第三章 争乱編

第一幕 狂い咲き

 リベリア州の州都エトルリア。つい最近になって支配勢力が変わった事でも有名な都市であり、しかもその方法が『簒奪』によるものとあっては、どうしても世間の印象を悪い意味で引いていた。


 そんなエトルリアの街の中心にある宮城。帝都と各州都の宮殿は他の街とは一線を画する壮麗さを誇っており、帝都の『シャリーア宮』を含めて【七曜宮】と呼称されている。


 七つの州は古の戦国時代にはそれぞれ別々の王国であり、独自の文化を持って互いに争っていた。七曜宮はそんな各王国の文化の特色を色濃く残した建築様式となっており、各宮殿それぞれに違った趣があった。


 平和な時代には、七州全てを旅してこの七曜宮を巡るのが帝国人の憧れとされていた事もあった。当然今は戦乱の時代なのでそのような価値観は廃れていたが。



 その七曜宮の一つ、州都エトルリアの宮城であり、リベリア州を代表する宮殿である『ミラネーゼ宮』。


 リベリア風の様式をふんだんに取り入れて贅を尽くした壮麗な宮殿の、更に中央部にあるの私室。つまるところこの宮殿の主の私室という事になるが、初めて訪れた者は一様に目を瞠るであろう豪勢な部屋の中で、その内装には相応しくない荒れた聞き苦しい叫び声や唸り声が鳴り響いていた。



「くそ! くそ!! あの……小娘がぁ! 忌々しいっ!! お、思い出しだだけで腹が立つわ!!」



 その部屋の現在の主である……エトルリア公エヴァンジェリンは、先のパドヴァ湖での『会談』での屈辱と怒りを思い出しては、憤懣やるかたない様子で物に当たり散らして喚いていた。


 それは傍から見て、到底大勢力を率いる高い地位にいる人物の振る舞いとも思えなかった。


「わ、私に……よりによってアーサーの前で恥を掻かせるなんて……! 百回殺しても飽き足らない奴!!」


 大きな壺を蹴り倒す。壺は床に接触して、派手な音と共に砕け散った。普通太守の私室でこんな大きな音が鳴ったら、すわ賊が侵入したかと衛兵が駆け込んできそうなものだが、この宮城に至ってはそれはない。


 エヴァンジェリンが癇癪を起こしている事は皆が知っており、下手に関われば巻き添えを食う事が解っていて、敢えて近寄る物好きは誰もいなかった。



 だが例え主の機嫌がどん底であっても、報告・・は持っていかねばならない。貧乏くじを引いた宮中の伝令が、恐る恐る私室の扉をノックする。


『し、失礼致します……』


「……! 何なの!? 今取り込んでるのが解らないの!? あっちへ行きなさいっ!!」


 用件を切り出す前に怒鳴りつけられた伝令は辟易しながらも、強引に用件を述べてしまう。



『ピストイアとシエナより使者の方々が参られました! 後……朝廷よりブリストル財務官というお方が……』



「……っ!!」


 その報告を聞いたエヴァンジェリンが、目をカッと見開いて動きを止める。しばらく止まっていたかと思うと、徐々にその両肩が小刻みに震えだした。……笑っているのだ。そしてそれに合わせてその面貌も憤怒から喜悦へと変わっていく。


「ふ……うふふふ……」


『あ、あの……エヴァンジェリン様?』


 その笑いに不気味な物を感じた伝令が、扉越しに気味悪そうに問いかける。エヴァンジェリンは一転して苛立たしげに声を荒げる。


「何をしているの! すぐに通しなさい! それと急いで謁見の手配よ! 早く行きなさい!」


『は、はい! 只今……!!』


 伝令の気配が飛ぶようにして遠ざかっていく。だがエヴァンジェリンの顔は、またあの邪悪とも言える喜悦の表情に戻っていた。


「うふふふ……小娘。調子に乗ってられるのも今のうちよ。すぐに私の恐ろしさを思い知らせてやるわ」


 上機嫌になったエヴァンジェリンは、自らも謁見の間に赴くべく身支度を整え始めるのだった。



*****



 エトルリアの宮城『ミラネーゼ宮』。その謁見の間は七曜宮の一角に相応しい、広く壮麗な内装を誇り、着飾った数十人もの廷臣が居並んでも全く見劣りしていなかった。


 その謁見の間の玉座はエヴァンジェリンが主になってから作り変えられており、豪華ではあるが正直あまり趣味の良い見た目とは言えなかった。


 そんな悪趣味な玉座に腰掛けたエヴァンジェリンは現在、この城を訪れた使者・・との謁見の最中であった。



「エヴァンジェリン様、お久しゅうございます。ピストイア伯オーガスタス、そしてピストイア県は今より正式にラドクリフ軍に帰属する事を宣言致します」



 エヴァンジェリンが見下ろす先、ホールの中央でひざまずいて臣下の礼を取っているのは、この州都エトルリアを擁するエトルリア郡に属するピストイア県の太守、オーガスタス・クライブ・ウィールクスであった。


 鍛え抜かれた大柄な体躯を質の良い鎧に包んでおり、その厳しく引き結ばれた面貌も相まって、見るからに壮健な歴戦の武人といった風情だ。


 そんな壮健極まる、しかも太守の地位にある武人が、柔弱な女性であるエヴァンジェリンにひざまずいて主君と仰いでいる。この中原においては極めて希少な光景であった。



「うふふ……よくぞ馳せ参じてくれたわ、オーガスタス。お前の武とピストイアの兵力、国力。大いに期待させてもらうわね」


 当のエヴァンジェリンは満足そうに何度も頷いてオーガスタスを見下ろす。これこそが彼女の『力』であった。


(ふふん、小娘。ペリオーレを無血開城させた事で調子に乗ってるようだけど、そんな事は私にだって出来るのよ)


 いや、ゾランが太守を務めるチリアーノも含めれば、実質2つの県を無血開城させて無傷で接収した事になる。これは明らかにディアナ軍を上回る実績であった。


「は、勿体なきお言葉。しかし……兵の中には一部、今回の接収に納得していない者もおります。完全にラドクリフ軍として機能するようになるまでには、今しばらくはかかるかも知れません」


 『簒奪』という悪名高い方法で成り上がった事や、そもそも女のエヴァンジェリンが君主であるという事が、末端の兵士にとっては不満材料であるようだ。


 その事実を指摘されたエヴァンジェリンは露骨に不快気に顔をしかめる。


「えい、うるさい! つまらぬ報告など聞きたくないわ! それを何とかするのがお前の仕事でしょう!? どんな手段を使ってでも従わせなさい!」


「……は、畏まりました」


 自分より年下の、しかも娼婦上がりの女に居丈高に怒鳴りつけられて、しかしオーガスタスは内心はどうであれ律儀に頭を下げる。


 それを見たエヴァンジェリンは少し溜飲が下がって冷静さを取り戻す。



「ふん……そう言えばお前、息子と娘がいたわね。もう成人したのだったかしら?」


「は……息子は既に成人しておりますが、戦よりは学問に適正があったようで……」


「そう……。もしまだどこにも士官していないようだったら、うちで面倒を見てあげてもいいわよ」


「……! ありがたきお言葉。息子にも伝えておきます」


 オーガスタスは恐縮して増々平伏する。それに気を良くしたエヴァンジェリンだが、急に何かを思い出したように再び顔をしかめた。


「ただし……ジェファス、だったかしら? あなたの父親・・には二度と会いたくないけどね」


「はは……それに関しては私も同感ですな」


 自らの父親を悪く言われた割には、オーガスタスはむしろそれに同調するように乾いた笑いを上げる。それは別にエヴァンジェリンに阿っている訳ではなく、彼の本心であるようだった。 



 そして挨拶を終えたオーガスタスが退室していく。その後ろ姿を見送りながらエヴァンジェリンは、


「父親、か……」


 誰にともなく小さく呟いた。しかしそのつぶやきは誰にも聞き届けられる事はなく、次の謁見者が入室してくる。いや、正確には……謁見者達・・・・だ。


 入ってきたのは2人の男で、やはりどちらも武官であるようで鎧兜に身を包んでいる。しかし雰囲気は対照的と言ってよく、1人はリベリア人のようで左右に整えられた口髭が特徴的な軽薄な雰囲気の男で、その表情や態度もどことなく不真面目な印象があった。


 もう1人は逆に一切の感情を置き忘れたような無表情で、見るからに寡黙で生真面目な印象を与える武人であった。


 2人は謁見の間の中央まで進んでくると、先程のオーガスタスと同じように並んでひざまずいた。



「ご無沙汰しておりますな、エヴァンジェリン様。この度決行・・のご指示を頂き、私レオポルドとこちらのアートスの2名、ご命令通りシエナ伯ティベリオを殺害し軍を掌握。従わぬ者達は全て粛清致しましたぞ」


「…………」



 口髭の軽薄な武将――レオポルドが報告すると、もう1人の寡黙な武将――アートスは、やはり一言も発する事なくただ黙って平伏した。


「うふ、ふふふ……よくやったわ、お前達。これでこのエトルリア郡は全て私の物だわ! ほほほ! 小娘、今更慌てふためいても手遅れよ!」


 その報告を聞いたエヴァンジェリンは会心の笑みを浮かべるとともに、これで実効支配都市の数でも完全にディアナ軍を上回った事実に狂喜する。



 エトルリア郡はこの州都エトルリアを始め、チリアーノ、ピストイア、そしてシエナの4県で構成されている。これでその4県全てをエヴァンジェリンが領有した事になるのだ。総兵力では優に1万を超える。


 現時点でリベリア州のみならず帝国全土において、これ程の領県と兵力を保持している勢力は他に殆ど無いはずだ。エヴァンジェリンは一気に、天下統一に最も近い最有力諸侯の一角に躍り出た事になる。


 これが彼女が長い時間を掛けて準備してきた計画の全容であった。単にエトルリアを奪うだけではないのだ。


 チリアーノとピストイアは太守を直接抱き込む・・・・事に成功した。しかしシエナに関しては太守のティベリオが厳格な茱教の思想家であり、絶対に自分の傘下に付く事はないだろうと判断したエヴァンジェリンは、シエナ軍を統括する2人の武将……即ち、レオポルド・ジャン・サルバトーレとアートス・カール・ビョルケルの2人に接近し、これを籠絡・・する事に成功した。


 そして彼等に謀反を起こさせてティベリオを殺害させ、2人がそのままラドクリフ軍に帰属する事でシエナ県の間接的な接収を果たしたのだ。他の2県と異なり謀反の過程で多少の被害は生じたが、これはやむを得ない損失だろう。それでも直接戦で滅ぼすよりは遥かに損害は少ない。



「……! そうだわ。お前達、最近ソンドリア公に成り上がったあの小娘の事は知っているわね?」


「は……! 何やら身の程知らずにもエヴァンジェリン様に逆らう愚か者だとか?」


 彼女の問いにレオポルドが即答する。アートスもやはり一言も喋らないものの、はっきりと頷いた。


「そう、その小娘よ。丁度いい。お前達に新しい任務を与えるわ。ゴルガに潜入してあわよくばあの小娘を暗殺するのよ。お前達なら奴等に顔が知られていないから上手くいく可能性が高いわ」


 しかもこの2人とも武芸の腕は並大抵ではない。上手くディアナが単独でいる所に襲いかかる機会があれば討ち取れるかも知れない。唐突に思いついた作戦だが、案外行けるのではないかと思った。


 ディアナ軍も優秀な武将が多いが、それを纏めているのは間違いなくディアナの存在だ。つまりあの小娘が死ねば自然に瓦解する事は充分考えられる。



「……御意」


 アートスがここに来て初めて喋った。喋ったと言っても短い肯定の意を表しただけではあるが。一方レオポルドは少し興味深そうな表情で目を細める。


「ほほう! それはそれは……噂の『美少女君主』を直接拝める絶好の機会ですなぁ!」 


「……今なんと言ったの?」


 揶揄混じりとは言えディアナの外見を褒めそやすような言葉に、エヴァンジェリンは柳眉を逆立てる。失言をしたと気付いたレオポルドが慌てる。


「あ、いや、これは失礼をば……。で、では我等は早速新しい任務に取り掛かりたく存じます。行くぞ、アートス!」


 我関せずで無言のままだったアートスを引き連れて、逃げるように謁見の間を後にするレオポルド。



「ち…………」


 エヴァンジェリンは忌々し気に舌打ちする。この後もう1人・・・・謁見を控えているのだが、その人物の事を思うと気が重くなる。だが既に予定は入っている為、逃げる訳にもいかない。


 エヴァンジェリンが重い溜息を吐いていると、その件の人物が謁見の間に入ってきた。60は過ぎたであろう老齢と呼んで差し支えない男性で、落ち着いた雰囲気を醸し出しているが、その表情は深い憂慮に沈んでいた。


 その痩身には帝都の朝廷の役人が着る官服を纏っていた。そしてその官服には朝廷の財務を司る帝計局の紋章が縫い込まれていた。この男性は帝計局の……それもかなり高位の役人なのだ。


 帝計局財務官ギデオン・バート・ブリストル。それがこの老人の名前であった。エヴァンジェリンはそれをよく知っていた。



「…………」


 エヴァンジェリンはギデオンが来ている事を知っていながら、露骨に顔をそらして気付いていない振りをする。ギデオンが嘆息した。


「……朝廷からは正式に承認が降りた。これでお前・・は自称ではなく、正真正銘のエトルリア公となった。また財務局から地方振興費の名目で300万ジューロを都合出来た。この金は全てお前の物だ」


「……!」


 エヴァンジェリンの身体がピクッと反応する。朝廷からの地位承認と軍資金。どちらも喉から手が出る程欲しかった物だ。


 特に今まで何の地位もない娼婦上がりの女であり、尚且『簒奪』によって国を得たエヴァンジェリンとしては、朝廷からの承認は何としても得たかった所である。


 朝廷に働きかけてそれをもたらしたのは紛れもなくこのギデオンであったのだが、エヴァンジェリンはそれを表面上は認めずに、それどころかたった今彼が来た事に気付いた風を装った。


「……あら、来ていたの? ごめんなさい、気付かなかったわ。ご苦労さま。もう下がっていいわよ」


 その功績を労うどころか、さっさと追い出そうと手を振る。しかしギデオンに退出する気配はなく、やはりあの憂慮に満ちた表情のまま彼女を見つめてくる。エヴァンジェリンは内心で大いに苛立って舌打ちする。


「……何なの? 私は忙しいのよ。用件があるならさっさと――」



「――いつまでこんな事を続ける気だ?」



 彼女の言葉を遮るようなギデオンの問いかけ。彼女は一瞬虚を突かれたように目を瞬かせるが、すぐにその表情を歪めた。


「いつまで? 勿論あの小娘を倒すまでよ」


「私が聞いているのはそういう意味ではない。仮にそれが出来たとして、その後はどうするつもりなのだ? お前にこの中原を統一し、天下を平定する意志はあるのか?」


「……!」


 ギデオンの諭すよう口調にエヴァンジェリンは顔を強張らせ、急激に不機嫌になる。


「何よ。今更私に説教でもする気? こういう形で私に協力しておきながら……!」


「私はお前の味方だ! だからこそ問わねばならんのだ! もしお前がリベリア州を制したなら、お前にはこの地の民を治め導く義務がある! もし中原全土を制したなら――」


「うるさいっ! うるさぁぁぁーいっ!!」


 逆にギデオンの耳障りな言葉を遮って癇癪を起こす。



「善人ぶって私に説教しないで! 一度は私達を見捨てた・・・・癖にっ!!」



「……っ!!」


 ギデオンが大きく目を見開いて身体を震わせる。エヴァンジェリンはそんな彼に追い打ちを掛ける。


「私とアーサーがどんな気持ちでここまで登り詰めてきたか、あなたに解る? あなたには私達に何かを諭す権利・・なんて無いのよ。私の味方だと言うなら態度と行動で示して頂戴。あなたには他に何も望んでいないわ」


 それ以上の一切の対話を拒絶する態度に、ギデオンは悲しげな表情で深く嘆息する。


「そうか……。お前がそう望むなら、その通りにしよう。では失礼する……」


「…………」


 悄然と肩を落として退室していく後ろ姿を見送りながら、エヴァンジェリンはそれでもしばらく激情冷めやらぬ様子で興奮していたが、やがて落ち着いてくるとその口が笑みの形に吊り上げられた。



「ふ、ふふ……私は止まらない。もう、止まる事は出来ないのよ。小娘……止められるものなら止めてみなさい。お前の意志が勝つか、私の意志が勝つか……これはそういう戦いなのよ……!」


 彼女はそのまましばらく玉座に座ったまま、凄絶な笑みを浮かべ続けていた……





 エヴァンジェリンが電撃的にエトルリア郡全土を制圧したという報せは、瞬く間に中原全土を駆け巡り、勿論彼等を不倶戴天の敵と定めているディアナ軍にも大きな驚きと衝撃をもたらす事となった。


 リベリア州を舞台とした2人の女の対決は、最早避けられぬ事態となりつつあった……

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