清廉の美丈夫

第二幕 清廉の美丈夫(Ⅰ) ~危ない視察?

 ソンドリア郡の中では北西寄りにあるフィアストラの街。ここはつい最近になってディアナ軍が戦で奪い取り接収した県でもある。


 平和的に接収できたペリオーレと異なり、攻城戦まで行って併呑したフィアストラは未だに統治が安定しておらず、全体的に治安も乱れている状態であった。


 勿論戦による滅ぼし滅ぼされは戦乱の世の常であり、ましてやディアナが降伏勧告をしているにも関わらず、当時のフィアストラ伯だったエルネストがそれを拒絶した事で戦になったという経緯がある。


 なのでディアナ軍が為政者としてフィアストラの民から敬遠されているという事は特にないのだが、やはり大きな戦の後の混乱という物は、良からぬ事を企む者にとっても都合が良い状態なのでどうしても治安は悪化する傾向にあった。


 フィアストラの街は地理的に、これからディアナ軍がリベリア州で勢力を拡大していくに当たって橋頭堡となる街であり、尚且つディアナ軍が領有するソンドリア郡に攻め入る敵を受け止める要衝ともなる重要な拠点であった。


 なのでその治安の回復と統治の安定は当面の急務とも言えた。


 そして治安維持という事で、最も武力の高いヘクトールがフィアストラの太守に任命された。これはただ治安の維持だけでなく、最前線の拠点であるという点も考慮しての人事であった。


 そしてそのフィアストラの街。太守を任されたヘクトールは赴任して以来精力的に治安改善に取り組んでいたが、その一環として実施している特別活動・・・・があった。




「へっ……へっ……へ、ここまで逃げてくりゃ大丈夫だろ。やっぱり衛兵の動きはまだまだ鈍いな」


 街の外れにある寂れた区画。人通りも殆どない薄暗い路地に、今日この時は複数の男達の気配があった。いずれも人相の悪い男達で、しかも刀や手斧などで武装していた。真っ当な市民ではないのは明らかだ。


 リーダー格と思しき男が嗤うと、子分の1人が相槌を打つ。


「全くですね、兄貴。戦争で被害を受けた直後の街ってのは混乱してて盗みも強奪もし放題。戦争様様ですぜ」


 彼等は一種の盗賊団であったが、野盗や山賊のように街の外に拠点を構えて略奪を働くようなやり方はしない。中原中を渡り歩いて、大きな戦があった県や郡に駆け付け、戦後の混乱に乗じて街に入り込んで強盗や窃盗などを働く新種の盗賊団だ。ある意味で戦乱の世に適応している人間達と言えた。


 今日も民家に押し入り強盗を働いて、金目の物を根こそぎ奪って逃走してきた所だ。これから隠し場所まで戦利品を運んで、ある程度溜まったらこの街をオサラバする。そして盗品を金に替えたらまた新しい狩場を見つける。その繰り返しであった。


 男達が手慣れた所作で盗品の隠し場所まで移動していると……



「よう、お務めご苦労さん」


「「「……っ!」」」


 野太い男の声が彼等の足を止める。振り返るといつの間にそこにいたのか、見上げるような巨漢が戟を担いで男達を睥睨していた。その威容に男達が動揺する。


「な、何だ、てめぇは!?」



「俺か? 俺はこの街の太守・・ヘクトール様だよ。何だってのは俺様のセリフだぜ」



「た、太守ぅ!? てめぇが!?」


 男達は一様にギョッとして、慌てて武器を抜くと一斉に散開した。そしてヘクトールを取り囲む。


「へ、へ……見た所、他に衛兵もいないようだな。お前、馬鹿じゃねぇのか? 太守の癖に1人でこんな所にノコノコ現れやがってよ」


 ヘクトールが1人である事を悟ると急に強気になった男達が嗤う。そして殺気を発散させる。太守だろうが、いや、太守だからこそ見られたからには生かしてはおけない。これまでにもそうやって邪魔者を片付けてやってきたのだ。勿論偶然通りかかっただけの無辜の市民が大半だ。


 一方武器を抜いて殺気立った男達に囲まれているヘクトールは余裕の体で肩をすくめる。


「雑魚どもが粋がりやがって。この街で悪さして、ましてや俺様に殺気を向けて只で済むと思うなよ?」


「んだと、てめぇ? 粋がってんのはてめぇだろうが! おい、やっちまうぞ!」


 リーダー格の男が子分達に指示して一斉に襲いかかる。男達は10人近い数なので、一斉に襲いかかられたら並みの武人では対処が難しいが……


「ふん!」


 ヘクトールは肩に担いでいた戟を気合とともに薙ぎ払う。風を切る轟音を伴って振り回された戟は、群がる男達をまるで木っ端のように文字通り吹き飛ばした!


「な、何ぃっ!?」


 常識はずれの光景にリーダー格の男が目を剥く。子分達はヘクトールの戟の一振りで薙ぎ払われ、血と臓物をぶち撒けながら息絶えた。たった一振りで子分達を全滅させたヘクトールの武威にリーダー格の男は恐れ慄いて、踵を返して逃げようとする。


 ヘクトールはすかさず突進する。巨体からは考えられないような速さに、男は絶望から命乞いをする。


「ひぃっ!? た、助けて……」


「はっ! 喧嘩を売る相手を間違えたな!」


 ヘクトールは命乞いを文字通りバッサリと切り捨てて戟を振り下ろす。頭から断ち割られた男が脳漿をぶち撒けながら地面に突っ伏した。勿論即死だ。



「ふぅ、ま、こんなモンか。しかしどこにでも湧いてくる害虫みたいな連中だぜ。しばらくは忙しくなりそうだな」


 盗賊達を容易く殲滅したヘクトールは、彼等の死体を見下ろしながら嘆息した。これが彼の行っている特別活動であった。


 衛兵隊とは別にヘクトール単身で、街の巡回を行う。極めて優れた武人であるヘクトールの感覚は、衛兵では気づかないような僅かな音や臭い、違和感などで犯罪の痕跡を見抜く。そして実際に対処・・する際も、飛び抜けて強い彼は衛兵隊と足並みを揃えるとその真価を発揮できないので、こうして単身で巡回している方が効率が良いのだ。


 それに今の男達のように、衛兵隊を囮に使って自分自身の存在を隠すのにも便利であった。



 ヘクトールが頭を掻きながら路地から出てくる。するとそれを待っていたように彼に近づく人影があった。


「あ、あの、ヘクトール様、終わったんですか……?」


 それはいつもの派手な女性用鎧姿のディアナであった。剣も帯びている。ヘクトールはちょっと得意げな顔で胸を張った。


「おうよ! 俺様に掛かればあんな雑魚ども物の数じゃないぜ!」


 そう自慢気に喋るヘクトールが担ぐ戟は血に塗れており、彼が拘束して逮捕などという面倒・・な手段を取らずに、手っ取り早く・・・・・・終わらせた事が窺える。


 ディアナは溜息を吐いた。


(まあ相手も悪党だったみたいだし、仕方ないわよね。私達だってヘクトール様がこういう人だって解った上で、この街の治安回復を任せたんだから)


 これは一種の劇薬だ。無双の武人による情け容赦ない苛烈な取り締まり。この噂が広まれば中には敬遠する人間も出るだろうが、脛に傷を持つ犯罪目的で入国しようとする輩に対しても、同様に敬遠させる効果を期待できるはずだった。


 軍師のアーネストがそう進言する事で、今回のヘクトールの赴任が決まったのだ。そのヘクトールが頭をかいた。


「しかし前にも言ったが、何もお前がわざわざこんな血生臭い巡回なんかに付き合う必要はないんじゃねぇのか? いくらフィアストラの視察をしておきたいからってよ……」


 現在の所ゴルガに本拠を置くディアナ軍の君主たる彼女が、最前線のフィアストラにいるのは、ペリオーレには行った事があるもののフィアストラには戦後処理で一時的に足を踏み入れただけで、しかもその時は戦の直後で混乱している事もあり、まともに街を見て回る機会がなかったからだ。


 少なくとも表向き・・・はそういう理由にしてある。ディアナは少し気まず気に顔をそらした。


「……いえ、私はソンドリア公として、領内の全ての街の様子を把握しておかねばなりません。そしてそれはこういった暗部も含まれるのです」


 尤もらしい理由を述べるが、いや、今言った事も確かに大事な目的なのだが、彼女がこのヘクトールの『視察』に随行している本当の理由は別にあった。



(……エヴァンジェリンは絶対に何か仕掛けてくるはず。それを恐れて警戒しながらただ待ってるなんて真っ平だわ。こっちから動いて炙り出してやる)



 これこそがフィアストラに来た本当の理由であった。エヴァンジェリンがエトルリア郡全土を制圧してその勢力を盤石な物にした時点で、ディアナはあの性悪な女は必ず自分に対して暗殺なり何なりを目論んでくるという確信にも似た予感があった。


 そしてそうなると自分はまたいつ奴等が仕掛けてくるかも知れない暗殺などを恐れて、延々と引きこもっていなくてはならなくなる。それは以前のアーネストによる軟禁でもう懲り懲りであった。


 なのでこうして視察の名目で前線のフィアストラまで赴いて、しかおこうしてわざわざ敵が仕掛けてきやすい状況を作り出して、敵を炙り出してしまおうと考えたのだ。


 下手に伏兵などを配すると敵の腕前によっては看過されて、逆に警戒されてしまうので敢えて置かない。その代わり極力ヘクトールと行動を共にする事で安全を確保していた。



 ディアナの内心を知らないヘクトールが渋い顔で頭を掻く。


「まあその心がけは立派だがよ。今みたいに危険な奴等もうろついてるし、他にもどんなトラブルがあるか解ったモンじゃねぇし、やっぱり――」


「――大丈夫です。何かあってもヘクトール様が守って下さいますから。そうですよね?」


 敢えて遮るように言葉を被せると、ヘクトールは目を瞬かせた。


「む? そりゃまあ、勿論だけどよ……」


「だったら何も問題ないし、ヘクトール様だったら例えどんな敵が来たって撃退するのは簡単ですよね?」


「お? お、おお! 勿論だ! 俺様に敵う奴なんざいねぇからな!」


 おだてられて満更でもない様子でヘクトールは胸を張る。ディアナは彼にしなだれかかるような仕草で伸び上がって、耳に顔を近づける。



「……それにこの視察の間は、私達2人きり・・・・ですよ?」



「……っ!」


 耳に息を吹きかけるような感じで囁いてやると、ヘクトールの巨体が硬直した。しかしすぐにワナワナと身体を震わせはじめる。


「へ、へへ、そ、そうだな! 君主の視察って奴もたまには大事だよな!」


「そうですよ。頼りにしてますね、ヘクトール様?」


「お、おう! 俺様に任しとけ!」


 すっかりその気になって上機嫌に請け負うヘクトール。その様を見ながら、ディアナは内心では彼に侘びていた。


(利用してしまってごめんなさい、ヘクトール様。でももう私は奴等から逃げないって決めたんです……!)


 そう改めて決意するディアナだが、勿論そんな彼女の内心を知る由もないヘクトールは、ハイテンションになって戟を振り上げる。


「よーし! そんじゃ気合い入れて悪党どもを懲らしめてやるか! 次はスラムに行くぜ!!」


「あっ!? ちょ、ちょっと、ヘクトール様!? ま、待って下さーーーい!!」


 まさに猪突猛進という感じで駆けていくヘクトールの姿に唖然としたディアナは、1人にされては堪らないと慌ててその後を追いかけていくのだった。


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