第十五幕 金剛不壊

 リカルド達がいなくなる事で、彼等を挟んで向こう側にいた例の少数の部隊が警戒を解いてこちらに近づいてきた。


 その部隊の先頭にいるのは、意外な事にかなり老齢の将であった。ただし老齢といってもかなり体格が良く、白い髭だらけの厳つい顔も矍鑠とした老将というイメージを惹起させ、堅牢そうな鎧姿も相まって老い衰えているという印象は全く受けなかった。


 彼が率いている部隊はどう見ても50より少し多いくらいの人数で、ディアナ達が予想していたよりも更に少数であった。


「……この寡兵で、5倍近い・・・・敵部隊相手に持ち堪えてここまで逃げてきたのか。あの老人、一体何者だ?」


 シュテファンが思わずといった調子で呟く。用兵に長けた彼だからこそ、それが如何に困難を極めるかが理解できた。しかもただの防衛戦ではなく逃げながらの退却戦だ。流石の彼も同じことをやれと言われたら絶対不可能だとは言わないが、反面絶対に可能だとも断言できなかった。



「ふぅ……やれやれ、えらい目に遭ったわ。とりあえず礼を言わせてもらおうかの。しかしここでまさかディアナ殿本人に会えるとは思っていなかったわい。そういう意味ではあながち運が悪かったとも言い切れんの」


 老人が口火を切った。ある意味でその外見通りの豪快な口調であった。


「私に? 失礼ですがあなたは? そして何故ラドクリフ軍に追われていたのですか?」


 まずはそれを聞かねば始まらない。この老人が何者か解らない内は完全に警戒を解くわけにはいかないのだ。



「おっと、これは失礼した。儂の名はドゥーガル・ハンク・ブライトマン。これでもかつては帝国軍でそこそこ名の知れた将だったんじゃよ。尤も遥か遠い過去の名声じゃがな」



「ドゥーガル? 帝国軍の?」


 自嘲気味な老人――ドゥーガルの自己紹介に、しかしシュテファンが彼にしては珍しいほど過敏に反応した。



「……ご老人。もしや『金剛不壊こんごうふえ』のドゥーガル、か?」



「おお! 若いのに儂の名を知っておるのか! 遥か昔の異名だが、それでも若人に知られておるというのは嬉しい物じゃな!」


 ドゥーガルが呵呵として笑う。ディアナは義兄を仰ぎ見た。


「この方をご存知なのですか、兄上?」 


「直接の面識はないが……武官、特に用兵家を志す者であれば、誰もが一度はその名を耳にした事があるはずだ。かつて帝国軍でそれだけの実績を挙げてきたお方だ」


「そ、それ程のお方が、私などに一体何用でしょうか?」


 義兄がここまで手放しに称賛するからには相当の人物なのだろう。確かな実力も兼ね備えている事は間違いない。ドゥーガルはかぶりを振った。


「いやいや、儂など所詮は与えられた立場と権限の中で我武者羅に戦ってきただけの戦争屋に過ぎん。女人の身で旗揚げを志し、こうして公にまで成り上がったディアナ殿の偉業とは比べるべくもなかろう」


 ドゥーガルはそう言ってから居住まいを正した。



「ここでお会い出来たのは僥倖。どうかこの老骨にディアナ軍への仕官・・をお許し願えぬでしょうか。老骨とは言え、少なくとも後10年は現役に負けぬ働きが出来ると自負しております故」



「え、ええ!? し、仕官!? ドゥーガル様が私の軍に!? それはまた、一体何故……?」


 これまた当然の疑問だ。確かにディアナ軍は目下ラドクリフ軍を始めとした周辺諸侯と緊張関係にあるが、ドゥーガルのような隠遁していた有名な将がわざわざ出向いてまで仕官してくる理由がない。他にも彼が能力を奮えそうな勢力はいくらでもある。老将とはいえそれほど有名なら引く手あまただろう。


「儂は実はこの州の州都エトルリアで隠棲生活を送っておったのです。しかしご存知のようにエトルリアはエヴァンジェリンの卑劣な叛逆と謀反によって簒奪された。その後も聞こえてくるのは不穏な話や噂ばかり。儂も人並みに戦乱の世を憂う心はあったし、このままではいかんと思い立ってエヴァンジェリンと敵対しているディアナ殿に仕官する事で中原の平和と安定に寄与したいと考えたのじゃ。しかし私兵と共に街を経つ直前にラドクリフ軍の軍師オズワルドに察知されてしまっての。ああして追手を差し向けられたという訳じゃ」


「……!」


 因縁のある名前にディアナは眉をしかめる。言っている事自体はそう不自然という訳ではない。だがやはり隠棲生活を捨ててわざわざディアナ軍に仕官しようとするには、やや理由が弱いような気がした。


 彼女の内心を察したのかドゥーガルはかぶりを振った。


「無論それだけが理由ではない。お主らに味方するように古い友人・・・・に頼まれたのじゃ」


「友人、ですか?」


「うむ。友人とその子供達・・・の名誉の為に名前と動機を明かす事は出来んが、我が武人としての名声の全てを懸けてこれが演技などではなく、本心からお主らに仕えさせてもらうと誓おう」


 老将で異名まで持っているような彼の名声は相当な物だ。それを全て懸けるとまで言われては、軽々に疑うことなど出来ない。



「兄上、どう思いますか? ドゥーガル様の申し出を受けても構わないでしょうか?」


 先の反省もあるので自分だけでは判断せずに、義兄にも意見を求める。


「……信用していいだろう。ドゥーガル殿の名声と実力であれば、ただ普通に仕官を望むだけで登用は確実だ。わざわざこんな手の込んだ演出をして入り込もうとする理由がない。怪しまれる材料を与えるだけだからな」


「それは……確かにそうですね」


「そして言うまでもないが、ドゥーガル殿を味方に引き入れれば我が軍の戦力は確実に向上し、ラドクリフ軍との戦いにおいても非常に大きな力となる事だろうな」


 どうやら義兄はドゥーガルの仕官には好意的な見方のようだ。それに彼の意見は冷静で納得できる物であった。ディアナは決心した。



「解りました、ドゥーガル様。今このような野外の場ではありますが、あなたの仕官を受け入れたく思います。正式な契約などは城に戻ってからとしましょう。どうぞこれから宜しくお願いします、ドゥーガル様」


「おお! 寛大なお心、感謝致しますぞ! 老骨ではありますが我が身命を賭してお仕えさせて頂く事を誓いますぞ」


 ドゥーガルは馬から降りてその場で臣下の礼を取る。こうしてただの山賊討伐から思いがけず帝国軍の名将が加入する事となった。




「……しかしよもやあの『金剛不壊』と轡を並べる事になろうとはな。ディナルド殿もこの事を知ったら驚くであろうな」


 ドゥーガル達と合流して山賊の拠点にある物資も回収してフィアストラへの帰路の途上、シュテファンが隣に馬首を並べるドゥーガルに視線を向けてしみじみと呟く。するとドゥーガルが少し目を見開いた。


「ディナルド? それはもしかしてペリオーレのディナルドの事か? なんじゃ、あのハナタレ小僧も結局ディアナ軍に加わっとったのか」


「……ご存知なのか?」


 シュテファンも若干目を瞠ってドゥーガルを見やると、彼は面白そうに顎髭を撫でながら頷いた。


「ご存知もなにも、儂が帝国軍にいた頃の元部下・・・じゃよ。もっともその頃は手の付けられんような生意気な糞餓鬼でな。儂が徹底的に鍛え直してやって少しはマシになったが。そうかそうか、あやつもの。これは楽しみが増えたわい」


「……!」


 意外な事実が判明してしまった。ディナルドはシュテファンにとって師に当たる存在。そしてそのディナルドの師に当たるのがドゥーガル。ということは目の前の老将軍は、シュテファンにとって師の師・・・に当たるという事になる。


 そしてそれだけでなく……



「うふ! うふふふ! 何だか、どこかで聞いたような話ですね! うふふふ!」


 ディアナが可笑しそうに吹き出す。ドゥーガルのディナルドに対する言いようは、まるきりディナルドがシュテファンに対して言っていた昔話にそっくりだったからである。


 シュテファンが少し居心地悪そうに眉をしかめた。


「……世間は狭いものだな」


 そして再びしみじみと呟くのであった……






 こうして歴戦の古強者、『金剛不壊』のドゥーガル将軍が傘下に加わる事となった。ラドクリフ軍との決戦に備えて増々戦力を増強していくディアナ軍。


 ドゥーガルはその長年の経験や知識を惜しみなくディアナ軍の将兵に披露し、軍全体の質の向上に大いに寄与していく事となる。


 なおそれとは別にディアナは街に帰投後、義兄から君主としての心構えについて滔々と説教される事になるのは余談である……

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