第十幕 ディアナの提案
「お初にお目にかかります。私はソンドリア公のディアナ・レア・アールベックです。あなたがピストイア太守のオーガスタス・クライブ・ウィールクス殿ですね?」
部屋に入ってきたのは、果たしてディアナ本人であった。愛用の剣と鎧に身を固めている。オーガスタスはイニアスの反応を見て、彼女が本物のディアナである事を悟った。
「……如何にも、私がオーガスタスだ。遠路はるばる……と言いたい所だが、私は正直貴殿の正気を疑っている。それともそちらと我々が現在一触即発の状態であるという事を都合よく忘却でもされたか。私がこの場で兵を呼んで貴殿を捕らえる事は造作もないのだぞ? 貴殿を捕らえてエヴァンジェリン様に差し出せば、私は間違いなく勲功ものであろうな」
むしろ本来そうしない理由がない。ディアナは極めて危機的な状況に自ら飛び込んできた事になるのだが、当の本人は平然としたものであった。
「そのように仰られる時点で、オーガスタス殿とは交渉の余地があると私は思っています。他の武将達であれば、私の顔を見るなり問答無用で捕縛していたでしょうから」
勿論事前にバジルからオーガスタスの人となりを聞いていたから、こうして直接乗り込んできたのだ。そして実際に自分達の予想は当たっていた。
「む……ふん、どうやら胆力だけでなく、口も達者なようだな」
オーガスタスは少し虚を突かれたように目を見開いてから、苦虫を噛み潰したような顔になる。
「まあいい。それでわざわざこんな所までやって来たのは、そこにいる愚息の為か? 正直今のこやつに貴殿がそこまでリスクを負って足労を掛ける価値はないと思うがな」
イニアスに向かって顎をしゃくるオーガスタス。父親の評価にイニアスは不快げに顔を顰めたが、何も言わずに口を引き結ぶ。ディアナはかぶりを振った。
「イニアス様は断じて愚息などではありません。とても記憶力に優れた優秀な文官であり、どんな環境や人間関係にもすぐに溶け込んでしまう稀有な才能をお持ちです。これは誰にでも出来る事ではありません。事実我が軍ではイニアス様の出奔に対して、怒るよりもむしろ惜しむ声のほうが圧倒的多数でありました」
「……!」
彼女の言葉にオーガスタスよりもイニアスの方が反応して、少し目を見開いた。ディアナは彼の方に向き直った。
「イニアス様、私達は誰もあなたの事を疎んじてなどいません。出来る事ならあなたに戻ってきて欲しいと思っているのです。これは私だけの意思ではありません」
「わ、私は……」
イニアスが明らかに動揺したように声を震わせる。彼としては自分が不審を抱かれてディアナと臣下たちの間に分断を招いてしまうと危惧して出奔したのだ。それが臣下達も彼に戻ってきて欲しいと言っているというのは想定外であった。
「イニアス様、以前にこの中原の在り方と行く末について、夜明けまで語り通したのを覚えていますか? 私はあれでイニアス様が私と非常に近い考えを持っているお方だと解り、とても嬉しく思いました。あそこで語った夢を諦めてしまわれるのですか? 私と……私達と共に是非あの夢を実現致しましょう」
「……っ!」
イニアスが再度身体を震わせる。勿論覚えていた。あの論議は彼にとっても色々な意味で忘れられない体験であった。この人に付いていきたい、一緒に夢を叶えたい。そう強く意識した切欠であった。
「甘言で息子を惑わすのは止めてもらおう。貴殿らの言っている事は文字通り夢物語だ。息子から聞いたが、再び帝国を復権させるという貴殿の思想は、エヴァンジェリン様のみならず他の諸侯にも警戒されるであろう。貴殿には敵が多すぎる。その夢は叶う事無く道半ばで終わるであろう。貴殿らが破滅の道を進むのは自由だが、それに息子を付き合わせる訳にはいかん」
オーガスタスの言葉はある意味で父親としては真っ当な態度であろう。だがディアナは今度はオーガスタスと真っ向から向き合う。
「バジル様から伺いましたが、オーガスタス様はご自分の家を存続させる事を何よりも重要視していらっしゃるのですよね? イニアス様を呼び戻したのもそれが理由。しかし……イニアス様にはむしろ我が軍にいて頂いた方が、より確実にウィールクスの家を存続させる事が出来るはずですよ?」
「何……?」
オーガスタスがピクッと反応して眉を上げる。
「当然ですが、私はエヴァンジェリンにも他の諸侯にも負けるつもりはありません。必ずやこの州を制し、そしていずれは天下統一を果たして見せます。その過程で必ずこのラドクリフ軍とも戦う事になるでしょう。もしイニアス様がラドクリフ軍にいる状態で私達が戦に勝ってラドクリフ軍が滅亡したら……ウィールクス家はそこで断絶してしまうでしょう」
「……! 馬鹿な……あり得ん。我が軍が貴殿らの軍に敗北するなど……」
「確かに戦に絶対はありません。あなたの予測通り、我が軍が力及ばず滅びてしまう可能性もゼロではありません。しかし……戦に絶対が無いというのは、あなた方ラドクリフ軍にも当てはまる事のはずです」
「む…………」
オーガスタスは小さく唸る。戦に絶対はない。それは歴戦の武人である彼にはよく分かっている事であった。客観的に考えるならそれは確かにラドクリフ軍にも当てはまる事ではあった。
ましてや彼はラドクリフ軍の
「でももしイニアス様は我が軍に在籍しているという状態であればどうでしょう? 例えラドクリフ軍が滅びたとしてもウィールクス家はイニアス様が立派に存続させて、いえ、イニアス様の優秀さであれば更に発展までさせてくれるでしょう。勿論もしラドクリフ軍が勝てば、その時はオーガスタス様の権限でイニアス様を保護すれば良いのです。イニアス様は武官ではないので脅威と判断されずに認められるはずです」
「つ、つまり貴殿は……親子で敵味方それぞれに分かれて
確かに合理的といえばこの上なく合理的なのだが、子は必ず親の後を継ぐもの、子は親を敬って決して相対しないもの、という考え方が浸透しているこの中原においては、余り一般的な価値観とは言えなかった。だからオーガスタスも最初からそのような選択肢自体を考慮していなかった。
一歩間違えば卑怯者、不忠者の誹りも免れない奇策ではあるが……
「言いたい者には言わせておけばいいのです。それよりはお家の存続の方が遥かに大事であるはず。少し視点を変えればこの提案のメリットが見えてくると思います」
「ぬぅ……」
思いも寄らない提案にオーガスタスは再び小さく唸る。すると今まで殆ど発言しなかったイニアスが、どこか吹っ切れたように痛快げに笑い出した。
「ふ……あははは! これは私も一本取られましたね。ディアナ様にはこの中原の常識や慣習は当てはまらないようです。そもそもこの帝国において女性の身で旗揚げして公にまでなったお方なのですから、それも当然かも知れませんが」
そして彼は笑いを引っ込めて父親の方に顔を向ける。
「如何ですか、父上? 私はディアナ様の提案を飲むようにオススメしますよ。勿論戦に絶対はない以上、最終的にどちらが勝つかは解りませんが、もしディアナ軍が勝利を収めた場合は、僕が責任を持ってウィールクス家を再興するとお約束します」
「……!!」
真摯に請け負う息子の姿に、オーガスタスはそれでもしばらく考え込むような様子となる。彼自身は見るからに厳格で、そういったしきたりや伝統を重視しそうな印象なので、恐らく心の中で何らかのせめぎ合いが起きているのだろう。
だがやがてゆっくりと顔を上げた。
「……私からも一つ提案があるのだが」
「……何でしょうか?」
「貴殿の器を直接
オーガスタスの剛毅な視線がディアナを射抜く。こちらのどんな反応も見逃さないという意思を感じる。ディアナは内心で少し緊張しながらも、表面上は躊躇う事無く頷いた。
「いいでしょう。どのような方法でそれを確かめますか?」
「特に難しい事ではない。私は武官だ。相手の器を測るには、直接剣を交えるのが最も早く確実だ」
「……!」
つまり浪人時代にヘクトールを勧誘した時と同じような方法という訳だ。あれからディアナも心身ともに成長した。こちらとしても望む所であった。
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