第二十幕 幹国の才(Ⅴ) ~英雄の提案


「そこまでだ! 双方、武器を収めいっ!!」


 カイゼルが老齢とは思えないような大喝で制止を勧告する。だが興奮状態にあるらしいウルゴルは大斧を振り上げてカイゼル達を威嚇する。


「あぁ!? 何だぁ、てめぇらは! お、俺は今からこの小娘の腸引きずり出して食うんだよ! 邪魔すんじゃねぇ!!」


 眉をひそめるような下劣な怒号を上げながら大斧を振り回す凶獣の姿に、しかしカイゼルは呆れたように溜息をつくのみだ。


「ふぅ……飢えた野獣でも周囲の状況くらいは判断できるものだぞ?」


 彼が手を挙げると、後ろに控える私兵達が一斉に弓を引き絞る。百近い数の矢が自分に向けて狙いを定める光景に、流石に興奮が冷めたのかウルゴルが唸る。


「ぬ、ぬ……て、てめ……」


「よせ、ウルゴル。ここは退くぞ」


 状況を鑑みたオズワルドが冷静に野獣の手綱を引く。彼はそのままカイゼルに……自らの『師』に視線を向ける。



「師父よ、お久しぶりです。挨拶に伺うはずがこのような状況になってしまい申し訳ございませぬ。本日はこれにて失礼させて頂きます」


「……最早何も言うまい、オズワルドよ。お前はお前の信ずる道を進むが良い」


 カイゼルが静かに告げるとオズワルドは彼にしては神妙な表情で頷いた。


「もとよりそのつもりです。…………では、さらばだ、ディアナ、アーネストよ。この決着は戦場でつけようぞ」


「…………」


 凄まじい目つきでこちらを睨みつけるウルゴルを引き連れて、オズワルドは踵を返すと堂々とこの場から立ち去っていった。ディアナは複雑な表情で小さくなっていくその背中を見送った。




「ふぅ……どうやら間に合ったようですな。そして……息子を見放さずにくださった事、礼を言いますぞ、ディアナ殿」


 オズワルド達が立ち去った事を確認してカイゼルが改めて前に進み出てくる。そしてディアナに対して頭を下げた。天下の大都督に立礼されてディアナは恐縮してかぶりを振った。


「い、いえ、そんな……。確かに非常に驚きましたし衝撃を受けましたが……でもそれと同時に旗揚げしてから、いえ、旗揚げする前からのアーネスト様の働きを思い返しまして。少なくとも彼の働きに嘘はなかった、今の私があるのはアーネスト様のお陰でもあるのだと改めて認識したのです。だから……感情よりも実利を優先したというだけの事なのです。そんな感謝されるような事ではありません」


「感情より実利を取る。貴女が当たり前のように仰ったそれが出来る者の何と少ない事か。ましてやそれが大きな権力を持つ君主となれば尚更です」


 カイゼルの言葉にアーネストも同意を示した。


「父上の仰るとおりです。ディアナ殿……あなたの大器、私もまた良い意味で読み違えていたようです」


「ア、アーネスト様。それにカイゼル様まで……」


 迷いのない親子の言葉にディアナは何と反応したら良いか戸惑ってしまう。そんな彼女の様子に苦笑しながらカイゼルが言葉を続ける。



「ディアナ殿。是非私の方から聞いて頂きたいご提案……いえ、お願いがあるのですが」


「お、お願い、ですか……?」


 救国の英雄からお願いされるような事などあっただろうかとディアナが訝しむと……



「どうかこの私めをディアナ軍の臣下の末席にお加え頂けませぬか」



「え…………え、ええ!? カ、カイゼル様が我が軍に……ですか!?」


 一瞬何を言われたのか解らず固まってしまったディアナだが、意味が理解できるにつれて素っ頓狂な叫びを上げてしまう。


「……なるほど、そうきましたか、父上」


 一方アーネストはそこまで驚いている様子はなく苦笑していた。



「実は今回お招きして会談したのは、あなたという人物を見極めさせて頂く目的もあったのです」


「……!」


「元々私が野に下ったのは、今の腐敗した帝国の在り方に失望していたからでした。我が力を尽くして仕えるに能わず、と」


「…………」


 その辺りはアーネストから聞いていた事情とも一致する。帝国は稀代の英雄を自らの腐敗によって失ったのだ。


「しかしあなたと話して、あなたの展望を聞いて、そしてあなたという人物を知る事で、まだ帝国にも希望があるかも知れぬと思い直しました。帝国はもしかすると再び過日の栄光を取り戻せるかも知れないと思ったのです」


「カイゼル様……」


「そうなると居ても立っても居られなくなりましてな。年甲斐もなく奮い立つ自分に気付いたのです。そして息子を許して頂いた恩もあります。ディアナ殿、どうかこの老骨めにもあなたの大望を遂げる為のお手伝いをさせては頂けぬでしょうか。無論ただの一将官という扱いで構いませぬ。私自身、今更若者達の躍進を妨げたいとも思いませぬ。後方支援や援護でも十分お役に立てましょう。どうか御一考下さらぬか」


 カイゼルはそう言ってその場に片膝を着くと、臣下の礼を取った。小娘のディアナ相手に天下の大都督が目下の礼を取ったのである。あまりの事にディアナは自分だけでは判断できずに、アーネストを仰ぎ見た。



「ア、アーネスト様……。カイゼル様を我が軍の臣下に……ほ、本当に宜しいのでしょうか?」


「……父の将軍としての能力は今までの実績が物語っています。軍師としての能力も同様です。もし父上を迎え入れればディアナ軍の戦力は確実に増強するでしょう。私自身は反対致しませぬ。どうぞディアナ殿の御心のままに。あなたは既に父上をも臣下に出来るだけの器なのです。自信をお持ち下さいませ」


「……!」


 アーネストにそう諭され、ディアナはしばし黙考した。確かに余りに恐れ多い。しかしアーネストは太鼓判を推してくれているし、カイゼル自身が熱烈に仕官を希望している。そしてアーネストの言う通り、カイゼルの将としての能力は明らかだ。彼が加入してくれればディアナは確実に戦乱を終わらせるという壮大な目標に一歩近づけるのだ。


 ならば何を躊躇う必要があろうか。自分の遠慮や萎縮など実に些細な問題だ。それよりはこの戦乱に勝利する事の方が遥かに大事だ。その為に利用できる物は何でも利用するくらいの気概が無ければ天下統一など成し遂げられないだろう。


 ディアナは遂に決心した。



「わかりました、カイゼル様。あなたの申し出、ありがたく受けさせて頂きます。今日よりあなたは我が軍の将です。どうぞ宜しくお願い致します」


「……! おお、ありがたき幸せ。このカイゼル・ハール・マクシムス。我が全霊を以ってあなたにお仕えする事を誓いましょう」


 カイゼルが正式に臣下の礼を取る。ここに救国の英雄にして元大都督であるカイゼルがディアナ軍に参加する事となった。



「は、はは……ま、まさか、あのカイゼル大都督が自分の配下になるだなんて……。アルヘイムにいた頃の自分に言ったとしても絶対信じなかったと思うわ」


「何度でも言いますが、あなたは既にそれほどの人物になったのですよ。天下を統一しようと言うのです。早くご自身の器に慣れて頂かねばなりませんね」


 乾いた笑いを上げるディアナに、アーネストが冷静な声音で諭す。そうだ。確かに彼の言う通り、自分は最終的には天下統一を目指しているのだ。ならばこんな程度で信じられないなどと言ってはいられない。確かにこれは慣れていかねばならない事であった。


「そうですね。そういう気概が無ければ天下など目指せません。私もいい加減自分を卑下するのはやめようと思います。すぐには無理でしょうが、それでも徐々に変わっていけれればと思います。アーネスト様、そしてカイゼル様。これからリベリア州のみならず中原全土に乗り出していく為、どうぞあなた達の力を私に貸して下さい。共に天下を目指しましょう!」


「ははっ! 必ずやご期待に沿って見せましょうぞ」


 カイゼルが頭を垂れる。アーネストも黙って一礼した。





 ディアナは信頼する腹心の過去の罪を知った。そして知った上で彼女は過去ではなく未来を選択した。憎しみと恐怖を克服した彼女はまた一回り成長し、遂には大都督カイゼルを心服させるまでになった。


 情勢は動きつつある。まずはこのリベリア州での地盤を固めるに当たっての最大の障害……ラドクリフ軍との対決の時は徐々に迫りつつあった……


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