第十八幕 帷幄の臣下
ペリオーレはゴルガの南東に位置する県だ。このペリオーレを更に南下していくと州都のエトルリアが存在している。
尤もペリオーレとエトルリアの間にはリベリア州最大の淡水湖であるパドヴァ湖が横たわっているので、ペリオーレを手に入れたとしても、それが即ち州都エトルリアに王手をかけた事にはならないのだが。
ペリオーレはカリオネル火山の最も近い位置にある県であり、県内にかつてのリベリア王国の首都であったトーランスの遺跡を有している事でも有名だ。
帝国はトーランスの遺跡を禁忌の地として封印したので、それを観光資源とする事は出来なかったが、カリオネル火山から齎された大量の火山灰は、時が経ち肥沃な大地へと姿を変えていた。
そのためペリオーレはリベリア州屈指の農業都市でもあった。その意味でもこの県を領有できる事の意義は大きい。
そんなペリオーレの街に到着したディアナ達。しかし2人はどことなく街の様子がおかしい事に気づいた。
「兄上。何だか……街が少し物々しい感じがしませんか?」
「うむ。特に兵士達が緊張でピリピリしている様子だな。これは……
「……!」
やや表情を厳しくして頷くシュテファンの姿にディアナも緊張を高める。
「な、何でしょう。フィアストラが攻めてきたのでしょうか?」
フィアストラはゴルガの南西に位置する県で、同じくソンドリア郡に属する。ペリオーレがゴルガの他に唯一接している県でもある。州都エトルリアも地理上は接しているが、前述の通りパドヴァ湖を渡るか、湖を迂回してカリオネル火山を中心とした険しい荒野と岩山を抜けてこなければならない。
「さて、これだけでは何とも言えんな。とりあえず誰か兵士を捕まえて聞いてみるか」
街まで到着した2人は、城門を見張っている兵士に何かあったのか聞いてみる。するとやはり近々戦があるかも知れないとの事だった。だがフィアストラが攻めてきたのかと思ったが、どうもそうではないらしく、兵士は戦がある事は聞いていても、その相手がどこなのかは知らなかった。他の兵士に聞いてみても同様だった。
埒が明かないと判断したシュテファンはディアナと共にペリオーレの宮城まで赴く。宮城には兵舎や練兵場も併設されているが、そこにも戦の準備を進めている兵士達の姿が目立った。
「もし、太守のディナルド殿はおられるか? シュテファンが参ったとお伝え頂きたい」
宮城の門兵に取次を頼む。程なくして官吏と思しき文官が迎えに出てきた。その文官に案内されて宮城へと入ったディアナとシュテファンは応接室に通され、出された茶などを飲みながらしばらく待つ。
そう待つ事もなく応接室の扉が開いた。
「済まん、待たせてしまったな、シュテファン! それにそちらは……」
現れたのは堂々たる風格の壮年の武将であった。少し細い目は目尻が下がっており、口と顎に立派な黒髭を蓄えている。
シュテファンのかつての上官にして、このペリオーレの現太守であるディナルド・ムエレ・カールーカその人であった。ここに来るまでの旅上で義兄から名前や人となりは既に聞かされていた。
2人はディナルドを出迎える為に立ち上がった。
「お久しゅうござる、ディナルド殿。相変わらず壮健なようで何よりだ」
「あ、あの、お初にお目にかかります! ゴルガ伯のディアナ・レア・アールベックでございます。以後よしなに」
初見であるディアナはやや緊張しつつ礼を取る。
(説得に応じてくれたという事は、この人も私の
外見だけでなく、実力や実績、そして地位もある人物だ。彼から見たらディアナなど世間知らずの小娘もいいところだろう。そんな人物が本当に自分の傘下に加わる事に納得してくれているのだろうか。ディアナが不安になるのも致し方ないといえる。
ディアナの緊張と内心の不安を悟ったらしいディナルドは、彼女を安心させるように落ち着いた微笑を浮かべながら頷いた。
「取次から話を聞いてもしやと思っていましたが、本当に貴女自らがお出でになられるとは。本来ならこちらから挨拶に伺わねばならぬ身だというのに恐縮ですな」
ディナルドが何の躊躇いもなく頭を下げてきたので、ディアナの方が慌ててしまう。
「……っ。い、いえ、そんな……! 私が兄上と旅がしたくて勝手にくっついてきただけなのですから、どうぞお気になさらずに!」
ディアナが手をふると彼はようやく頭を上げた。そして真摯な瞳でディアナを見つめてくる。
「シュテファンから繰り返し貴女の理想と大義について聞かされておりましてな。『戦乱を終わらせる』。そして何より禅譲や簒奪を目的としている大半の諸侯とは異なり、今の帝国とルナン陛下に忠節を尽くし、あくまで帝国の臣という立場で天下平定を果たすというその信条に大変感銘致しましてな。及ばずながら是非私もご協力させて頂きたいと思い、貴女の元に馳せ参じると決めたのです。どうぞ良しなにお願い致しますぞ」
「……っ! ディ、ディナルド様……。は、はい! こちらこそ宜しくお願い致します!」
自らの決めた信念、信条にこうして賛同してくれる人がいる。自分のやり方は間違ってはいないのだ。それを再認識できて、彼女の中に熱い物が込み上げる。
そんな彼女に今度は興味深そうな視線を向けてくるディナルド。
「ふむ……シュテファンから話だけは聞いていましたが、本当にこやつと義兄弟なのですな。私とシュテファンの関係はもうお聞きに?」
ディアナ達に座るように促し、自身も対面のソファに腰掛けながら尋ねてくる。
「は、はい。かつて兄上が帝国軍に所属していた際の上官であったとお聞きしていますが……」
「うむ、その通りです。今は随分慕われておるようですが、軍にいた頃のこやつはそれはもう生意気で傲岸不遜で、手の付けられない悪童でしてな。とても『兄上』などと尊敬されるような輩ではありませんでしたぞ」
ディナルドの評価に当のシュテファンは苦虫を噛み潰したような顔で眉を上げただけだった。否定しない所を見ると本当の事なのか。
「へ、へぇ……そ、そうなんですね。今の兄上からは想像が付かないですね、うふふ!」
理知的な義兄にもそのような時期があったのだ。明らかに黒歴史を蒸し返された様子の義兄が可笑しくてつい笑ってしまうディアナ。
話題を変えたいシュテファンがわざとらしく大きな咳払いをする。
「おほん! 私の事はもういい。それよりもディナルド殿……街の様子は一体何事か? 兵士に尋ねてみたら何やら戦が控えているとの事であったが、フィアストラが攻めてきたのか?」
「……!」
それは目下重要な関心事であったので、ディアナも気持ちを切り替え居住まいを正す。ディナルドは一転して難しい顔になって頷いた。
「うむ、まあ……隠す事はできんな。……エヴァンジェリンという名前に聞き覚えはあるか?」
「……っ!?」
ディアナが驚愕に目を見開いた。聞き覚えがあるどころではない。今現在ディアナ軍の最重要索敵対象となっている人物の名前だ。あまりよくある名前という訳でもないので、明らかに同じ人物の事だろう。
シュテファンがスッと目を細める。
「何故あなたがその名を……? 私は連中の事は一切話していない。よもや奴等に調略されていたのか?」
シュテファンは剣の柄に手を掛けつつ、ディアナを庇うような位置取りになる。そしてその身体から静かな闘気が発散される。
チリアーノ太守ゾランの例もある。ディナルドが既にエヴァンジェリン一味に調略されていたとなれば、ここはもう敵地だ。シュテファンは命を賭してもディアナだけはこの街から脱出させる算段を瞬時に立てる。ディナルドの返答次第では容赦なく斬りつけるつもりだ。
そしてその空気は即座にディナルドにも伝わったらしい。彼は慌ててかぶりを振った。
「待て、落ち着かんか! 確かにその女の一味から誘いは受けた! だが儂はその誘いを蹴ったのだ! そうしたら奴等は軍隊を連れてこの街を攻撃すると脅してきおった。それでこうして防備を固めていたのだ!」
「……!」
「その一味の使者と名乗る男が来たのだ。あの男の……まるで感情が抜け落ちたかのような冷徹な、蛇のような目……。あんな男が所属する組織がまともであるはずがない。お前達からの話が無くとも儂は奴等の誘いを蹴っていただろうな」
「…………」
「あ、兄上……ディナルド様は信用しても良いのでは?」
ディアナには彼女の信条に感銘を受けたという彼の言葉や態度が演技とはどうしても思えなかった。
シュテファンはそれでもディナルドが虚偽でこちらを騙そうとしている兆候がないか見極めようと眼光を鋭くしていたが、やがて彼が嘘を言っていないと確信できたのか、剣の柄から手を離し闘気を収めた。
「……失礼した、ディナルド殿。我等がエヴァンジェリン一味と事を構えているという情報を伝えておくべきであったな」
「……いや、気にするな。儂の方こそ事前に話しておくべきだった」
シュテファンもディナルドも、そして固唾を飲んで見守っていたディアナも、ふぅーー……と緊張を解いてソファに座り直す。
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