第十九幕 負の克服
「……アーネストを見殺しにするか、最低でも放逐する物と思っていたが……私の想定を上回るか」
「……!」
低く抑えたような声にディアナ達は振り返る。そう。ここにはもう1人の人物がいる。
「残念でしたね、オズワルド。私はもう二度とあなたの思い通りにはなりません」
「そのようだ。小娘、いや……
ディアナを見据えるオズワルドの雰囲気が変わっていた。今までの彼はディアナの事を取るに足らない馬鹿な小娘としか見ていなかった。それが言動にも態度にも表れていた。だが今彼女を見据えるオズワルドの目からはそのような嘲りや侮りの感情が消えているように見えた。
ディアナは腰の剣を抜き放った。
「オズワルド、言っておきますがここであなたを逃がす気はありませんよ? あなたはラドクリフ軍の軍略面を支える軍師。ここであなたを討っておけばラドクリフ軍の戦力を大きく削ぐ事が出来るでしょうね」
ディアナは剣を構えたままオズワルドに躙り寄っていく。奴は軍師としての能力は極めて高いものの、アーネストと同じで特段武芸に優れている訳ではないはずだ。この状況ならディアナでも討ち取る事ができるはずだ。
しかしオズワルドはそれを解っているはずなのに、何故か全く動揺せずに薄く笑った。
「ふ……このバーウィックは元々治安の悪い街として知られている。そんな所に私が
「……!」
ディアナが警戒を強めると同時にオズワルドが後ろに向かって叫んだ。
「
「……っ!?」
奴が呼ばわった名を聞いて思わず目を瞠るディアナ。だがその直後、先程オズワルドが出てきた建物の陰から、今度は遥かに巨大な異形の影が姿を現した。
「ぎへへ……お、お呼びですかい、旦那ぁ?」
現れた異形はディアナの想像通りの人物であった。優に2メートルを超える馬鹿げた巨体に、筋肉が恐ろしく肥大したような歪な体型。そしてその面貌は顔のパーツが出鱈目にくっついたような奇形の凶相であった。
そのインパクトのある外見は、オズワルドやフレドリックとは別の意味でディアナの中にトラウマとして刻みつけられていた。
「お、お前は……!!」
「おぉ? な、何か見覚えがある女がいると思ったら、いつぞやの可愛子ちゃんじゃねぇか。へ、へへ……あの時は邪魔が入ったが、また楽しませてくれんのかぁ?」
「……っ!」
凶獣ウルゴル。フレドリックの私兵で、かつてフレドリックの罠に嵌った彼女を嬲り拷問して殺そうとした男。ヘクトールとゾッドが来てくれなければ、彼女は確実にこの化け物に拷問され無残に殺されていただろう。
何故こいつをフレドリックではなくオズワルドが連れているのかと思ったが、考えてみれば一応同じ勢力に所属する者同士なので、いくらでも融通は効くと思われる。
「この男に殺されかけた記憶が甦ったか? さあ……憎しみだけでなく、
オズワルドは薄笑いを浮かべながら素早く後ろに下がる。代わりに醜い巨体が前に進み出てくる。縦も横も広い巨体は近づいてくるだけで恐ろしいほどの圧迫感がある。
「く……。アーネスト様、下がっていてください!」
ディアナはアーネストを庇うように自分から前に進み出る。オズワルドの言う通り、この化け物に殺されかけた恐怖は未だに彼女の心の奥底にこびり付いている。だが、いや、だからこそここで退く訳には絶対に行かない。
ウルゴルは背中に背負った大斧を抜く気配はなく、両手の鉄甲をガチガチと威圧的に打ち鳴らしている。あの時と同じでディアナ相手なら得物を使う必要もないと思っているのは明白だ。
(私は……あの時と同じじゃない……!!)
君主としてだけでなく剣士としても成長している。それをこのケダモノとその後ろの猛獣使いに見せつけてやるのだ。
「うおおぉぉぉぉぉっ!!」
気合の叫びと共に大胆に踏み込んで剣を一閃。並の兵士や傭兵であれば一撃で倒せるかも知れないような鋭い斬撃。だが……
「おほっ!?」
ウルゴルはその歪な巨体からは考えられないような敏捷さで、ディアナの斬撃を手甲で受け止めてしまう。だが思いの外鋭い一撃に驚きはしたようで、醜い面貌の目が見開かれる。
「ほうほう? あ、あの時よりはちっとは速くなってるじゃねぇか! で、でも、俺様には敵わねぇけどな!」
「く……!」
ディアナは怯まず次々と斬撃を繰り出すが、最初こそ驚いたもののすぐに彼女の動きに順応したウルゴルが、両手の手甲を縦横無尽に動かして全て弾いてしまった。
「へ、へ……つ、次はこっちの番だなぁ?」
「……っ!」
醜い巨体が面の圧力で迫ってきた。その迫力だけで怯みそうになる。手甲に包まれた拳が唸りを上げて打ち込まれる。風圧が伴う鈍器の一撃をかろうじて躱したディアナだが、ウルゴルはすかさずもう一方の拳で追撃してきた。
「ぐっ……!」
とっさに剣で受けたが、凄まじい衝撃に彼女の身体は大きく弾き飛ばされてしまう。何とかたたらを踏んで辛うじて倒れる事は避けれたが、大きく体勢が崩れる。そこにさらなる凶獣の拳打。
「が……!!」
咄嗟に後方に跳ぶ事で威力は軽減できたが、それでも尚恐ろしいほどの衝撃が彼女の身体を揺さぶる。まともに食らったら下手をすると一撃で勝負が決まってしまう。
「へへ、へ! た、楽しいなぁっ!」
だが勝負と認識しているのはディアナの方だけで、怪物は儚い抵抗をしてくる獲物を甚振って遊んでいるだけだ。
(く……なんて化け物! やっぱりまともに打ち合っても勝負にならない。だったら……!)
ディアナは戦法を変える決心をした。そうと気づかないウルゴルは嵩にかかって拳を打ち込んでくる。何度か受けた事でディアナにもある程度その動きが見切れるようになっていた。
「ふっ!!」
そしてウルゴルが拳を打ち込んでくるのに
「いぎっ!? い、痛ぇぇっ!! こ、このアマ、俺の攻撃に合わせて……!?」
ディアナを相手に初めてまともに傷を負ったウルゴルが、腕を押さえて何歩か後ずさった。それを見ていた両軍師も驚きに目を瞠った。
「なんと……あの方は君主としてだけでなく、剣士としても恐ろしい勢いで成長していたようだ」
「……末恐ろしい女だな。だが、これでウルゴルを怒らせてしまったぞ。本気になったあの怪物相手に勝てるかな?」
オズワルドは驚きつつも目を細めて挑発的に問いかける。いかにディアナが成長しているとはいえ、流石にウルゴルが本気で殺す気になれば敵わないはずだ。だがアーネストはかぶりを振った。
「別に勝つ必要などないさ」
「何……?」
軍師達がそんな会話をしている間にも、ディアナ達の戦いは進展する。
「て、てめぇ、このアマ……も、もう容赦しねぇ。ぶっ殺してやる。
「……!」
ウルゴルが怒りと共に、背中に背負った大斧を遂に抜き放った。家畜どころか野生の猛牛の首も一撃で断ち切れそうな馬鹿げたサイズの長柄の大斧。あんな物をまともに受けたら、防御した剣ごとまとめて両断されそうだ。
だがそれならばまともに受けなければいいだけだ。ディアナは少しも怯まずに怪物を牽制する。
「やれるものならやってみろ、化け物! もうお前など怖くはないわ!」
2人が殺気と闘気を放出しながら再び打ち合おうと踏み出した所で……
――ヒュンッ!!
「……!」
2人の丁度中間の位置に矢が突き立った。2人の動きが止まる。するとさらに多くの矢が飛来して連続して突き立っていく。
「何だぁっ!?」
ウルゴルは後ろに下がりながら矢が飛んできた方向に胡乱な目を向ける。勿論ディアナも、そしてアーネストやオズワルドも同様だ。
「あれは…………ふ、なるほど、そういう事か。考えてみれば当然だな」
オズワルドが苦笑じみた笑いを漏らす。彼等の見据える先、路地の向こう側から何十人もの武装した男達が駆け寄ってきていた。彼等を先頭で率いているのは……
「あれは……カイゼル様!?」
ディアナは目を剥いた。仕立ての良い鎧兜に身を包んではいるものの、それは紛れもなく先程までその屋敷で会談していたカイゼル・ハール・マクシムスその人であった。
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