第十一幕 父子相反(Ⅵ) ~父と息子

 宮城の裏庭。太守の私室から直接出れる広いスペースで、そういう用途は想定されていないだろうが、2人の人間が剣を振り回して立ち会いを演じるには充分な広さであった。


 その裏庭の中央でディアナは剣を持ってオーガスタスと向き合う。少し離れた所にはイニアスが立ち会いをしている。


 オーガスタスはその剛毅な風貌に見合った体格をしており、こうやって間近で正対するとその威圧感は相当なものだ。体格だけでなく無意識に発散される剣気や闘気も歴戦の武人のそれだ。


 間違いなくディアナがまともに戦って勝てる相手ではない。自分の麾下の猛将達でなければ勝負になるまい。


 だがオーガスタスは試す・・と言った。それはヘクトールの時と同じで、単に試合に勝てばいいという類いの物ではないのだろう。ならばディアナとしてはそれに賭ける以外にない。



「さて……それでは始めるか?」


「……はい、いつでも」


 オーガスタスが剣を抜き放って臨戦態勢となる。それに合わせてディアナも剣を構えて闘気を発散させる。


「ほぅ……」


 オーガスタスが目を細める。ディアナの闘気を感じ取ったのだ。


「行きます!」


 ディアナから仕掛ける。受けに回っていい事は何もない。全霊を曝け出すならとにかく攻めあるのみだ。やや低い姿勢を保ちつつ、全力で吶喊する。これは倒し合いではないのだ。小細工は無しで自分の全てをぶつけるつもりで掛かる。 


「ぬ……!」


 オーガスタスが剣を掲げる。ディアナはそこに大上段から剣を振り下ろした。互いの得物がぶつかり合って激しい金属音と火花が飛び散る。


 ディアナは全力で剣を押し込むが、当然というかオーガスタスは小動こゆるぎもしない。いや、それどころか……


「ふん!」

「……!!」


 腕の力だけでディアナの体ごと押し返してしまう。ディアナは弾き飛ばされてたたらを踏んだ。大きな隙だがオーガスタスは反撃する事なくこちらを窺っている。


「く……!」


 ディアナは怯まず、そのまま連撃を仕掛ける。


「はぁぁぁぁっ!!」


 連続して白刃が煌めく。並の兵士であれば、いや、そこそこの腕の傭兵などでもこの連撃を受ければ確実に斬り倒されるだろう。それ程の斬撃であったが……


「むんっ!」


 オーガスタスはその頑健そうな印象からは想像もつかない程の素早い剣捌きを見せて、ディアナの連撃を尽く防いでしまった。


「……っ!」



「さて、今度はこちらの番だな?」


 オーガスタスから発せられる圧力が増す。ディアナが警戒して身構えた瞬間、巨体が一気に踏み込んできた。物凄い風圧と共に剣が振り下ろされる。ディアナは無我夢中で自分の剣を掲げる。


「うぐっ!」


 直後に凄まじい衝撃が剣の刀身越しに伝播して思わず剣を取り落しそうになるが、既の所でこらえる。だが当然オーガスタスがその隙を黙って見ているはずもなく、容赦なく追撃を仕掛けてくる。


 その剛撃の前にディアナは瞬く間に防戦一方となってしまい、どんどん追い詰められていく。剣を持つ手も痺れて限界に近い。このままでは何も出来ずに負ける。それでは彼女の意思を示せない。



「どうした!? 貴殿の意志はその程度の物か!? これでは到底息子を預ける訳には行かんな!」



「……っ!」


 ディアナは目を見開いた。そして痺れる腕に力を込め直す。


「く……うおぉぉぉぉぉっ!!」


 彼女は恐れる事なく、敢えて自分から前に出て反撃に転じる。オーガスタスが僅かに目を瞠る。そして2人の剣閃が交錯する。



「…………」


 2人が剣を振り抜いた姿勢で固まる。観戦していたイニアスが固唾を飲む。そして……


「ふむ……」「ぐっ……」


 ディアナが呻きながら剣を取り落して片膝を着いてしまう。剣の腹・・・で肩口を打たれた衝撃による物であった。一方、何かに納得した様子のオーガスタスが剣を収める。


「あ……!?」


 イニアスが目を瞠った。オーガスタスの鎧の左の肩当てが留め金から断ち切られて地面に落ちたのだ。これはディアナの斬撃による物だった。少なくとも武官ではないイニアスには、ディアナの剣閃が全く見えなかった。



「……見事だ。貴殿の意志と覚悟、確かに見せてもらった」


 オーガスタスがひざまずいているディアナに手を差し出す。ディアナはその手を取って立ち上がった。


「ありがとうございます、オーガスタス様。では……?」


 ディアナが見上げると彼は大きく頷いた。


「うむ。貴殿の軍になら息子を託せる。……どうか息子の事を宜しく頼む」


「ち、父上……!」


 イニアスが唖然とした顔を自らの父親に向ける。オーガスタスはどこか憑き物が落ちたような晴れやかな表情となっていた。


「タッドよ。もしもの時はウィールクスの家はお前が継ぐ事になる。先程自分が述べた誓いを忘れるな。それさえ守れば……後はお前の思う道を進むが良い」


「……っ! ち、父上……ありがとうございます」


 イニアスは若干瞳を潤ませながら頭を下げた。ある程度の妥協はあったとはいえ、互いに相容れなかった親子が和解できた瞬間であった。


 その光景を横で眺めながらディアナもまた、もう二度と会う事のできない自身の父親の姿を思い浮かべながら、そっと目尻を拭うのであった……




*****




 ピストイアの領内を南に伸びる街道。これより更に南に下っていくと『嘆きの荒野』が広がっており、赤茶けた不毛の荒野が延々と続くのみである。


 そんな帝国最南端の街道を下っていく少数の騎馬があった。それはディアナと護衛の兵士達。そして……改めてディアナ軍に帰属したイニアスであった。


 ラドクリフ軍の領内奥深くに位置するこのピストイアに、ディアナがどうやって来訪する事が出来たのか。それは彼女らが『嘆きの荒野』を渡ってきたからに他ならない。


 それによってエヴァンジェリンが直接支配するエトルリア領を迂回してピストイアに入り込む事が出来たのだ。『嘆きの荒野』は軍隊が行軍するには過酷な地形だが、少数精鋭であれば通過する事自体は可能だ。物資もそれほど大量にはいらない。


 また以前のペリオーレでの侵攻騒ぎの際に、荒野側にも両勢力の砦が築かれていたが、それもやはり少人数であれば広大な荒野の事、見張りに気付かれずに侵入する事も可能であった。


 今彼等は同じルートを使っての帰路の最中であったのだ。因みに文官であるイニアスだが、若い男性であり父が武官である事からも乗馬は問題ない様子であった。



「……しかし改めて思いますが、まさか父に今回の件を了承させる事ができるとは思ってもみませんでした。これもひとえにディアナ様のお陰です。本当にありがとうございました」


 帰路の途上でイニアスが感慨深げに呟いて、ディアナに頭を下げる。彼女は慌てて手を振る。


「い、いえ、私こそ突然押し掛けてしまって、もしイニアス様にご迷惑をお掛けしたらどうしようかと思っていたんです。それに御父上を説得できたあの提案は、実はバジル様の発案による物なのです。ですからお礼はバジル様に仰って下さい」


「あはは、そんな事だろうと思いましたよ。でも実際に身体を張って父を「説得」してくれたのは紛れもなくディアナ様です。あの一騎打ちで父も感じ入るものがあったようです。やはりあなたは……この中原に希望をもたらす『光』なのです」


「イ、イニアス様……」


 剽軽な態度がなりを潜めて妙に熱の籠った眼差しで見つめてくるイニアスに、ディアナは少し困ったような照れたような複雑な表情になる。そして話題を逸らすように咳払いする。


「おほん! とにかくこれでイニアス様は正式に我が軍の禄を食む身となったのです。これからは今まで以上に我が軍の発展の為に働いて頂きますからね?」


「勿論ですとも。私の全霊を以ってお仕えさせて頂きますよ、お嬢様?」


「まあ! うふふ、イニアス様ったら!」


 また元の飄々とした態度に戻って馬上で気障に一礼する彼の姿に、ディアナも安心して微笑した。




 そうして和やかな雰囲気のまま彼等がピストイアの県領から出ようと、県境にある廃村の近くを通りかかった所で……


「……!!」


 その廃村で待ち構えていた・・・・・・・らしい騎馬の一団が、街道に飛び出してきてディアナ達を包囲した。優に100騎ほどはおり、こちらは護衛の兵士を連れているとはいっても10騎に満たない数で勝負にならない。


 しかも出現した騎馬隊は既に武器を抜き放っており、明らかに剣呑な雰囲気であった。


「何ですか、あなた達は! これは一体何の真似です!?」


 ディアナは護衛の兵士達と共に自身も剣を抜き放ちながら、厳しい表情で誰何の声を上げる。するとその声に応えるかのように騎馬隊の包囲の一角が割れて、後ろからやはり馬に跨った1人の人物が進み出てくる。



「ふふふ……やはりこうなりましたか。オーガスタス殿は戦では剛勇で鳴る武人ですが、こと家族の事となると優柔不断な所がありますからなぁ」



「……! あなたは……フレドリック!?」


 それはディアナも良く知る男、今回の件で揺さぶりを掛けてきたラドクリフ軍の重鎮、フレドリック・ヨルゲン・カルムであった。

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