第三十一幕 悪の華(Ⅴ) ~毒婦の正体

 ペリオーレの宮城。この城の会議室を借り切って、ディアナとシュテファンは軍師のアーネストを交えて、先のエヴァンジェリンとの会談の報告と考察を行っていた。


 現在はシュテファンが極力客観的な視点で、あの『会談』の一部始終を報告している所だった。ディアナは上手く報告できる自信が無かったので、義兄に任せて黙って聞いていた。



「……以上が大体のあらましだ。あの会談からは少なくとも2点、重要な情報が読み取れた。お前はどう思う?」


 報告を終えたシュテファンがアーネストの意見を求める。彼は得心したように何度も頷きながら話を聞いていたが、問われて満足気に口の端を吊り上げる。


「流石はシュテファン殿ですね。やはりそこが気になりましたか。あなたをこの役に選んで正解でしたよ」


 どうやらアーネストもシュテファンの話を聞いて彼と同じ結論に達しているらしい。ディアナは1人置いてきぼりになって首をかしげる。


「ど、どういう事ですか、アーネスト様まで? あの会談は明らかに失敗でした。重要と思える情報なんて何も……」


 ただお互いに罵倒し合ってエヴァンジェリンが暴発した挙げ句に打ち切りとなってしまったのだ。あの会談を思い返すと彼女には恥の感情しか浮かばなかった。



「ディアナ殿。あなたの目から見てエヴァンジェリンはどんな人物でしたか?」


「え……? エヴァンジェリン、ですか……?」


 アーネストに問われてディアナはあの会談を顧みてみる。会って早々、挨拶するでもなくいきなりの罵倒。その後も大勢力の君主にはあるまじき言動の数々で、しかも朝廷の使者が見ているのも忘れて、自分の感情に囚われてあのような暴挙に出る……。


 少なくともあれは絶対に演技などではない。あんな演技をするメリットは何もない。そうなるとディアナの正直な印象としては……


「あ……言われてみれば確かに、以前にアーネスト様が仰っていた通りの人物だった、と思います」


 思慮に欠けた俗物。アーネストはあの時エヴァンジェリンの事を確かにそう評したのだ。そしてあの会談での振る舞いは、まさに思慮に欠けた俗物以外の何物でもなかった。外見だけは同性のディアナの目から見ても妖艶な美女であった事は認めるが、それはここでの人物評とは無関係と言っていいだろう。


「まさしく。しかも会談の内容を聞く限り、予想よりも更に短絡的で自制の効かない人物であると思われます。ただでさえ簒奪で周辺諸侯や朝廷からの印象は悪いのに、今回の約定違反の暴挙でそれは最悪にまで落ち込みました。麾下にあれだけ優秀な人材を集めた手腕だけは大した物ですが、肝心の頭があれでは折角の人材も宝の持ち腐れでしょう」


 辛辣なアーネストの批評。エヴァンジェリン一味に所属している部下達は間違いなく優秀であり、脅威とすら言える者も何人かいる。だが果たしてあのエヴァンジェリンに彼等を使いこなすだけの度量があるのだろうか。


 直接会って話もした印象では、とてもそうとは思えなかった。しかしそうなると別の疑問も湧く。



「でも……それならエヴァンジェリンはどうやってあんなに優秀な人材を沢山集めたんでしょう? 彼等だってエヴァンジェリンに何らかの君主としての資質を見出したからその配下になっているのでは……?」


 そう思った。きっとディアナには分からなかっただけで、普段の彼女には何かカリスマ性があったり特筆する能力などがあって、それで部下達を従えているのではないか。あの帝都で出会った奸雄サディアスのように。


 その可能性を指摘するが、アーネストは躊躇いなくかぶりを振った。


「……以前にバジルがエヴァンジェリンの名前を突き止めてからというもの、実はクリストフにエヴァンジェリンの情報をずっと調査してもらっていたのです」


「え……クリストフ様にですか?」


 確かに調査任務には定評のあるクリストフなので適任ではあるだろうが、ディアナは初耳であった。今まで報告を受けた事もなかった。アーネストが少し言いにくそうな様子になる。


「その……ディアナ殿には少々言いづらい情報もあったので、報告するべきかどうか迷っていたのです。しかしこうなった以上はある程度お耳に入れておかねばなりません」


「……?」



「エヴァンジェリンは……州都エトルリアのスラム街で名うての娼婦・・だったようです」



「……!!」


 ディアナは硬直してしまう。しかしアーネストは一旦話し出したからには、という事なのか構わず続ける。


「彼女と閨を共にした・・・・・・男は口を揃えて、まるで極楽浄土にいるかのようだったと夢見心地で述べています。その噂を聞いてやってきたバルトロメオ公もその手練手管で籠絡・・し、愛人として収まって権力を握ったというのが真相のようです。恐らく……いや、間違いなくフレドリックら麾下の人材も、同じような手段を用いて文字通り抱き込んだ・・・・・者達なのでしょう」


「……っ」


 フレドリックやゾラン、ナゼール、メルヴィン……そして、あのオズワルドでさえも、エヴァンジェリンにそうやって籠絡・・されたというのだろうか。


 なまじ顔を知っているだけに、その光景を朧げながら想像してしまい、ディアナは盛大に顔を赤らめると共におぞましさから吐き気を感じてしまう。間接的に雇われているだけのウルゴルやリカルドなどは流石にないと思いたいが。



「おほん! ……アーネスト。その話題はもういい」


 義妹の様子を見かねたシュテファンが咳払いして話題の転換を促す。アーネストも元々言いづらそうにしていただけあって、すぐに話題を打ち切る。


「あー……おほん! つまり何が言いたいかと言うと……エヴァンジェリンにカリスマ性や、君主としての適性や能力など何もないという事です。あの女自身は君主としては凡庸以下の俗物に過ぎません。これがあの会談によって裏付けられた重要な情報の一つ・・です」


「……!」


 話が会談に戻ってきてディアナはホッとすると共に、義兄達が言っていた二つの情報の内の一つが判明した事で、残りの一つが気になった。


「では……もう一つは?」



「あの男……ユリアンの事だ。いや、正確にはあの姉弟の関係・・・・・・・、だな」



 今まで喋っていたアーネストに代わって義兄が発言する。


「姉弟の関係、ですか? 確かに以前にあのゾランが、エヴァンジェリンは弟を溺愛していると言ってはいましたが、まさかあれ程とは……」


 ディアナは会談におけるエヴァンジェリンの醜態を思い返して呟く。


「うむ、私もあれには驚いた。あの女の性格からして恐らくユリアンに対しては相当の依怙贔屓をしているだろうな」


「ええ。そしてお話を聞く限り、姉弟間の主導権は弟のユリアンが握っているようですしね。これはフレドリックらその他の配下からしてみたら、相当に士気が下がる状況でしょう。彼等が傘下に加わったのはあくまでエヴァンジェリンであって、ユリアンではないはずですから」


 シュテファンの言葉にアーネストも相槌を打っている。


「そ、そんな物でしょうか……?」 


 たとえそれが事実だとしても、そんなに重要な事なのだろうか。ディアナには今一つ想像がつかなかった。


「軍や政府の士気という物は想像以上に重要なのですよ。では身近な例で想像してみて下さい。あなたが義兄のシュテファン殿ばかりを褒めそやして重用し、シュテファン殿の言う事は何でも聞いて、それに異を唱える部下を叱責したり酷い時には処断したりする。しかも主導権はシュテファン殿が握っていて、君主でもないのに偉そうに自分達に指図してくる……。あなたに心酔して仲間になったはずのヘクトール殿やバジル達がその状況をどう思うか、想像が付きませんか?」


「……っ! それは、確かに……かなりキツいかも、知れませんね……」


 自分達の勢力に置き換えて想像してみて解った。ヘクトールもバジルも、そしてアーネスト自身だって極限までモチベーションが下がって、内政も軍事もあらゆる仕事の能率が低下するだろう。積極的に献策する者もいなくなる。それどころかいつ嫌気が差して出奔してしまうかも解らない、極めて不安定な状況になりかねない。


 国としては最悪の状態だ。


「……例えが気になるが、まあそういう事だ。少なくともお前はそのような愚かな事はしなかった。それはエヴァンジェリンとの大きな差だ」


「あ、兄上……」


 尊敬する義兄からの賛辞にディアナは少し感動してしまう。



「勿論奴等が強大な勢力である事に変わりはありませんし、決して油断して良い相手ではありません。しかし付け入る隙は充分にあります。決して勝てぬ相手などではないのです。今回の会談はそれを裏付けたという意味で間違いなく『成功』です。あなたは上手くエヴァンジェリンを挑発し、その醜態や弱みを引き出しました。此度の会談……戦に例えるなら、紛れもなくあなたの勝利・・です」


「アーネスト様……あ、ありがとうございます!」


 普段は辛口な軍師のアーネストにまで絶賛され、ディアナは顔を紅潮させて目を潤ませる。今まで煮え湯を飲まされてきたエヴァンジェリンに一矢報いた事で溜飲の下がる思いもあった。


 アーネストが手を叩く。


「さあ、とりあえずの報告会はここまでとしましょう。あの会談でお疲れでしょうし、今日明日はこの街でゆっくりお休み頂いて、明後日にゴルガに発つ事としましょう。ゴルガに戻ったらクリストフ達も交えて正式に、対ラドクリフ軍も想定した戦略会議を行います。勿論あなたにも参加して頂きますよ?」


「はい! 宜しくお願いします!」


 もう彼女を立派な一人前の武将として扱ってくれるアーネストに感謝しつつ、ディアナは勢い込んで頷く。



 エヴァンジェリン一味が台頭し強大な敵として立ち塞がった状況だが、彼女はかつてない程に充実した興奮と高揚を自覚するのだった……



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