第二十三幕 忘れ得ぬ宿怨(Ⅶ) ~悪鬼羅刹

「くははは! 追い詰めたぞ、小娘ぇ! この俺に恥をかかせおって、貴様だけは許さんぞぉ!」


 ペリオーレからややゴルガ方面に寄った地帯にある岩山。この大きな岩山を背にディアナは少数の供と共に、メルヴィンの私兵達に追い詰められ包囲されていた。


 100人近い兵で完全に彼女らを包囲したメルヴィンは、先程味わわされた屈辱を嗜虐心に変えて、じわじわと包囲を狭めていく。ディアナに逃げ場はなく、最早その命運は風前の灯火であった。


 しかし……そんな絶体絶命の危機にあるはずのディアナは、何故か落ち着いた様子でこちらを睥睨している。ただの強がりとも思えず、流石にメルヴィンは冷静になって不審を抱く。


「小娘……貴様、まさか……!?」


「今更気づいても手遅れです! 今です! 奴等を一気に殲滅します!」


 ディアナが大声を張り上げ手振りで合図を出す。すると岩山の上から大量の矢の雨がメルヴィン達に向かって降り注いだ!


「何ぃぃぃっ!?」


 メルヴィンは驚愕しつつも槍で矢を払うが、私兵達の中には矢を受けて倒れる者もいた。動揺が走るメルヴィン達に追い打ちを掛けるように、岩山の両脇から挟撃するような形で大勢の伏兵が出現した。確実に100人以上はいる。


 伏兵は槍を構えて、まだ混乱から立ち直っていないメルヴィンの部隊を挟撃する。



「こ、小娘……貴様、最初から俺を誘き出すのが目的だったのか!」


 混乱する戦場の中で再びディアナと相対するメルヴィン。彼はようやく状況を悟った。ディアナが剣を掲げた。


「私はお前達とは違う! 戦っている仲間を見捨てて自分だけ逃げる事などしない! 私を自ら殺そうと功を焦ったお前の負けです!」


「……っ! お、おぉ……おのれ、おのれぇぇぇっ!!」


 罠に嵌められたメルヴィンは激昂しながらも、自分だけは助かろうと私兵達を見捨てて離脱しようとする。当然ここまで来てそれを許すディアナではない。


「今度こそ逃さないっ!」


 戦場から遠ざかろうとするメルヴィンを追って馬を走らせるディアナ。奴は負傷も影響してかやや逃げるスピードが遅い。これなら追いつける。そう確信したディアナはここでメルヴィンを仕留めるつもりで剣を振りかぶるが……



 ――ドドドドドドッ!!!



「……っ!?」


 土煙を上げながらこちらに向かって駆け寄せてくる武装した兵士の一団が目に入ってきた。人数は100前後。


 一瞬義兄かディナルドの援軍かと思ったが……違う。ペリオーレやディアナ軍の旗を掲げていない。よく見ると兵士の鎧の意匠も微妙に異なっている。


(まさか……敵の援軍!?)


 そうとしか思えない状況だった。果たしてその一団はディアナとメルヴィンの前まで来ると進軍を停止した。



 そして中央でその一団を率いていると思われる人物が進み出てきた。暗い色合いの衣服を纏った、まるで血が通っていないかと思われるような冷たい目をした男だった。ディアナはその男の非人間的な目を見た瞬間、全身に鳥肌が立つようなおぞましさに襲われた。 


「やれやれ、やはりこうなったか。……これは貸しだぞ、メルヴィン」



「……! む……オズワルド・・・・・か。ちっ……」



「っ!!?」


 苦虫を噛み潰したような表情で舌打ちするメルヴィン。しかしディアナには最早メルヴィンなど見えていなかった。


 オズワルド。今、メルヴィンは確かにそう言った。


 この状況でエヴァンジェリン一味として現れる『オズワルド』とは一人しかあり得ない。出征前に義兄から聞いた話が脳裏に甦る。


 つまりはこの男が……



「お、お前……お前が……オズワルド・ヒュー・ゴドウィン……?」



 ディアナの故郷を直接焼き討ちした男。彼女の家族を、友人知人を、皆殺しにした男。彼女が今の天下統一を目指す過酷な戦いに身を投じる事になった、全ての元凶ともいえる男……。


 それが今、彼女の目の前に……少し突撃すれば剣の錆にできるだろう距離に、いる。ディアナには既に周囲の状況は一切見えなくなり、オズワルドの姿しか目に入っていなかった。



「ほぅ……私の事を聞いているのか? 奇遇だな。私も……お前の事を知っているぞ。あの村・・・の唯一の生き残りだそうだな?」


「……っ!!」


 ディアナが目を見開いて硬直する。義兄から聞かされてはいたが、今本人がそれを認めたのだ。それも至極あっさりと。


 そしてそんな彼女を嬲るように言葉を続けるオズワルド。


「何故あの村を焼き討ちしたか知りたいか? それはな……見せしめ・・・・だ。あの辺りの村一帯が、こちら側への物資の供出を拒否したのでな。お前の村を焼いてやったら残りの村はあっさりと従ってくれたよ」


「……!!」


 物資提供の為の見せしめ。たったそれだけの理由で自分の故郷が滅ぼされたと聞かされ、ディアナの身体の震えが増々大きくなる。


 彼女は……自分が既にオズワルドの術中・・に嵌っている事に気づいていなかった。ここで彼女が取るべき行動は、今すぐ引き返して自分の伏兵部隊と合流して正面からオズワルドの部隊に当たる事だった。


 だが彼女は既にオズワルドの存在とその言葉の内容に意識を持っていかれ、他には何も考えられない状態にさせられていた。


「くくく……確か、村長・・だったか? 生意気にも私に抗議してきたので、真っ先に斬り殺してやったな。村長のガキ共がうるさく喚くのでそいつらも直接始末してやった。そう言えば……村長の妻が最後に娘の名前・・・・呼んでいたな。あなただけでも生き延びてとか何とか……。火を掛けてやったらすぐに醜い絶叫に変わったがな」


「――――」


 最早……ディアナの面貌は青ざめるのを通り越して白くなっていた。そこにオズワルドが容赦なく止め・・を刺す。


「後から聞いた話では……村長の娘・・・・は、その日たまたま所用で隣村に出掛けていて、唯一難を逃れたのだったかな?」




「う……うぅ……あああぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」




 絶叫。


 その瞬間、ディアナの頭から義兄の忠告など完全に吹き飛んでいた。彼女の脳裏に浮かび上がるのは、亡き家族との思い出。そしてその家族が炎に包まれ焼け焦げていくイメージ。


 彼女の心は一瞬で、どす黒い憎悪と殺意に塗り潰された。


「殺すっ!! お前だけはぁぁぁぁぁっ!!!」


 近くにいるメルヴィンを素通りして、一直線にオズワルド目掛けて突撃するディアナ。最早彼女の頭には、視線の先にいる憎き悪魔を自分の手で殺害する事以外何もなかった。


 そしてそれは……オズワルドの思惑通りであった。



「ふ……女とは愚かな生き物だ」


 嘲笑に顔を歪めたオズワルドは、手を上げて合図する。すると彼の後ろで弓を引き絞った状態・・・・・・・・・で合図を待っていた弓兵達が、愚直に突進してくる少女に向かって一斉に矢を放った。


「……!! く……がぁ……!」


 流石に自分に向けて飛んでくる矢には気づいたディアナは咄嗟に剣を振るって矢を切り払うが、四方八方から射掛けられる矢に一人で対応しきれるはずもない。


 致命傷は辛うじて避けたものの、手や足、肩や脇腹などに複数の矢が刺さり、また彼女が乗っていた軍馬も矢を浴びて悲痛な嘶きと共に倒れる。


 軽くはない傷を負った上に馬から投げ出されて地面に転落するディアナ。激痛に呻き血反吐を吐く。当然だが敵に斬りかかるどころではない。


 身体中の痛みが彼女の頭を冷やしてくれたが、最早全ては手遅れだ。



「愚かな娘よ。家族の元に行くが良い。第二射、構えっ!」


 オズワルドは冷笑すると容赦なく追撃の斉射を指示する。指示に従って弓兵達が次矢を番える。負傷して地面にひざまずいている今のディアナに再度の斉射を生き延びる術はない。今度こそ全身に矢の雨を浴びて、針鼠の如き姿となって息絶えるだろう。


(ここまで……なの。申し訳ありません、兄上……。あれだけ忠告されたのに、私は……)


 憎しみに囚われるなと警告してくれた義兄。しかし結局彼女はオズワルドの術中に嵌り、我を忘れてしまった。その結果がコレだ。


 自分の愚かさに絶望した彼女は、無念の内に全てを諦めて目を閉じる。後は矢の雨が自分に降り注ぐのを待つだけだ。だが……



 ――ドドドドドドドッ!!



 再びの馬蹄音。この場に向かって大きな土煙を上げながら全速力で駆けつけてくる騎馬部隊があった。その音に目を開けたディアナは、迫ってくる騎馬隊を見て瞠目する。


「あ、あれは……」


「ほぅ……この状況を予測して駆けつけたのだとすると大した戦略眼だ」


 オズワルドも斉射を中断して、迫ってくる騎馬隊に備えるべく防備を固める。騎馬隊はペリオーレの旗を掲げていた。今度こそ援軍のようだ。そしてその騎馬隊を先頭で率いているのは……


「あ、兄上っ!?」


 それは紛れもなく、先程死を覚悟したディアナが思い浮かべた人物、そして本隊を率いてやはり敵軍の本隊を食い止めるべく戦っていたはずの義兄シュテファンであった!

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