします、ディナルド様。エヴァンジェリンに先を越される訳には行きませんので。勿論1000の兵を残しますので采配はお任せします」


 こうしてディナルドと1000の兵にイグレッドを任せて、残りの本軍はイグレッド攻略戦の疲れも癒えぬままに強行軍とも言うべきペースで、慌ただしくクレモナ目指して西進していった。


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