第二十二幕 蜜の逆襲
メルヴィンが追う、離脱した少数の部隊。それには
だが戦から撤退する場合、ましてや少数であればあるほど全速力で駆け逃げるものだ。しかしディアナ達の行軍速度は、危険な戦から逃げている割にはやや鈍いものだった。
それはまるで
「……!」
行軍を続けるディアナの部隊の後方から、馬蹄の音が轟き大きな土煙が上がり、それがどんどん迫ってくるのが見えた。敵軍の追撃だ。そして作戦通りならあの追撃部隊を率いているのは敵将のメルヴィンのはずだ。
「来たわね! 速度を上げるわ! でも決して敵と離れすぎないように!」
ディアナは周りの兵士達にそう指示して、自身も馬の腹を蹴った。彼女たちが絶妙な行軍速度を維持していた事もあって、敵の追撃部隊は徐々に距離を縮めてくる。
しばらくは付かず離れずの追走劇が続いたが、ディアナは考えがあって敢えて『退却』を中断させる。
(兄上……申し訳ありません! でも……上手く行けば、これが一番
心の中で義兄に謝罪してから行軍を停止して、追撃してくる敵軍を待ち構える。ディアナ達が『退却』を中断したのもあって敵軍はすぐに追いついてきた。
「くっくっく……どうした、小娘? 鬼ごっこはもう終わりか?」
追走してきた敵部隊の中央から進み出てきたのは……案の定メルヴィン本人であった。ディアナを倒すという手柄欲しさに、戦の真っ最中の本軍を放り出して彼女を追撃してきたのだ。
ここまでは義兄の作戦が上手く行っているようだ。それだけにディアナとしてはここで少し
ディアナは敢えて追い詰められた風を装って剣を抜いた。
「く……わ、私は、こんな所で死ぬ訳には行かないのです! お前達などに屈しはしません!」
追い詰められ恐怖に震えながらも懸命に抵抗しようとする美少女武者の姿はメルヴィンの嗜虐心を大いに刺激する。
「くふふ……愚かな。あくまで抵抗するという訳か。どれ、じゃじゃ馬ならしだ。この俺が直々に調教してやろう」
メルヴィンはニヤついた表情で槍を掲げて進み出てくる。一騎打ちという訳だ。ディアナは自分の作戦が上手く行った事を悟った。後はこのメルヴィンの
「そらっ!」
メルヴィンが自信満々に槍を突き出してきた。確かに
「ふっ!!」
ディアナは槍の穂先に剣を当てて、その突きを受け流す事に成功した。それはつまりディアナにはメルヴィンの突きの軌道が見切れているという事だ。
「はっ! 運がいいな! そらそら! もっと行くぞ!」
しかしその事実に気づいていないメルヴィンは、単にまぐれで受けられただけと思い込んで、調子に乗って次々と連撃を繰り出してくる。
「しゅっ!」
そしてその全ての攻撃をディアナは捌き切った。
「な、何……貴様!?」
そこでようやく何かがおかしいと気づいたらしくメルヴィンが目を見開いた。だがもう遅い。
(やっぱりだ……。こいつ、部隊の指揮能力は高いのかも知れないけど、個人の武勇はそこまで強くない。これなら……行ける!)
合戦前の邂逅時にメルヴィンと直に接した際に、その挙動や立ち振舞いなどから何となくそうではないかと思っていたのだが、どうやら当たりだったらしい。
それこそがディアナが義兄の作戦を中断して、敢えて一騎打ちを仕掛けてみようと思い立った要因であった。
弱くはないものの、リカルドやユリアンなど彼女が今まで剣を交えてきた猛者達に比べれば遥かに与し易い相手であった。それらの強敵との対戦や敗戦を糧に修行を続けている彼女にしてみれば、既に決して勝てないレベルの相手ではなかった。
「はぁっ!!」
裂帛の気合と共に反撃の刃を振るう。歴戦の武人でも目を瞠るような一撃。メルヴィンは辛うじて反応して槍の柄でその斬撃を受ける。だがそれで終わるディアナではない。
そのままの勢いを保って、息もつかせぬ連撃を仕掛ける。白刃の軌跡が幾重にも煌めく。
「ぬ、ぬ……!」
それを必死の形相で受けるメルヴィンは既に軽口を叩く余裕もなく、引き攣った顔に大量の冷や汗を浮かべる。だが見た目からは想像もつかないディアナの鋭い連撃の前に、遂に防御が追いつかなくなり……
「ふっ!」
「ぬぐわ!!」
ディアナの刃がメルヴィンの身体に届いた。胴体を斜めに斬り下ろすが、その無駄に立派そうな鎧は伊達ではなかったらしく深手を与える事は出来なかった。
「く、くそ、どうなっている!? これ程とは聞いていないぞ!?」
だが軽傷とはいえ傷を負わされた事で大きく動揺したメルヴィンが、明らかに怯んだ様子で及び腰になる。ディアナはここで勝負を決めるべく一気に畳み掛ける。
「はっ!」
「ちぃっ!!」
ディアナの追撃を辛うじて受けたメルヴィンは、ここで彼女が予想しなかった行動に出た。
「お、お前達、何をしている! 掛かれ! 掛からんかっ! この小娘を殺せぇっ!」
「……っ!?」
何と恥知らずにも一騎打ちを中断して逃げると麾下の部隊をけしかけてきたのだ。これにはディアナも一瞬唖然としてしまった。
負けを認めて降参もせずに一騎打ちを中断する行為は、中原においては卑怯者、臆病者と誹りを受ける最低の行為だ。ましてやディアナのような少女相手である。
これまで一騎打ちにおいて常に彼女は、侮られたり馬鹿にされたりする立場であった。散々彼女を貶めておきながら、いざ実力で上回られたら恥も外聞もなく逃げるのか。
「待て、卑怯者っ!!」
ディアナはこれまでの経験の怒りや鬱憤を全てメルヴィンにぶつけるかの如く、剣を振り上げ憤怒に燃えて追い縋った。
だが彼女の刃が届く前に、メルヴィンは自分の部隊の中に逃げ込んでしまった。入れ替わるように敵兵達がディアナの取り囲もうと進み出てくる。どうやらこの連中はメルヴィンに金で雇われている私兵のようで、彼の情けない姿に呆れる事はあってもそれで雇い主を見限るという事はないようだ。
あと一歩の所でメルヴィンを取り逃がしたディアナは大きく舌打ちする。敵部隊は100人近くいるのでまともにぶつかったら勝負にならない。
(くそ、失敗した! でもそれならそれで兄上の作戦通りにやるだけだわ)
ディアナは怒りに囚われる事なく冷静に頭を切り替えると、素早く馬首を翻した。
「退却! 退却します!」
再び供の騎兵達を率いて『退却』に移るディアナ。
「おのれ、小娘ぇ! 追え! 何としてもあの小娘を殺せぇっ!!」
メルヴィンが私兵達の後ろから、口角に泡を飛ばして怒鳴る。自分から一騎打ちを仕掛けた癖に、恥をかかされたと彼女を逆恨みしているのだ。
そして再び追走劇が始まった。
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