第三十幕 悪の華(Ⅳ) ~兄妹と姉弟


「くく……トレヴォリとペリオーレでの件は聞いているぞ。リカルドやメルヴィンらを相手に大立ち回りを演じたそうだな? 自己の研鑽を怠らぬか。増々いい女になったな」


「……っ」


 こちらを舐めるように見つめてくるユリアンの目にやや怯んでしまうディアナ。だがユリアンのその言葉と態度はディアナよりも、もう1人の人物・・・・・・・に激烈な反応を引き起こした。

 

「え……ア、アーサー……? その小娘と会った事があるの? そ、それに、その小娘が、いい女・・・ですって? 何かの冗談よね……?」


 エヴァンジェリンだ。呆然とした表情で目を見開いてユリアンを見つめている。どうやらチリアーノの件は与り知らなかったらしい。


 ディアナはそのチリアーノで太守のゾランが言っていた、『あのお方』は弟を溺愛・・している、という言葉を唐突に思い出した。



 姉の信じられないという視線を受けたユリアンはしかし、全く悪びれる事なくむしろ当然とばかりに頷いた。


「ああ、そうか。姉上にはまだ言っていなかったな。ならば丁度いい。俺はこのディアナをとする事に決めたぞ。非常に気に入ったのでな」


「――――」


 エヴァンジェリンが硬直して全ての動きを止める。その顔が雪のように白くなる。だが余りにも一方的で自分勝手な宣言を受けたディアナは、ユリアンへの怒りでそれに気付かなかった。


「ふ、ふざけるな! 私は絶対にお前の物になどならない!」


「くく、そういう態度は俺を喜ばせるだけだと解っていてやっているのか?」


「……っ!」


 本当に嬉しそうなユリアンの態度にディアナは唇を噛み締めて押し黙る。だがその時、急にエヴァンジェリンが椅子から立ち上がった。その場の全員が咄嗟に彼女に注目する。 



「……ふ、ふふ、ふ……この泥棒猫。どうやってアーサーを誑かしたの……?」



「な、何ですって……?」


 ディアナはそこでエヴァンジェリンの様子が尋常でない事に気付いた。焦点の合わない目で明らかに常軌を逸した感じで呟くと、その口がニィ……と吊り上がった。


「清純ぶって、この尻軽の売女が……!! 殺してやるぅぅぅっ!!」


「……!!」


 エヴァンジェリンは正気ではない様子で叫ぶと、懐に手を入れた。そして出されたその手には抜身の短刀が光っていた。ディアナはギョッとして立ち上がる。


「死ねぇぇぇぇっ!!!」

「きゃああっ!!」


 だがその時には狂乱したエヴァンジェリンが短刀で突き掛かってきていた。戦場では優れた武将でもあるディアナも丸腰の上、全く予期していない事態であった為に対応が遅れた。


 惑乱の凶刃が、あわやディアナの胸に突き立てられようとしたその時……



「レアッ!!」


 頼もしい声と共に、大きな影が彼女の前に割り込んだ。


 ――ガキィィンッ!


「……!」


 咄嗟に間に入ったシュテファンが、エヴァンジェリンの凶刃を自らの剣で受け止める。


「あ、兄上!」


「く……邪魔よ! 退きなさい!」


 エヴァンジェリンがそれでも尚しつこく短刀を振るってくるが、勿論武人であるシュテファンに通じるはずもない。


「むん!」

「……っ!!」


 シュテファンが軽く鞘ごと剣を振るうと、エヴァンジェリンの手から容易く短刀が弾け飛んだ。エヴァンジェリンは手首を押さえて呻きながら後じさる。



「……懐剣か。当事者同士は帯刀しない約束のはずであったが? しかも斬りかかるとは。これは明白な約定違反ぞ」


 シュテファンがそれでも油断なく構えた状態で、立会人の朝廷の使者達に視線を向けると、彼等は一様に頷いた。朝廷の立会人が見ている前での狂乱劇。これはどうやっても言い逃れは出来ない。ある意味でこのような時の為に彼等はいるのだから。


「……これは俺も与り知らぬ事であった。といっても言い訳にしかならんであろうがな」


 未だに呻きながら憎々しげにディアナを睨みつけている姉に代わってユリアンが進み出てくる。その声音には抑えきれぬ怒りが滲み出ていた。


「貴君の姉君は冷静に話しが出来る状態ではないようだ。私の判断で会談はここまでとさせて貰おう」


 こちら側もまだショックから立ち直っていない妹に代わってシュテファンが発言する。ユリアンが不承不承といった感じで頷く。


「こちらに異を唱える権利はあるまい。残念だがここまでだな」


 会談の打ち切りを認めつつ、ユリアンはシュテファンに挑発的な視線を向ける。


「お前がディアナの義兄シュテファンか。俺は必ずお前の妹を手に入れてみせる。よく覚えておけ」


「……!」


 不敵なユリアンの宣言にシュテファンも表情を険しくして睨み合う。だがそこに……



「アーサー……まだそんな事を! あなたはその女に騙されているのよ! 目を覚まして頂戴!」


 会談打ち切りの原因となった愚者が、状況も理解せずにまだしつこく喚いている。ユリアンの眉間に皺が寄り、不機嫌な怒りがその身体から発散される。


「……姉上。俺は今非常に機嫌が悪い。朝廷の使者が見ている前でまだ恥の上塗りをされる気か?」


「ひっ!? あ、あぁ……ゆ、許して、アーサー! 許して頂戴!」


 弟の怒りを感じたエヴァンジェリンが顔を青ざめさせて取り乱す。その醜態に目もくれずにユリアンがこちらに向き直る。



「この場は大人しく退こう。次に会う時は恐らく戦場・・であろうな。その時を楽しみにしているぞ、ディアナよ」


「……っ」


 その予言にディアナは緊張する。ユリアンはそれ以上は何も言わずに踵を返して、部屋から退室していく。ディアナ達とは島の反対側に停泊している船で帰るのだろう。


「あぁ! 待って、アーサー! お姉ちゃんを許してっ!」


 エヴァンジェリンはこちらの存在など忘れたかのように、まるで主人に捨てられまいと必死な飼い犬のような有様となって、ユリアンの後を追いかけていった。


 ディアナは呆気に取られてその姿を見送った。これではどちらが主従か分かったものではない。シュテファンも溜息をついた。




「……ふぅ、終わったな。大丈夫か、レア?」


「あ……は、はい。兄上のお陰です。ありがとうございました。でも……会談は失敗してしまいましたね。結局奴等の内情も何も分からずじまいです。私が最初に彼女の挑発に乗ってしまったせいで……」


 ディアナは悄然と項垂れる。あれは明らかに失敗だった。あそこから完全な低次元の口喧嘩になってしまい、挙げ句にそれが切欠でエヴァンジェリンの暴発を招き、会談は打ち切りとなってしまった。


 奴等の内実を探るはずが、これでは何の意味もない。アーネスト達に合わせる顔がなかった。だが……


「……いや、そうでもないぞ」


「え……?」


 顔を上げると義兄が、僅かではあるが口の端を吊り上げていた。



「今の『会談』からは、少なくとも1つ……いや、2つ・・、奴等に関して重大な事実が判明した。恐らく話を聞けばアーネストも同じ結論に達するだろう」



「ふ、2つ、ですか? 今の『会談』から?」


 ディアナは訝しげな口調となってしまう。当事者であるディアナ自身が完全に失敗だと思っているのだ。少なくとも彼女自身は2つどころか1つたりとも思いつかなかった。だが義兄は自信ありげな様子でかぶりを振る。


「とりあえずすぐにアーネストも交えて話をせねばならん。我等も戻るとしよう。使者様方もご苦労でした」


 シュテファンはこの場では答えを明言せずに帰参を促す。朝廷の役人達も頷いて帰り支度を始める。




 こうして世にも珍しい女君主同士の『会談』は意外な形で、しかし大いに大衆の興味を掻き立てるような逸話を残して終了した。


 ディアナは義兄と共に再び連絡船に乗り込み、とりあえずアーネストも待っている最寄りのペリオーレの街へと戻るのであった……

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