第二十四幕 憎しみとの共存
駆けつけたシュテファン率いる騎馬隊は、ディアナを庇うようにオズワルドの部隊との間に割り込む。巻き込まれそうになったメルヴィンが慌ててオズワルドの方に逃げる。
「あ、兄上……」
何故義兄がここに駆けつけたのか、理由は分からない。しかし分からなくても良かった。はっきりしているのは、義兄が自分の絶体絶命の危機に駆けつけてくれたという事実だけ。
ディアナにはそれだけで充分だった。
「レア……すぐに手当する。もう少しだけ待っていろ」
シュテファンは傷だらけの義妹の様子に一瞬痛ましげな視線を向けるが、すぐに厳しい表情に戻りオズワルドの方に向き直る。
「貴様がオズワルドか。我が名はシュテファン・ヨセフ・リンドグレン」
名乗りを上げるとオズワルドの眉がピクッと動く。
「ほぅ、貴様が『常勝将軍』か……。私の事を探していたらしいな。理由はそこで無様に這いつくばっている小娘の件か?」
「……!」
自分の事を歯牙にも掛けていないオズワルドの態度に激昂しかけるディアナだが、矢傷の激痛に呻いてまた這いつくばってしまう。
「……オズワルドよ、ここは退け。この場で潰し合うのは貴様も本意ではあるまい」
感情を押し殺したような低い声音でシュテファンが警告する。彼としてもオズワルドがやった事を知っているので、可能であればここで決着を着けたい所だったが、向こうもこちらとほぼ同数の兵がいる上に、こちらには負傷したディアナがいる。
このままぶつかり合えば彼女が巻き込まれてしまうし、何よりも狡猾で悪辣なオズワルドがディアナを集中的に狙う戦法を取ってくる可能性が高い。
無念ではあるが、ここはディアナの安全を優先して相手の撤収を促すのが上策だ。この状況でぶつかり合えばオズワルド側にも大きな被害が出る。少しでも状況判断が出来る相手ならここは撤収を選ぶはずだ。
「ふ……愚妹とは違って冷静な判断が出来るらしいな。良かろう、ここは退いてやる。メルヴィン、まさか異論はあるまいな?」
「……ちっ、勝手にしろ……!」
果たしてオズワルドはあっさりと頷いた。同意を求められたメルヴィンは、オズワルドに助けられた身なので、バツが悪そうにそっぽを向いて吐き捨てるのみであった。
メルヴィンを伴って悠然と撤退していくオズワルド。ディアナは未だ地に這いつくばり、激しい敗北感に呻吟しながらその背中を見送るしかなかった……
「ぐっ……」
オズワルド達が去った後、気力だけで持ちこたえていたディアナは耐えきれずにその場に崩れ落ちてしまう。
「レア、大丈夫か!?」
シュテファンが素早く馬から飛び降りて駆け寄ってきた。そしてディアナの状態を素早く確認すると、他の兵士にも手伝わせて手早く応急処置を施していく。
「あ、兄上……申し訳ありません。兄上に事前にご忠告頂いていたのに、結局私は、こんな……」
軍や国を率いるものは決して憎しみに囚われてはならない。彼女はより直接的な意味で、その言葉の重みを実感する事となった。
家族の仇を討つどころか、何も出来ずに一方的に射殺される寸前だったのだ。義兄が駆けつけてくれなければ確実にそうなっていた。
悔しくて情けなくて、彼女の目から大粒の涙がとめどなく零れ落ちる。だがそんな彼女の肩にシュテファンの手が置かれる。優しく、思いやりのある所作であった。
「レア……あの時も言ったが、怒る事は良いのだ。怒りは戦いの原動力となる」
「……!」
「そしてその怒りはむしろ絶対に忘れてはならん。それは……喪われた者達とお前を繋ぐ、唯一残された絆の証だからだ」
「……っ!!」
ディアナの涙に濡れた目が大きく見開かれる。
「憎しみを怒りに昇華するのだ。そして正しい大義の下に奴等と戦うのだ。お前なら出来ると信じているぞ」
「う……うぅ……あ、兄上ぇぇ……」
ディアナは義兄に諭されながらそのまま嗚咽を漏らし続ける。オズワルドへの憎しみ、全く歯牙にも掛けられなかった屈辱、悔しさ、そして義兄の優しく染み渡る言葉……
色々な感情や激情が綯い交ぜになって、涙が後から後から溢れ続け、そして義兄はそれ以上何も言わずにずっと彼女を抱きしめ頭を撫で続けてくれた……
*****
エヴァンジェリンの軍は本隊の方も、大将のメルヴィンが抜けた事でディナルドが優勢に戦いを進め、撃退する事に成功していた。
しかし負傷が酷かったディアナはすぐにゴルガには帰らず、しばらくペリオーレで療養する事となった。
「ディアナ殿! 体調は如何ですかな!?」
ペリオーレ宮城の客室を借りて安静の日々が続いたある日、ディナルドが見舞いにやってきた。隣にはシュテファンも一緒にいる。
「ディナルド様! 兄上も……。は、はい、お陰様で大分良くなってきました。もうすぐ歩けるようになると思います」
ディアナも寝台の上で居住まいを正した。まだ歩いたり激しい運動が辛いのは事実なので、寝台の上で来客を迎える失礼は許容してもらうしかない。
勿論シュテファンもディナルドもそんな事は気にせずに、寝台の近くに椅子を置いて座った。
「兵からの報告で、奴等は完全にペリオーレ領内から撤収したようですな。今後は南東方面にも砦を築いて警備に当たらせる事になりました。まあ今までゴルガ方面に就いていた兵達をそのまま南東に流用する形となりましょうがな」
「そうですか。解りました。宜しくお願いします」
ディナルドからの報告に頷くディアナ。彼等がここ数日、療養中のディアナの下に見舞いに訪れなかったのは、そうした国防の指揮を取っていたからだろう。
「……で、お前の方はどうだ? 身体は順調に回復しているようで何よりだが、
シュテファンが厳しいながらも気遣いを滲ませた調子で問いかける。ディアナは自嘲気味にかぶりを振った。
「……兄上にはお見通しですね。正直……ヤツへの憎しみを完全に失くす事が出来るかは解りません。でも兄上は怒る事は良いと仰って下さった。その怒りは私の家族との絆の証とも」
「…………」
「だから私……やってみます。どれくらい時間が掛かるか解りませんが……憎しみを怒りに昇華してみせます。そして二度と憎しみに囚われる事なく、奴等と大義を以って戦います。今はこれしか言えませんが……」
ディアナの中には今この瞬間もオズワルドへのどす黒い憎悪と殺意が蟠っている。この憎しみを今すぐ失くす事など出来ない。それは認めるしかなかった。綺麗事は言えない。
だがシュテファンは解っているという風に頷いた。
「憎しみをすぐに昇華する事など仙人でもなければ不可能な事だ。ゆっくりでいい。徐々にでいい。今はそう決意するだけで充分だ。勿論私は今後もお前を支えると約束する。共に乗り越えてゆこう」
横ではディナルドも同意を示す。
「うむ、憎しみを失くす事自体、誰にでも出来る事ではない。ディアナ殿の器は既に充分見極めさせて頂きました。非才の身ながら今後は私もディアナ軍の将として、可能な限りサポートさせて頂きますぞ」
「兄上……ディナルド様……。ありがとうございます。私こそまだまだ若輩の見ですが、今後も精進して参りますので、どうぞ宜しくお願いします!」
ディアナは寝台の上で、自分より遥かに歴戦の2人の武将に深く感謝の意を示すのであった……
こうしてペリオーレは無事にディアナ軍に帰属し、太守であったディナルドを味方に付ける事が出来た。
しかしエヴァンジェリン一味が強大な軍事力を有している事が明らかになり、そしてまたディアナにとって宿敵とも言えるオズワルドとの邂逅……
今、リベリア州でディアナを中心に大きなうねりが起きようとしていた……
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