忘れ得ぬ宿怨

第十七幕 兄と妹

 村の広場に大勢の人間が集められていた。いや、その村に住むほぼ全て・・・・の村人達がその広場に集められていた。


 村人達は不安そうに自分達を取り囲む兵士達の姿を見やっていた。兵士達は全員武器を抜いて、殺気立った顔を村人達に向けている。


 村人達の中から村長と思しき人物が進み出てきて、何かを大声で訴えている。しかし兵士達を率いていると思われる冷たい目をした軍師風の男は聞く耳を持たず、逆に酷薄な笑みを浮かべて兵士に合図を出す。頷いた兵士が村長を無残にも斬り殺した。


 それを見ていた村人達から悲鳴が上がる。小さな子共が泣き出す。それらの騒音・・に軍師風の男が不快そうに顔をしかめる。そして周りを取り囲んでいた兵士達に命令を下す。


 命令を受けた兵士達が弓に矢を番えて、容赦なく村人達に矢の雨を降らせる。悲鳴や絶叫が幾重にも鳴り響く。


 そして全て・・が終わった事を見計らった軍師風の男が、更に非情な命令を下す。折り重なった村人達の死体に油が撒かれ、そこに火矢が撃ち込まれる。


 僅かに生き残っていた村人達の苦痛と怨嗟の呻きに混じって、人の肉が焼け焦げる煙と臭気が、誰も住む者がいなくなった村に充満していく。


 蛇のような冷たい目をした軍師風の男は、そんな地獄の光景を何の感情も移さぬ無機質な目で見下ろしていた……




*****




「――――はっ!?」


 ディアナは目を見開き、寝台の上でガバっと身を起こす。


「はっ……はっ……はっ……!」


 そして激しく息を吐いて額の汗を拭う。


(夢……? 何で……どうして、今になって……)


 忌まわしい悪夢を見てしまった衝撃にディアナは呻く。彼女がこうして戦乱の世を終わらせるという途方も無い戦いに身を投じる切欠となった出来事……。


 勿論片時も忘れた事はない。しかし義兄達と旗揚げし、こうして天下統一に乗り出すようになって、あの悪夢を見る事はほぼ無くなっていたのだ。


 『あのお方』……エヴァンジェリンとの暗闘も、敵の正体や全容が徐々に掴めてきた事で、以前のような恐怖は感じなくなってきていた。


 情勢は比較的順調に推移していると言えた。だというのにそんな矢先にあの悪夢を再び見る事になろうとは。


 悪夢自体の衝撃もさる事ながら、これから自分にとって良くない何かが起こるのではないか……。そんな不吉な予兆に震えたディアナは、結局その後一睡も出来ずに夜明けを迎えてしまうのであった。




*****




 ゴルガの街と隣県のペリオーレの街を結ぶ街道。昼下がりの雲一つない陽気の街道には、両県を行き交う旅人や行商人などの姿がちらほらと見受けられた。


 そんな旅人達に混じって、ゴルガからペリオーレに向かって街道を進む男女の二人連れの姿があった。



兄上・・、御覧ください! 雲一つない晴天です! まさにお出掛け日和ですね!」


 女性は何とゴルガ伯のディアナ・レア・アールベックその人であった。そしてもう一人は、彼女の義兄にしてやはりディアナ軍の重鎮であるシュテファン・ヨセフ・リンドグレンだ。


 何故勢力の中心人物でもあるこの2人が、街から離れて真昼の街道を進んでいるのか。それはシュテファンがここ最近取り組んでいた交渉・・がようやく実を結んだ為であった。



 これはゴルガで旗揚げしてから知った事であるが、何と隣のペリオーレ県の太守はシュテファンとは知己の間柄であった。


 シュテファンからその事を聞いた軍師のアーネストはこれを利用しない手はないと考え、シュテファンにそのペリオーレ太守の調略・・を頼んでいた。


 何も戦をして奪い取るだけが領土を広げる方法ではない。もしその県を治める太守を説得して自分達の仲間に引き入れる事が出来れば、その領県を労せずして手に入れる事が出来るのだ。


 だが当然ながら各街を治める諸侯達は自分こそが天下に勇躍せんと割拠している訳で、こちらの傘下に入れと言われて応じるような太守は基本的にまずいない。あるとすれば余程彼我の戦力に差がある場合の、降伏勧告・・・・という手段での接収くらいだ。


 だがシュテファンによるとそのペリオーレ太守となっている人物は、かつて彼が帝国軍に所属していた際に上官だった人物らしく、その人品卑しからぬ事はシュテファン自身が保証していた。


 ならば可能性はあるかも知れぬとアーネストは、ディアナの人となりや崇高な理念などを説いてその太守を説得してみるようにシュテファンに頼んでいたのだ。


 最初は手紙のやり取りなどから始めて、そこで手応えを感じたシュテファンは、バジルを説得してこの計略の為の経費を下ろしてもらい、高価な調度品やその太守の好物である酒を贈るなどして根気強く調略を進めていった。



 彼がここ最近のエヴァンジェリン一味の事件に関われなかったのは、この計略が佳境・・に入っていた時期で他に手が回らなかったという理由が大きい。


 何と言っても成功すれば一兵も損なう事なく隣の県を丸ごと手に入れられるのだ。しかも能力面でもシュテファンの保証付きである優秀な武将のおまけ付きだ。アーネストからもこの計略を最優先するようにと念を押されていた。


 それらの努力の甲斐あってこの度ついにその太守から、ディアナ軍への編入に対する了承の返事をもらったのであった。



 そして現在、最終的な意思確認と調整の為にシュテファンは単身・・でペリオーレまで出向いている最中であった。


 単身なのは兵などを同行させると相手を信用していないという意思表示となる為だ。この重要な最終局面において可能な限り不確定要素は排除しておくべきである。また彼はその太守の人となりをよく知っていたので、騙し討ちのような真似をする人物ではないと確信していたのもある。


 そう……当初・・は単身で向かう予定だったのだ。それが何故か……



「……レア。何度も言うが、今の情勢においてお前が単身で街を出るというのは余り得策とは言えんぞ」


 シュテファンは自身に随行する義妹……主君でもあるディアナに諫言する。


 彼がペリオーレに出向く直前になって急に彼女が自分も一緒に行くと言い出して、半ば強引にくっついてきてしまったのだ。


「単身じゃありません。兄上がご一緒なのですから」


 ディアナはツンと澄ました感じでそっぽを向いてしまう。アルヘイムに暮らしていた頃にも何度かやられた事のある仕草で、何を言われても絶対に言うことを聞く気はないという意思表示だ。


 シュテファンは昔を懐かしく思いながらも、少し困ったように眉根を寄せる。


「レア。勿論私は何があってもお前を守る。だが今言っているのはそういう事ではなく――」


「――解っています! それでも私は兄上と一緒にいたいんです!」


「……!」


 シュテファンの言葉を遮るように大声で叫ぶディアナ。シュテファンは驚きで僅かに目を見開く。


「わ、私、最近色々あって大変だったんです。兄上に相談したい事が一杯あるんです! で、でも兄上はこの件でお忙しくて、近頃は全然構ってくれなくて……。だ、だから私……」


「レア……」


 声だけでなく身体も僅かに震わせる義妹の様子に、シュテファンはその心情を慮って一瞬言葉に窮した。


 フレドリックの罠によってあわや殺されかけて以来、好むと好まざるとに関わらず彼女はずっとエヴァンジェリン一味との暗闘を続けてきた。いくら旗揚げして一国を率いる君主になったとは言っても、まだまだ年若い少女にとっては過酷な体験の連続だった事は想像に難くない。



(ふむ……最近は確かにゆっくり話す機会も殆ど無かったか)


 ただでさえ不安だった義妹には随分寂しい思いをさせていたようだ。シュテファンは表情を緩めて溜息を吐いた。


「そう……だな。まあ隣のペリオーレに向かうだけだ。さしたる危険も無かろう。それでも絶対に油断はしないという条件なら同道を認めよう」


「……! あ、ありがとうございます、兄上っ! 勿論絶対に気は抜かないとお約束します! うふふ! やっぱり兄上はお優しい! 大好きです、兄上!」


 無邪気に全身で喜びを表現して、シュテファンの腕に自分の腕を絡ませて甘えてくるディアナ。


「……っ!」


 妹に抱きつかれた兄は一瞬僅かだが身体を硬直させる。心臓の鼓動が若干早まった気がした。そして目の前の少女はあくまで義兄弟であり、血は繋がっていないという事実を意識してしまった。



(む……! いかんな、これは……アーネスト達の気持ちが少し解るかも知れん。私はレアの兄だぞ。母上からレアの身柄を託された立場だと言うのに、断じて許されん事だ……)



「……? 兄上?」


 シュテファンの反応を訝しんだようにディアナが見上げてくる。彼は内心大慌てで、驚異的な克己心を発揮して平静を装った。一瞬とはいえあのような感情を抱いた事を、絶対に義妹に知られる訳にはいかない。


「……なんでも無い。では小旅行がてら少しペースを落として向かうとするか。久しぶりにアルヘイムにいた頃の話でもしようか」


「ええ、そうですね! うふふ、義母上はお元気でいらっしゃるのかしら?」


 嬉しそうに笑って話す義妹の姿にシュテファンも頬を緩める。たまにはこういう機会も良いかも知れないと彼は思った。


「うむ。定期的に手紙のやり取りはしているのだ。まだまだ息災のようだぞ」


「まあ、そうなんですね! 良かった……! ゴルガの情勢が落ち着いたら、是非こちらに転居をお勧めしましょう!」



 長い街道をゆっくりとしたペースで進みながら、兄妹は久しぶりの他愛もない世間話に花を咲かせる。それはディアナにとってもまた心安らぐ一時であった……

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