第九幕 父子相反(Ⅳ) ~交わらぬ信念

 エトルリア郡ピストイアの街。最近リベリア州全土を揺るがした、巷では『毒婦の抱擁』と呼ばれる大規模な政変において太守オーガスタス自らがいち早くエトルリアへの恭順を示した事で、謀反によって少なくない犠牲と混乱を招いた同郡のシエナと比して、街への被害も混乱も最小限に留まった。


 簒奪で主君を殺して成り上がった逆賊、しかも卑しい妾上がりの毒婦・・の軍門に降った事で当然ながら市民や兵士たち、一部の将校達からも非難や誹りが続出したが、反面シエナのような混乱や被害を発生させず市民たちの安寧を守ったという事実から、オーガスタスの決断を称賛する声も多かった。


 そんな比較的安定しているピストイアの宮城。その太守の私室。現在そこでは2人の男性が睨み合うように険悪な雰囲気で向き合っていた。


 1人はこの街の太守であるオーガスタス・クライブ・ウィールクス本人。そしてもう1人はその息子・・であるイニアス・タッド・ウィールクスであった。


 実の親子とは思えないような剣呑さで睨み合う2人は、親子というだけあって顔つきは何処と無く面差しが似ていた。しかし片やオーガスタスは剛毅な雰囲気の武人肌。片やイニアスは線の細い文人肌。それぞれが身に纏う雰囲気は全く対照的と言ってもいい親子でもあった。



「さて、お望み通り戻ってきましたよ。これで満足ですが、父上?」


 しばらく無言で睨み合っていた2人だが、息子のイニアスが口火を切った。しかしその口元は皮肉げに歪められたままだ。


「……今は私を恨んでいるだろう。だがいつかお前にもこれで良かったのだと解る時が来る」


「へぇ? いつでしょうね、それは? どれだけ経とうが、何の展望もないただの暴君に仕える事を良しとする日が来るとは思えませんけどね」


 イニアスが皮肉げな表情を保ったまま言うと、オーガスタスは眉を吊り上げる。


「口を慎め! エヴァンジェリン様の父君であるギデオン殿には多大な恩があるのだ! 今こそその御恩に報いる時なのだ! お前もつまらぬ私情は捨てて自らの役割を全うしろ!」


「御恩、ですか。確かにそれもあるでしょうが、尤もらしい事を言って結局父上はエヴァンジェリンの勢力に恐れをなしてその軍門に降っただけでしょう? エヴァンジェリンが間違っていると知りながら、我が身可愛さにね!」


「……!」


 息子からの糾弾にオーガスタスの表情も強張る。イニアスもまた興奮して更に畳み掛ける。


「信念もなく、ただ保身のために強い者に付いてその悪事に加担する事も厭わない。今の父上は、あれだけ忌み嫌っていたジェファスお祖父様じいさまにそっくりですよ」


「タッドッ!!」


 オーガスタスが目の前の机を拳で殴る。大きな音と震動が響く。それはオーガスタスの怒りをそのまま現しているようだった。


「この私が、よりにもよってあの男・・・と同じだと? 今すぐに訂正しろ!」


 父の怒りを受けてもイニアスは怯むどころか、増々歪んだ笑みを浮かべるだけだった。


「……やはりエリナを叔母様の所に預けてきて正解でしたよ。今のあなたを見たらエリナが何と言うか……」


「……! タッド、貴様……」


 息子の言葉と態度にオーガスタスも増々怒りを募らせる。再び、そして先程よりも遥かに剣呑な雰囲気で睨み合う親子。一触即発となりかけるが、その時……



『し、失礼致します』



 部屋の外から遠慮がちに伝令の声が聞こえる。オーガスタスは苛立たし気に扉に視線を向ける。


「何だ! 今、取り込み中だぞ!」


『も、申し訳ありません! どうしても太守様にお目通りを願いたいという客人・・が来ておりまして……』


「客だと? そんな予定はない。今日の公務ももう終わっている。太守が一見の客と一々会っていられるか。さっさとお引取り願え!」 


 オーガスタスの態度はある意味で当然だ。伝令もそれは分かっているはずだ。それでも敢えて取次してきたのだ。



『そ、それが……その客は年若い少女でして、自分をソンドリア公ディアナ・・・・だと名乗っているのです!』



「あ…………?」


 オーガスタスは聞き間違いかと唖然とした表情になる。だが伝令に再度確認しても聞き間違いではなかった。彼は絶句してしまう。


 ここピストイアはラドクリフ軍の領内であり、ディアナ軍にとっては敵国・・であるはずだ。護衛の兵士は何人か連れているらしいが、そんな物は単身とほぼ変わらないだろう。


 正気の沙汰とは思えなかった。いや、あるいはディアナの名を騙っているだけかも知れない。



「ふ……くく……あっはっはっはっ!! これは反則ですよ、ディアナ様!」



 一方唖然としていたのは息子のイニアスも同じであったが、彼は父親に比べてディアナの人となりをある程度理解していた。いや、理解したつもりになっていたが、まだまだ認識が甘かったようだ。


 訪れた客人というのは、騙りでも何でも無く本物のディアナだという事が彼には解ってしまった。それで無性に愉快で痛快な気持ちになって笑いが込み上がってきたのであった。



「タ、タッド……?」


「ふふふ……父上。折角遠路はるばるいらして下さったんです。お会いしてみたら良いんじゃないでしょうか? きっと面白い事になりますよ」


 息子の勧めにオーガスタスは若干毒気を抜かれたように目を瞬かせる。しかしすぐに表情を引き締めた。


「……ふん、いいだろう。こんな所まで単身でやってきた胆力に免じて、会うだけは会ってやる。お手並み拝見だな。下らぬ小娘だと分かれば即座に捕らえて、エヴァンジェリン様に差し出してやるわ!」


 鼻息荒く決断したオーガスタスは、その客人・・をこの私室まで連れてくるよう伝令に命じるのであった。

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