第十九幕 忘れ得ぬ宿怨(Ⅲ) ~真の敵は

「おほん! まあそういう訳で、儂はこれから奴等の攻撃に備えなくてはならん。今日は思いがけずディアナ殿にもご挨拶できたし、これでペリオーレの帰属は正式に承認を受けたという事にさせてもらおう。戦が始まる前にお主等は一足先にこの街を出てゴルガに戻っていて欲しい」


 こちらを戦闘に巻き込むまいとするディナルドの配慮だろう。だがディアナは義兄の方を仰ぎ見た。


「兄上……」


「解っている、レア。……ディナルド殿、奴等が攻めてくるというなら、その防衛には我等も参加させては頂けまいか?」


 その申し出にディナルドは細い目を僅かに見開く。


「お前も? いや、それは勿論お前が加勢してくれるなら正直ありがたいが、良いのか? これは儂の問題であって……」


「エヴァンジェリン一味は我等の敵でもあると言ったはずだ。それに今ペリオーレはディアナ軍に正式に帰属するとあなた自身が言ったであろう? ならば我が軍・・・の領土に攻めてくる輩の迎撃に我等が出るのは至極当然の事だ」


「む……確かにそうだな……。だが、お前は良いとしても君主であるディアナ殿には危険が……」


 ディナルドは納得しつつもディアナに対して遠慮がちな視線を向ける。その懸念は尤もなのだが、ディアナは敢えて素知らぬ振りをして義兄に振り向く。


「兄上? 他ならぬエヴァンジェリン一味との戦いで、まさか私だけゴルガに帰っていろなんて言いませんよね?」


「……という訳だ、ディナルド殿。下手に遠ざけようとして勝手に動かれるよりは、最初から一緒に戦った方がむしろ安全だ」


 半分諦念の混じったシュテファンの言葉に、ディナルドは一瞬呆気に取られたように瞠目するが、すぐにディアナの性格をある程度悟ったらしく破顔した。


「ふふ……なるほど。籠の中の小鳥でいる気はないという事ですな? 流石にご自分で旗揚げをされただけはあります。その意気やよし。これはもう、あなたを一般の婦女子として扱う訳には行きませんな」


「ありがとうございます、ディナルド殿。宜しくお願いしますね。必ずや奴等を撃退しましょう!」


 彼女が参戦する事に納得してくれたディナルドに礼を言うディアナ。話がまとまった所でシュテファンが本題を切り出す。



「さて、そうと決まればまずは敵の情報を知らねばならんな。ここに攻めてくると言っている連中に関して他に何か解っている事は?」


 シュテファンに問い掛けられたディナルドは、しかし難しい顔でかぶりを振った。


「うむ……それが大した事は解っておらんのだ。だがこの街を『蹂躙』すると言っておったからには、相応の兵力で攻めてはくるはずだ」


「……因みに現在のペリオーレの兵力は?」


「フィアストラへの備えにある程度は割かねばならんので、現在この街で動員できる兵力は1500といった所だな」


「1500か……」


 本来どこの馬の骨とも知れぬ賊軍や放浪軍相手なら充分過ぎる程の兵力だ。だが実際に自分達自身がゴルガ開国戦で1200の兵力を破った実績があるので、何とも言えない微妙な塩梅だ。


 1500の兵力を動員できるこの街を『蹂躙』するとのたまうからには、単純に考えてそれ以上の戦力で攻めてくるという事だろう。1500を上回る兵力か、それとも優れた将が率いているのか。


 敵に関する情報が少なすぎる。



「後は……儂に降伏を勧めてきた例の使者の男の名前・・くらいだな。確か……オズワルドと言ったか。そう、オズワルド・ヒュー・ゴドウィンと名乗っておったな」



「――――っ!? な…………それは、確かか?」


 何故かその名を聞いたシュテファンが、彼にしては珍しい驚愕の表情を浮かべてディナルドに確認する。


「兄上、どうなさったのですか? そのオズワルドという男を知っているのですか?」


 当然義兄のそんな反応を余り見た事が無いディアナは気になって質問する。まさか義兄が一目置く程の名のある優れた将なのだろうか。だとするとかなりの難敵という事になる。


 だが……義兄の口から語られたのは全く予想外の言葉であった。


「うむ……いや、そうだな。この状況ではお前も知っておいた方が良いか」


「? 兄上?」




「……お前の故郷の村・・・・が壊滅した時の戦で敵軍の軍師だったのが、そのオズワルドという男だ。村を焼き討ちしたのも奴の独断による作戦だったらしい」




「――――え?」


 一瞬何を言われたのか分からず戸惑うディアナ。シュテファンは敢えて淡々とした口調で続ける。


「あの戦の後その勢力を辞したらしく私も行方を探していたのだが、まさかエヴァンジェリンの一味に加わっていたとは想定外であった」


「え……ま、待って下さい、兄上。え……わ、私の村が何ですって……?」


 義兄の言っている事が理解できずに問い直すディアナ。いや、正確には理解できていたのだが、理解したくなかった・・・・・・・、が正しい。だが義兄は無情にも繰り返した。


「……オズワルド・ヒュー・ゴドウィンは、お前の村を直接滅ぼした男だ」


「……っ!!!」


 ディアナは大きく身体を震わせて硬直する。彼女の脳裏にあの事件によって喪ったものが過る。


「う、嘘……。それじゃあ、そいつのせいでお父さんもお母さんも……シオンとビッケも……エレンもシャルロッタさんも……村の皆も……全部そいつが……」


 ディアナの両親、2人の弟、そして仲の良かった友達や村人達……。


 明確な『仇』はいないと思っていた。だからこそ彼女は戦乱そのものを仇として、それを終わらせる事を自身の仇討ちと定義してきたのだ。


 だがそうではなかった。


 その事実を認識した時ディアナの内に、これまでの彼女からは考えられないような、どす黒い負の感情が増殖を始める。



「レア……」


 シュテファンが呼びかけるが、既に彼女は自らの憎悪と復讐心に支配されていた。


「ふ、ふふ……殺してやる。そいつだけは私の手で必ず討ち果たし……いや、生け捕りにして散々懺悔させて後悔させた後に、自分から死にたいと懇願してくるまで拷問して、じわじわとなぶり殺しに――」



「――レアッ!! 私を見ろっ!!!」



「っ!!?」


 歴戦の武人の大喝一声は部屋に響き渡り、すぐ隣にいたディアナの鼓膜を強制的に打ち据えて、彼女の意識を強引に自分に向けさせる事に成功した。


「あ、兄上……」


 ディアナが思わず義兄を仰ぎ見ると、彼はかつてない程に怖いと言ってよいくらいの厳しい表情で彼女を見据えていた。


「レア、怒るのは良い。だが自分の憎しみだけに囚われるな。お前はもうアルヘイムにいた頃のお前とは違うのだぞ!? 今やこのディナルド殿のようにお前の信条や理想に共感して、お前に自分の夢や目的を託した大勢の者達の想いも背負っている事を忘れるなっ! 既にお前1人の戦いではないのだ!」


「……っ!!」


 ディアナは目を見開いた。義兄の大喝ではなく、その言葉の内容にこそ身体を震わせる。


「今のお前の相手はオズワルドだけでも、そしてエヴァンジェリンだけでもない! そやつらを生み出したこの『戦乱の世』こそが本当の怪物。お前が倒すべき真の敵なのだ!!」


「……っ。……!」



(そうだ。私は……)


 ディアナの脳裏に再び映像が過る。しかしそれは喪われた者達ではなく、今現在彼女を支えてくれる、そして彼女に自分の夢を託した者達の顔ぶれであった。


 アーネスト、ヘクトール、バジル、そしてルード……。他にも大勢の武将や兵士達が彼女の理想に共感して仲間になってくれたのだ。彼女が自分だけの復讐に囚われてその大義を捨てれば、それは彼女だけの問題ではなく、そうして信じて付いてきてくれた全ての人々を裏切る事になる。 


 ディアナは一度大きく息を吸って吐き出した。



「……申し訳ありませんでした、兄上、ディナルド様。見苦しい所をお見せしました。もう大丈夫です。私自らが立てた誓いを思い出しました」


「レア、解ってくれたか。よくぞ憎しみを抑える事が出来た。怒りは戦いの原動力になる。しかし憎しみは目を曇らせ、周りを見えなくさせる。軍や国を率いる者は決して憎しみに囚われてはならんのだ」


「はい、肝に銘じておきます!」


 どことなくホッとしたような声音の義兄の言葉に力強く頷く。義兄妹の一幕に一切口を挟まずに見守っていたディナルドも、何とか丸く収まったのを見て取ると顎に手を当てて感心したように頷く。


「……なるほど。確かに以前に帝国軍にいた頃とはまるで別人だな、シュテファンよ。それにディアナ殿もご自分の憎しみよりも大義を優先する事のできる素晴らしい器だと知れましたな。では……戦いに向けて意思の統一は出来たと思って宜しいですな?」


「はい! 必ずや奴等を撃退してみせましょう!」


「うむ。敵の詳細は不明だが、向こうも我らが参戦するという事は知らぬはず。ならば隙を突く事は出来よう」


 ディアナとシュテファンが揃って頷く。その兄妹の姿に頼もしさを感じつつ、ディナルドは愉快そうに口の端を吊り上げた。


「ふふふ、頼りにしていますぞ? シュテファンよ、お主があれからどれ程腕を上げたのか見せてもらおうか」


 そして3人はそのまま作戦会議に入った。敵を迎え撃つ為の準備は万端であった。


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