第十四幕 借りの返し方
「兄上! お見事でございました!」
山賊団を無事殲滅した後、別働隊と合流したディアナはまっすぐに義兄の元に向かってその手際を讃える。兵士達に戦後処理の指示を出していたシュテファンが振り向いた。
「レア、お前こそ賊共を引き込む手際、見事であったぞ。私も奇襲が実にやりやすかった」
「兄上……ありがとうございます!」
敬愛する義兄に手放しで褒められ、ディアナは嬉しさと誇らしさで顔を紅潮させる。だが……
「お前はもう一人前の武将に成長した。……最早私の助けなど必要ない程にな」
「っ!? な、何を仰るんですか! 私などまだまだ未熟者です! 私にはこれからも兄上の助けが必要です!」
義兄が神妙な表情でそう呟くのを聞いたディアナは、何となく彼がどこか遠い所へ行ってしまうような気がして、すぐにそんな自分の想像にゾッとして血相を変える。義兄がいなくなるなど想像したことすら無かった。
「……ただの言葉の綾だ。本気に取るな」
シュテファンが少し眉を顰める。実際彼自身もそんなつもりで呟いた訳ではあるまい。すぐに
「そ、それなら良いんですけど……。オホン! それでは山賊の討伐も成功しましたし、フィアストラまで戻りましょうか」
咳払いして話題を変えるディアナ。殲滅した山賊団はほぼ報告にあった通りの規模であったので、別働隊や留守番組などはいないはずだ。ならばこのまま撤収しても問題ないはずだ。しかしシュテファンはかぶりを振った。
「いや、このまま今の賊共の根城に向かって捜索した方が良いな。まだ換金されていない略奪品などが溜め込まれているかも知れん。可能な限り回収しておくべきであろう」
「あ……た、確かにそうですね」
幸いというか賊の根城の場所は既に調べがついていた。旅人や行商なども被害を受けているので、少しでも取り返す事ができれば被害を軽減できる。
方針が決まったディアナ達の部隊は、県境付近にある賊の根城に向かって行軍を再開する。しかし目的地にもうじき到着するという所で……
「……!」
ディアナ達が行軍している横手の平原の先で、大きな土埃が舞い上がっているのが目に入ってきた。あれは複数の人馬が激しく入り乱れている時に発生する物だと、ディアナもシュテファンも経験上知っていた。
そして彼等の予想を裏付けるように、その土煙の向こう側から激しい剣戟の音と怒号、悲鳴などがこちらにまで届いてきた。
間違いない。どこかの軍同士が戦っているのだ。だがこの辺りには先だって彼女らが討伐した山賊団以外には大きな賊はいないはずだし、この近辺で何らかの軍事行動が行われるという情報も君主のディアナは聞いていなかった。
つまりあそこで戦っている両軍はどちらもディアナ軍ではないという事になる。
「……! 兄上!」
「うむ、この辺りは互いの国境が隣接する緩衝地帯。無視はできんな」
2人は頷き合うとそのまま部隊を率いて、謎の部隊同士が争う戦場に近づいていく。シュテファンの言う通り、この辺りはフィアストラと西のイグレッド、そして南西のチリアーノの3県が境を接する一帯であり、となるとあの両軍はイグレッドの軍とチリアーノを支配しているラドクリフ軍である可能性が高い。いずれにせよ既にフィアストラの領内に入り込んでいるので、こちらとしてはそのまま捨て置くという選択肢はない。
「両軍とも、即刻戦闘行為を停止しなさい! ここは既にフィアストラ領内です! 戦闘を止めて撤収しない限り、侵攻の意志ありと見做して迎撃します! 繰り返す! 即刻戦闘行為を止めなさい!」
500近い部隊の行軍音。そして伝令役の兵士に高らかに銅鑼を鳴らさせて、こちらの存在をアピールする。両軍がこちらに気付いた所で、ディアナが高い声を張り上げる。女性特有の甲高い叫び声は、一時的に戦闘を止めて注意を向けてくる両軍に遍く響き渡った。
やはり2つの軍が戦闘をしていたようだが、そこでディアナは両軍の
大人数の方はざっと300くらいはいるようで、少人数の方はそれより遥かに少ない100人にも満たない数に見えた。そしてどうやら大人数の軍が少人数の部隊を追撃していて、少人数の部隊は逃げながらそれに抵抗していたという形のようだ。
そして大人数の部隊の方は、掲げている旗や兵装の意匠からすぐにどこの軍か知れた。
「……ラドクリフ軍か。この程度の小部隊で何をしていた?」
隣りにいるシュテファンが眉をしかめながら呟く。そう。大人数の部隊と評したが、それでも今現在ディアナ達が率いている部隊の方が兵力は上だ。ただの山賊討伐用の500人規模の部隊に劣るような小兵力で、宿敵たるディアナ軍の領土に侵入してくるなど正気の沙汰ではない。
だが彼らは別の更に小兵力の部隊を追撃していた。この領土侵入はラドクリフ軍の本意では無いようにも思われた。シュテファンの疑問はその前提から来るものだろう。
その時ラドクリフ軍の方に動きがあり、部隊が割れて
「何だ、聞き覚えのある声だと思ったら、やっぱりアンタだったのか。まあ好んで戦場に出てくる女なんて限られてるし当たり前っちゃそうだよなぁ」
「……! あなたは……リカルド!?」
独特の髪型と長いモミアゲ。どことなくシニカルな表情と口調。そしてその
それは紛れもなく以前トレヴォリの街で死闘を繰り広げた凄腕の傭兵、リカルド・ラモン・ペレスであった。
「おうよ、久しぶりだな。あれから随分成長したみたいだな? パドヴァ湖の会談じゃエヴァンジェリンの奴を散々にやり込めてやったらしいじゃないの。はは! その場に居合わせたかったぜ!」
「……っ。な、何だか調子が狂いますね」
仮にもラドクリフ軍に所属する立場でありながら妙にあっけらかんと友好的でさえあるような調子で、尚且つ君主のエヴァンジェリンに全く敬意を払っていない様子のリカルドに、ディアナは少し毒気を抜かれてしまう。
確かに彼は、雇い主のナゼールがエヴァンジェリンの配下である為に
「……レア、知り合いなのか?」
と、横にいた義兄が眉をしかめた表情のままで問いかけてくる。ディアナは、そう言えばリカルドについては特に詳しく報告していなかった事を思い出した。
「あ……えーと、知り合いかと言われると微妙なんですが……。例のトレヴォリの高利貸の事件でナゼールに雇われていた傭兵です」
「……! ほぅ……こやつが? 大層な剣の腕らしいな」
シュテファンが目を細めると、リカルドも少し挑戦的な笑みを浮かべる。
「いやいや、お兄さんこそかなり使うようで。ディアナ軍は猛者揃いだって話は本当みたいだね」
2人の強者が視線で牽制し合う。ディアナは居心地悪げに咳払いして話題を変える。
「おほん! ……それで一体あなた方はこんな所で何をしているのですか? 我が国への侵攻というには随分頼りない兵力ですね? でもこのまま我が領内に留まるなら、戦争行為と見做して迎撃せざるを得なくなりますが」
ディアナが本題に話を戻した事でリカルドの顔つきも真面目な物に変わる。
「ああ、まあそうなるよなぁ。だが俺も自分の傭兵としての信念って奴があってね。一度受けた仕事を途中で降りる事は絶対にしないし、出来ないのさ」
彼はそう言いながら、今まで自分達が追撃していた少人数の部隊の方にチラッと視線を向ける。やはりあの相手部隊を追撃している内にフィアストラ県内に入ってしまったという事のようだ。
そしてリカルドには、あの部隊を殲滅しない限り退くという選択肢はないらしい。トレヴォリでも感じた彼の傭兵としての強い矜持と信念によるもののようだ。
となると相手がラドクリフ軍という事もあって、ディアナ軍にとっては完全に敵軍に当たるので領内に侵入した以上は迎撃の必要がある。兵力はこちらの方が上だ。また少人数とは言え第三者の部隊もいる。この状況でリカルドに勝ち目は薄いが、それが解っていても退く事は出来ないのだろう。恐らく彼は完全に殲滅されて討ち死にするまで戦いを止めないはずだ。
「…………」
ディアナはトレヴォリでの出来事を思い返した。そして僅かな思案の後、自らの心を決めた。
「……あなたの依頼が何かは知りませんが、それよりも
「あん? 何を言って……」
訝しげな表情になるリカルドに構わず、ディアナは彼に剣を向けた。
「今ここであなたに
「んなっ……!?」
「レア!? 何を言い出す!?」
リカルドと、そしてシュテファンまでもがディアナの正気を疑うように目を剥いた。
「彼に今の任務を諦めてもらうにはこうするしかないのです。私を倒せる機会が目の前にあったとなれば彼も任務放棄の言い訳が立つはずですから」
「なぜお前がそんな事をせねばならん。奴はラドクリフ軍……つまり敵だぞ? しかも領土侵犯した挙げ句、こちらの退去勧告に従わんと言っているのだ。ならば我々はただ目の前の敵軍を殲滅するのみであろう」
シュテファンの言う事は尤もだ。当のリカルドすらそれに頷いている。
「……その兄さんの言う通りだぜ。退けないのはこっちの都合だ。あんたが俺を気にかける理由は無いはずだ」
確かにそれも正論である。だがディアナはかぶりを振った。
「気にかける理由ならあります。私はトレヴォリであなたに
「……!!」
「あの時、あなたの雇い主のナゼールは私を殺すように命令していたはずです。あなたが本当に雇い主に忠実であったなら、私の命はとうになかったでしょう。でもあなたは
「……あんた、本気で言ってんのか?」
リカルドが未だに半信半疑の様子で問いかけてくる。ディアナは躊躇いなく頷いた。
「勿論です。私は常に嘘偽りなく、何事にも全力で臨む事を信条にしていますので」
「…………はぁ。兄さん、苦労するねぇ」
盛大な溜息を吐いたリカルドは、何故かディアナではなくシュテファンの方に同情的な視線を向けた。
「……言うな。今に始まった事ではない」
それを受けてシュテファンも大きな溜息を吐いてかぶりを振った。敵同士のはずなのに妙に通じ合っている2人の様子にディアナは動揺した。
「な、何ですか、2人して。私は本気で――」
「――あぁ、本気だってのはよぉく解ったよ。……はぁぁ。ああ、解った解った。あんたの勝ちだ! どのみち以前にあんたを殺さなかった事で、一度は任務に背いちまってる訳だから今更だな」
リカルドがディアナの言葉を遮るようにして再び大きく嘆息してから、遂に折れた。ディアナは会心の笑みを浮かべた。
「ありがとうございます! それでは早速……」
彼女が剣を掲げて一騎打ちの為に進み出ようとするのを、リカルドは大きく手を振って留める。
「ああ、いい! いい! 一騎打ちは無しだ! ……ったく! 大将がこんな事で軽々しく自分の命懸けたりすんなよ! あんたは自分一人の命じゃないんだぜ?」
「……! そ、それは……」
敵であるはずのリカルドに諭されて、ディアナは再び動揺してしまう。
「因みにもしアンタが本当に一騎打ちしようとしてたら、そっちの怖い兄さんが黙ってなかったと思うぜ?」
「……え?」
ディアナはその時初めて、隣から何かひんやりした冷気のような物が漂ってきているのを感じ取って、無意識に身を震わせた。
「あ、兄上……?」
「……当然だ。そのような
「う……あ……」
ディアナは顔から血の気が引いていくのが自分でも解った。思い立ったら即実行してしまう彼女の悪い癖が発露してしまったのだ。義兄からは軽はずみな行動を控えろと散々念を押されていたにも関わらず
。
「まあまあ、兄さん。程々にしといてやってくれよ? お嬢ちゃんのお陰で俺は命を拾った訳だからな。しかしディアナ軍が羨ましいぜ。少なくとも絶対に退屈はしなさそうだしな」
「……その分、気苦労も絶えんがな」
「はは! それも違いないね! それじゃな、ディアナ! また会おうぜ!」
リカルドは陽気に笑うと馬首を巡らせ、自らの率いていた部隊と共にエトルリア方面に撤収していった。
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