悪の華

第二十五幕 ソンドリア統一戦(Ⅰ) ~避けられぬ道

 ゴルガから南西のフィアストラに通じる街道を、ざっと数千にも昇る軍隊が行軍していく。軍が掲げる旗は……アールベックの紋章。即ちディアナ軍だ。


 予定外のトラブルはあったものの、ペリオーレ太守ディナルドの調略が無事成功し、2県を領有する形となったディアナ軍。軍師であるアーネストの決断は速かった。


 まずはソンドリア郡を統一してしまうべく、残り1県となったフィアストラへの電撃的な侵攻作戦を開始したのである。


 ゴルガからは君主のディアナを総大将とした主軍2000が出撃。これには旗揚げ戦でも共に戦った同志達、即ちアーネスト、シュテファン、ヘクトールの3人が随行している。


 同時にフィアストラと県境を接しているペリオーレからもディナルドが1000を率いて出撃。両街道からの同時攻撃で敵の逃げ道を塞ぐ。


 ゴルガは北のガルマニア州とも接しているので、侵攻で手薄になった街を防衛する為に1500の兵をゴルガに残している。こちらはゾッドとクリストフに任せてある。



 盤石の態勢を整えた上でフィアストラへと進軍するディアナ達。


「ディアナ殿。県境を越えてこれよりはフィアストラ領となります。いつ何時戦闘が起きても良い心構えをしておいて下さい」


「わ、解りました」


 隣に随伴するアーネストの言葉にやや緊張して頷くディアナだが、それとは別の理由で若干気分が沈んでいた。


「……皆、ディナルド様のように話し合いや説得で、戦をする事なく分かり合えればこんなに素晴らしい事はないんですが……」


 これから侵攻戦に赴く軍の総大将としては士気が下がるような事は言いたくなかったが、それが彼女の正直な気持ちであった。


 元々『戦乱を終わらせる』という目標を掲げての旗揚げだったのだ。確かにその為には戦が避けられないという矛盾に納得してはいるものの、可能であれば戦が無いほうが良いに決まっている。


 ディナルドが説得に応じてくれて、戦をする事なく(メルヴィン達との戦いはあったが)ペリオーレを領有できた事は、ディアナにとっては信条からしてもまさに理想的な展開だったのだ。


 一度そういう経験をした後だけに、この侵攻戦自体が仕方ないとは解っていても憂鬱であった。



「ディアナ殿のお気持ちは良く解ります。私がシュテファン殿にディナルド殿の調略を頼んだのは、ディアナ殿の信条を理解していたからというのも理由の一つでしたから。戦をせずに天下統一に近づけるならそれに越した事はないのです。しかしディナルド殿のケースは極めて稀有な例であるとご理解下さい。フィアストラ伯のエルネストはこちらの説得や勧告を無視して徹底抗戦を選択しました。ならば我等の取る道は一つです。戦乱の要因たる芽の一つを強制的に摘み取るのです。それを繰り返す事が結果的に中原の平定と安定に通じていくのです」


「そう、ですね……」


 アーネストの諫言に再び頷くディアナ。勿論頭では解っている。だからこそこうして軍の総大将として彼女自身も出陣しているのだ。



 ペリオーレの件があったのでもしかしてという一縷の望みを掛けて、フィアストラに降伏とディアナ軍への併合を呼びかける使者をディアナの希望で出した。こちらは既に2県を領有しているので、戦力差から降伏してくれるのではないかと願っての事だった。


 しかし帰ってきたのは了承の返事ではなく、塩漬けにされた使者の首だった。ディアナはショックを受けると共に、自分が殺したに等しい使者に涙ながらに侘び、自らの甘さを猛省して戦による併呑を決意したのであった。


(ここまで来たらやるしかないわ。戦乱を終わらせる為に戦を起こす……。確実に勝って他の諸侯を滅ぼしていく事が唯一の道なんだ)


 つい愚痴は出たものの、それもアーネストの諫言によって迷いは完全に消えた。ディアナは『戦乱を終わらせる』という最終目標に向けての確実な一歩を自らの意思で踏み出したのであった。




 そして現在フィアストラ領に進軍し、ある程度まで進んできたディアナ軍は小高い丘と森が立ち並ぶ丘陵地帯に差し掛かった。その手前で軍師のアーネストが全軍に進軍停止を命じた。


「どうしたんですか、アーネスト様? まだ昼を過ぎたばかりで、野営の準備には早いと思いますが」


「……ディアナ殿、フィアストラは丘陵地帯が多く広がっている土地で、街道の周囲には丘や森、岩山、そしてそれらが形作る谷間などが至る所に点在しています」


 アーネストが前方を指し示しながら話す。


「つまりは何が予想されますか?」



「な、何が……? え、えーと…………っ! まさか、伏兵・・、ですか?」



 いきなりの質問にディアナが必死に頭を巡らせて答えを出すと、アーネストは満足げに頷いた。


「正解です。十中八九、奴等はこの先のいずれかに兵を潜ませて奇襲なり罠なりを狙っているはずです。兵力差からまともに正面からぶつかっても勝ち目は薄いですからね。さて……敵が隠れて待ち構えていると解っている状況で、あなたならどうしますか?」


「え!? え、えー……と、隠れている敵を探し出して、逆にこちらが奇襲する、とか?」


 予め伏兵を看破しているならそれが正解のはずだ。だがアーネストは今度は溜息を付いてかぶりを振った。


「ここは敵地です。地の利は相手にあります。無論我等も極力戦場となりそうな場所の予測を立てて地形を精査してはいますが、やはりその県を領有する勢力の方が土地勘はあるので、索敵は明らかにこちらが不利です。下手をすると敵兵を探している部隊を逆に奇襲されて、各個撃破される危険性もあり得ます」


「う……た、確かに……。でも、それではどうすれば……?」


 正解を導き出せなかった事に悄然としつつディアナは答えを求める。アーネストはやや人の悪そうな顔で口の端を吊り上げた。



「簡単です。敵の居場所が解らないなら……向こうから出てきて貰えば良いのです」



****



 フィアストラの武官であるレオルーガは、約1500の兵を率いて街を出撃して、現在この丘陵地帯で侵攻してくるであろうゴルガ軍を待ち構えていた。残りの兵はフィアストラの街と太守エルネストの守備に就いている。


 レオルーガは1500の兵をそれぞれ分散させて点在している隠れ場所に潜伏させている。敵軍は2000以上はいるようで、尚且つペリオーレ側からも別部隊が進軍中との事なので正面衝突は避けて兵力の損耗を抑えつつ、罠と奇襲による波状攻撃で一気に勝負を着ける作戦であった。


(ゴルガ軍……いや、今はディアナ軍だったか。太守は20にも満たない小娘とか。そんな奴の下に付く連中の気が知れんな。戦も政治も小娘の遊びではないという事を思い知らせてやる)


 レオルーガは改めて意気込んだ。既に準備は万端だ。各部隊には特殊な合図を定めており、連絡と連携も問題ない。


 そして斥候からディアナ軍接近の報が入る。連中は進軍速度を緩める事なく、兵力に物を言わせてこの丘陵地帯を突っ切るつもりのようだ。


 レオルーガはほくそ笑んだ。こちらの思惑通りだ。彼は控えさせている部隊を振り返った。


「ようし! 作戦通りに行くぞ! まずは連中を誘導する為に正面から当たる! ただしまともにぶつかる必要はない。頃合いを見て退却し、追撃してくる奴等を罠の中に引き込んでやれ!」


 彼の号令の元、約1000程の部隊がディアナ軍を迎撃する為に出動した。



****



「む……来たか。アーネストの読み通りだな」


 ディアナ軍の先鋒を指揮しているシュテファンが、街道の先から土煙を上げながら迫ってくる敵軍の姿を認めて小さく頷いた。


 シュテファンは即座に陣形を整えて、フィアストラ軍を迎え撃つべく待ち構える。既に勧告の使者を斬っているフィアストラ勢は一切対話の姿勢を見せずに、進軍の勢いを駆って突撃を敢行してくる。


「射てっ!」


 シュテファンの号令の元、向かってくる敵軍に対して弓隊が斉射を仕掛ける。敵軍は防御を重視しているらしく、歩兵達が一斉に楯を掲げて斉射を受け止めた。その甲斐あって殆ど脱落者を出さずに接敵してくるフィアストラ軍。


「やるな! 歩兵部隊、前進! 敵陣を突き破れ!」


 斉射が効かなかったのを見て取ったシュテファンが素早く指示を出し、弓隊に替わって槍を掲げた歩兵部隊が前列に出てくる。 


 忽ちの内に両軍が激突して、戦場には怒号や剣戟音が飛び交う。しかし数で勝り、尚且シュテファンの巧みな采配に指揮されたディアナ軍に押されて、次第にフィアストラ軍の旗色が悪くなってくる。


「くそ、やはり無理か! 退け! 退けぇっ!」


 フィアストラ軍を指揮するレオルーガが大声を張り上げて退却の指示を出す。それを受けてフィアストラの兵士達が即座に退却に移る。


「ふ……随分お行儀の良い退却だ。どうやらアーネストの読みが再び当たったようだな」


 シュテファンは敵軍の鮮やかな・・・・退却ぶりからすぐにその意図を見抜いたが、敢えて敵の作戦に乗る。



「よし! 敵軍は算を乱して逃げ散っていくぞ! 追撃だ! この機に奴等を残らず討ち果たせ!」


 自軍に向かって号令を掛ける。ディアナ軍の先鋒は逃げる敵軍を追って丘陵地帯に分け入っていく。



「む……!」


 しばらく追跡劇が続いたが、やがて見通しの悪い岩山に囲まれた地帯に踏み入ると、逃げていたはずのフィアストラ軍が急に退却を停止して反転した。そして何か合図のような火矢を上空に打ち上げる。


 すると点在する岩山から次々と矢の雨が降り注ぎ、槍を構えた兵士達が現れて突撃してくる。敵の伏兵だ。


 ディアナ軍が追撃をストップさせて迫りくる伏兵に注意を向けると、反転したレオルーガ率いる主軍も攻勢に転じてきた。伏兵による挟撃と主軍の反撃による3包囲攻撃作戦という訳だ。だが……


「ふ……甘いな。私ならもう少し引き込んで逃げ場を失くした上で、4方向・・・包囲攻撃を仕掛けるがな」


 シュテファンは奇襲を受けても一切動じる事なく、冷静に部隊に撤退を命じる。普段から彼の訓練を受けているゴルガ兵達は整然と足並みを揃えて反転し、即座に撤退に移った。


 勿論レオルーガ達はそれを逃すまいと追撃してくる。先程とは立場を替えての追跡撃が始まった。



「……!」


 逃げる途中にも罠が仕掛けられていた。谷間に差し掛かった所では落石の雨が降り、森の中の街道を通り過ぎようとした時には至る所に掘られた陥穽の罠が待ち構えており、更には開けた平野に出た所では油が撒かれた草木に火が点けられ火計の罠が襲いかかった。


 だがシュテファンは巧みな指揮と統率でそれらの罠を、大きな犠牲を出す事もなく凌ぎ切った。罠や奇襲はそれらによる直接的な被害よりも、むしろ思いもよらぬ攻撃を受けた事で兵達が動揺して、統率を失ってしまい混乱状態になる事が一番厄介なのだ。そこに敵の本隊による攻撃を受けて、反撃もままならずに潰走というケースが殆どであった。


 しかしそれを熟知しているシュテファンは強固な統率によって兵の混乱を抑える事に成功。罠や奇襲によって多少の被害は出たものの、部隊全体として見ればその損害は驚くほど軽微であった。


 更にそれだけではない。そのような罠や奇襲を避けながら、追い縋ってくる敵軍と常に付かず離れずの距離を保ち続けていたのだ。あまりに離れすぎては敵に追撃を諦めさせてしまう。もう少しで追いつける。そんな絶妙な距離感を、罠や奇襲に混乱する事もなく保っていた事実から、シュテファンの卓越した指揮能力が推し量れた。

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