第十八幕 真相と贖罪
人気の殆どないバーウィックの裏通り。そこを静かに進んでいく男の背中。
「アーネスト様!」
走って追いついたディアナはその背中を大声で呼び止める。アーネストが立ち止まり、ゆっくりと振り向いた。その顔は何とも言えない
「……ディアナ殿、どうされたのですか? まだ父の屋敷でゆっくりしていて良かったのですよ?」
「そのカイゼル様に追い出されたのです。私自身だって気になって、とてもゆっくりなどしていられません」
「……! そうですか。父が……」
アーネストが諦めたように小さく笑う。その笑みはいつもの力強さはなく、自嘲に満ちた笑みであった。ディアナは再び得も言われぬ不安を感じた。
「アーネスト様、一体どうなされたのですか? 私が何かアーネスト様のお気に障るような事を言ってしまいましたか?」
「まさか。それどころかその真逆。これ以上無いというくらい素晴らしいお答えでしたよ。あなたであればこの中原を平定し、帝国に元の繁栄と威厳を取り戻させる事が出来るかも知れません。そのように感じました。だからこそ……私は安心して
「な……!?」
ディアナは目を見開いて驚愕した。アーネストの態度から何となく感じていた不安がまさに的中してしまった。余りにも唐突な話であった。全く心当たりのないディアナは驚愕すると共に激しく混乱した。
「い、一体何を仰っているのですか!? 何か、軍での待遇や私の方針などにご不満があったのでしょうか? 仰って下さい! 是正できる所は可能な限り改善していきます! 必ず解決できます!」
半ば叫ぶように提案する。アーネストがそのような不満を感じている様子はこれまで一切なかったが、思い当たる節がそれくらいしかなかった。主席軍師として旗揚げから共に邁進してきたアーネストは、今や名実ともにディアナの片腕、腹心と言って良い存在。その彼がまさか自分からディアナ軍を去ると言い出すなど想像したことすらなかった。
彼女の必死の引き留めに、しかしアーネストは心苦しそうな表情でかぶりを振った。
「申し訳ありません。勿論待遇に何ら不満などあるはずもなし。そういう事ではないのです。私には最早……ディアナ様の軍師として働く
「な、何のお話ですか!? 一体何が起きているのですか!? 仰って下さい! 一緒に乗り越えましょう!」
「ディアナ殿……わ、私は……」
彼女の必死の懇願に何かを言いかけたアーネストだが、やはり躊躇ったように口を閉ざして目を逸らしてしまう。間違いなく何らかの事情がある様子なのに、それが何かを知る事が出来ないのだ。ディアナがもどかしさを感じていると……
「くくく……面白い事になっているな、アーネストよ。言いづらいのであれば私が代わりに伝えてやろうか?」
「……っ!!」
突然聞こえてきた第三者の悪意ある嘲笑。ディアナとアーネストは共に身体を震わせた。ただし
ディアナにとってはその声は、忘れたくても忘れられない忌まわしい記憶と直結していた。その声を聞いただけで身体に嫌な震えが走り冷や汗が滲み出る。これはもう生理的な現象に近かった。
古い倉庫か何かの建物の陰から1人の男が姿を現した。蛇のような感情の抜け落ちた不気味な目。一目で冷酷そうな印象を受ける面貌。それは紛れもなくディアナの記憶から薄れる事のない唾棄すべき人物……
「オ、オズワルド!? 何故、お前がここに……!?」
オズワルド・ヒュー・ゴドウィン。敵対するラドクリフ軍の主席軍師にして、ディアナの故郷の村を直接壊滅させた下手人……。
何故この男がこんな所にいるのか全く解らずディアナは混乱する。そんな彼女の疑問が顔に出ていたのか、オズワルドが再び冷笑する。
「くく、私も丁度
「……っ」
アーネストの顔が色を失くす。彼の反応もさる事ながら、ディアナは2つの事が気になった。
「どういう事ですか? アーネスト様と知り合いなの? それに師父ですって? それはまさか……」
そのように呼ばれる存在には心当たりがあった。何故なら、つい先程その人物の屋敷を辞してきたばかりであったから……!
果たしてオズワルドは首肯した。
「如何にも。この先の屋敷に住まうカイゼル・ハール・マクシムスは我が師でもあるのだ。私はこれでもそこにいるアーネストと並んで、カイゼル師父の
「なっ!? お、お前が……アーネスト様の同門!?」
信じがたい話だが、それならアーネストと知己らしい態度も頷ける。そう言えばアーネストも以前に、カイゼルの門下生には自分を含めて3人の高弟がいたと言っていた。
アーネスト、クリストフ、そして
この男こそが、カイゼルの信念に不満を抱いてアーネストと共にその門下を出奔したというもう1人の高弟であったのだ。だが……
「何だ、それすら伝えていなかったのか。驚くのはまだこれからだと言うのに。なぁ、アーネストよ?」
「く……!」
悪意のあるオズワルドの笑みにアーネストが何か言い掛けて、やはり唇を噛み締めて黙り込んでしまう。この上まだ何かあるというのか。アーネストの態度からして、それは彼がディアナ軍を去ろうとしている事と関係があるのかも知れない。
オズワルドの蛇のような視線がディアナに向く。
「お前の村が壊滅した時の戦……
「…………え?」
一瞬何を言われたのか解らなかった。が、話の流れからすると……
ディアナはゆっくりとアーネストの方に振り返った。彼は……否定せずに強い苦痛を感じているかのように顔をしかめていた。
「え……ま、まさか……?」
「そのまさかよ。あの頃は互いに敵味方に分かれて軍略を競い合う
「あ……遊、び?」
呆然とするディアナ。それに比例して増々苦味を帯びていくアーネストの顔。彼はやはり否定しなかった。そしてさらなる残酷な真実がディアナを襲う。
「しかしまさかお前があの辺り一帯の村々に、決してこちらに恭順しないよう
「――――――」
ディアナの顔から血の気が引いて真っ白になる。監視の兵。心当たりはあった。彼女の村が壊滅する1、2ヶ月ほど前から長期滞在している『行商人』がいた。とても商人とは思えないような眼光の鋭さで、肝心の商品が売れなくても全く構わない様子だったのが不思議で記憶に残っていた。
一度村長である父にあの商人達は何なのか聞いてみた事があるのだが、父は二度とその話題に触れないようにと念を押してきた。今にして思えばあの行商人達こそがオズワルドの言う『監視の兵』だったのだ。
そしてそれを派遣したのは他ならぬアーネストであった。それが直接の原因となってディアナの村は見せしめに滅ぼされた。オズワルドだけではない。アーネストもまた彼女の村が壊滅する要因となった人物であったのだ。
「くくく……どんな気分だ、小娘? 最も信頼していた腹心が実際にはまさにお前の家族の仇であった事を知った気分は?」
「…………」
甚振るようなオズワルドの問いかけにディアナは答えない。ただ青白い顔で黙って唇を噛み締めていた。当然だ。これまで信じていた物全てが足元から崩れ去るような感覚といっても過言ではない。今彼女の中で激しい感情が渦巻いていて、しかしそれを放出できずに表面上はまるで人形のように無反応となっているのだった。
「……ディアナ殿。一切の弁明は致しませぬ。あの頃の私は余りにも愚かで罪深い存在でした。後悔しても最早取り返しは付きません。このおぞましい罪を贖う方法はただ一つ……」
アーネストはそう言って懐から……一本の短剣を取り出した。護身用に携行している物だろう。だが彼がその短剣でやろうとしている事は護身とは正反対の行動であった。
「後はクリストフに任せます。あなたであれば必ずやエヴァンジェリンを打ち破り、最終的に天下統一を成し遂げる事が出来るでしょう。私は煉獄からあなたの勝利を祈っております」
彼はそれだけ告げると、躊躇う事なく短剣の刃を自らの喉元に押し当てた。そして一気に横に引こうとした所で……
「……そうやって逃げるのですか」
「「……!」」
アーネストの動きが止まる。同時にオズワルドも僅かに目を見開いた。
「何もかも放り投げて自分だけ死んで楽になる気ですか? ふざけないで下さいっ!」
「……っ!」
アーネストの身体が雷に打たれたかのように震えた。ディアナの目は、表情は憎しみではなく
「あなたが私の目の前で死んで、それで私の気が晴れると思っているんですか!? いいえ! むしろ私はやり場のない怒りと憎しみに身悶え、生涯苦しむ事になるでしょう!」
「……!!」
「生命を絶つ事が償い? そんな訳ありません! 本当に私に対して償いをしたいなら、これから今までよりももっと軍師として働いて、私が戦乱を終わらせる手伝いをして下さい。それが何よりの償いとなります!」
「ディ、ディアナ殿……」
いつしかアーネストの手が完全に喉から離れて下に垂れていた。
「死なせてなんてあげません。出奔して逃げるのも無しです。あなたはこれから一生私の為に働いて、私がこの戦乱の世を終わらせる手伝いをし続けるんです。それが……私からのあなたに対する『罰』です」
「…………」
アーネストの目や表情に力が戻ってきていた。彼は苦く微笑しながらかぶりを振った。
「……確かに私は楽な方へ逃げようとしていました。あなたへの償いをすると言いながら、あなたの気持ちを全く考慮していなかった。それでは償いにはなりませんね」
アーネストは短剣を捨てて、ディアナに対して最上級の臣下の礼を取った。
「今ここに誓いましょう。私はこれより一生をかけて、あなたの本懐を達成する為の力となる事をお約束致します」
「アーネスト様……そのお言葉、確かに聞きました。決して私を失望させる事がないよう、これまで以上の働きを期待しています。あなたの今後の働きの全てが贖罪に繋がっていると心して下さい」
「必ずや……」
ディアナの言葉にアーネストは神妙に頭を垂れた。ここに和解は為った。アーネストはディアナの成長を認めながらも尚、その器を見誤っていた事を悟っていた。彼女は既に彼が抱える
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