第十七幕 勝者の責務

 ハイランド州、バーウィック県。ハイランド州でも南部に位置し、ガルマニア州とリベリア州に境を接している。


 表向き・・・は皇帝直轄州であり最も人口の多いハイランドの中では田舎と言って良いが、このバーウィックには一つの大きな特徴があった。それは『救国の英雄』である元大都督のカイゼル・ハール・マクシムスが隠棲している街であり、彼が開いていた私塾に大勢の門下生が集まる学問の街でもあったのだ。


 そうした学徒達を対象とした商売が発展し、一時はかなりの賑わいを見せた事もあるらしい。


 だが戦乱の世の機運が強まりカイゼルが私塾を閉鎖した事で、現在はかつての弟子がたまにカイゼルの屋敷を訪れる程度で、すっかり寂れてしまった感がある。



 そんなバーウィックの街を現在、ディアナはアーネストと共に訪れていた。アーネストによるとカイゼルは現在は私塾を畳んで、街外れにある屋敷で隠棲しているとの事であった。


 バーウィックが寂れているのは戦乱も間違いなく関係していると思われる。やや暗い雰囲気の表通りを過ぎて更に人気が無くなる街外れの区画に到達する。この帝国を救った英雄が住まうにしては余りにも寂しい場所だ。ディアナはそう思ったが、アーネストは苦笑した。


「父は望んでこういう場所に住んでいるんですよ。余り騒がしいのは好きではありませんでしたから」


「そ、そうなんですね。でもこんな所で治安なども心配ではありませんか?」


「それも問題ありませんよ。今でも父を慕う元帝国軍の兵士なども大勢いまして、父の私兵としてこの辺りの治安向上に努めていますからね」


 どうやらディアナなどが懸念する必要もないらしい。考えてみれば当然の話しだ。ディアナが考えつくような問題など全て対処済みなのだろう。



 やがて2人は質素ながら大きな門構えの屋敷の前まで到着した。


「さ、ここです。父には事前に手紙で日時を報せてあるので既に待っている事でしょう。遠慮は要りません」


「は、はい。そうですね……」


 やはりいざ家の前まで来ると緊張してしまうが、ここまで来て尻込みしていても仕方がない。ディアナは意を決して門の敷居を跨ぐ。


 応対に出てきた使用人なのか傭兵なのか解らないような体格の良い武装した男達に案内されて、屋敷の応接間に通される。アーネストの言う通り事前に通達されているようだ。



 ディアナ達が出された茶菓子に舌鼓を打っていると、そう待つ事もなく応接間の扉が開いた。入ってきたのは1人の初老の男性であった。


 若干白い物が混じり始めた髪を綺麗に後ろに撫で付け、同じ色合いの長い髭もきちんと整えられている。地味だが仕立ての良い服に身を包んだその身体は中々の体格で、初老とは思えない覇気に満ちている。


 そして年齢に相応しい落ち着いた理知的な風貌は、先日登用されたドゥーガル将軍とは同じ老齢でも正反対の印象を与えた。


 ディアナはその姿を見て反射的に立ち上がっていた。勿論状況的に他に考えられないのだが、それを抜きにしても紹介されるまでもなくこの人物が英雄カイゼルなのだと理解できた。



「待たせてしまったかな? 久しいな、レイよ。そしてそちらが……」


 その人物……カイゼルがアーネストに声をかけてから、その視線をディアナの方に向ける。外見通り威厳のある声音だ。因みにレイとはアーネストのミドルネームである。


「は、はい! あ、あの……私、ディアナです! あ、ディアナ・レア・アールベックです! あの、本日はお招き頂きまして誠にありがとうございます! ご高名なマクシムス大都督にお会いできてとても光栄です!」


 ディアナはしゃっちょこ張った姿勢のまま緊張で吃りながら挨拶する。救国の英雄と直に会っているのだから緊張するのは仕方がないのだと自分に言い聞かせる。


 するとカイゼルがその相好を崩して微笑を浮かべた。それは相手の緊張を解きほぐすような温かみに満ちた笑みだった。


「はは、そう緊張してくれなさるな。私など既に一線を退いて隠居しているただの老人に過ぎませぬ。ソンドリア郡一帯3県を領有する刺史であるディアナ殿にそのように畏まられては、こちらの方が緊張してしまいますぞ。どうぞ腰掛けて楽にしてくだされ」


「あ……は、はい。ありがとうございます、マクシムス様」


 ディアナは少し顔を赤らめてソファに座り直す。しかし物腰柔らかいカイゼルの様子と態度に、だいぶ緊張がほぐれたのは事実であった。カイゼルも対面の椅子に腰掛ける。



「もうご存知のようですがカイゼル・ハール・マクシムスです。私の方こそ多忙なディアナ殿に老人の我儘を聞いて頂き感謝に堪えません。よくぞおいで下さいました。どうぞ私の事はカイゼルとお呼び下さい」


 カイゼルはそう挨拶して頭を下げる。ディアナは慌てた。


「そ、そんな、どうか頭をお上げください、マ……カイゼル様! 私の方こそアーネスト様からお話を聞いて、今日は勉強をさせて頂くつもりでお伺いしたのです。こちらこそ宜しくお願い致します!」


 ディアナも頭を下げる。2人で向き合って頭を下げているような状態となり、唯一平常通りであるアーネストが咳払いする。


「さあ、もう挨拶はいいでしょう。本題に入りませんか?」


「……ふ、どうやら相変わらずのようだな、レイよ。ディアナ殿、この愚息があなたにご迷惑をお掛けしていませんかな?」


 頭を上げたカイゼルが苦笑して問うと、ディアナも頭を上げてやはり慌ててかぶりを振った。


「い、いえいえ、そんな! アーネスト様には旗揚げ前からお世話になりっぱなしで! 主席軍師として我が軍で欠かせない存在です。勿論私個人にとってもです!」


 ディアナの言葉にカイゼルは少し嬉しそうに笑う。


「はは、それはようございました。息子も軍師冥利に尽きるというものでしょう。遠慮なく扱き使ってやって下され」


「は、はあ……」


 ディアナは何と返事をしたものか、困ったように頭を掻く。するとアーネストが再び咳払いした。


「父上、本題に入りましょうと言ったはずですが?」


「やれやれ、相変わらずせっかちな事だ。久しぶりに会った父親と談笑しようとは思わんのか」


 カイゼルは少し悲しそうな顔をするが、若干わざとらしいので恐らく演技だ。それを分かっているのかアーネストも素知らぬ顔だ。


「他愛ないやり取りなら手紙で散々したでしょう。ディアナ殿の時間は貴重なのですから、のんびりお茶している暇はありません」


 実際には政務を調整して訪問しているので別にディアナとしてはのんびりお茶しても全然構わなかったのだが、どうもアーネスト自身に雑談をする気がないらしい。カイゼルは苦笑して肩をすくめた。



「全く、せわしない奴だ。ディアナ殿、愚息もああ言っている事なので本題に入らせて頂きたく思いますが構いませんかな?」


「は、はい、私の方はいつでも」


 ディアナはそう答えて居住まいを正す。救国の英雄にして元大都督から何を聞かれるのか、流石に緊張しない訳には行かなかった。そして今度はカイゼルもリラックスするように促さずに、逆に眼光を鋭くした。


「さて、ディアナ殿。まずあなたがこの乱世に身を立てた理由……それはこの戦乱の世を終わらせるというのが目的という事で間違いはありませんな?」


「はい。アーネスト様からお聞きかは存じませんが、私の故郷の村は戦に巻き込まれて壊滅しました。私の家族も友人も、村の皆も……ただの見せしめ・・・・に虐殺されたのです。下手人・・・がそう言っていました」


「……っ」


 ディアナは語りながら、あのオズワルドの蛇のような感情のない目を思い出していた。その為、自分の横で何故かアーネストが普段は怜悧なその表情を苦く歪めていた事に気づかなかった。


「だから私はただ座して戦乱を嘆くくらいであれば、自分の手でこの戦乱の世を終わらせようと思い立ったのです。それが私の戦乱という事象への『仇討ち』なのです」


「……なるほど。そしてあなたは実際に戦乱の世を憂いて自らそれを終わらせるべく立ち上がった。女人の身でありながらその志も行動力も大変立派です。そしてあなたは実際に旗揚げを為し、今やこうしてソンドリア公にまで成り上がった。最早あなたをただの少女だと嗤う者はいないでしょう」


「カイゼル様……」


 手放しの賛美にディアナは戸惑う。だが恐らくこれは前置きだろう。


「しかし立ち上がったからには最終目標は自ずと天下統一・・・・に行き着くはず。ましてやあなたは自分の王朝を打ち立てようと戦っている訳ではない。あくまでその目的は戦乱を終わらせて皇帝の名の下に・・・・・・・中原を平定しようというのですから」


「…………」


 ディアナの目的が自分が皇帝に成り代わる事ではないというのは今や周知の事実だ。あくまで今の皇帝……ルナン帝を立てて、その御旗の元に各地の逆賊・・と戦うという立ち位置であった。それでも皆、ディアナの下に集ってくれた。いや、ディナルドのように、帝国の臣という立場を貫くからこそ感銘を受けて傘下に加わってくれた者もいる。



「しかし……仮にあなたが天下統一を為したとして、当然ながらその後・・・の責任という物が発生してくる事はご承知ですな?」



「……! はい、勿論です」


 カイゼルがディアナに問いたい物が何なのか、この話の本題が見えてきた気がして彼女は神妙に頷いた。


「ならばあなたに問いたい。あなたは天下統一を成し遂げた後、どうする・・・・つもりなのかを」


 誤魔化しを許さぬ鋭い視線。ディアナは逃げずにその視線を真正面から受け止めた。


「……あくまでルナン帝を主君とし、許されるなら私はルナン帝のお傍で、その治世がつつがなく行われる為の補佐・・をしたいと考えています」


「ほぅ……?」



「治世と言っても、誰もが笑って暮らせる世などという物がただの理想に過ぎない事は私も既に理解しています。天下統一後に私が目指す物は……『恒久的な統治を可能とする体制の樹立』です」



「……!」


 カイゼルが僅かに目を瞠る。隣ではアーネストも同じような表情をしていた。


「今の戦乱は古の『七国戦乱時代』と様相を同じくしています。あの古の戦乱を制したハイランド王国も当時は覇気に満ち溢れた君主と精強な軍によって、その統治は永遠に続くかのように謳われました。しかし現実には数百年の時の流れと世代交代には逆らえずに衰退と腐敗と地方の台頭を招き、今の混乱を招いてしまいました。勿論それ以外にもパルージャ帝国の侵攻や飢饉など様々な外的要因も影響しているでしょう。それらを全て勘案した上で……優秀な軍師や官吏、将軍、そして様々な分野の学者も招いて、帝国の衰退の原因を徹底的に洗い出して反省点や改善点を話し合い、かつての帝国の繁栄を取り戻すと共に、私達の世代がいなくなった後も『新生オウマ帝国』の統治が恒久的に続けられる……。そんな統治体制のを築く事。それが私が天下統一後に為し得たい目標です」


「…………」


 カイゼルも、そしてアーネストも……しばらく目を瞠ったままディアナの顔を凝視してしまう。カイゼルは勿論、普段側近として身近にいるアーネストでさえ、彼女がこれほど天下統一後の事まで真剣に、そして現実的に考えていた事に驚かされたのだ。



「……ふむ。これはどうやら、年寄りが余計なお節介など焼く必要は全く無かったようですな。いや、お見逸れしましたぞ」


 カイゼルは感心したように顎髭を撫でながら頷いた。どうやら彼はディアナに、天下統一だけでなくその後の統治の事も考えるように諭すつもりだったようだ。




 それを横で聞いていたアーネストは自分の知らぬ内に更に成長していた主君に頼もしさと感慨を覚えて静かに目を閉じた。そして……決心・・した。


(……ディアナ殿はご立派に成長された。後は私なしでも・・・・・充分やっていけるだろう)




 そんな息子にカイゼルが意味ありげな視線を向ける。


「レイよ、素晴らしい主君を得たな」


「ええ、本当に。正直私のような愚か者には勿体ない程のお方です」


 アーネストが急にそんな言い方をするのでディアナはびっくりしてしまった。彼はそのような無意味な謙遜をする性格ではないはずだ。


「アーネスト様、何を仰られるんです。これまで私がどれだけアーネスト様に助けられてきたか。あなたは私にとって無くてはならない軍師です」


「レイよ。ディアナ殿もこう言っている事だ。思う所はあるだろうが……」


 カイゼルがそこまで言い掛けた時、アーネストが急に立ち上がった。



「……すみませんが急用を思い出しました。私はこれにて失礼させて頂きます。ディアナ殿はどうぞごゆっくりしていって下さい」


「え……ア、アーネスト様?」


 ディアナが唖然としている間に、アーネストは黙って一礼すると彼女の方を一度も見ずにそのまま退室していってしまった。ディアナが半分腰を浮かせる。


「ど、どうしたのでしょう? 私、何かアーネスト様の気に障るような事を……?」


「……ディアナ殿、私の用件は済みましたので息子を追いかけてやっては下さいませぬか。今あやつを1人にしておくのは良くない」


「カイゼル様……勿論です。それでは私も失礼させて頂きますね」


 彼女自身アーネストの態度が気になったのと、カイゼルからの許しが出たので不調法と思いながらもすぐに席を立って一礼した。



「ディアナ殿、私から一つお願いがございます。どうか何があっても息子の事を信じて頂けまいか」


 部屋を退室する寸前、カイゼルの声が背中に掛かった。ディアナは一度彼の方を振り返った。


「……? 何のお話かは存じませんが、私は何があってもアーネスト様を信用しています。今までも、そしてこれからもです」


「……ありがとう、ディアナ殿」


 それ以上話す事は無いようで静かに頷くカイゼルに再び一礼してから、ディアナはアーネストを追いかけるべく屋敷を後にしていった……


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