第二十一幕 忘れ得ぬ宿怨(Ⅴ) ~不気味な助言者

 戦はメルヴィン軍の突撃で始まった。お互い進軍先での会戦である。どちらも戦場に罠を仕掛ける機会はなく、また地形にも精通していないため伏兵なども使えない。


 お互いに小細工なしの正面衝突である。それだけに兵力の差が如実に戦況に影響してくる。


 メルヴィンは兵力差を利用して、こちらの軍を挟撃しつつ逃げ場を封じて殲滅する鶴翼の陣で攻めてきているようだ。2000以上はいる軍隊が一糸乱れぬ統制でこちらを包み込もうとしてくる様は、相手――つまりディアナ軍にはかなりの迫力に映る。


「あの規模の軍勢をあそこまで整然と統率するとは……。あのメルヴィンとやら、見かけほど無能という訳ではなさそうだな。だが我等の作戦自体は変わらん。準備しておけ、レア」


「は、はい!」


 敵軍の迫力に呑まれかけたディアナだが、義兄の声が彼女を落ち着かせてくれた。彼女の役割はこの後回ってくる。敵軍の陣容に萎縮していてはその役目は果たせない。


「よし、私は右翼を担当する。ディナルド殿は左翼を頼む」

「うむ、任せておけ」


 ディナルドは首肯すると、左翼の部隊を統率するべく陣頭指揮に回っていった。


「レアは私と共に来い。然るべきタイミングで合図・・を出す必要があるからな」


「はい! 宜しくお願いします!」


 ディアナは勇んで頷くと、剣を抜いて義兄と共に右翼の部隊に向かう。



「よし! 無理に敵の殲滅を狙う必要はない! 我等の役目は斃されぬ事・・・・・だ! 敵の攻撃を受け流しなるべく長い間持ちこたえるのだ! 私に続け!」


 軍の指揮と統率能力に秀でているシュテファンは、今回初めて指揮するペリオーレ所属の兵士達を、まるで長年訓練してきた部隊であるかのように瞬く間に統制する。


「敵軍の包囲を許すな! こちらも陣を伸ばして食い止めろ!」


 ジュテファンの采配で右翼の軍を長く引き伸ばして、敵の鶴翼の陣による包み込みを阻害する。ただでさえ数が少ないこちらの防壁が更に薄くなるが、シュテファンは巧みに突破されそうな箇所を看破し、後詰めの兵を補充して敵の侵入を防ぐ。


 左翼のディナルドも同じようにして敵を防いでいるようだ。だが敵の数の方が多いので、このままではジリ貧である。


 メルヴィンはやはり部隊の指揮はかなり優れているようで、巧みに緩急をつけて波状攻撃を繰り出し、こちらの防壁が僅かでも薄くなると飢えた肉食獣のようにそこを狙ってくる。


 しばらくは両翼とも一進一退の攻防が続く。だがやがて数に勝る敵軍が両翼ともに押し始める。シュテファンもディナルドも、多少の数の差など問題にしない采配能力の持ち主だが、シュテファンも認めるようにあのメルヴィンという敵将の指揮はかなり巧みで、名将たるシュテファン達が数の差を覆す事が出来ない。



「むぅ……エヴァンジェリン一味には、かなり有能な将が揃っているようだな。やむを得ん。レア! 当初の作戦通りに行くぞ! 準備は良いか!?」


 正面からのぶつかり合いで敵を撃退する事ができればそれに越した事はなかったが、どうやらそれは難しいようだ。ならば当初の作戦通り行くまでだ。そう判断したシュテファンは、部隊の指揮を継続しつつ義妹を振り返る。


「はい! 必ずや成功させてみせます!」


 いよいよだ。ディアナは自分の役目が回ってきた事を悟って、少し緊張しながらも躊躇いなく頷いた。




*****




 一方メルヴィン率いる軍の本陣。


「ふん、奴等め……。あの兵力でよく持ち堪えるものだ。存外やりおるわ」


 メルヴィンは戦場全体の様子を俯瞰しながら忌々し気に呟く。ペリオーレ太守のディナルドはそれなりに戦巧者だと聞いていたので兵力を多めに率いてきたのは正解だった。


 本当はある人物の助言・・・・・・・によって余分に兵を率いてきたのだが、既にメルヴィンの中ではその事実は無かった事になっていた。


「だがこのままでもいずれは押し切れよう。くくく……さて、俺の予想ではもうじき状況が動く・・・・はずだが」


 彼は最初の会談であの美しい少女君主……ディアナがこの戦場にいる事を知ってから、戦場の周囲に斥候を多く放って敵軍の動向を監視させていた。そして彼の予想が正しければ、もう間もなく報告が入るはずだった。


 そしてそれからそう待つ事も無く……本陣に伝令が駆け込んできた。主に敵軍の後方を見張っていた斥候が、敵の本陣からごく少数の兵と共に戦場を離脱・・・・・する少女武者の姿を確認したという報告が入ったのだ。


 メルヴィンは会心の笑みを浮かべた。それこそが彼が待ち構えていた報せだったからだ。


「く、ははは! やはり逃がしたな! こんな所で戦闘に巻き込んで死なせるはずがない。戦況が不利になれば絶対に離脱させると思っていたぞ!」


 メルヴィンは温存していた自身の直属の私兵達を振り返る。


「すぐにディアナを追撃するぞ! 俺が直々に指揮を取る! くくく……捕えられればユリアンに恩が売れる。例え殺してしまってもエヴァンジェリン様からの褒賞は思いのままだ。いずれにせよ俺の出世は間違いなしだ」


 自身に都合の良い結果と未来を思い浮かべて堪え切れぬ笑みを漏らしながら、追撃部隊を素早く編成するメルヴィン。だがそこに近付いてくる者が……



「……果たしてそう上手く行くかな?」



「……!」


 神経質そうな痩身に、まるで感情を宿していないかのような爬虫類めいた双眸を光らせる、不気味な雰囲気を漂わせる男であった。仕立ては良いが暗い色合いの服に身を包んでいるのが妙に様になっている。


「ふん、お前か……。邪魔立てしようとしても無駄だぞ? ディアナを倒す手柄は全て俺の物だ」


 メルヴィンは無意識に威嚇するような口調でその男を牽制する。今回メルヴィンがそう主張した事で、この男には軍を指揮する権限は無く、あくまでオブザーバー・・・・・・としてこの戦いに参加しているだけであった。それを不満に思って、独自に手柄を立てようと何か工作してくるつもりかも知れないと思ったのだ。


 だが男は僅かに冷笑しただけだった。


「別にそのような事はどうでも良い。ただ……あまり油断していると足元を掬われるぞ? 私なら逃げる者など放っておいて、目の前のペリオーレ軍の確実な殲滅を優先するがな」


「……! ふん、やはりそういう事か。俺をここに釘付けにしておいて、その間に手柄を掠め取ろうという算段だな。その手には乗るか!」


 メルヴィンは男の狙いを読み取った気になり、それ以上聞く耳持たず自らの副将にこの場の指揮を任せると、私兵達を率いて戦場から離脱したディアナを追撃する為に駆け去っていった。



「ふ…………度し難い愚か者め」


 残された男は北のデュアディナム山脈に吹き荒れる氷嵐より尚冷たい目で、小さくなっていくメルヴィン達の背中を見送っていた……


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